SS投稿スレッド@エロネギ板 #9

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276この世界で――遅れてきた救援者ver.2
 はかない笑顔を見せ、恵は船中に消えていった。恭介は哨戒艇の中から、はっきりとそれを見た。
「船を戻せ!でなきゃ、俺だけでもここから降ろせ!聞いてんのかよ」
 乗組員の男たちに向かって吠える、が、通じるはずも無く、錯乱しているとみなされ、恭介は
屈強な男たちに取り押さえられる。
「くそ!くそぉ!放せよ!」
 押さえつける男たちの腕の隙間から、炎上する船を睨みつける。
 と、思いも寄らぬ方向から叫び声が現れた。
「きゃー!!いやぁー!ここからおろしてぇ」
 明乃が。
「やだぁー!どこに連れて行く気ぃ」
 珠美が。
「なにするのよ!触らないで!」 
 可憐が。
 次々と騒ぎが起こりだす。乗組員たちが一瞬対応に詰まり、恭介を抑える手が緩む。戸惑う恭介に明乃が
目で促す。「行け」と。乗組員がパニックに戸惑う中、恭介は海に飛び込む。
 その背中に明乃は声をかける。
「恭ちゃんならきっとできるから!信じてるからね。恵を、私の親友を必ず連れて帰ってきて」
 いざという時にストレートな言葉を出せるのが、明乃の強さかもしれない、と恭介は思う。
 ふと、恭介は振り返る。ちはや。本当なら一番に守らなければいけないはずの存在。船へのはしごを上り
ながら叫ぶ。
「ちはや、すまん!」
 いろいろな思いを心中に残したままで、恭介は船に乗り込んでいく。
「言い訳は帰ってきてから聞くからね。だから、お兄ちゃん――」
 ちはやは、そっと呟き、それから指を組み祈りを捧げる。その背中に可憐が声をかける。
「――あ、そうだ、ちはやちゃん、プラチナの指輪もらったでしょ」
「え、はい」
「あれ、わたしのなんだ。返してくれない」
「あ――はい」
 もしかしたら形見になるかもしれない、そんな不吉な考えを振り払うように、すぐに指輪を外し、渡す。
 可憐は軽く微笑んで受け取ると、自分の肩越しに、背後へとリングを投げた、海の中へ。
277この世界で――遅れてきた救援者ver.2:2006/01/27(金) 00:17:35 ID:hlMoF8g/0

 ポチャーン。

 騒がしいボートの上からでも、その音は皆の耳に届いた。
「え、えー!何してるの!?」
 明乃が頓興な声を上げる。取り上げたと思ったら、そのまま海に放り投げてしまったのだから無理もない。
「ん、何かもう縛られるの、やめよって思ったの。それとついでにおまじない。肩越しにコイン代わりに
指輪を水の中に投げ入れて『また二人に、恭介と恵に会えますように』ってね」
 可憐は胸を張り、得意げに答える。
「姉ちゃん、それちょっと違う」
 珠美があきれ顔で言う。
「いいのよ、細かいことは」
 珠美が言葉を続ける。
「それにだな―――婚約者に『指輪は海に投げ捨てましたって言うよりも』黙ってそのまま突っ返したほうが
より効果的だったんであるまいか」
「あ、そうか、しまった!珠美、『海の中に落とした指輪を見つける裏ワザ』とか知らない?」
 慌てて可憐は海を覗き込むが、見つかるはずもなく、あきらめて顔をあげる。燃えゆくバジリスク号。その
炎に少女たちの顔は照らされて。
 だしぬけに珠美が大声を出す。今はもう船中にいる恭介に向かって。
「戻ってきたら、映画一回くらいはおごってあげるよー。ポップコーンは半分こだけどねー!」
 明乃も精一杯声を張りあげる。
「恵ぃ、夏物一掃セール、一緒にいく約束守ってよねぇ!」
 他の娘たちも各々の思いを込めて、船に向かって叫ぶ。
「――恭介ぇ」
「――恵ぃ」
 少女たちの声はいつまでも響き続けた。船中の二人に届こうが、届くまいが。

  ***********************

 船中で、悲壮な決心を固めた、そんな目をしている恵を、恭介は見つけた。
「恵!」
278この世界で――遅れてきた救援者ver.2:2006/01/27(金) 00:18:26 ID:hlMoF8g/0
 その瞳はさらに悲しみの色を深める。
「どうして・・・どうして戻ってきちゃったの!危ないのに!」
「そんな、母さんみたいに怒らないでくれよ」
 とぼけた調子で返す。それでも恵の眉間の皺は取れない。仕方なしに恭介も真顔で言う。
「奴の息の音を止めるのは、俺の仕事だ」
 恵はその言葉にすがってしまいそうになる気持ちを押さえ込み、両手のこぶしを握り締めて、叫ぶ。
「駄目!やっぱりあなたは手を汚しちゃいけないの!あなたに地獄を覗かせたくないの!」
「もう、とっくに地獄に落ちるだけの罪は背負っているさ。―――怠惰の罪を。犯すためだけに人を殺し
続ける男を、いや、狂った獣を檻に入れただけで、満足していた。怖いからと言うわけじゃなく、ただ、嵐を
自分の身に受けるのを避ける為に・・・・・・俺は、もう、逃げない」

