面白いから叩くんだよ。レス内容なんてどうだっていいんだ。
長谷部は叩けば乗ってくる。だから叩く
945 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/05/26(木) 18:40:51 ID:w4FGA945
何このレスしにくい雰囲気
なんだかんだ言っても
俺達は長谷部が好きなんだよ
いわゆるツンデレってやつですか?
まぁあれですよ、エヴァ以降、世界や言葉に走り出したわけですよ
あるあるwwwwwww
じゃ、愛しの長谷部意外の人
そろそろ次スレ頼むよ
スレタイは
うちの長谷部の場合
長谷部と煽りの教えてABC
はじめての煽りあい
長谷部が望み永遠
がんばれ長谷部、もっと親を泣かせろ
ここは古式ゆかしき
The 長谷部!〜葉鍵で長谷部〜
で一つ。
142 名前: 長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 [sage] 投稿日: 2005/05/24(火) 11:13:41 ID:ei+sO8Ei0
もう駄目だ。
絵も小説も、何かを知れば知るほどその山の高さを「リアルに」感じてしまう。
上るつもりもある。しかしその山はあまりに高い。
僕が趣味程度でやって、何ができようか。
僕がバカにして言るもの以下のハンパなものしか出来ない。
僕は僕を過小評価はしないが、それにしてもやはり多くの何かを費やさねば
何もできないのだとわかった。わかったことが、むしろ大きな収穫であり、
無謀にくだらないものを作り続けるよりはよかったのかもしれない。
僕には修練が必要なのだ。
まず、僕は美術解剖図の絵を何度も何度も描きまねようと思う。
それから批評系、それこそド・マンみたいなね、あぁいうのをたくさん読み、
形式主義の人の小説に何度も感嘆させられなければならない。
一体、それが何百日かかるだろう?
僕に今すぐの創作は無理だ。
悪かった。
俺は素直に退散する。
>>416で言ってた「しばらく勉強します」ってのはもう終ったんだろうか。
できればこのスレが終る前に
>>396にまともなレスがほしいんだけど。
そろそろ夢からさめないとTOMが来ますよ
あんたはジムだ
)
) l l l l l l l l l l
) ノ \ ノ \ ノ \ .ノ \ ノ \
)
'⌒'⌒'⌒'⌒`(⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒'⌒
i ,. へ-、 __ i
!i _,..::'"li.∧.l! ゙_」ト、
, j<.ー-i! l!-―'"/\
/゙.,へ、 ┐ i、 / ヽ.
.i i >/\/)゙"‐ 、. i
l lレ''" \jl!レ゙ _,...、ヽ. l
l! rヲ――--_」Lii--――ヾ. l
l! // <二》 _ 《二>゙ ヾ、!、
.j.,.ィ゙ ./ ! \_ l!\\
/'' l! ,.. '´ ヽ  ゙̄ーr-ノ ゙ー-、_
_/'´ トt-イ ,_----っ ,!/ >
<. ゙t'ヽ ヾ_ _/ /,」 /
\ `-iヽ ー = ,.r 「 _/
. ゙"ー―┬;L ヽ __ / ,.!┬―''"
!レー゙==┬==‐゙┐l
l テ、 ]l.l ,r= ゙.l
,.,..-、--ー―===ー".ヽ、 ゙r ! ̄F" /ー--、ー-----、
r;''/ ) ̄ ̄____ ゙ヾ=.コ l! .「"./ __ ゙̄ー--ヲ \__
フ/,ィi」i」 ヾ====== \_ \ i! / __/,.=======ヲ i ,. _ r、\
/ ゙" ヾ=====  ̄  ̄ ======" Lハ l l l トi.」
/ ,.へ 二二// ̄V ̄\\二二二゙ ,、 \
)、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
長谷部はある意味ニュータイプだなw
959 :
名無しさん@初回限定:2005/06/04(土) 01:29:50 ID:7Zzz2nF/
そろそろ勉強が終った頃だろう。age
960 :
名無しさん@初回限定:2005/06/05(日) 11:26:59 ID:exl3WiJO
今日も今日とてage
