『毎日新聞』2009/6/26付(大阪本社版)8面
インタビュー急接近 児童ポルノ「単純所持」禁止を求める理由は より
――児童買春・児童ポルノ禁止法改正案の審議が国会で始まります。
◆日本ユニセフ教会は子供の性の商品化をなくそうと昨年3月から
「なくそう! 子供ポルノ」キャンペーンを展開しています。現行法では処罰対象になっていない
アニメやゲームでの性的虐待行為を違法とすることなどを求めていますが、
「待ったなし」の位置づけで特に重視しているのが、
18歳未満を映したポルノ画像や映像を所持すること自体(単純所持)を禁止する法改正です。
――「単純所持」禁止にこだわる理由は。
◆「趣味の問題だから個人的に楽しむことまで禁止しないで」と主張する人がいます。
多様な性のあり方は尊重されるべきですが、自分の意思で断ることもできない子供が一方的に
性的虐待を受け、その姿を見て氏は意欲を満たすことが許されるはずがありません。
児童ポルノは一度とられたらコピーが繰り返され、永遠に消えません。
援助交際などふとした弾みで性交渉した相手に写真やビデオを撮られ、
「もう一回会わないと先生や親に送る。ネットにばらまく」と脅迫されるケースも多い。
生涯にわたりまるで性の奴隷のようにされるのです。愛好者の多くは興味や好奇心で目にした画像などから
その世界にはまっていってしまうことが多い。
「持っているだけで違法」となれば、少しはブレーキがかかり、際限ない拡散の防止にも役立つはずです。
住民がちゃんと画像を作った方がいいんじゃないか?
>>719 案の定来たマッチポンプその一。
まとめておいて終わった後に
何処がどういうマッチポンプしていたかまとめて出した方がいいかも。
その次の機会で警戒することが出来る。
――実態が理解されていない面もあるのでは。
◆「児童ポルノって子供の裸の写真? それとも若いグラビアアイドルの水着姿?」
と軽く考えられがちですが、違います。子供を縛り上げて、レイプしながらネットで生中継したり、
1歳や2歳の子に性器を挿入することもある。当然、命も危険にさらされます。
残酷極まりないことが現実に行われ、それを見て楽しむ人がいるのです。
私も女性ですから露骨な言葉を口にするのはためらいがありましたが、
覚悟を決めました。分かってもらうには事実を話すしかないと。
――日本は海外からどう見られていますか。
◆単純所持を禁じていないのはG8(主要8カ国)では日本とロシアだけです。
児童ポルノは国際協力がないと撲滅できないのに、日本は遅れているだけでなく、
輸出大国でもある。海外の関係者にあうたびに責められます。
児童ポルノを好む人は本の一握りのはずですが、「日本の男性はみんなそうなの?」
という目で見られる。「ロリコン」とか「ヘンタイ」という言葉はマニアの間で既に国際語です。
そして、それが日本の文化であるかのように誤解されているのです。
――運動の先頭に立っているため、マニアから批判を受けることもあるのでは。
◆ネット掲示板に「死ね」とか「香港に帰れ」と書かれます。
彼らにしてみれば、これからどうなってしまうのかと焦っているのだと思います。
私は彼らの人生を台無しにしようなんて考えていません。子供を守りたいだけなんです。
――運動の原動力は。
◆ユニセフ大使としてタイやフィリピンで性的虐待を受けるたくさんの子供たちに会いました。
日本人が深くかかわっていることも知りました。幼い時に母親の再婚相手に撮られた
わいせつ画像をネット上で見つけてしまった日本の少女もいました。
こうしたことを知ることは私にとってもつらい経験でしたが、
「知った者の責任」として今後も力を尽くします。
(以上)
なんで罵られてるのかあえて無視してるな。
お前が罵られてるのは
誰一人犠牲者が出ていないことが明白な二次元モノまで
規制の対象にしようとしてるからだよッ
あえて二次も三次もごっちゃにしたような記事。
つうか二次に関して「現行法では処罰対象になっていない
アニメやゲームでの性的虐待行為を違法とすることなどを…」とか
描いておきながそっちについてはまったく触れていない。
むしろ「なくしたい」本丸は二次なんじゃねーのかって思えるな。
>>724 乙
書いてある被害の事例が現行法で取り締まれるものばっか
その辺りの事を明示して、この改変には別の意図があるように思われてなりません、だな。
書き忘れたがインタビューは アグネス・チャンさん(日本ユニセフ協会大使)
「ユニセフは敵」のような考えでことを論じていては
「エロゲは社会の敵」と自ら主張しているようなものだよ。
そのような論法ではかえって規制は正当なものとされるだろう。
論じるとすれば、日本での警察の取調べが可視化されず、
ひとたび立件されると冤罪が晴れることはまずないこと、
取調べの可視化を今日まで拒否していること
検察・司法権力が恣意的に運用されていない、
という信頼が得られていない、むしろ逆のことが危惧されていること……
このような前近代的・反民主的な疑惑のある検察や警察に
果たしてこのような裁量範囲の大きい法律の運用をゆだねてよいのか……
この一点だ。