 パチ、パチ、パチ

 拍手の音が聞こえる。階下から。
「なかなか面白かったよ、少年」
 岸田が心底愉しんでいるかのごとく陽気な声をかける。
 恭介は岸田を見据えたままで、右手を恵へとのばして言う。
「恵、拳銃を俺によこせ、奴は俺が間違いなく殺す」
 いかにも愉快そうに片眉を上げ、岸田が声を上げる。
「うるわしきは極限状態の愛の形か。だが恵、少年に渡すのはやめておけ。所詮彼には人は殺せない。
『お前』とは違う」
 挑発には乗らず、恵は自分が持っていた銃を渡す。
「恵は帰り支度をしてな、こっちはじきにけりがつく。きっとこいつが救命ボートの準備をしてるさ、
自殺を望むほど愁傷な奴じゃない」
 恭介は一気に岸田へと駆け寄る。
「ほざけ!」
 岸田が剣を振る。が、怒りに任した振りなどそれほど怖くない。しっかり、自分の持っている剣で
その一撃を受け止める。

 ガチーン、チーン、ガチッ、ガッ、ガッ
279この世界で――遅れてきた救援者ver.2:2006/01/27(金) 00:20:08 ID:hlMoF8g/0
 何度となく剣を交わす音が響く。そして、つばぜり合い。顔を付き合わせる、と、岸田が、不意に
にっと笑い、恭介に言う。
「お前の妹は俺に犯される時、『初めてはお兄ちゃんが良かったのに』って叫んでたぞ」
「な・・・・・・!」
 恭介は思わず動揺する。その隙を岸田は見逃さない。すかさず、恭介の手から黒塗りの剣を弾き飛ばす。
「おしまいだ!この青二才!」
 剣を岸田が振り上げる。

 ドシュ

 鈍く、それでいてはっきりした音がする。岸田洋一の腹に矢が突き刺さる音。
「くぅ、な、何だと・・・・・・」
 岸田が倒れ付す。恭介が上を見る、恵。あの時、恭介の手からはじかれたクロスボウを携え。恵が叫ぶ。
「恭介!ボートにキッチンの食料と水、詰め込んだから!ついでにアシストさせてもらったけど!」
「サンキュー。それじゃ、待ち合わせはボートの中な、先に行ってて、俺は止めを刺してく」
 恭介はまるで恋人同士が放課後の約束をするような気楽な言い方で言った。
 ほんのわずかの逡巡のあとこくりとうなずくと恵は走っていく。恭介は自分をにらむ岸田に、
遠慮のないけりをくらわせる。顔に、最も痛むであろう腹に。思い切り踏みつける。
「ぐがぁ・・・・・・」
 やがて声を上げることすら岸田は忘れる。服従の色すら浮かべて。
 恭介はあらためて銃を構える。
 照準をしっかり合わせ、深呼吸を一回――ためらいではなく――狂気という言い訳を使わないために。
正気のままで確かにこの男を殺すために。
 そして、恭介は引き金を引いた。

***************************

 救命ボートの中二人は揺られていた。恭介は恵の膝枕に満足げにしている、まるで昼寝中の子猫のように。
頭上から恵が話し掛ける。
「案外、私一人でけりはつけられてたかもよ。むしろ二人で救命ボートに乗ることになって、生き延びる
可能性が減っちゃたかもね」
280この世界で――遅れてきた救援者ver.2:2006/01/27(金) 00:21:21 ID:hlMoF8g/0
 恭介が答える。
「それでもさ。もし、恵が絶対に大丈夫ってわかってたとしても、俺はきっと船に戻っていた」
「何で?」
 ごろん。恭介は膝枕されたままで背中を恵に向ける。少しふてくされたように。
「だって、言っただろ。『恵の事を守る』って。いつだって恵は言うこと聞いてくれないけど、覚えてくれてる
かも、あやしいけど」 
 くすくすと恵が笑う。恭介は言葉を続ける。
「お前の背中はいつだって俺が守るから」
 恭介は再び寝返りをうち、顔を恵のおなかに押し当て、呟いた。
「・・・・・・だから、俺のいない世界なんか、もう選ばないで」
 まるで、母に泣きながら訴える子供のように、そのまま、ぎゅうっと恵を抱きしめる。
 恵はそんな恭介の髪を、ただ黙ってなでてやる。それから、やさしく微笑んで目を閉じる。
 
