SS投稿スレッド@エロネギ板 #13(再)

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171星を見る私に ◆HeOWL92rdI
 おいしい。きれい。ありがとう。
 おはよう。こんにちは。おやすみなさい。
 そして、さようなら。みんなみんな。彼が教えた。
 ………。
 ―――なんだそれは。そんなもの―――反則じゃないか。
 運命の出会いだなんて、ふざけている。なのに、絵空事が現実としてそこにはあった。
 ……どうしたって。
 私が私に出来る最大限の努力をしたって届かない。才覚ではどう足掻いても埋められない。
それを、思い知らされた。
 ……ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな、ふざけるなふざけるな―――!
 私は、今私が持つ全てを自分の力で勝ち取ったんだ。努力で。才覚で。他者を蹴落として。
他の全てを犠牲にして。そうして血反吐を吐きながら、私はこの頂きに立った。
 そう。ゼロどころか、マイナス。マイナスの出発点からこの高みに立ったこの私が。どう
して負けなければならない?
 そうやって私は。眠り姫に嫉妬して……姫を守ろうとする王子さえも憎悪した。
 けれど、足りないものがあるなら補えば良いだけの話なのだ。そう気付いた時、私は笑った。
余りにも簡単な話だったから。
 私になくてあの子にあるもの。それを新しく作ってやれば良いだけの話なのだ。
 出会いを無かった事にして、運命的な出会いを最初からやり直す。知り合ってからの年月が
絆というものならば、それさえ作ってみせる。
 有象無象には不可能でも、私には出来る。他の誰でもない私だからこそ。
 私はそれを行えるだけの知識を持ち、それを実行に移す事が可能な環境がある。周囲に働き
かけ、目指す目標に誘導する事が出来る。本心を隠しながら、周囲の人間を説得するだけのもっ
ともらしい理由を考え付く事が出来る。周囲の人間を納得させるだけの結果を弾き出してみせる。
 彼との出会い。遍歴。
 そこさえクリアしてしまえばいい。私にあってあの子に無いものを、あの子が持つ事など不
可能なのだし。
 負ける理由など見つかりはしない。
 だから。
 私とあの子の戦いは、何があっても絶対に負けるはずなど無い戦いであり。
 最初から……絶対に勝ち目のない戦いだった……と、言える。
 私は……一緒に星を見たいと、そう望む私になろうとしたのだから。
172星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:43:48.88 ID:YzlgqNUq0
◆◆◆
 六慶館学園は、飼育場だった。
 ブロイラーの中から適当なものを見繕い、首を捻り、羽を毟り、血を抜いて。好みの部位を気
の向くままに切り出して、食肉に加工する。骨も残さず余さずしゃぶり尽くす。そんな学院とは
名ばかりの実験動物の管理施設。
 それでも名目上は学校である事に違いは無い。私は利便性の為に六慶館学園に籍を置いた。昔
から……私は周囲の人間に心を開く事が出来なかった。学園でもそれは同じで、教師でさえ私に
教えられる事は何も無く、周囲の者はただの実験動物に過ぎない。
 母は裏切り者。父は病院のベッドで朽ち果てていくだけ。頼れる者なんて誰もいない。私は……
私の才覚を周囲の人間に見せ付ける事で、研究所に自らの居場所を作り出した。
 けれど、そんな私を妬む者も多かった。だから私が努力を止めれば、それが私が誰からも必要
とされなくなる時なのだ。否も応もなく走り続けなければいけない。
 だって利用価値が無いと見なされれば、捨てられる。捨てられるのだ。母が……母でさえ、私
にそうしたように。
 だから私も、利用出来るものはなんだって利用する。偽る。裏切る。踏み台にして、蹴落とす。
それが私を裏切った母が、憎悪と共に私に唯一残してくれた教訓だ。
 そうして私は捕食されるだけの人生から抜け出して、捕食する側に回るのだ。
 そんな風に、学校生活の全てを空虚なものだと馬鹿にしながら、作り物の笑顔と人格を貼り付
けて。私は無難にただの学生「帆刈叶」をこなそうとしていた。
 そして。そこで彼に出会ったのだ。
 大きな望遠鏡を運んでいた。だから彼は前が良く見えなくて。
 校庭の端の、水道の近くにふらふらやってきた彼と、ぶつかりそうになった。何て事の無い、
平凡な……そう。平凡な出会いだった。
173星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:48:08.35 ID:YzlgqNUq0
「天文部の仕事なんだよ」