961 :
名無しさん@初回限定:2005/06/05(日) 16:14:27 ID:Y5sLSUh4
空想を汚れる事が無いものに昇華させて
他者を犯さず自分を幸せにする方法を編み出したオタ文化は
敗戦以降の日本人が他国を(少なくとも軍事と言う直接の暴力を用いることによって)
不幸にすることなく自国が栄えようとする方法から編み出した文化の集大成。
しかし、そんな文明に竹島や北方領土は帰らない。
まあ必要ないからなぁ
竹島・北方領土とオタ文化ならオタ文化を取るね。
ageとくか
・大陰唇=色素沈着が強く厚い、過度の摩擦により角質化
・小陰唇=肥大ぎみ、大陰唇から露出、左右非対称
・陰核=包皮から半分程露出、勃起時の直径7mm、包皮内にチーズのような「マンカス」が常駐
・処女膜=2ヶ所に断裂跡、処女喪失時の出血は多かったように思われる
・膣=内圧低め、恥骨側に直径3p程のザラザラ
・分泌物=おりもの多め(ぱんつはいてない、ので着衣にシミが付きやすい)
性交時、白色で粘度の高い分泌物多
966 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 04:45:19 ID:+bme6ex8
純理やっと序文よんだお( ^^)ノシ
物自体と現象の二項理解はすごいスリリングだお!
これって現代思想に既に達してるお!?
967 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 04:56:20 ID:+bme6ex8
僕が言う詩性、構造性がきちんと示されてますね。カントにも。流石です。
原因性の原則によって証明される現象界とは、構造性です。
原因性の原則によって説明できない物自体とは、詩性です。
いや、純粋理性批判も知らずにあれだけいろいろ言ってたのかい。
つーか、哲学やる前に文学と各種芸術学をやったほうがいいと思う。
技術的素養と歴史的素養がた り な さ す ぎ 。
>>1からして煽ってる文章なんだからまともな議論になるはずがないよ。
>>815 要するに、「その性癖が他人から見て理解できるかどうか」というのが重要だということか。
死体を見て喜ぶのが理解できないというのは同意だが、
>女の子に首輪をつけて「ご主人様」と呼ばせるとうれしく感じる、
これは男なら理解できると信じている。
>>966 ようやく序文か。先は長いな…。
ちなみにその純理って岩波? もしそうならすぐにその本を捨てて以文社を買い直せ。
>物自体と現象の二項理解はすごいスリリングだお!
バカ。カントはそんな二項理解がすごいんじゃなくて(その原型は昔からある)、
その単純な二項対立を超越論という形で包含する過程がすごいんだよ。
というか、ほんとにその部分をスリリングだと思ってる? 適当に言ってるんじゃないの?
>これって現代思想に既に達してるお!?
現代思想以前に近代哲学の基本中の基本だからなぁ。>カント
素朴な疑問なんだが、カント知らずにフッサールとかどうやって読んでたの?
>>967 >原因性の原則によって説明できない物自体とは、詩性です。
もしそうなら、やっぱり長谷部の言ってたことは間違ってることになるな。
物自体は語れないということをカントが丁寧に教えてくれるよ。やれやれ。
973 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 16:24:23 ID:NBTATQ0R
>>968 だから勉強しているのでしょう?
その謙虚な姿勢に対して文句があるのですか?
ぬっ殺しますよ?
>>972 原祐の名訳、平凡社の、第一版、第二版内臓の純理です!(><)
感動です!ハイデガーもフッサールもデリダも全部既に予見されていたのでは!?
と勘違いしたくなるほど見事です!スリル満点です!!o(^ー^)o
超越論的という部分は今丁度読んでるところです!
まだその超越性に対する具体的な言及はしてないで、理性の拡張的な欲望でしょうか、
そういった概念の、分析と総合判断の説明がなされています!( ><)
ア・プリオリがあまりに何度も出てくるので、ちょっと大変です…
>というか、ほんとにその部分をスリリングだと思ってる? 適当に言ってるんじゃないの?