 ブォー ブォー

 船の汽笛の音が近づいてくる。二人はたゆたう夢の中でそれを聞いていた。


                    ―― 了 ――
281名無しさん@初回限定:2006/01/27(金) 07:47:03 ID:8IrTAdXX0
乙です。やっぱり、本編にもこういうENDであって欲しかっなぁー。
ただ、惜しむらくは短くて読み足りない。orz
もっとロングverでねちっこく、書いて欲しかったです。
282273:2006/01/27(金) 10:32:04 ID:wa6Z6GIU0
>>275
読ませていただきました。GJ!
私が投下しようとしていたSSも、同じく恵が船に残るENDのアフターで、
みごとに被っていました。 orz
やっぱりあれは、みなさん投げっ放され感が強かったみたいですね。
・・・なんか、安堵。
283名無しさん@初回限定:2006/01/27(金) 11:59:38 ID:wa6Z6GIU0
それでは、投下させていただきます。
鎖の恵エンド補完SSで、『永遠にさよなら・・・After』です。
284鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 1/19:2006/01/27(金) 12:00:24 ID:wa6Z6GIU0
 焔の欠片達が、風に舞い、くらやみに吸い込まれていく。
 星々にかわって全天を覆いつくし、紅いの群は、その盛衰の姿を
見る者がなくとも踊りくるうのだろう。
 ちりちりとうなじを灼く火の粉にいらつき、既に形くずれしてい
たおだんごを解く。あっという間に海風が髪をさらっていった。
 デッキの手摺に両肘をついて体重を預けると、笑いかけた膝が、
少し持ち直してくれた。
 焙られて粘度を増していく潮気が、体全体に吹き付ける風にも混
ざって纏わりついてくる。
 宴から離れた甲板も、遠からず狂操の舞台になるだろう。
 主演女優、 …片桐恵。いや、違うか。
 わたしは役を終え、今は舞台袖で物語の結末を見つめている。そ
してエンドタイトルの前に、ここからも立ち去らなければならない。
 どこへ?
 まばらだけどスケジュールの入ってた手帳。
 家に置いてきてしまったんだ。
 時折、海風と上昇気流の起こしたいさかいが、髪と制服の襟と、
カギ裂きだらけのスカートの裾を掻き乱す。
 ばたつくスカートを片手でなだめていると、ふいにあの日の事が
思い浮ぶ。
285鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 2/19:2006/01/27(金) 12:01:27 ID:wa6Z6GIU0
「うちの制服って、スカート短すぎるんだよね」
 少しふくれた明乃の顔。
 風強かったの始業式の日。
 ピロティの掲示板に貼り出された、クラス替えの座席表を三人で
見に行ったんだ。
 吹き上げるような春風。座席表に気をとられていた明乃は、まと
もにくらって、盛大に…。
 あの時はわたしも危なかった。どうした気分だったか、結構大人っ
ぽいのを着けていたから。
 
 しばし恭介以下、居合わせた男子達のディーヴァになってしまっ
た明乃は、帰り道でも珍しい程に機嫌を悪くしていた。
 早間がどうとかバイトがなんとか言って、恭介はすでに逃亡。
 男って馬鹿。
「太モモ隠せないし、何かみんなに太いって見られるのが嫌」
 そう?とか流しつつも、それは同意。
「いいなあ、恵は。スマートで憧れるな、うらやまし過ぎるよ」
 出るとこ出てないのに、太モモだけ明乃級なんですけど?
「恭ちゃんも最近、えっちだしさ。話しする時なんかも顔見ない
で、なんか下の方見てるし」
 いいじゃない、えっちな恭介くんとは違うクラスになった事だし。
 意地悪なわたし。明乃が不機嫌な訳。
 いいなぁ、恵は・・・、恵はいいな・・・。
 明乃は二、三歩わたしの前に駆け出して、何度か繰り返した。
 両手で握った鞄を振り子のように揺らしながら。
 そして風が明乃の後髪を揺らして通り抜けていく。
 わたしの前髪をかき乱して通り過ぎていく。
286鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 3/19:2006/01/27(金) 12:03:58 ID:wa6Z6GIU0
「ねえ恵」
 修学旅行も、明乃は別行程。
「明日も午後から授業ないしさ」
 体育祭は敵同士。
「映画見に行こうよ」
 文化祭は違う催し。
「恭ちゃんの見たがってた、あのやつ」
 卒業アルバムも別の頁。
「三人で行こーよ!」
 明乃は同窓会には呼ばれない。
「今日、見られちゃったから、絶対おごらせてやるんだから」
 だけど、わたしは一緒。
「逃がさないで、連れ出して来てねー」
 そして体ごと振り返った明乃は、たっぷりある放課後のプランを
楽し気に話し出す。
 わたしは、ひどい女だ。
 何気ない一言を使い、明乃をたやすく傷つける事ができた。
 口にしてはいつも悔んでた。
 なんで明乃は、こんなわたしから離れて行かないんだろう。
 次の朝、ホームルームまでの時間。
 わたしは隣に座る恭介を軽くたぶらかし、放課後のプランを了承
させた。
 明乃は映画とパンフとクレープといちごオーレをおごらせて本当
に嬉しそうだった。
 恭介はわたしにもポップコーンとアイスミルクティーをおごって
くれた・・・。
287鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 4/19:2006/01/27(金) 12:05:02 ID:wa6Z6GIU0
 昏い水平線に眼を凝らしても、なにも見えない。哨戒艇の船舶灯
は、とうに彼方へ消えてしまった。
 ここはどこなのかな。
 帰りたかった場所の方向も今は分からない。
 そもそも、何もかも投げ打ってでも帰りたかった場所って何処?
 そこには何があったっけ・・・。
 いつしか口ずさんでいた。
 彼が教えてくれた、ありきたりなラブソング。
 わたしの耳にすら届く事なく、海鳴りと炎の喧騒に欠き消えてる。

