昼は物陰に潜み
夜になると暗がりで獲物を漁る。
病院に閉じこめられた郁紀と別れてから
こんな暮らしを続けながら、私はお父さんを探して旅を続けていた。
最初に立ち寄ったのは、お父さんと一緒に暮らしていた家。
でも、そこにはお父さんはいなかった。
ずっと誰も使っていない、がらんとした家の中。
ここでお父さんを待っているべきだろうか。
いや。
郁紀は誰もお父さんの居場所を知らないようだと言っていた。
それは、お父さんが誰にも居場所を知られたくなかったということだ。
誰もが知っているこの家に、お父さんが帰ってくる可能性は低そうだ。
あまり知られていない場所。
人があまり行かない場所。
思い当たるのは、お父さんの別荘だった。
住所は覚えている。家の中から地図を探し、該当する場所を見つけた。
・・・遠い。
私の足では、どれくらいかかるだろうか。
それでも、私は行かなければならない。
元の世界に帰るために。
結局、別荘にたどり着くのに1ヶ月ほどかかってしまった。
深い山の中、茂みに埋もれかけた小道を探り当て、急な斜面を登っていくと
廃屋寸前のその建物はあった。
ここに・・・お父さんがいるのだろうか。
建物に入る。
人が暮らしていたわずかな痕跡はあったが
それはかなり古いもので、お父さんの姿はなかった。
いないのだろうか。
もし、ここにもいないとすれば、私にはもうお手上げだ。
別荘の中をあちこちを探して回るうちに
かすかなお父さんの匂いを嗅ぎ当てる。
やっぱり、ここにいたんだ!
だとしたら、どこ?
必死に探し、とうとう隠された通路を見つけた。
なんとかこじあけ、奥へと進む。
だんだん、お父さんの匂いは強くなってくる。
だけど
それとともに、嗅ぎ慣れた匂いも感じ取れてきた。
古くなった、死体の匂いを。
隠された部屋の片隅で、お父さんを見つけた。
正確には、お父さんだった物を見つけた。
椅子に腰掛け、拳銃で頭を撃ち抜いて
お父さんは死んでいた。
今はもうすっかり干からびていて、ミイラのようになっていた。
自殺。
なぜ?
理由はわからない。
わかっているのは
この世界に私を呼んだお父さんがいなくなって
私が元の世界に戻る望みがなくなってしまったということ。
疲れた。
もう、疲れてしまった。
お父さんの亡骸の前で
私はただうずくまっていた。
寿命、というものがない私でも
食事をせずにずっといればいつか朽ち果てるだろう。
もう、それでいい。
もう、それでいいはずなのに・・・
なぜか郁紀のことを思い出していた。
もう、会わないと
この姿で、今の郁紀には会えないと
わかっているはずなのに
もう元の世界に帰れないとわかった今
どうしようもなく郁紀に会いたかった。
もう一度、話をしたかった。
また抱きしめてほしかった。
郁紀と。ただ郁紀と一緒にいたかった。
一度はさよならを言ったけれど
郁紀はいつでも戻っておいで、と言ってくれた。
ずっとここで待っている、と言ってくれた。
あの言葉だけが
あの時の郁紀の言葉だけが
今の私を何とか支えていた。
戻ろう。
郁紀のところに行こう。
郁紀のいるところが、私の戻るべき場所。
だから
私は、決断した。
今の私に出来ることはいくつかあった。
一つは、この世界の「人間」という生き物を
私と同じに変えてしまうこと。
郁紀からもらった遺伝子情報でそれはすでに可能だった。
だけど、郁紀はあの時「元に戻りたい」と言った。
それは、この世界を変えて欲しくないということだ。
だから、これはできない。
もう一つは、もう一度郁紀の脳を操作して
また私を怖がらないような姿で見てくれるようにすること。
でも、二度目の脳の操作に郁紀が耐えられない可能性があった。
だから、これもできない。
世界を変えられない。
郁紀も変えられない。
だから、私が変わるしかない。
元々やろうとしていた生体操作を、逆の方向に私自身に働かせる。
それは、本来の私の種としての目的の逆の行動だ。
うまく行かないかもしれない。死ぬかもしれない。