 彼はぶつかりそうになった事を詫びてから、笑った。
 知っている。高遠恵輔。同じクラスの男子生徒だった。
 望遠鏡のメンテナンスをするのだそうだ。
 嬉しそうに彼はレンズを洗っていた。
 自分から損な役回りを請け負う、馬鹿な男。最初に思ったことはそれだ。
 ただ、こんな地味な仕事をしているくせにその表情に少しも嫌そうな所はなく、目が活き活きとしていて。
 本当に部活が好きなんだとぼんやりと思って。

「どうして天文部に入ったの?」

 などと、何となく聞いている自分がいた。
 彼は星空の魅力を、私にとうとうと語ってくれた。
 星って、そんなに良いものだったっけ? と、私は私の過去から星空を検索したけれど、出てくるのは
仕事に没頭する父と母の後姿、それからそんな二人の子供として、当然のように求められる高い期待値に応えるため、
愛されるために只管勉強し続けた記憶ばかりで、それから後は、死にかけた事だったり、
両親を失ってからの地獄のような日々の記憶だけだったりと、今更ながらに気付いてしまって。
 知識以外で、実際の星空さえまともに見ようとしたことのない事実が、何故だかとても悲しく
なった。
 悲しみなんて、とっくに忘れたと思ったのに。父と母に愛されたいなんて、とっくに諦めたと思っていたのに。
 だから、そんな感情を呼び覚ました彼の事が嫌いだと思った。思おうとした。
 その時から……彼は私にとっての特別となったのだ。
 気がつくと彼を目で追っていて。私の知らない事を、嫌いな彼が知っている事が許せないだなんて、
馬鹿な言い訳を自分にしながら、彼と話す口実を作っていた。
 本物の星空を知らない私だって、彼の興味を惹く話題を提供することぐらい簡単だ。
 例えば星表の話。本物を知らなくたって知識だけで、本物を知る彼と対等以上に話すことが出来る。
そんな幼稚な優越が嬉しくて、彼が私もまた星空が好きなのだと誤解している事に、満足した。
174星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:50:13.68 ID:YzlgqNUq0
 色々な話をした。元々物怖じしない彼と、人付き合いさえ計算づくで演技出来る私。仲良くなるのは簡単な事だった。
 彼は望遠鏡を担いで、自転車で世界中の知らない星空を見て回りたいだなんて、子供みたいな夢を恥ずかしげも無く
振りかざせる人。私には理解出来ない生き方を目指す、私の知らなかった種類の人間。私の見えないものを……見ている人。
 羨ましかった。憧れた。単純化して言うのならば、そういう事なのだろう。
 当時の私は、それを絶対に認めはしなかったが。
 私は……、彼といるとおかしくなる。コンピューターの計算が狂うように、完璧に律している感情に、計算されつくした思考に、
バグが生じる。ノイズが走る。非合理な事をしてみたくなる。
 そうして私は、入学から2ヶ月を待たずして天文部に入ったのであった。
 親しくなって解った。穏やかで理性的だけれど、その実、誰より切れる思考力や応用力の持ち主だと。
それは私のように知識由来のものではなくて、直感的に正解を掴み取る気質と言って良い。
 けど、そんな分析は、どうだって良いのだ。
 偽者は、本物に勝てない。
 彼と一緒に見た星空はとても綺麗で……涙が出そうだった。私は世界は美しいものだと、初めて彼に教えられた。
 話題を合わせる為だけに使っていた天文学という知識が、私自身の趣味にもなった瞬間だった。
 心を、奪われた。天文学にではない。彼。高遠恵輔にだ。
 そう。事実は事実として認めなければなるまい。私が、彼に恋焦がれている事を認めよう。
 でも同時に、いつも彼がとても怖かった。だって仲のいい同級生である「帆刈叶」は、人当たりの良い顔で朗らかに笑う
「帆刈叶」は、全部嘘なのだから。演技をしているだけの、仮面に過ぎないのだから。
 彼に対して己を曝け出した時、どうなるか考えるのが怖かった。私は私自身を有能であると認めているが、