そんなことはないです!
ド・マンによれば、カントのこの二項的な考え方は文学評論において長らく
考慮されなかったことなんだそうです…(>Д<)ノシ
多くは解釈、構造といった、つまり分析的判断によってのみ考えられてたそうです…
カントは凄いです!カントは神!神はレアールな述語ではない!
>素朴な疑問なんだが、カント知らずにフッサールとかどうやって読んでたの?
論理学研究は序文読んで放置してました…(><)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061496352/qid%3D1119338599/249-8700482-0652332 これとか、竹田さんの本とか読んでましたが…( ><)
974 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 16:27:55 ID:NBTATQ0R
>物自体は語れないということをカントが丁寧に教えてくれるよ。やれやれ。
しかしカントはいいました。
「しかし私は自由を考えることはできる」
カントは限界的領域から踏み出る「物自体」を完全捨象せよと言ったわけではないのでは
ないでしょうか?( ><)ノ
確かに、理性は、直感のア・プリオリな判断で簡単に限界を超え出たことを考えてしまう
こともしばしばです。非常に納得のいく話です。
問題は、私たちが「自由を考えることはできる」そのこと自体です(>< )
自由の中身は非常に不安定な、至る事の出来ない闇でありブラックボックスですが、
しかし純粋理性は常にそれに焦がれ続けるのです…(><)
975 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 16:35:48 ID:NBTATQ0R
カントは運命をも、我々にとって「物自体」とするような単語と見ているとは有名な
話ですが、第一版序文の第一文を見てみましょうか…( ><)
>人間的理性はその認識の或る種類の特異な運命を持っている。
カントは、運命という言葉をこんなにも明確に、まず使っているのです…
>それは、人間的理性が、拒絶することはできないが、しかし解答することもできないいくつかの
>問いによって悩まされているという運命であって、拒絶することが出来ないというのは、
>それらの問いが理性自身の本性によって人間的理性のあらゆる能力を越え出ているからである。
いいですか?
カントは理性自身が、永遠に、絶対に、解答できない、つまり「物自体」「拡張的」「総合的」な
問いに悩まされることを示唆しているのです…。
カントは運命というくらいですから、この理性批判を読んで啓蒙されても、なお、この運命から
逃れる道筋はないのだと、「運命」という言葉で説明しています。
我々はコレに対して沈黙するのでしょうが、その憧れは永遠に消えないのではないのでしょうか?
976 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 16:47:37 ID:NBTATQ0R
>>973 「ド・マンによれば」って、デリダも分からずにポール・ド・マンをどう読んでるの?
ド・マンが何やってるか理解できるなら
>>396に「まともに」レスしてくれよ。
あと現象学を勉強するのに竹田青嗣はやめたほうがいい。俺が読んだ限りでは悪書。
『これが現象学だ』という本は読んだことないので何ともいえないが。
それと、カント読むなら論理学は絶対やったほうがいいよ。もう何度も言ったけど。
「超越的」と「超越論的」を混同しないようにな。素人が陥りやすい過ちなので。
>>974 「直感」じゃなくて「直観」じゃないか? 原祐訳を読んだことないので何ともいえないけど。
純理は理性の限界を画定する本であって、限界を超えた理性を語る本ではない。
まあ『実践理性批判』なんかでカントは自分の定めた限界を超えて語っちゃってるけど、
そのことも含めてカントは実践理性の要請という形で自己批判をしてるわけで。
つか、序文ですでに躓いてるあたりが微笑ましいというか長谷部らしいというか。
>>975 「運命」という語を恣意的に解釈すんな。こういうバカが実理読んだら誤解するんだろうな……。
>>976 哲学のスレなら哲板に立てろバカ。
978 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 17:25:37 ID:NBTATQ0R
>>977 >「ド・マンによれば」って、デリダも分からずにポール・ド・マンをどう読んでるの?
