N速+から来ました。おじゃまします。
>>31 >お前に決定権があると誰が決めた?
このスレに来たのは今日が初めてなので、的外れかもしれないけど、
可能性の問題について議論しないのは、しても意味がないからじゃないかな。
もし、君が言うように反対しても無駄なら、何を話しても意味がないんだし、
話し合って結果が少しでも変わるなら、賛成か反対かを議論するのは意味があることだ。
どっちみち、「何を言っても無駄」という主張は、あまり意味がない。
で、肝心の無駄かどうかについてだけど、こと空想ポルノ規制については、
今の状況はかなり微妙だと思う。
確かに、児童の人権を訴えているぶんには、君が言うように感情の問題なんだが、
法の論理として、空想ポルノは児童の人権、つまり個人法益は無関係だし、
誘発説で間接的に関係があるという議論は、強力効果論が認められない以上、牽強付会に過ぎる。
となると、175条のような公序良俗で規制するしかないけど、
それをやっちゃうと、社会的弱者や少数者の表現を、多数派の意見によって封殺する構図が生まれる。
もちろん、その少数者に小児性愛者というレッテルを貼って、規制派はなるべく避けようとするだろうけど、
少なくとも知識人や表現者にしてみれば、公序良俗というワードはわいせつ物三裁判を思い起こさせるもので、
逆に感情論の問題として、非常な批判を巻き起こす可能性が高い。
(しかもこの場合、児童の人権はほとんど関係がなくなってしまう)
それがわかってるからこそ、規制派は何とか児童の人権に結び付けて規制しようとしている。
空想ポルノ規制になかなか手が付けられないのも、
児童の人権という個人法益擁護と、被写体の存在しない表現の規制がなじまないから。
法としても、第一条でいの一番に個人法益擁護を明記しているわけで、
社会法益による表現規制に持ち込むのは、現実問題として、規制派から見てもかなりハードルが高い。
だから、はっきりと表現の自由の重要性を訴えていくのは、現実的にも意味があることだ。無駄ではない。