朝起きたら妹に、

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>>533 ほれ。こんなのではどうだ?

「あ、おはよう。ちょっと待っててな。もうすぐご飯にするから」
 僕は起きてきた妹に精一杯の笑顔で朝の挨拶をする。
「……いらない。食べたくない」
 だけど妹は、ちゃぶ台の上に並べられた料理を一瞥しただけで、部屋を出て行こうとする。
「でもさ。朝はちゃんと食べないと、一日もたないぞ。ちょっとで良いから食べろよ」
 そう言うと、妹はようやく僕に目を向けてくれた。
 にらんでいるわけじゃない。いや、にらんでくれた方がどれだけいいか。
 妹の目は、どこか生気のない濁った目だ。昨日、近所のスーパーで見た魚の目に似ていることに
僕はゾッとする。
 でも、それでも僕は微笑み続ける。だって、それが僕の誓いなんだから。
「ほら。ちょっとだけでいいからさ」
 妹はため息をつくと、ちゃぶ台へ足を向けてくれた。
 それだけで、僕はうれしくなる。
 だって、妹が僕の朝食を食べてくれるのは、ずいぶんと久しぶりのことなんだから。最後に食べてく
れたのが、いつだったか覚えてない。1年より前なのは確実だ。それ以来、僕はいつも一人で朝食を
摂っている。妹が食べてくれない分をひとりで食べる。たとえ、食べてくれないとわかっていても、妹の
分も必ず作ることにしているので、毎日ふたり分の朝食を食べることになる。もともと同年代の男と比
べると小食な僕にとっては、それはかなりつらいことだ。
 だが、それも妹が食べてくれないことに比べたら、ささいなこと。
 だから、こうして妹が朝食を食べてくれようとしてくれることが、とてもうれしくてたまらない。
 僕はうれしくてうれしくて、今日は目玉焼きをいつもよりひとつ多く焼くことにした。
「すぐ焼けるか……」
 振り返った僕の前で、妹は立ったままちゃぶ台の上にあるご飯茶碗に盛られたご飯をひとつまみ取
ると、口に放り込む。
「これで満足でしょ? あたし、もう学校行くから」
5922/6:04/03/29 01:36 ID:s5wf6hxG
 呆然とする僕の前を妹が通り過ぎる。
 ようやく僕が我に帰ったのは、妹が玄関のドアを開けたときだった。
「あっ。い、いってらっしゃい!」
 僕は明るい声で妹を送り出す。妹が返事をくれなくても、振り返ってくれなくても、僕は毎朝妹を送り
出す。たとえ妹にとっては、意味のない街の喧騒と同じなのかもしれないが、それでも明るく元気な声
で妹を送り出すのが兄の務めだ。
 でも、やっぱり寂しくないと言えば嘘になる。
「はぁ。うまくいかないなぁ……」
 ため息をもらす僕の鼻を異臭がつく。
「え? あ、うわ!! あちゃ、やっちゃった……」
 フライパンの中で、真っ黒焦げになった三つの目玉が、恨めしそうに僕をにらみつけていた。

 僕の妹は、笑わない。
 僕ばかりではなく、友達と会話しているときも、テレビで必死にお客さんを笑わそうとするコメディアン
を見ているときも、妹は笑わない。ちょっとでも口許を緩ませることすらしない。
 僕の妹は、泣かない。
 どんな怪我をしても、知り合いに訃報があっても、妹は泣かない。眉をしかめることすらしない。
 いつから、妹が笑うことも泣くこともしなくなったんだろう?
 僕の古い記憶の中では、妹はとても笑い、とても泣く女の子だった。楽しいことがあれば、見ている
だけでこっちが楽しくなる笑顔を見せてくれた。悲しいことがあれば、何をしてでもその涙を止めたくな
るぐらい悲しい泣き顔になった。
 でも、今はもう妹はそんな感情を出すことはない。
 それは、父さんと母さんが一緒に事故で亡くなったときからだろうか? それとも、僕たちが親戚中を
たらい回しにされたとき? それとも、両親の事故に思わぬ多額の賠償金が出ることが決まったとたん、
目の色を変えた親戚たちが押しかけたとき? それとも、僕たちを助けてくれたボランティアのお姉さん
が死んだとき?
5933/6:04/03/29 01:37 ID:s5wf6hxG
 その、どれでもなく、どれでもあるんだろう。
 そのひとつひとつが妹から少しずつ少しずつ何かを削り取ったんだと思う。
 だから僕は削り取られた何かを取り戻そうと必死にやってきた。でも、それが成功したことは一度も
ない。かえって削り取られた傷痕を見せ付けられる結果になるだけ。
 それでも僕はあきらめない。
 だって、たったふたりっきりの兄妹なんだから。

 僕はいつも教室で、ひとり弁当を食べる。
 机を並べて弁当を食べるほど親しい友人はいない。なぜなら、僕は毎日学校が終わるとすぐにアル
バイトをやっているからだ。それもひとつやふたつではない。日によって違うが、最低3つは掛け持ちし
ている。もちろん、小遣い稼ぎとかじゃない。すべて生活をするためのものだ。
 こんな遊ぶ時間も金もない奴じゃ、友達になろうというのが無理というものだ。
 だから僕には友達がいない。仲良く話す相手はいても、友達といえるほど親密ではないだろう。
 でも、僕に元気がないのは、それが理由じゃない。
 僕に元気がないのは、妹のためだ。
 今日もいつものようにお弁当を作って、妹の教室に届けに行った。朝食は食べてくれない妹も、お
弁当だけはいつも面倒くさそうにだが受け取ってくれる。さすがに妹もまったく食べなくては生きては
いけないし、お昼を買うだけのお金の余裕もないから受け取っているだけなんだろうけど、僕にとって
は数少ない妹との触れ合いだ。
 でも、今日いつものようにお弁当を届けに行ったら、どういうわけか妹の姿はなかった。
 しかたなくお弁当を近くにいたクラスメイトの女の子に預けてきたが、ちゃんと受け取って食べたの
か、とても心配だ。
 そんなこともあって、午後の授業にはまったく身が入らなかった。
 先生に問題を当てられても、何を質問されたかわからず、大恥を書いてしまった。先生も、僕の特
殊な家庭の事情を知っているせいで強くは注意されなかったけど、かえってそれが辛い。なんだか、
僕だけ特別扱いされているようでクラスメイトたちにも申し訳なかった。