天界A99自治区。無限の広がりを持つ天界の西の一角の、さらにその外れ。
そこにたたずむ館では、毎朝おなじみになった光景が展開していた。
「いい加減に起きろこのぐうたら天使っ!」
ごわしゃ、という天界の朝にはおよそふさわしくない破壊音が陽光の射し込む寝室に響き渡った。
ヴァールは頭から水をしたたらせたままベッドから身を起こすと、肩で息をしている侍従の少年をに
らみつけた。
「雇い主を殺す気か、お前は」
「毎朝花瓶のかけらを掃除するこっちの身にもなってみろ! 冬眠中の熊だってもっとすっきり起きる
もんだこの寝太郎!」
「金を出して買い換えているのは俺……」
「やかましいっ! 起きるのか起きないのか!?」
整った、少女のような美貌に青筋をたてて少年−プライマル−が怒鳴る。
今度は机か椅子でも投げつけてきそうなその剣幕に押されて(実際両方に手をかけていた)、ヴァー
ルはのろのろと着替えをはじめた。
「朝食はもうできていますから」
着替えを見届けると、プライマルはそう言い放ちドアを閉めた。ぱたぱたと軽い足音が徐々に遠ざか
っていく。
どうも最近あの侍従がさらに生意気になってきたような気がする。一度よく言って聞かせたほうがい
いのかもしれない。
天使衣の襟を整えながらそんなことを考えたが、口であの子供に勝った試しなどないことを思い出し
てヴァールはため息をついた。
朝食のあいだ中なにかいい手はないか考えてみたがそれも徒労に終わり、仕事のため館の地下に通じ
る扉の前に立った時、脳裏にある考えが浮かんだ。
愉快だが、危険な考えだ。中央にばれたらただでは済まないだろう。リスクとリターンを較べればこ
れほどつりあいのとれない計画も珍しい。
だが、プライマルへの鬱憤と、「仕事」によって壊れはじめていた彼の倫理観、そしてなにより日頃
感じている退屈がそれを実行に移すことを後押しした。
「まずは相手を選ばないとな…」
天使にあるまじき邪悪な笑みを浮かべ、ヴァ−ルの姿は地下へと消えていった。
三日後。
「プライマルくん、ちょっといいかな?」
書庫の掃除の手を止め、プライマルは雇い主の方を振りかえった。
いつもののほほんとした調子でヴァ−ルが書庫の入り口に立っている。
「なんですか? ヴァ−ル様」
「スカーレットがお茶と軽い食べ物を持ってきてほしいそうだ。行ってやってくれ」
スカーレットとは偶然にも一瞬だけ開いた天界への通路に吸い込まれ、魔界から連れて来られた4人
の魔族の娘のうちの一人だ。現在彼女らはこの館で一人づつ客室をあてがわれ、天界での毎日を過ごし
ている。
「いいですけど、あの人ここのところ体の調子がよくないって部屋に閉じこもっておいででしたよね?