 誰とも、群れず、離れず、奢らず、媚びない。
 自分の目線はいつもふらついてるくせに、みんなの目線は、結
局あなたに集まる。
 いつも見てたの。明乃に紹介されるまで、見ているだけだった。
 熱くなって、バカやって、笑い、笑われて、満たされない表情。
 どこか欠けてるあなたに気付いて、その欠けてる何かに思い巡ら
す。それはどこかが欠けてるわたし自身の探索だったかも。
 あなたと交わす言葉は、あなたを探る、情報収集。
 そして、いつしか気付いてしまった。
 あなたは、わたし。割れた器の、片割れ同士。
 半身を欠いたわたしを満たす、わたしだけのの大きなピース。
 でも、これはないしょ。わたしだけの秘め事でよかった。
 なんとなく、彼と気持ちが通い合ってたつもりでいたわたし。
 なんとなく、彼と『家族』でいたようなわたし。
 わたしにとって特別な彼と、彼にとっても特別なわたし・・・。
 そんな淡い想いは薄氷のように散った。
288鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 5/19:2006/01/27(金) 12:10:11 ID:wa6Z6GIU0
 日は沈み、闇が帳となってわたしを覆っていた永い時間。
 確かにわたしは、彼の血で手を染める覚悟があった。
 憎かった。あいつじゃなくて、彼が憎かった。
 明乃を救いに飛び出した、彼が憎かった。
 可憐や珠美を見捨てた彼が憎かった。
 わたしをひとりにした彼が憎かった。
 わたしの身体が、こころが、傷にまみれ、穢れ切ってしまっても、
気付かない彼が憎くて、憎くて・・・・・・想いは凍りついていった。
 わたしはこの暗闇から這い上がる。代わりにあなたが闇に呑み込
まれていけばいいわ。踏みつけて、使い捨ててあげる。
 そう決めて、わたしは心を縛った。
 でも本当は違うんだ・・・。そうじゃないの。今は、気付いている。
 『彼をこの手に掛けてしまいたかった』
 『彼をわたしの全てから消し去ってしまいたかった』
 『彼がいなければ、わたしはこんなにも惨めじゃない』
 『彼がいなければ、わたしはこんなにも可哀相じゃない』
 『彼がいなければ、わたしはわたしを辱めずにすむ』
 『彼が、女に絶望すればいい・・・』
 『彼が、わたしも含めた全ての女に絶望すればいいわ・・・』
 そうすれば・・・、そうすれば・・・・・・。
 わたしは、今のわたしを、ずっと、耐えていける・・・・・・。
 あの人に拒絶される恐怖に、わたしは狂ってた。
289鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 6/19:2006/01/27(金) 12:10:51 ID:wa6Z6GIU0
傷つけられ、踏みにじられた大切なもの。でも彼が、身体と心を
浸したのは、自身で切り流す血。そして退かずに俯かずに立ち向か
うのは、傷つき踏みにじられた大切なものを、再び胸に抱くため。
 彼が守ろうとしたのは、自分以外の大切なもの。
 わたしは、自らすべてを差し出して、何を守ったの?
 人としての誇りも、女としての尊厳も差し出してしまった。
 あげようと、もらってもらおうと思った時から、大切にしていた
自分は、みんなあいつに取り上げられ、捨てられてしまった。
 もう、わたしはいない。
 ここにいるのは砕かれて、破片を欠いた、器だったものの残骸。
 もう、わたしにはあなたに重なるピースはない。
 それだけは、あなたに知られたくなかったから・・・。
 あの人の心から切り出される事におびえ、狂っていたんだ…・・・。
 
 あの人に抱かれるまで気付かなかった。
 わたしのすべてがあの人の身体に触れられ、溶け込んで、あの人
がわたしのすべてになっていくまでは。
 男のことを、もう分かったつもりで、見切ったつもりいた。
 男は女の深淵を、決して分かりえないと思っていた。
 でも、生まれながらに女のわたしは、生まれながらの男の性など
知りえない。あの人の苦悩など、知る気もなかった。
 あなたの欠いていたものは、わたしの欠いているものは違うもの。
 同じピースを欠いた器がひとつになりえない、当り前の話。
 ばらばらに砕けたわたしの欠片は、あの人がひとつひとつ拾い上
げ、繋ぎ合せてくれた。
 そして自分の一部を割り取って、わたしの器に大きな欠片を加え
くれた。
 馬鹿なのは女。愚かなのも女。わたしの嫌いな、女の、性・・・。
290鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 7/19:2006/01/27(金) 12:11:32 ID:wa6Z6GIU0
彼の紡いだメロディは、最後となった日常に、わたしへを連れ戻
してくれる道標。
 ねえ、かみさま。
 わたしも星座になって、あの人を守りたい。
 あの人の時間の半分でいいから。
 あの人が天に還る時、替わってわたしが地の果てに堕ちるから。
 ・・・ああそうか、わたしは今更気付いている。
 あの人が守ろうとしたのは、あの日の続き。わたしが帰れる場所。
 わたしは何をしていたの。
 すべてを壊して、わたしは告げた。永遠にさよならなんて、彼の
心を抉る手応えに酔いしれながら、別れを告げた。
 最後まで後悔している。いい気味だわ、恵。
 スカートのポケットに入りきらない拳銃。もう海に投げ捨てよう。
 響き渡る爆発音と逆巻く旋風が、わたしの退場を奏でてくれるメ
インテーマ。お似合いよね?