こういう言い方はどうかと思いますが( ><)
誰かを「理解した/理解してない」という判断で文章を語ることにどれほど生産性があるんでしょうか?
少なくともドマンはカントの判断力批判を評価してるようですしね。
竹田さんは評判悪いのは知ってますよ。
谷さんは評判いいほうですね。
>それと、カント読むなら論理学は絶対やったほうがいいよ。もう何度も言ったけど。
論理学って、たとえば何をやればいいんでしょう?
ラッセルとか?
>「直感」じゃなくて「直観」じゃないか? 原祐訳を読んだことないので何ともいえないけど。
あってますよー。
>純理は理性の限界を画定する本であって、限界を超えた理性を語る本ではない。
僕は限界を超えた理性を語ってなんかいませんが?( ><)
>「運命」という語を恣意的に解釈すんな。
恣意的というのならば、何がどう恣意的なのか語るべきではないでしょうか?(><)
>>978 まずその顔文字は不快なのでやめれ。
理解したという自信がないのなら引き合いに出すな。
それは「有名な○○さんが言ってたから正しい」という単なる権威主義だ。
そもそもド・マンが理解できて
>>396に
>>402(↓)みたいなレス返すとは思えないんだが…。
>死が表面に構造的に必然であるのは当然だと思うんだけどなぁ。
>こういう言い方はどうかと思いますが( ><)
たとえば、いかにもオフサイド知らないのにサッカー語ってるやつがいたら気になるだろ。
こいつはサッカーをどう見てるんだろう? って。純粋な好奇心だよ。
論理学は普通に教科書を読めばいい。たとえばこれなんか分かりやすい。
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4130120530/249-3348280-8535557 ところで以前指摘したトートロジーの生産性のなさは理解できた?
>僕は限界を超えた理性を語ってなんかいませんが?( ><)
詩性(=物自体)について語ってたじゃん。みんながそれは語れないよって言ってたのに…。
>恣意的というのならば、何がどう恣意的なのか語るべきではないでしょうか?(><)
「運命」という語にそこまで過剰な意味づけをしてるとこが恣意的。
全体の文脈が「たとえ理性が超越的な方向に行こうとしても流されるな」ということなんだから。
いま手元に純理がないので具体的な文を引くことはできないが。
980 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 17:51:57 ID:NBTATQ0R
>>979 >理解したという自信がないのなら引き合いに出すな。
>それは「有名な○○さんが言ってたから正しい」という単なる権威主義だ。
権威主義の何が悪いんですか?( ><)
今ここでカントが正しいか否かを論じることに意味がないように、カントの引用文も
カントの信用において成立しているはずです。
文献を用いることは少なからずの権威主義ではないでしょうか?
>ところで以前指摘したトートロジーの生産性のなさは理解できた?
理解できません!( ><)
>詩性(=物自体)について語ってたじゃん。みんながそれは語れないよって言ってたのに…。
僕は詩性の存在、そのこと自体を述べただけであって、詩性の分析を行ったわけでは
ありません…つまり、限界を述べただけで、限界の外を述べたわけではありません(><)ノ★
カントは限界の存在については何度も肯定的に述べていると思いますが?
>「運命」という語にそこまで過剰な意味づけをしてるとこが恣意的。
>全体の文脈が「たとえ理性が超越的な方向に行こうとしても流されるな」ということなんだから。
いえ、違います。
超越的な方向に行こうとすることを自覚しなければ、「流されるな」という命題が
そもそも発生しません…これが純粋理性への批判の契機のはずでは?(>< )
「流されるな」という命題の是非はともかくとして、「流されるな」という命題を生むことを
重要視するであろうカントにとって、理性が超越的な方向へ行こうとすることそれ自体が
重要な分析であったはずです(><)
>>980 だからその顔文字使うのやめてくれよ…。
>今ここでカントが正しいか否かを論じることに意味がないように
とんでもない。カントが正しいかどうかを論じることには意味があるよ。
(まあ葱板がそれを論じるのに相応しい場ではない、というのは正しいが)
というか、哲学書を読むときには著者に対する批判精神が絶対に必要だよ。
ニーチェを読むときなんか特にそうだ。
「ニーチェはこう言ってるけど、それは間違ってる」という部分は沢山ある。
そもそもニーチェの「力への意志」自体がすでにカントによって批判された還元主義なんだし。
哲学ってのは本を読んで「考える」んだよ。本に考えてもらうんじゃなくて。
>理解できません!( ><)
じゃあ勉強しろよ…。あれから何やってたの?