もう大丈夫なんですか?」
少なくともプライマルはそう聞いている。
魔界の住人が天界で暮らしているのだ。体調を崩すこともあるだろうと、さして気にもとめていなか
ったがもう回復したのだろうか。
少々いぶかしげなプライマルとは裏腹に軽い調子でヴァ−ルが返す。
「ただの風邪だったらしくてさ、よくなったらもう腹が減って仕方ないんだそうだ。たのむ」
「…わかりました」
箒を壁にたてかけ、プライマルは厨房へ走っていった。その青水晶のように澄んだ瞳が、ヴァ−ルの
顔に浮かぶ薄い笑みをとらえることはなかった。
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「スカーレット様、お食事をお持ちしました」
ノックをすませ、紅茶のポットやらサンドイッチやらを載せた盆を片手にプライマルは呼びかけた。
相手が悪魔だろうとなんだろうと客人には敬語が基本だ。もちろん例外はあるが、さしあたって彼女
はそれには当てはまらない。
「スカーレット様?」
ノックと呼びかけを繰り返してみたが返事はない。たっぷり3分ほど待ってみたが、むこうからドア
が開くことはなかった。
かつがれたか、とも考えたが、あの主人は馬鹿なことが大好きでもこういう類の冗談はやらないはず
だ。自分で言うのもなんだが、召使を怒らせるとはっきり言って後が怖い。
ヴァ−ルが言うには彼女は部屋で待っているということだった。
一応確認のためドアノブを回し、ゆっくりと引っ張る。重厚なつくりのドアは、あっさりと開いた。
「スカーレット様? お留守ですか?」
なんとなく後ろめたい気分を感じながら、そろそろと部屋に足を踏み入れる。
部屋の中央まできたとき、ソファーのかげに白い人影が倒れ伏しているのが見えた。
「スカーレット様!」
盆を傍らに放り出し、プライマルはスカーレットに駆け寄った。うつぶせに倒れている彼女の肩に手
を掛け引き起こし、やさしくゆする。ぐったりとした娘の口から低いうめきが漏れた。
汗もかいておらず、顔色も悪くない。そんなことを観察しているうちに、長いまつげを備えた瞼がゆ
っくりと持ちあがった。
その瞬間、しなやかな腕が少年の首に巻きつき、ばら色の唇がプライマルのそれに吸い付いた。
「んぅっ!?」
驚くまもなく舌が顎を押し開き、口腔内に侵入する。押しのけようとする両手をものともせず、スカ
ーレットはさらに強く少年を抱き寄せてその唾液と舌をむさぼった。
じたばたと腕の中でもがくプライマルが見たのは、淫魔の美女の、その髪と同じ紫色の潤んだ瞳の奥
に渦巻く、底知れぬ餓えと欲情だった。
「ん……んむ……ぅ……っ!」
ぴちゃくちゃと、スカーレットの舌がプライマルの唇を、歯を、粘膜を蹂躙する。本能的に舌をちぢ
こまらせて逃げようとするが、スカーレットの舌は巧みにそれを追いかけ、何度も何度も絡み合わせて
吸い上げる。さらに右手は頭を捕えたまま、左手で少年の腰を抱えぐいぐいと自分の胴体に押しつけ密
着させてくる。
息ができない。酸素ではなく、むせるような、どこか甘い女の匂いだけが体内に送りこまれてくる。
淫魔の舌が口内をすべり、粘膜をくすぐるたびにプライマルはびくびくと体をはねさせた。
腰に回された手が背中の隅々を愛撫する。衣服の上からだというのに、その甘美な刺激はプライマル
から確実に抵抗の意思を奪っていく。
「はぁ……っ!」
窒息寸前でプライマルは縛めから解放された。後ろにとびすさり、荒い息をつきながらなんとか事態
を把握しようと試みたが、先程の鮮烈な感触が邪魔をする。
「何、するん、です……かっ」
できるだけ顔をそむけるようにして、ようやくそれだけの言葉を搾り出す。
知られてはいけない。羞恥で泣きそうになっていることも、この上なく速く脈打っている心臓の鼓動
も、そして白い、神聖な衣の下で脈打ちいきり立っているモノも。
「プライマル君……違うの……私……あんな……違う……」
立ちあがり、半ば涙声になりながらスカーレットも少年に弁解する。
恥ずかしくてどこかに隠れてしまいたい。なぜあんなまねをしてしまったのか、なぜ自分はあんなと
