実際に現実で行う事は出来ないけれど、一つ思考実験をして欲しい。
あまねく一切の表現物を単純所持する権利を持たず、
あまねく一切の自らの感情・思考・その他一切の表現を行う権利を持たず、
仮にもし、それらの事を行ったならば、重犯罪人として前科が付く様な
環境・社会にいたならば、"貴方の自己"は"今同様の貴方"たりえたのだろうか?
概念としての"表現・思想の自由"が権利として無かった時代にも
全くそれらを行使してはならないと云う規定も無かった。まぁ、
思想犯と云うものも在ったし、一部の表現に規制が在った事は当然在っただろう。
しかし、それでも法で縛られている部分よりも、縛られていない部分の方が
多かった訳で。だからこそ曖昧な表現と拡大解釈による"表現・思想の自由"の
完全死を起こし得る因子が危険な訳で。これが曖昧な表現ではなく
拡大解釈の余地の無いものだったならば、それが"表現・思想の自由"の全否定で
ない限りに於いては妥協出来得る可能性もあるからこそ、
単純明解で拡大解釈の余地の無いボーダーを示せ、と規制派に云ってる訳。
更に云うなら、憲法は大雑把な骨組・方向性みたいな物なのだから
曖昧で当然。其処に法律や条例等で、細かい肉付け・ディテールを決めていく
訳で。もし、憲法が事細かに、それら全てを示唆しているならば、
法律や条例等の、その他の決まりは存在意義をすら問われかねない訳で。
ついでに云うと、自衛隊は当然、違憲だと思っている。まして海外派兵など
軍事介入・内政干渉以外の何物でもないだろう、と。勿論、法律その他の
決まり事が憲法を無視して一人歩きしている状態は、立憲国として問題だ、とも。