 刹那、衝撃と、激痛に変わる灼熱。左の足から崩れ落ちる。
 そして遅れてくる・・・爆発音?
 違和感が、急速に不安へと膨張していく。まさか・・・、いや、で
もわたしは確信する。なぜ突然、左の太腿にシャフトが生えてるの?
 振り向くと、あいつが笑ってた。本当に嬉しそうに、声もなく嘲笑っ
ていた。幽鬼のような影をゆらして。
291鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 8/19:2006/01/27(金) 12:16:11 ID:wa6Z6GIU0
わたしはそんなに可笑しいかった・・・?
「いやいや、何が可笑しいものか。お前は最高だよ、片桐恵!お前を
女として扱ってしまった事を済まなかったと詫びようと、黄泉路を
引き返して来たのさ」
 確かに胸を打ち抜いて、確かにあいつのシャツは血に染まった。
 泣きながら、動かないあいつの頭を、何度も何度も力の限り蹴り
飛ばした。
 でも、動かないあいつが炎の海に沈んでいく前に、わたしはロビ
ーを後にした。あいつのそばで死ぬのは嫌だったから。
「詰めが甘いとは言わない。ご褒美とはいえ撃たせてやったんだか
らな。残念だが、まだ俺に門は開いてくれないらしいぞ」
 シャツの裏地からオイルライターを取り出し、わたしに投げてよ
こす。
 銃弾が食い込み、ライターの反対側はささくれ立っている。
 「頭をサッカーボールにされた方が、応えたよ」
 首をひねって見せた。
 左の太腿に突き刺さったシャフトは、身を捩るたびに気が遠くな
りそうな痛みをもたらし、涙が滲む。・・・くやしい。
「さあ、そろそろ俺は次へいく。お前なら、連れて行ってやっても
いいと考えているんだが」
 どこへ連れってくれるのかしら?
 「ここにこういうものがあるんだが?」
 ポケットから取り出した手帳らしいものでひらひらと扇ぐ。
 あれは・・・ウチの生徒手帳?
 誰の・・・?わたしのじゃない。当り前だ、修学旅行じゃあるまいし
あんなもの、遊びの旅行持ってくる訳がない。制服だって、明乃が
着て来いって言わなけりゃ。・・・まさか。
「母親は不謹慎極まりないが、娘は品行方正みたいだなぁ。お前のよ
うに賢しい優等生ではなくて、可愛げがあるじゃないか」
 明乃の生徒手帳・・・。
292鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 9/19:2006/01/27(金) 12:18:01 ID:wa6Z6GIU0
「お前たち、同級生なんだろ?ほほぅ公立かぁ、なら家も近いんじゃ
ないのか?幼馴染の恭介くんも、ご近所さんなんだろうなぁ」
 あなた、船から船へ渡り行く、洋上の殺人鬼でなんでしょ?
 声が震える。痛みのせいじゃない。皮膚が粟立つ震え。
「あの少年はヒット作だ。あんなに楽しませてくれたら、続きも気
になるじゃないか?」 
 血が冷えていく。
「是非とも、続編を希望する」
 心が冷えていく。
「たまには陸も恋しくなるもんだ。ここじゃ楽しい出会いが限られ
てくる。久しい刺激に出会えば尚更な」
 これ以上、どうする気よ・・・。これ以上どうしようっての・・・?
 分かりきってる。
「少年からもらえるものは、お前だけじゃなさそうだ」
 生乾きの傷を、抉られる思い・・・。ふるえて視界が揺れる。
「妹さんには、中途半端なことをしてしまって、悪かったと思って
るんだ」
 心が、冷えていく。
「豚の娘も、心残りではあるしな」
 やめて。
「お前も、死屍累々の挙句に、傷だらけのヒーローと傷つかないヒ
ロインだけがハッピーエンドって話は好みじゃないだろ?」
 やめて。やめて・・・。
 顔を上げ、涙で濡れた顔をあいつに向けるのはくやしかった。
「一緒に見に行こうか?送り狼ちゃん。お家に帰りたかったんだろ?」
 行かないわ。
 続編は、期待外れに終わるものよ。
 「ほう?」
 あそこには、行かせない。絶対、行かせないの。
293鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 10/19:2006/01/27(金) 12:19:04 ID:wa6Z6GIU0
「そうかぁ?」
 けれんなく放たれたシャフトがわたしの左肩を灼熱に包む。左半
身を奪う激痛。苦悶。突っ伏した甲板はぬるく濡れそぼっていた。
「まぁ、お前にはお前の終焉の美学があるだろう。」
 肩をすぼめ、残念がるパフォーマンスが、歪む視界の端に覗く。
「じゃあ、俺は行くぞ。この船にはお前だけだ。お前から貰ってお
くものは、さすがに無いだろうしな。この船にももう用はない。直
に燃料室に火が回る。先に門を開けて待っていてくれ、マイシスタ−。
少年に会えたら、伝える言葉はあるかい?」
 ・・・あいしてました、で、よかったかあぁぁぃぃぃ・・・・・・?
 あいつの声は嘲りを含んで遠ざかっていく。歩み去っていく。
 ようやく顔を上げた時、あいつは陽炎のように消えていた。
 幻であって欲しい。悪夢の続きであって欲しい。でも、わたしの残
されているこの耐え難い痛みは、あいつの存在証明・・・。
 あいつは、わたしから、本当にすべてを奪った行った。
 そして、あの場所をも奪いに行った。
 彼が守ろうとした、わたしの帰れたかもしれない、あの場所を。
 ポップコーンを憮然と差し出した、あの表情が浮かんだ。