ころに倒れていたのか。混濁した意識にふと、この館に住むもう一人の天使の顔が浮かんだ。
ヴァ−ル。
あの男だ。あの男が自分の前でなにかの書物を広げ呪文を唱え、そこで意識が途切れた。目がさめた
時には間近に心配そうな眼差しをむける少年の顔があり、そして…
さっきの瑞々しい精気の味と、少年の、少女のような美貌に浮かんだ快楽の表情、抱き締めた時に感
じた華奢な肢体の感触とが、熱となってスカーレットの全身をぐるぐる回る。
こんな子供に欲情してしまった。しかもあろうことか、自分の「オンナ」はまださらなる熱を欲しが
っている。
「プライマル君……さっきのは違うの……。あいつが私になにか変な術をかけて、それで……」
そう言っているあいだも、視線は無意識に少年のさらさらの金髪やほっそりとしたうなじ、衣から僅
かに覗く素肌をさまよっていた。
身体の奥から涌き出る欲望はますます強くなるばかりだ。このままでは本当に押さえが効かなくなっ
てしまう。
「だから……ごめんなさい。……すぐに出ていくから。ごめんなさい……」
なにか言いたげなプライマルを無視し、ここは自分の部屋だということすら忘れて、スカーレットはよ
ろよろと歩き出した。
ぎゅっと拳を握り締め、出口まで一直線に足を進める。ドアまで後1歩だ。
ひとりでにドアが開いた。
いつもののほほんとした笑いを浮かべて、ヴァ−ルがそこに立っていた。
「なんだ、効き目が薄かったかな、これ」
手に持った書物をひらひらさせてヴァ−ルが言った。
「どういう…」
「どういうことだっ!!」
スカーレットの声は途中で掻き消えた。
おそらく一部始終を見られていたであろうことへの羞恥、年上の美女に対する罪悪感、そしてわけの
わからない状況で節操なく興奮してしまった自分への嫌悪。それらすべてを怒りに転化してプライマル
は叫んだ。
「なに、最近とみに生意気になってきた侍従を再教育してやろうと思ってな」
まったく動じた風もなくヴァ−ルが答える。
「それで書庫から面白いものを掘り返してきたんだが……。どれ、もう一度だ」
「黙れっ!!」
ヴァ−ルは飛びかかろうとしたプライマルを一瞥すると。ちょい、と右手を動かした。
まるで床に縫いとめられたようにプライマルの動きが止まる。
「自分が2級天使のそのまた下の召使だってこと忘れてないか、お前」
声すら出せず硬直したプライマルに呆れた顔をむけると、ヴァ−ルは唖然として立ちつくしているス
カーレットに向き直った。
「さて、今度はうまくやらないとな」
書物を開き、記された呪文をなぞっていく。次第にスカーレットの瞳に恐怖の色が浮かび上がった。
「いやあぁぁぁぁっ!! やだ、やめてお願いっ……あっ!?」
身体の深奥から再び欲望と渇きがこみあげてくる。今までの衝動とは比べ物にならないほど熱く、深
い。
「……あ、あ、なにこれ……っ……くぅ!」
髪の毛からつま先までが熱に覆われている。息が荒くなり、足が震える。胸当ての下の乳首がひとり
でに固くしこり、股間を覆う布には黒い染みが浮き出していた。
「簡単に言えば魔族の体を構成する魔力の流れをいじくって、腹を空かせたりいっぱいにしたりする呪
法だそうだ。見つけるのに苦労した……このあいだ言わなかったかな?」
「あ……あ……んく……は……」
声が遠く聞こえる。
欲しい。欲しい。乳房と股間に自分の手を這わせ、哀願するような眼差しをヴァ−ルに向ける。すでに
秘裂はべとべとにぬかるみ、あふれ出た蜜は太腿まで滴っていた。
「まあスカーレットの場合、種族の特性上欲しくなるもの少々特殊なんだが……おっと、こっちじゃな
くて、あっち」
ヴァ−ルは、足元にひざまずき、ズボンに手をかけようとしていた淫魔の娘を引き剥がすと、先程か
ら動けないままのプライマルのそばまで引っ張っていった。視線の高さをプライマルに合わせ、にやり
と笑う。
「というわけだ、プライマル君。せいぜい頑張ってくれたまえ」
言って再びちょい、と右手を動かす。
体の自由を取り戻した瞬間、プライマルは床に押し倒されていた。