あ、児童ポルノ法は、じゃなくて、空想ポルノ規制は、だね。
実写の児童ポルノ規制自体は、判断能力の未成熟な児童がポルノ撮影に参加しないよう、
「管理」するための法律だから、「弱いパターナリズム」に分類される。
>>831 ぶっちゃけ大人でも大したことないですからな
管理職が見張ってないと手を抜いたりサボったり
>>834 まあ、それはそうかもしれないけど、
自由主義国家では全ての成人に等しく判断能力が備わっていることが前提になっている。
そうじゃなきゃ、それこそ判断能力の高い個人による独裁や専制の肯定につながってしまう。
>>833 まぁ無いよりはあった方がいいとは思います
たしか中国かどっかで、打ち上げに失敗したロケットが街に墜ちて滅んだと聞きましたが
>>835 そこんとこもそろそろ変えた方がいいかもしれませんが、判断能力国家認定試験を設けてランク分けするとか
弁護士資格や運転免許は、ある意味で、人間の判断能力や知識を試験ではかり、権利を制限する制度ではあるね。
ただ、根本的な人間の知性や判断力を試験で階層化するというのは(例えば選挙権に制限を加えるなど)、
自由主義や民主主義の理念に反する。
>>836 村に落ちて500人だかが死んだってのは何かで見たことがある
>>835 > 自由主義国家では全ての成人に等しく判断能力が備わっていることが前提になっている。
その前提が大きな間違いなんだよな。
> 判断能力の高い個人による独裁や専制の肯定
判断能力の高い人に多少管理された方がうまく行くに決まっている。
まあ、自由主義だろうが民主主義だろうが、行き過ぎはいかんということだろう。理想はあくまでも理想。
>>840 >その前提が大きな間違いなんだよな。
>判断能力の高い人に多少管理された方がうまく行くに決まっている。
うーん。もちろん、判断能力に差があるというのは、市民革命の時代からすでに民主主義の欠陥として、
様々な思想家や政治家が指摘していたんだよね。
いわゆる共和主義というのがそれで、一部の「市民的徳(Civic Virtue)」の持ち主が、
協議をしながら国家を運営していくという考え方だね。
このあたりは掘り下げると大変難しい話になるんだけど、
行政の運営など、いわゆるテクノクラートによる管理は民主主義と両立しうるわけで、
「多少」の管理はどんなに民主的な国家でも存在する。
ただ、その管理の幅を制限することによって、官僚国家や独裁に陥らないよう、コントロールすることが重要になってくるわけで、
その制度的安全弁の最たるものが憲法であり、憲法が保障する表現の自由なんだね。
>まあ、自由主義だろうが民主主義だろうが、行き過ぎはいかんということだろう。理想はあくまでも理想。
プリミティブな民主主義の行き過ぎを抑えるためにこそ、表現の自由があるんじゃないの?
民衆感情による少数派や被差別集団の弾圧を抑止するために、
彼らが発言する権利と場が十全に保障される必要がある。
上にも書いたけど、民主主義はしばしば多数者専制に陥り、民衆の感情論が少数者を圧殺してしまう。
トクヴィルが述べたように、民主主義の「行き過ぎ」である多数者専制に対抗するためには、
万人が自らの意見を表明し、表現し、例え多くの人が忌み嫌うものでも、その表現の自由が保障されなければならない。
>>841 わたしは「「表現の自由」の中に憲法が存在する」という認識なんですけど、ちょっとオーバーでしょうか?
>>841 とりあえず将来的には、自我を持ったスーパーコンピューターに全ての管理・判断を任せるのが一番ということですかね
メタルマックス゜のノア様みたいに、ある日突然「人類を抹殺する!!」とか言い出しそうではありますが
>>843 いや、そういう管理社会に対するアンチテーゼとして自由主義とか民主主義があるわけで……。
そうそうまさに1984の世界。
オーウェル自身も、明確に自由主義のメッセージをこめてあの作品を書いてる。
アニマルファームも共産主義批判だしね。