本当の私に人間的な魅力があるとは思っていない。
 だから……私が偽らざる私を曝け出せば、あの女……あの女のように、私を見捨てて私の所から去っていくに決まっているんだ。
175星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:52:24.00 ID:YzlgqNUq0
 本当の私は無機質で冷徹で残酷だ。裏切り、焚き付け、騙し、煽り、傷付け……それらの行為を自分の為になら
顔色一つ変えずに行う事が出来る。そんな女だ。
 そういう生き方しか出来なかったと懺悔して、何かが救われるならしてやってもいいが、まあ多分……私にとっても、
私が蹴落としてきた者達にとっても何の意味も無い。
 高遠恵輔はそういう開き直りを何より恥じて自分を律するが、私はそうではないのだから。
 ああ、ほら。私の本性なんて、彼に見せる事なんてとてもじゃないが出来ないじゃないか。ポリシーそのものが相容れない。
 それに私は、私の元から去ろうとする者を今度こそ許さない。
 今の私は死にかけてリノニウムの床に這い蹲り、裏切った母の名を呼んで泣き喚くだけの、無力な子供ではない。
裏切られたら、いっそ無茶苦茶に壊して終わらせてやろうと考えて、間違いなく実行するに決まっている。決まっているのだ。
 だから、ずっとこのまま、終わらされてしまうまで、こんな関係が続けばいい。
 趣味を語らい合える相手。そこには何の打算もない。ささくれていた私を癒す、安らぎが確かにそこにあった。
それで良いと思っていた。いつか……彼が私に恋愛感情を抱いてくれて、告白してくれるのではないかなんて、
くだらない夢想を抱きながら。
 そうして、学園での生活はとても穏やかに一年を過ぎる。
 その裏にある、もう一つの私の生活に関しては……まあ、ろくでもないものだったが。
 私の仕事というのは、送られてきたデータの解析・分析であったり、そこから派生する新しい理論や応用技術の開発が主となる。
 ただ、私のような研究者であっても何がしかの計画を実行に移す際、ポストによっては責任者にも実行犯にも成り得る。
実地試験に勝るものはないから。
 計画そのものを考えるのは私ではないし、私は私の悪意や憎悪を以って、運の悪い被検体にメスを入れるわけではないが、
それでも顧客や上層部の悪趣味さについて行けずに、心底うんざりさせられる事は多い。
 ま、上に文句を言えば明日は我が身なのだから、不満があろうと無かろうと口を噤むしかない。そもそも共犯者の私には
上を糾弾できる資格も、弁明を口にする資格もないだろう。
176星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:54:02.58 ID:YzlgqNUq0
 しかしそれでも、許容出来ない事もある。
『楽園』に関係する計画の中には、学園の生徒達を利用するものがあった。その資料にも目を通していたが、
学園の全てを使い潰す、合理的で非人道的な実験だった。金と暇を持て余した豚どもの道楽でもある。
 そんな悪意を現実のものするべく、準備が進行中だという事だ。とんでもない金額が投資されていて、
最早誰にも止める事は不可能だと思えた。
 状況を把握した私は、学園を舞台とした人殺しゲーム計画の責任・実行者として収まる事に決め、そのポストを熱望した。
 私は頭脳を高く評価されてはいるが、計画そのものを止める事なんてどうせ無理な話なのだ。
だったら、私が手を入れる事でゲームそのものに多少のコントロールが可能だろう。利害さえ一致していれば上から睨まれる事もない。
 例えば実験に使うという口実さえあれば、少人数に限れば任意の生徒の運命を変える事も出来る。
私は私の欲しいものを自分の力で守ってみせる。
 自惚れなく言わせてもらうなら、組織に私以上の能力を持つ者はいなかったから、私は程なくして望み通りの立ち位置を
手に入れる事となる。
 そうして、副次的ながらも必然的に、あの子に出会った。