 ありがとう、と戸惑っていると、飲み物を買っていた背中が振
り返る。恵は、冷たいミルクティーでいいんだろ?
 しょうがないなって、はにかんだ顔。財布を広げて逆さに振る。
 そのうしろには戦利品を抱えた明乃。上機嫌で、早く入ろって・・・。
 声にならない絶叫が、響き渡り、わたしの身体を震わせた。
 この叫びは慟哭じゃない。業火にも海嘯にも消されない。
 絶対に奪わせはしない。絶対に壊させはしない。
 わたしは立ち上がる。不思議と痛みは去っていた。
 ポケットの拳銃には、まだ弾が残っているんだから。
294鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 11/19:2006/01/27(金) 12:25:07 ID:wa6Z6GIU0
制服のスカーフで太腿をシャフトごと縛りつける。幸い大きな血
管は傷ついていないみたいだ。そうでなければ、もう血を失って死
んでいる。左肩のシャフトは一気に引き抜く。指先まで血が滴るの
にまかせたが、なんとかなりそう。
 バシリスク号から脱出する。
 最短で為すべき事を、脳裏に列挙する。
 出来る出来ないは走りながら考えよう。
 甲板の救命ボートは引き出されたままだったはずだ。
 ロビーから這い寄る熱気で髪が燃え上がりそう。
 圧縮空気のボンベから安全ピンらしいのを引き抜くとびっくりす
るような勢いでオレンジ色の物体に成長していく。
 大丈夫みたい・・・かな。
 知らず止めていた息を継ぐ。
 船体は火災を起こしているが、防災設備が機能している。鎮火は
期待できないが、まだスプリンクラーは海水を撒き散らしている。
 船内で火が回っていないエリアは、ある。
 しかしプロムナードには炎が長い舌先をさらしている。
 この足で駆け抜けるのは可能?
 そもそもこの火災は、船首ロビーの吹き抜けを粉塵爆発させて起
こしたものだ。こうした客船は各エリアがそれぞれ防火構造になっ
ている。一気に火炎は船内を駆け抜けているだろうけど、その炎や
煙もある程度の範囲で封じ込められているはずだ。
 特に、あいつが口にした燃料室。ここに火の手が回るのは2Fの
床が焼け落ちる時。
295鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 12/18:2006/01/27(金) 12:25:54 ID:wa6Z6GIU0
あいつは後ろからわたしをクロスボウで射抜いた。
 あいつは船尾側から現れ、船尾側へ消えた。
 あいつがバシリスク号から脱出する際に、わざわざ船底の一番奥
にある場所へ、火を掛けに行く必要があっただろうか?
 否。
 とすれば、甲板の非常口から船底に降りれば、まだ無事な燃料室
を通って2Fの調理室までは行ける。防火扉が、客室ゾーンの火災
から、まだ作業ゾーンを守っているだろう。
 もし、あいつが機関部や燃料室に火を放っていたら、この非常口
を開いた時、どうなるか。
 空気を吸い込んで一気に爆発炎上し、船の構造体が持たず崩れる。
電気系統や発電設備が損壊すれば、防災設備と排水設備が沈黙し、
いずれ船体が傾き始める。衝突でに開いた大穴から海水が流れ込ん
でくれば、半刻を保たず、バシリスク号は太平洋に消える。 
 非常口に手を掛けるが、熱くはない。祈ることなく一気にハッチ
を開く。様子をみるが大きな空気の流れはない。いけそうだ。
 滑り落ちるように燃料室に降りて行く。足より左肩が痛くて脂汗
がにじむ。
 船底は未だ平穏だった。
 燃料室に何か持ち出せそうなものは無いか、見回す。いくつかの
ロッカーが眼に入り、開けるとオレンジ色の服が掛かっていた。取
り出して見るとどうやら防火服のようだ。酸素ボンベもある。
 僥倖だった。急いで一番小さいものを何とかして身に付ける。が、
左腿のシャフトが引っ掛かり、足が通せない。意を決して引き抜く。
激痛をかみ殺し、傷口にハンカチをねじ込みスカーフで縛り上げる。
 時間を無駄に出来ない。
 防火服はボンベとマスクまで合わせると少し重かったが、意外と
動やすそうだった。
296鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 13/18:2006/01/27(金) 12:26:40 ID:wa6Z6GIU0
足を引きずりながら忌まわしい機関室に入る。クランクシャフト
が目に入り、血の気が引いていくのが分かった。
 船員らの私物の入ったロッカーやキャビネットがあり、無造作に
開くと、戸裏には誰かの家族らしい写真が貼ってあった。
 少しだけ眼を瞑ろう。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい・・・。ごめんなさい・・・。
 涙が滲んでくる。
 みんな、帰れるはずだった。
 摘み取られてしまった、いくつもの、平凡な未来。
 ・・・わたしが、あいつを門の向こうに連れて往く。
 そして今はもう、感傷を捨てよう。
 持って行ける物には限りがある。
 肩から下げられる道具袋には、一通りの工具とヤスリやワイヤー
ブラシ、接着剤など役立ちそうなものがコンパクトに詰め込まれて
いた。
 釣り道具もあった。少し考えて、糸や針なんかが入っているツー
ルボックスを、道具袋に詰め込んだ。
 救急箱も見つかった。鎮痛剤やガーゼ、消毒薬が入っているのを