なんならルイス・キャロルのアキレスと亀のパラドクスでも嫁(ゼノンのやつじゃないぞ)。
>限界を述べただけで、限界の外を述べたわけではありません
物自体の存在は限界の外。超越論的な認識の枠組に関する部分が限界そのものだ。
>理性が超越的な方向へ行こうとすることそれ自体が
>重要な分析であったはずです
それは単なる人間の傾向性の問題で、しかもそれは誤謬だというのがカントの洞察。
あと、このスレが続く間は相手してやるから貴重な残りレスを有効に使うように。
ちなみに他の哲学でも、何か分からないことがあったら訊いてもいいよ。知ってたら答える。
982 :
長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 :2005/06/21(火) 18:16:52 ID:NBTATQ0R
なんてやさしい人でしょうか!感動です(><)
>>981 もちろん批判精神は必要だと思いますし、そういうつもりで読んでます( ・ω・)
しかし、やはりここで哲学の是非というものを必要以上に論じるのはちょっと
問題だと思いますし、権威主義はそれ自体が問題なのではなく、誤りを含んでいても
気づかないで横行する可能性、すなわち劇場のイドラですか、それが不味いのであって。
そのイドラが発見され次第批判する、という方向のほうがスマートだと僕は思います!(><)
>じゃあ勉強しろよ…。あれから何やってたの?
何にもしてません!(><)
>物自体の存在は限界の外。超越論的な認識の枠組に関する部分が限界そのものだ。
物自体の存在が限界の外ならば、そもそもカントが物自体という概念を作り出すことも
そもそも不可能では?( ><)
限界の外は一切述べることの出来ない闇と認識しているのですが?
>それは単なる人間の傾向性の問題で、しかもそれは誤謬だというのがカントの洞察。
その人間の傾向性の問題を「運命」という強力な言葉で綴ったことも無視するのですか?
あと、後半がよくわかりません!誤謬なんですか?
誤謬なのは、考えることそのことではなくて、それが成り立つという妄想では?
>>982 >なんてやさしい人でしょうか!感動です(><)
そう思うならその顔文字使うのやめて。
>やはりここで哲学の是非というものを必要以上に論じるのはちょっと問題だと思いますし、
そう思うならなんで葱板でスレ立てるの? しかも明らかに哲学よりのスレを。
エロゲ関連の語彙を使ったエロゲ中心の話ならいいけど、ほとんどの語句は哲学用語だし、
しかも具体的なエロゲの話をしようとしたら「メジャーしか知らない」とか言い出す始末。
エロゲの話をしたいのならエロゲの勉強を汁。
それはたとえば「カントの話したいならカントの勉強しろ」というのと同じで当然のこと。
>そのイドラが発見され次第批判する、という方向のほうがスマートだと僕は思います!(><)
たとえば俺が指摘したニーチェの力への意志説の自殺的構造はどうなったの?
こんなのは「すでに発見され批判されてる」レベルだと思うけど。自分の無知を棚に上げすぎ。
>何にもしてません!(><)
たとえば
>>416で「勉強します」って言っといて、あれも勉強してないの?
俺は君の勉強が終るのをずっと待ってたんだけど。
誠実がどうこう言ってる割にはずいぶんな態度だね。何その二枚舌。
>そもそもカントが物自体という概念を作り出すこともそもそも不可能では?