「はじめまして、叶と言います」
「はじめまして、合歓です」

 表には出さなかったが、久しぶりに緊張している自分を自覚した。
 次代の眠り姫、真中合歓。
 同性の私から見ても美しい少女だった。童顔の私とは違って、大人びた凛とした空気を身に纏っている。初対面ではあったが、
ずっと前から知っていた。
 父と母は私とこの子を天秤にかけ……いや、違う。『楽園』計画を天秤にかけて後者を選んだに過ぎない。
そこに合歓のパーソナリティーは何の関係もないはずだ。
 真中合歓を殺したいほどに憎んだ時期があったのは紛れも無い事実だが、そこは私の中で既に消化している。
(最も、憎悪がそのまま裏切った母親へシフトしただけではあるのだが)
 いずれにせよそういう、私の個人的な合歓との因縁は問題ではない。
少しだけ……チリチリと胸の奥を焦がすような感覚があるが、この程度のわだかまりは仕方が無い事なのだろう。
177星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:55:35.59 ID:YzlgqNUq0
 この次代の眠り姫は、実際の所研究者泣かせだった。
 どんなに凄惨な現場に連れて行き、残酷な現実を見せつけ、極限状況で究極的な決断を迫ろうとも絶望しない、というのだ。
 過去のデータを見たが、なるほどと頷かされた。
 儚げな印象とは裏腹に、真中合歓は高い判断力と行動力、明晰な頭脳と運動能力を兼ね備えていた。
それは、どんな状況になろうと決して諦めない事から来る強さだ。考える事を、動く事をやめるから人は死ぬ。
特に、真中合歓の場合は比喩でもなんでもなく言葉通りに「そう」なのだ。
 だから、彼女の姿勢には好感が持てた。たった一人の少女が、心の在り様一つで上層部を悩ませている。その事実に
心の中で喝采を送ったほどだ。
 最も、私の仕事はその合歓を絶望させ、眠り姫を完成させる事なのだから感心してばかりもいられないのだが、
愉快な事は愉快だと心の中で言うぐらいは私の自由だろう。
 合歓は時期を見計らって六慶館学園に編入される事になると言う。学校生活は不慣れだから、サポート役として
面倒を見てやって欲しいという事だった。
 と言っても、特別な事はする必要がない。友達との橋渡しだとか、一般常識に欠ける行動を取ってしまったら
それとなくブレーキをかけてやるだとか。要するに普通の学校生活を送れるようにするだけでいいらしい。
 ……上の思惑には想像がつく。学園の生徒と交流を持たせ、充分に感情移入させた所で彼らを地獄に叩き落し、
合歓を絶望させようと言う事なのだろう。
 楽園計画の進行、データ収集、実働部隊の実戦訓練、暇と金を持て余した下衆への見世物……一石で二鳥も三鳥も狙う。
全く呆れるほど強欲な連中だ。
 いずれにせよ私は合歓との良好な関係を維持しておく必要があるだろう。
 私にとっても同年代で同性の「友達」というのは初めてだ。それが仕事だというなら……精々、友情ごっこを楽しませてもらうさ。
178星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/28(火) 23:56:54.02 ID:YzlgqNUq0
「へえ。合歓ちゃんも星が好きなんだ」

 六慶館学園は全寮制だ。合歓は新学期から私のクラスに編入する事になるが、それまで慣らしの意味を込めて
女子寮で暮らす事になった。
 彼女の監視の意味合いもあるので、私と相部屋という割り当てになる。
 第一印象とは異なり、話してみると合歓の物腰は柔らかく、驚くほど世間擦れしていない。幼いというよりは、
純粋な印象だった。眠り姫として育てられたのだから、浮世離れしていて当然か。
 合歓の半生は散々なものだったから人間不信になっていても良さそうなものだが、同年代の友達は初めてだという事で
案外簡単に心を開いてくれた。
 私がただのサポート役に過ぎないと伝えられているのも一役買っているのだろう。研究職だと馬鹿正直に言ったらこうはいくまい。
 私は私で、学園でのキャラクターを維持したままで合歓と接している。
 女子寮の自室で寛いで合歓と会話をしていると、話の流れがお互いの趣味についてになった。