だけど
郁紀に会えないままでいる事を考えれば
そんなことは些細な問題だった。
また長い時間をかけて、郁紀が閉じこめられている病院に向かう。
途中、いろいろと必要な物を入手して
それを運びながらの旅だったのでよけいに時間がかかってしまった。
病院に忍び込み、天井裏にはい上がると
郁紀の部屋の上まで進む。
思った通り、壁に比べれば構造は脆弱だった。
おそらく、用意した工具類で穴をあけることができるだろう。
壁と天井の間に、小さな隙間を見つけた。
中の様子を伺う。
・・・いた。郁紀だ。
その姿を見つけただけで
私は幸せな気持ちでいっぱいになる。
もう少し待っててね、郁紀。
二人で、ここから逃げようね。
どこか遠いところで
誰にも邪魔されずに
二人きりで暮らすために
今から私・・・人間になるから。
肉体を変成させる際には、多分大きな苦痛が伴う。
うめき声をあげてしまって、それを郁紀に聞かれてしまってはいけないから
郁紀の部屋の真上から少し遠ざかる。
変身が完了するまでには、予想では2週間。
ここに来るまでの間に、十分な栄養はとっている。
変身が完了した後の、人間としての生活に必要になる物を確認して
私は、それを始めた。
苦痛。
絶え間ない、苦痛。
全身の細胞が全て崩れていくような・・・
いや、実際崩れていくのだ。
古い細胞が、新しい細胞を生み出しながら
そのたびに壊れていく。
痛い。
痛い、痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
だけど
耐える。耐えていける。たとえどんな痛みでも、耐えていける。
この痛みの先に
郁紀が待っているから。
何度も痛みで気を失い
目覚めてはまた痛みに身もだえする。
どれくらいの時が過ぎたのだろうか。
体の構造が、変わっていっていることに気づいた。
体の中に、硬い骨格ができている。
触手はもうなくなっていて
替わりに、細くて関節でしか曲がらない手足が伸びていた。
体表面からは保護粘液も出なくなって
なんだか乾燥した表皮で覆われている。
郁紀と、同じだ・・・
よかった。
まだ体中痛いけれど、泣きたくなるほど、嬉しかった。
もう少し、我慢。
郁紀の脳に触れたときに見た
郁紀の記憶の中の私の姿になれるように
郁紀の記憶の中の私の声で喋れるように
強く念じながら
私はまた、痛みに耐えてうずくまった。
変身プロセスが、終わった。
用意した時計を見る。
予定通り、ほぼ2週間がたっていた。
体を動かしてみる。
あまりうまく動かない。
それでも必死に、用意した荷物の方に這っていく。
いま一番私に必要な物は
鏡だ。
鏡で、今の自分の姿を確認しなければ。
うまく変われただろうか。
祈るような気持ちで、鏡を覗き見る。
・・・変わっている。
郁紀の記憶の中の
郁紀が愛してくれた私の姿に
変わっていた。
小さく、声を出してみる。
「・・・うみおい・・・」
ふみのり、と言いたかったのに
慣れない発声器官で、ちゃんと言葉にならない。
それが何かおかしくて
私は笑いながら、嬉しくて泣いた。
今、私は郁紀と一緒に暮らしている。
病院から助け出したときには、郁紀は本当に驚いていたけれど
今では新しい私との暮らしで本当に幸せそうだった。
追われる身ではあったけれど
日本という国を出てしまえば、もうあまりそれを気にする必要もなかった。
問題があるとすれば・・・
私の痛みが消えていないこと。
郁紀には隠しているけれど、変身プロセスが終わっても
私の全身の痛みは消えていなかった。
たぶん、この体では私はそう長くない。
10年先か、1年か、1ヶ月か・・・
明日かもしれない。
だけど
今、郁紀と一緒にいられるのなら
そんなことは些細なことだ。
新しく住処にしたこの家に、出かけていた郁紀が帰ってくる。
「ただいま、沙耶」
私は出迎えて、微笑みかえす。苛む苦痛を耐えながら、それでも微笑む。
微笑むことができる。郁紀のためなら。
「おかえり・・・郁紀・・・」