お、いいね。初めて価値あるレスをした。ちょっとだけ褒めてあげよう。
そのとおり、ウィトゲンシュタインの「語りえないもの」とかカントの「物自体」、
他にもデリダが「私の表明には〜」で示した「現前性」などの概念はすべてある意味で比喩表現。
>その人間の傾向性の問題を「運命」という強力な言葉で綴ったことも無視するのですか?
カントは純理で理性について語ってるんであって、傾向性について語っているわけではない。
ある意味でカテゴリーが理性の傾向性と云えなくもないけど、それはまた別の話か。
>誤謬なのは、考えることそのことではなくて、それが成り立つという妄想では?
逆に訊きたいけど、原理的に絶対に成り立たないことを考えるのは誤謬じゃないの?
そしてここで言う誤謬とは写像理論的な誤謬ではなく、それ以前の意味論的な誤謬。
>哲学詳しい人へ
俺はもうコテとしてちょっとあれになってきたんで、もうキャラ捨てるんすけど(別に
エロゲ板のことは関係ない)
だからちょっと、エロゲ関係なしに聴きたいなと思います。
純粋な好奇心です。
以前、「理想読者はあるが、作者をわざわざ想像することに意味はあるか?」と尋ねられましたよね?
僕はあると思うんです。
それはなぜかって言いますと、重要なのは実は言葉よりコミュニケートではないかと思うからです。
エロゲ批判とするならば、エロゲは作者の顔が極力見えないようなジャンルですよね。
というか、むしろ見えないほうがいいくらい。
デイビドソン、俺まったく知らないですけど、
「心的なものは、存在論的範囲ではなく、概念論的範囲である」って述べたんですよ。
で、「(今までの概念でいうところの)言語は存在しない」とか。
すげぇな、って思ったって言うか、俺が「想起された作者→テキスト→読者」という関係で
考える、まさにそのことを言ってるように思ったので、厳密性もないし、そもそもデイビドソン
自体が相当批判されてるわけで、正しいと胸を脹れるにはおこがましい部分もあるんですが。
デイビドソンは、たぶん「テキスト→想起された作者→読者」と考えてるんだと思うんです。
そして、一番重要なのは、テキストよりも想起された作者だってことじゃないでしょうか?
僕がポストモダンで唯一認めがたいのは、人間性が記号の奥底へ眠っていくような、人間が
遠くなるような錯覚を覚えることです。
東の分析が正しいとして、大きい物語でない文化とは、すなわち機能性が充実して、人間性が
著しく隠れた文化じゃないでしょうか?
俺はマークボランの歌を聴きながら、ボランの思ったこと、考えたこと、伝えたいこと、苦しんだこと、
はてはボランの一生までを想像するんです。その悲しさみたいなものこそが、芸術の骨子では?と
今は思うんです。スター性は決して単なる機能だけではないと思うんです。
それはむしろ最も中央に来るべきものでは?とさえ思う。
あぁ、理想読者の件はエロゲはアートスレのほうでいただいた件でした。ちょっと引用します。
645 名前:長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 [] 投稿日:2005/06/05(日) 15:49:21 ID:07vUxZl7
>>644 だから説明してるや無いですか。
(意思あるもの)ってのは、作品見てるときに、我々が思い描く作者のことだよ。
650 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2005/06/05(日) 16:00:24 ID:Ufhcz6Bz
>>645 (意思あるもの)=作品を見ているときに、われわれが思い描く作者?
それはその作品を作った者(達)とは違うもの?
それは本物の作者が意図したものではない「すごいもの」が、何故かできてしまったとき、それは偶然だが
そこには本物の作者以外の何らかの意図が働いている。だからそれは必然である。
その必然を起こすのが(意思あるもの)である。
667 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2005/06/06(月) 00:27:11 ID:Kujyi6lj
>665
作者の手を離れるというところまではデリダも言うだろうが、
それは現実の作者の手を離れて想像上の作者の手に渡るという意味ではない。
作者が何を意図したかではなく、読みの多義性、解釈のすりあわせということを
考えるほうが今風だろう。
668 名前:長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 [] 投稿日:2005/06/06(月) 00:31:12 ID:wXiy1WoL
読みの多義性で想像されるのが理想作者じゃないの?
