オレがここでお前らと話すのはきっとこれが最後だ。
だからこそオレは言いたい事を言わせてもらう。
「視えし」者が最も恐れるのは「視られる」事、だが大切なのは「目」ではなく「心」
「心」在って「目」が在り、又「目」が在って「心」が在る
「喜」「怒」「哀」「楽」
この地で他者を識別する際、最も要するのは「怒」と「哀」
「愛」は時に激しい「怒」となり、つまりそれは「我」
その時必要なのは「心」
「心」を「視」、己の「我」を抑える。
過度な「愛」は「哀」となり、いつしか「自己破壊」と形を変える。
「沈黙」は時に「哀」であり 絶対的な『愛』
本当に優しい人間は、愛する者を庇護する事により、
自分が傷付く事を恐れはしない。
庇護し、反論される自分を視た愛する者が、傷付くのを唯一恐れる。
「見守る」ことが最大の「力」 そして「沈黙」
名を持つ者の原点は「名無し」全てはそこから始まりそこへ還る。
答えは目に見えず、だがしかしいつも目の前に在り、自分の「目」を過信すると
いつか大きな『落とし穴』に嵌る。
視ることに気を取られる余り自分の背後に居る者の存在を忘れ「ボロ」が出る。
つまり最善は「傍観」、しかしそれは時に「無情」
此処が「心」で作られる場所と言うので在れば、
優先させるのは「運営」では無く「心」
恐れるのは「失敗」ではなく「崩壊」