「じゃあ、叶ちゃんも?」
「私、天文部だよ」

 そう言うと、合歓は目を輝かせた。

「良いなぁ、天文部。私も入りたい」

 合歓から羨望と憧れの眼差しを向けられる。
 ……そんな目で見られたのは初めてだ。きっと合歓が「私」を知らないからだろうが。
 周りの大人たちは私を怪物を見るように見る。腫れ物を触るように扱う。
 あの帆刈博士の娘。あの裏切り者の娘。あの天才児。そんな肩書きが、いつでもついて回った。
 だから合歓の目は面映くもあり、後ろめたくもある。だが、そんな事で一々立ち止まっているわけにもいくまい。

「転入してきたら、天文部に入部しちゃう? 合歓ちゃんなら歓迎だよ」
「うんっ」

……屈託のない笑顔。どうしてこの子は、こんな風に笑えるんだろう。
179星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/29(水) 00:10:12.18 ID:iRiomlNt0
「ほんとはね、私も天文に興味を持ったのは結構最近なんだ。友達が星空の良さを教えてくれたからっていうか……」

「そっか。じゃあ、入り口は私と同じなんだね。私たち、似てるのかも」
「え?」
「うん。昔ね、私を助けてくれた人がいて。その人が教えてくれたの」

 合歓はその幼馴染との思い出を嬉しそうに語るが、話を聞きながらも私の意識は別の所に飛んでいた。
 似ている? 私と合歓が?
 ―――。
 虚を突かれて、暫し黙考してしまう。
 ……そう、か。言われてみればそうかもしれない。
 同じ組織に振り回されて、組織相手に生きる為の戦いを続けている。そういう意味では、私と彼女は似ているだろう。
 違いがあるとするなら、私は生き延びる為に加害者側に回ったが、合歓は求められる役割故に、
どこまで行っても被害者側にしかなれないという点だ。
 それから……己を支えるものが、私が母への憎悪であったのに対して、彼女は幼馴染との思い出であるという点か。
 だとしたら、合歓が絶望しなかった理由にも納得が行く。
 ベクトルこそ違えど、原動力足りえる精神的な支柱があるのだから、それが失われない限りは折れる事はないというわけだ。
180星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/29(水) 00:10:49.66 ID:iRiomlNt0
◆◆◆

「なんか俺……君のこと……いや、これは別にナンパとかじゃなくて……ああッ! 外野! うるさいぞ!」

 それは、合歓転校初日の事だった。合歓に対する一人の男子生徒の反応に、教室がざわめく。声の主を追って、私の表情は固まった。
 しどろもどろになって、羞恥から顔を赤くして。
 どうしても伝えなければいけない大事な事があるのか。彼は一生懸命に言葉を探して、身振り手振りまで交えながら合歓に言葉を投げかけていた。
 初めて見る表情と初めて聞く声。
 どうして? どうしてそんな目で、あの子を見ているの?
 世界が歪んで見える。床が平衡感覚を失ってぐるぐると回るような感覚。
 動揺を押し殺しながら彼の言葉に耳を傾けていると、その理由が解った。星空を見せてくれた、真中合歓の大切な人。
それこそが高遠恵輔に他ならないのだと。
 本当に……運命的なものを感じずにはいられない。美しい、物語の中だけにあるようなお話。余りに出来すぎていて、嫌になる。
 私はみなの囃し立てる声の中で、一人唇を噛んで俯いた。

◆◆◆

「何で……何で、何で! どうして! どうしてよりにもよって、高遠恵輔なのッ!?」

 古い資料の中からそれを見つけて、私は自身の致命的な失敗を悟った。
 見落としていた。しくじった。
 前の責任者が取るに足らない解決済みの事案だと、私に知らせなかった、幼少期の合歓に関する些細なトラブル。
「糞……糞っ。無能! 無能がっ! 低能が私の邪魔をしてっ! どうしてお前らはいつもいつもいつも私の居場所を壊すんだ!?」
 爪を噛み、頭を掻き毟り、それでも抑えきれない激情に駆られて、机の上に並べた資料を払う。資料室に紙の束が舞った。
 何もかも、気に入らない。
 よりによって高遠恵輔。よりによって真中合歓。
 適当な処理で彼の脳を雑に弄くった上に、施術そのものも完璧に行えない。それを許した組織!
 彼の肉体をぼろぼろに弄んだカルト教団のクズども―――!!
181星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/29(水) 00:11:41.08 ID:iRiomlNt0
「はぁ、はぁっ、はぁっ、はっ、はっ……」