671 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2005/06/06(月) 00:32:24 ID:Kujyi6lj
>668
アホか。読みは読者の中にあるものだ。
もちろん社会的、歴史的、文化的コンテクストの影響は受けるだろうけどな。
作者が一意に作品の意図を決定するなら、多義的になんかならんだろうが。
672 名前:長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 [] 投稿日:2005/06/06(月) 00:42:53 ID:wXiy1WoL
>>671 だから作者は読者が生むんでしょ?(´・ω・`)
673 名前:名無しさん@初回限定[sage] 投稿日:2005/06/06(月) 00:46:02 ID:Kujyi6lj
>672
別に作者を生まんでも読めるだろ。そら作者信仰的な読み方をする奴もいるだろうけどさ。
674 名前:長谷部悠作 ◆THSqahCNw2 [] 投稿日:2005/06/06(月) 00:55:35 ID:wXiy1WoL
>>673 でも作品には仕掛けがあって、そこに意図があるのは自明で、
その意図を誰が仕掛けたのかは作者だーって感じじゃね?
まぁ作者がなくても読めるだろって言われたら俺は反論する
言葉ないです。黙ります。
マークボランを生み出した社会環境、マークボランが参考にした先行作品の文脈、
マークボランを可能にした技術的条件、マークボランを受容する視聴者層の
政治的/経済的配置などと比べて、君の提唱する「理想的マークボラン」の「顔」が、
そんなにマークボラン作品を語る上で重要なのかね。
>>984 アートスレは見てたけど、それ俺(=昨日のID:z+VqZqG4)じゃない。
トートロジーで論理式書いたのが俺。IDが違う。
でも一応まじめにレスするのでちょっと待って。メシ食ったりするので。
あと別に敬語使う必要はないよ。なんか調子狂う。
あ、一応フォローしておくか。そのやりとりは俺ね<理想的作者云々
もちろん、「現実のマークボラン」は、>987で挙げた条件と同程度には
マークボランを語る上で重要だよ。でも「理想的作者」なる概念が
どう有効なのかはまったくわからないのでね。「黙ります」つってるから
もう捨てた方針なのかと思ったら、勝利宣言のつもりだったのか(呆
IDが錯綜してるので誰が誰だか。
>>987 それは事実性でしょう。
ボランを社会的に知れば、知ったことになるのか?といえばそれは違うのではないでしょうか。
彼はコミュニケーションとして自発的にギターを鳴らして歌ったんですから。
それが彼だという見方はおかしいですか?
僕は何も前時代的な、「作品は作者のもの」という考えで見るべきだといってるわけではないのです。
ただ、テキストと読者が無味乾燥に対立するだけの多義性は、そこに何もないのです。
あるのは目の前の紙だけであり、どこにも至らないのだと思います。
>>989 黙りますは他意はありません。勝利宣言なんてとんでもない。
自分でもよくわからなくなり黙っただけです。
>デイヴィドソンは、「まず人間がいて、そして言語がある」と考える。
>逆ではない。言語規約説や規範説など一切の「言語=実体説」を
>ぶっとばして、「向かい合って発話を交換している私とあなた」(p91)
>という根源的場面に定位し、二人のコミュニケーションの道具として
>言語を捉える。絵は対象と似ていなければ世界を表現できないが、
>文は、それが「真である」という一点で世界と結びつく。言葉は真で
>さえあれば、世界と似ていなくてもよいのだ。この自由さにこそ言葉
>の力の源泉がある。
>「分かり合いたい!」という二人の欲求さえあれば、後はすべてついて
>くるのだ。つねに「ぶっつけ本番で、共感、好み、幸運、機知などを頼り
>に相手の言葉を解釈し合う」(81f)ところに、言語の本来の姿がある。
アマゾンのデイヴィドソンの本のレビューですw
哲学板で引用されたくらいですからそれなりに説得力はあると思いますが。
僕は常にこの発想がありました。
構造主義くらいは、まぁ齧った程度であるとはいえ考え方はわかってたつもりですし、そうだとも
思ってましたが…実際に私たちが何を求めるかって、字面や音より、その向こうにたった人間だと思うのです。
だからnyなどのような、大量、そして互いの契約を履行しないようなダウンロードという手段で
音楽などの文化をとったとしても、そこには真の芸術はないと考えます。
だって契約がなりたってないんだから、当然作者と読者の「分かり合いたい!」は成り立たないんですから。
踊るための音楽だとか、形式を必要とするクラシックなど以外の、ポップミュージックを、単に「聴いて」楽しいのは、
音楽的工夫も飽きさせないために必要だけど、やっぱり何が一番かってコミュニケーションじゃないでしょうか?