確認して、少し気が楽になった。貴賓室にある志乃さんの医療キッ
トが欲しかったけど、3Fから上は火の海だったので、半ば諦めて
いた分モチベーションが上がる感じ。
 あと、着替えの入ったカート付の旅行カバンがあった。まだ洗い
立てのタオルやシャツを残して他を取り出してスペースを作る。
 ざっと見繕った戦利品をまとめ、とりあえずここに仮置きしてお
いて、いよいよ2Fへ上がる。マスクとボンベを装着し、ハッチに
手を掛ける。
 やはりロックはしてなかった。すんなり開くハッチの向こうは煙
こそ薄いが、キナ臭い。2Fの通路の先で水密扉が閉まっている。
3Fロビーを隔てる扉からは、はっきりと白煙が漏れ出していた。
あせりを感じる。
 急いで厨房で水と食料を調達しよう。左半身は麻痺しかけている。
防火服の内側は、血と汗を吸った制服が肌に張り付いている。
297鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 14/18:2006/01/27(金) 12:33:59 ID:wa6Z6GIU0
 缶詰やレトルト、真空パックらしい食材や、小麦粉などのの乾物
を選び、ひとまとめにしていく。生ものは諦めざる終えない。
 ミネラルウォーターの入ったポリタンクをどれだけ持っていくか
が問題だった。生存に必要な水は、一日どれだけの量なんだろう?
 10L入りのタンクを3つ、持って行こう。
 一日1L。一ヶ月分は持たせられよう。想像したくはないが、公
海上で、それ以上の漂流に身体が耐えられるかどうか、という思い
がある。
 食材を船底の倉庫から運び込むハッチがある。料理用のタコ糸を
寄り合わせたもので、それらを一度船底に下ろす。水を下ろすのは
骨が折れた。身体の自由が利かなくなってきているのを感じる。腰
を降ろすと、そのままになりそうだ。
 壁に寄りかかりながら階段室に辿り着くと、煙が充満していた。
 船底に降りるハッチに取り付き、重い身体を引きずり込むが、足
に力入らずタラップを踏み外してしまった。あちこちをぶつけなが
ら、下まで転げ落ちる。息が出来ず、苦悶する。。顔は涙と汗でぐ
ちゃぐちゃになっているはずだ。
 今になり、あいつの思惑を感じる。一割の希望を残し、それに縋
って足掻く者を、・・・突き落とす。
 3Fへの扉が開放されたままなら水も食料も、手に入らなかった
はずだ。脱出を急ぐ者が、戸締りに気を回すはずが無い。
 唇を噛み締める。・・・でも、あいつはどこで、舌を出す気だろう?
 恐らくは、救命ボート・・・。
 船首で見たあれには何かある。あれは嘲うあいつの足元にあった
んだ。
 とにかく、甲板に戻ろう。
298鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 15/19:2006/01/27(金) 12:34:42 ID:wa6Z6GIU0
厨房から下ろした水と食料、船底での戦利品を燃料室の非常口の
下に運び込む。甲板に上げる事を考え、気持ちが折れそうになる。
 少し休もう。
 膝を抱えて座り込む。左肩と左腿の感覚はない。重く、身体に付
随した塊に成り下がっている。
 あとどれだけの時間が残されているのか?まだ電気は生きている。
 火災は収まっていない。むしろ拡大しているようだ。スプリンク
ラーが何らかで止まったのかも知れない。
 船内に響いていたはずの非常放送やサイレンも、いつからか聞こ
えなくなっていた。
 遠くで轟音と振動が起こっている。
 もう・・・、疲れちゃったなぁ・・・。
 じわりと涙が溢れる。洟をすすり上げる。膝に顔を埋める。
 ここはわたしひとりきりの世界。
 スーパーマンは、もうここには来ない。
 怖い。寂しい。
 こわい、時間・・・。さみしい、世界・・・。
 でも。
 あの歌が唇からこぼれ落ちていく。
 涙が頬を伝い、唇に届く。
 いくつかの顔が浮かんだ。数時間前の事が、ひどく懐かしい。
 みんな、今何をしてるのだろう。
 死んだような眠りの中かな。
 でも、あなたはきっと、わたしを想って眠れない。これは確信。
 わたしは意地悪な魔女だから、気になるあなたに、ついつい呪文
をかけちゃったのよね。
 羊でも砂男でも、あなたに安らかな眠りを提供出来でしょう。
 悪かったわ。
 ちろりと舌を出してひとり微笑む。
 呪文は解きに行ってあげるから。それまでわたしも眠らない。
299鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 16/18:2006/01/27(金) 12:36:03 ID:wa6Z6GIU0
跳ね起きる。
 怪我してる手足がついてこず、もぎ取られるかのような激痛が全
身をかきまわす。
 ね、眠気覚ましにはきつかったかなぁ・・・。
 全身が硬直する激痛が、何故か心地よいスパイス。
 荷物を小分けにし、荷造り用のナイロンロープで括る。それをま
た一つのヒモにまとめて口に銜える。
 竪穴の頂上にある非常口を目指し、タラップをよじ登る。
 ハッチを抜け、甲板に転がり出ると、そこは緋色の空間。
 頭上を仰ぎ見ると、ブリッジが巨大なファイヤーストームとなり
天を焦がしていた。
 口に銜えたナイロンロープを解き、ひとつひとつの命の糧を引き
上げる。慎重に、滞りなく。
 簡単に火に包まれるものはない。わたしは懸念の救命ボートへ駆
