三橋は情の赴くまま、阿部を振り返ろうとする。
けれども、後ろで抱きしめていた阿部は、決して、三橋に顔を見せようとはしかった。
「なんで! 阿部君、オレを」
「好きだよ。大好きだ。だからもう、耐えられねェんだよ」
好き、と言われた瞬間、三橋の力は、少し弱まったようだった。
けれども、否定的なことを言われると、復た暴れようとする。
三橋は顔こそ可愛いし、男を誘う顔も出来るが、男であることに変わりはない。それも野球部だ。
実際は三橋よりも体格的に細いぐらいの阿部には、押さえ込むのは難しいはずだった。
まして今の三橋は、阿部の言葉をただ受け取りたくないとダダを捏ねているだけで、
その単純さ故に、いっそう遠慮がない動きだ。
それなのに阿部は、三橋をしっかりと取り押さえている。
「オレはもう、お前なしではいられねェんだ。我慢なんか、出来ねェ」
「オレも! オレもだよ!」
「でもそれじゃあ……お前、また倒れるだろ」
「倒れない!」
「嘘吐け。今までだって、何回か具合悪そうにしてたじゃねェか」
阿部は全てを押し殺した、冷静な声で話していた。
薄皮一枚捲れば、怒濤の激情が渦巻いている中で、よくもまあ耐えていられるなと、俺は他人事の様に思う。
いや、実際他人事なのだ。人間同士の痴話喧嘩なんて。
それなのに、どうしてこうも心が騒がしいのだろう。どうして親身に見てしまうのだろう。
三橋は阿部に対しては驚異的とも言える、大きな声を出していた。
こんなに自己主張出来る三橋は、初めてかもしれない。
惜しむらくは、今の三橋の精神状態と、この状況に、まるで救いが見いだせないことだった。
阿部は次々と三橋の不調を並べて立てる。三日目の朝練、一週間前の放課後の投球、十日前の……。
敵打者の癖を言うように、自分のことを言ってくる阿部に対し、三橋はその度に、オレ! とか、それでも! と、
言い訳にならない言い訳を、短く吐き出していた。