 興奮した身体を、鼓動を落ち着かせる。
 大丈夫だ。落ち着け。
 今は、彼だってあんな風に笑えるようになっているじゃないか。
 それに、決定的じゃない。高遠恵輔と真中合歓も、互いへの感情が、男女のそれだと決まったわけではない。
 幼少期に一ヶ月足らず会っていたから、それがなんだって言うんだ。合歓の方には並々ならぬ思い入れがあるのだろうが、彼の方は大丈夫だ。
 子供の頃の他愛ない約束を覚えていたというだけの話。予期せぬ旧知に再会して、驚いたというだけの話。
 研究所の事も、教団での虐待も、彼は覚えてなどいないのだから。
 だから、大丈夫。
 だって。
 だって私は、一年間ずっと彼と一緒にいた。
 あんなに優しくて穏やかな一年間が、一ヶ月の積み重ねしかない合歓に、負けるはずがない。はずがないんだ。

◆◆◆
 それから……表面的には何も変わらないままだった。
 真中合歓と蒔羽梨香が天文部に加わって、ますます賑やかになったくらいか。
 交友関係が広がったからか。友達と呼んでいい人間だって、少しは増えた。合歓と仲良くなった安藤都子だってそうだ。
少し硬いところがあるものの、会話のレベルがある程度は合うから、悪くない話し相手ではある。
 学園で過ごす時間。天文部で過ごす時間は嫌いではない。「その日」が来れば全部なくなってしまうものだとしても、
私にとってはこの時間が大切なものだった。
 だからこそ、学園を巻き込むデスゲームに、私からの発案でもう一つのゲームを盛り込む事にした。
実験や見世物という名目で、私が私の大切な人達を生き永らえさせる為のゲームだ。だから、大丈夫。
何も終わったりなんて、しない。この私から、これ以上何も奪わせるものか。
182星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/29(水) 00:19:32.36 ID:iRiomlNt0
 そうして、穏やかで優しい日々を続けるんだ。ずっと続いていけばいい、こんな日々が。
 ただ全部今まで通りとはいかない。合歓と相対して、もう恨みに思っていなかったはずなのに、どうして胸が軋んだのか。彼と語らい、笑う合歓を見て、理解してしまった。
 あの子の優しさや純粋さが、本物だからだ。
 並べられると偽者の私は、私の仮面は違和感が際立ってしまう。誰かに悟らせなどしないが、自覚はしてしまう。
私のそれは所詮演技に過ぎないのだと。
 偽者は本物に勝てやしないんだと、私の心の中で誰かが囁くたびに、私はそれをすり潰す。高遠恵輔と接するのは怖いが、真中合歓と接するのは、辛い―――

◆◆◆

「ッ!」

 思わず、息を飲んだ。季節は夏の終わり。夕暮れ。
 赤く染まる校舎で、私は扉を開けようとした体勢のままで、固まった。
 だって見てしまったから。
 合歓が彼の胸に飛び込んだ、まさにその時を、扉の隙間から目撃してしまったから。
 夕暮れの教室。二人きりで、幻想的なほど美しく、絵になっていた。。
 ―――ダメ、ダ。
 私の中の誰かが言う。
 ワタシガココニイタラ、ミタクナイモノヲミテシマウ。
 早くここから離れろと。
 ソシタラキット―――トリカエシガツカナイ。
 けれど、魅入られたように私の手も足も動かない。魅入られながら、床が平行を保っていないような、ぐるぐると回りながら落ちていくような絶望と焦燥を味わわされる。

「ずっと前から」

 合歓の声が聞こえてくる。
 ずっと前から。

「ずっと前から……そう、ずっと前から、あなたの事が……好きだったんだよ……」
183星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/29(水) 00:20:24.94 ID:iRiomlNt0

 そう。ずっと前から彼の事が好きだった。
 合歓の想っていた時間の十分の一だけだけれど。
 想った時間の長さが総量に直結して負けているなんて思わない。私だって、こんなにも胸が苦しい。