け寄る。・・・やはり、あいつめ!!
 救命ボートに以前の張りが消えていた。空気が抜けている。
 奥歯を噛み砕かんばかりに噛み締める。
 明らかに、どこかをわずかに破られている。針で突いたように。
 あと、天幕も根元で切り裂かれていた。これでは、陽射しも雨風
も避けられず、被る波を防ぐことも出来ない。
 これで海原へ漕ぎ出していればどういう運命を辿るのか。
 この場で修繕は無理だ。時間も必要な道具も材料も分からない。
穴を穿たれた場所が船底だったらお手上げだ。遠からず、沈む。
300鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 17/19:2006/01/27(金) 12:43:05 ID:JNnZKCCp0
でもわたしは他人事のように冷静でいた。
 あいつの頭の向こうが透けて見えていた。
 あいつの消えたプロムナードは、炎の舌が舐め尽している。
 灼熱の、あの先には何があったのか。わたしは知っているもの。
 救命ボートの収納ボックス。小さいやつが船尾甲板の左右に張り
出していた。乗船前にこれから乗り込む船体をなんとなく眺めてた
時、明乃が教えてくれたんだっけ。救命ボートって、小さな船がそ
のまま吊るされていると思ってたんだ、実は。
 あいつの残した解答はそこにある。
 あいつにとって、わたしは使い古したベビードール。
 もう思い出すことも無い古びたおもちゃ。
 でも、捨てる間際に愛着が湧く上がるのかしら?
 あいつはわたしに構わず船を去ればよかった。足や肩なんか狙わ
ず、わたしの胸を射抜けばよかった。
 けど、そうしなかったのは、・・・なぜ?
 もう、わたしは行動に移っていた。
 張りを失った救命ボートに甲板に引き上げた荷物を放り込み、括
りつける。手近の救命浮輪を幾つか引っつかんできて、何本かに切
分けたビニール紐を救命ボートの周辺に結わえつける。
 なんとか甲板の手摺が外れるところを見つけ出し、救命ボートを
海面へ突き落とす。無事着水したのを確認できて息を継ぐ。
 ここからが、本番だ・・・。
 防火服のフードを被り直し、マスクを着ける。圧縮空気のボンベ
を調整し呼吸を確認する。誰もこのスタイルが正解かを教えてくれ
ないけど、行くしかない。
301鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 18/19:2006/01/27(金) 12:45:59 ID:JNnZKCCp0
もうプロムナードは火の海だった。一歩踏み出しただけで、視界
紅蓮に染められる。足を引きずり、甲板へ急ぐ。
 都合、4度爆発に曝され、一度は海に投げ出されかける。
 不思議なものだ、わたしはあいつの優等生。そんな自負がある。
 ちなみに彼は、手のかかる問題児。
 くすっ・・・。
 1000度を超える地獄、門の向こう側の世界がここにあるのに。
 なんだか、おかしい。
 ストレスを感じない。
 痛みも感じない。夢見心地。
 わたしの身体って、あきれちゃう・・・。本当に痛いのが嫌いみた
い。・・・この、裏切りもの。
 体感時間は狂ってる。いつ、側舷のプロムナードを抜けたのか。
 わたしは炎の回廊を抜け、船尾にいた。
 呆けた一瞬のあと、目指したものが、視界に入った。
 マスクと、防火フードを剥ぎ取る。
 手前には、救命ボートを吐き出した収納ボックスが。
 その先に、閉じられたままの収納ボックスが、・・・あった。
 動かない足を引きずり、取りつく。切り離しに使う爆発ボルトは
そのままだ。全体を見回す。表面になぞられたものに気付いた。
『BON VOYAGE!』
 血文字だった。
 吹き出しちゃうセンス。
 どうも、ごていねいに。
 バアウゥゥゥゥゥゥゥンンと響き渡る爆発音。
 器用に膨らみ、広がりながら落下していくオレンジ。
 わたしは防火服を脱ぎ捨てた。
 なんていう身軽さ。
 なんていう清々しさ。
 風が髪を解きほぐしていく。
302鎖SS『永遠にさよなら・・・After』 19/19:2006/01/27(金) 12:47:34 ID:JNnZKCCp0
わたしは、まだ、ここにいる。
 海原に顔を向ける。
 蒼い、薄墨を流した風景が広がっていた。
 水平線に消え行く星座たちに別れを告げる。
 わたしは、今、ここから飛び立てる。
 そして、あなたに、会いにいくわ。
 あなたから抉り取ったものを返しにいくの。
 そしたらかわり、あなたから分けてもらうんだ。
 あなたの一部を。
 ううん、ちょっぴりでいいから。
 もう、絶対失くさないから。
 それで、ひとりの時間は終わるから。
 
 黎明の海原。
 わたしは恭介のいたあの場所へ向かって、飛び込んでいった。

 その直後の記憶は薄い。
 我に返った時には、濡れねずみで救命ボートの中だったし、荷物
を託して先に放り出したボートも手繰り寄せ、その載せ換えも終え
ていた。どうやら、七人の小人がやってくれたみたい。
 ・・・・・・感謝。
 朝日が眼に痛い。
 バシリスク号は、もう水平線の向こうに消えていた。
 たなびく煙が緋色に染まり、空へ続いていた。
 天に届く柱のように。
 海は優しく、ゆりかごを揺らす。
 わたしはいつしかまどろみに落ちていく。
 おやすみなさい、恭介。
 先に寝ちゃうわね。
 女はずるいのよ。
 悪いけど。