私は音と対立するのではなく、単語と対立するのでもなく、人と向かい合うのです。
僕はデュシャンの考えなんて知りませんけど、場が芸術を作るという発想も、「さぁ、理解しあおう!」という
契約を開始させるという、そのことに意味があるのではないでしょうか?
つまり、物自体は便器でいい、そういうわけです。
我々は尊厳的だから本来理解しあえないんです。ダイジェストできないから。
記号にできないから。
僕は男であっても、男は僕ではない。これは絶対に。
しかし僕が「知って欲しい」と思って語った言葉には、僕が宿ると思うのです。それはチャンスなのです。
僕をあなたが知る唯一のですよ。
>「一緒に拘束されている、だって?」
>「同じ話へと拘束されているんだ」
>「そのとおり、でもまた、だからこそじつに注意していなければならない。僕は自分の責任を意識している」
>「僕も君に対しての責任を意識している」
>「きみはそうだ、それを認めなければ友愛にはずれよう、けれど、ある程度までのことだね」
>この限界はなんだろうと彼は考える、ついで彼は自問するのをやめる。
>「つまり、僕らが話をするかぎりで、という意味だね。そのとおりだ、話すということが、僕らに残された
>唯一のチャンスだ、話すということが僕らのチャンスなのだ」
>(モリース・ブランショ)
>>984,991
まず、デイヴィッドソンは言語哲学者であって、批評理論家ではない。
彼の言語理論は「真理条件意味論」といって、特にその外延的立場を簡単に言うと、
世界理解と言語の意味理解が同時的であるということになる。(世界が言語の真理条件になる)
これはたとえば、「リンゴは赤い」という文の意味を理解するためには、
「リンゴが赤い」という世界の客観的事実を同時に習得しなければならないということ。
リンゴを指して「赤い」と言う→相手が頷く。リンゴを指して「黒い」と言う→首を振る。
このようなコミュニケーションによって言語の意味理解が可能になる、というもの。
しかしこれはテクストの読解における理想作者論には適用できない。
その理想作者と本当にコミュニケーションするわけではないので(返事は返ってこない)、
結局「こう読むのでなければもう知らん」という読者の葛藤以上のものが成り立たないから。
次に読者にとっての理想作者の必要性だけど、これが現実の作者じゃない以上、
テクストをそのまま読んだ場合の裏返しでしかないように思える。
たとえば、命題X「壺がAという形をしている」と命題Y「理想作者がその壺をAという形に作った」
を比べた場合、命題Xに対して命題Yが何か新規の事実を語っているわけではない。
なので、そう読みたければそうすればいいけど、そうする意味は別にないのではないかと。
>>992 >しかし僕が「知って欲しい」と思って語った言葉には、僕が宿ると思うのです。
俺にはコミュニケーションはそんな甘いものじゃないように思える。
言語の不完全さは言語の本質に起因するもので、言語の使い方で何とかなるとは思えない。
しかし君が批評する立場ではなく創作する立場になりたいと思うのなら、
そういう信念を持って創作活動に励むのは別に悪いことではないと思う。
(たとえば「芸術は世界を救うはずだ!」という信念はその芸術家を支えるだろう)