「私から告白……しようと思ってたのに……どうして、こんな……うそ…私、何もしてない……夢みたい……」

 どうして、あの場に立っているのは私ではないのだろうか。

「よかった」

 彼の声。私には向けられない、優しい眼差しと、声。

「俺からちゃんと告白しようって決意したのが、合歓が告白するよりも先で……間に合ってよかった」

 頬を涙が伝う。結局何も伝えられないままで、私の初恋は、終わった。
 終わったんだ。
 恋人になれた事を、喜び合う二人。

「帰ろうか」

 はにかんで。幸せそうに。照れ臭そうに手を繋いで。
 私は嗚咽を噛み殺したまま、音を立てずにその場を離れた。
 こんな顔を誰かに見られるぐらいなら、死んだ方がマシだ。
 彼に告白する勇気もなくて、偽者の「私がなりたいと思う私」で彼と接していれば、きっと彼の方から告白してくれるなんて、
柄にもなく受けに回ったばかりに、私はこの一年間滑稽な道化を演じていたのだと気付かされた。
 彼の心にはもうとっくに別の人間が住んでいたのに。
 そうして、道化である事を自覚しても、私は決定的なその時が来るまでは、仮面を捨てる事さえ出来ない。まだ希望に縋っているからだ。もう、この無様に笑う他なかった。
 組織側にいる私を、彼が許してくれるとでも?
 ……運命というものがあるのだと仮定したとして、だ。
 運命は、未来のないあの子にとっては味方なのに、輝かしい未来が待つはずの私にとっては敵なのだ。
184星を見る私に ◆HeOWL92rdI :2011/06/29(水) 00:21:12.67 ID:iRiomlNt0
 合歓は彼から記憶を奪い、彼の人生を狂わせたのに。
 その事を、高遠恵輔に教えてやりたい。彼はどんな顔をするだろうか。
 合歓を恨むだろうか?
 ……解ってる。一年見てきて、知っているよ。「恵ちゃん」は、そんな風には思わない。思わないさ。
それどころか、合歓の心情を想い、感謝さえするんだ。それも本心から。
 馬鹿、みたいだ。高遠恵輔は愚かだ。
 真中合歓もだ。いずれ眠り姫になるのに、このままそっとしておいて貰えるなんて、やり方を変えたからこの学園が地獄にはならないなんて、本気で思っているの?
 そんな事、あるはずがないのに。あり得る訳がないのに。誰かを求めれば辛くなると決まっているのに。
 馬鹿で愚かな高遠恵輔。馬鹿で愚かな真中合歓。
 そして一番馬鹿で愚かなのはそんな彼らの事を諦められずに悶える、私だ。

◆◆◆
 高遠恵輔と真中合歓の交際は、裏庭に咲いた小さな花をそっと愛でるような、そんなおままごとのような付き合いだった。
 ただ一緒にいられるだけで幸せだとでも言うような、胸が爛れそうな甘い幸福感を撒き散らして。
 彼らは自分達の関係を誰にも言わない。けれど、私は知っているから目についてしまう。
 仮面は、外せない。私と彼との関係がそれを続けさせる。私の責任者としての立場が合歓に対してそれを求めている。
 だから、私が望もうとと望まざると、結局、自ら作った「帆刈叶」という道化を演じ続けるしかなかった。
 もう、終わってしまった事なのだからと。
 諦めようとして、嫉妬して、嫉妬して、憎悪した。
 破滅がきてしまえば良い。どうせ計画が実行に移されれば全てが終わる。こんなもの。
 私は、私が救うつもりでいた高遠恵輔に、何もしないと決めただけだ。
 学園の生徒達の運命も、合歓の運命も、何も変わらない。
 かくして高遠恵輔は命を落とし、拠り所を無くした真中合歓は眠り姫となり、私は更に組織の上層へと昇っていくのだ。
それでいいじゃないか。それがいい。私は最初からそれを目標としていたじゃないか。
 ………。
 何故高遠恵輔にとっての特別が、真中合歓でなければならなかったのだろう。私にとっての特別が高遠恵輔であるのに、何故彼はそうではないのだろう。