それは抜け散る御髪のように

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「嘘ですよ、そんなの……」
「知ったふうなこと……言わないでください……」



 私は振られたのだろう。完膚なきまでに。いや、そんな言い方すら烏滸がましいかもしれない。
想いを伝えることすらできなかった。なにも演じることすらできずに、舞台から引き摺り
下ろされてしまった。
 違う。そうじゃない。
 物語のヒロインを夢見ていた少女は、悲劇のヒロインどころか、滑稽なことに端役ですら
なかったのだ。私に関係なく物語が進んでいくのは至極当然のことなのだろう。そして
当たりまえのように、物語の主人公とヒロインが結ばれただけの話だ。
 世の中にどれほどいるのだろう。明日にも自分にドラマの主人公のような出来事が降りかかり、
劇的なクライマックスを迎えてもおかしくないと、そのことになんの疑問も持たない人が。
 そして、その中のどれほどの人が、情け容赦ない現実を突きつけられるのだろうか。
 背中を追いつづけられればそれで満足だった。振り向いてくれなくても構わない。
 本当に?
 微塵も期待していなかった?
 いつかは後ろを振り返り、必死で後を追っている人間がいることに気が付いてくれることを。
 想いつづければいつか願いか叶うかもしれないことを。
 あの人の隣りを歩けるようになるかもしれないことを。
 みんな幻想だ。
94(2/9):04/01/25 13:45 ID:Pi4x/Sf4
 日も落ちて、窓の外の街灯がわずかに照らす薄暗い部屋の中。ひとりベットに背を凭れる。
「あはは……」
 乾いた笑いが漏れた。
 なぜかいままでの思い出が甦る。
 話しかけるなと言われた桜荘と学校以外で、必死であの人との接点を見出そうとしていた自分。
街を歩いていれば、もしかしたら逢えるかもしれないと、意味もなく散策してたこともある。
そして出会えた偶然に無邪気に喜んでいた。
 雫内にいたころ、桜坂学園へ入るために必死で勉強を頑張っていた自分。
 さらにまえ、あの人の好きそうな話題、話し方、仕種を一生懸命探していた自分。
 たとえ貶されても詰られても、平気だった。私を見てくれているから。私に話し掛けて
くれているから。
 でも、あの人の瞳はいまやもう、ひとりの女性しか映していない。
「あ、ははは……」
 なんて惨めで滑稽なのだろう。
 嘲笑と憐れみをかう喜劇のヒロインならぴったりではないか。大した皮肉だ。
 これなら、あの人は笑ってくれるのだろうか。
95(3/9):04/01/25 13:46 ID:Pi4x/Sf4
 それから私はただ惰性で生きていた。死なないから生きているだけだ。
 ただ、周囲に心配や同情をされたくないから、普段どおりに振舞うよう気を払った。
 思いのほか難しかったけれど。いままではなにげなく言えたことすら、私の口から出てこない
ことがあった。それでもがむしゃらにいままでどおりに行動した。
 正確には心配や同情をされたくなかったからではない。
 怖かった。認めたくなかった。
 自分のいままでの人生が無為なものだったのかもしれないということを。
 自分がいままでやってきたことがなんの意味も成さないものであったことを突きつけられたく
なかった。
 だが非情な現実は私のすぐ傍にあった。
 その日、桜荘の階段の下、私が学校から帰ってくると、先輩とその想い人に鉢合わせた。
「お。雪村。いま帰りか。そういや、最近あんまり顔合わせなかったな」
 先輩がなにげない顔で挨拶してくる。この人は私の変化には気づいていない。私が敢えて
避けていたことも。
 それもそうだろう。私の想いにだって気づかなかったではないか。
 いっそのこと、全部知った上でこんな態度をとっているのなら、私はこの人のことを嫌いに
なれたのだろうか。
 自問するまでもなかった。無理なのだ。
 そんなことで嫌いになれる人ならば、ここまで追ってこなかった。邪険にされても付きまとう
なんてこと、しなかった。誰よりも私が判っていた。
 だから、私は先輩の知る『雪村小町』を演じるしかないのだ。
「そういうせんぱいがたは、これからデートですか? いやー、もう下の階の熱気に当てられて、
 雪村の部屋は暖房いらずですよ? これからどんどん寒くなってくる時期ですからね。
 電気代が浮いて、慎ましい生活をしてる雪村としては大助かりですよー」
「え? や、やだー。そ、そんなことないよ? ね? 舞人くん?」
 それこそ邪気などというものを微塵も感じさせないような照れた表情で、先輩に問いかける
星崎先輩。その手は先輩の袖を軽く握っている。
96(4/9):04/01/25 13:47 ID:Pi4x/Sf4
 刹那、その笑顔に訊いてみたくなる。
 あなたと私の立場が逆だったら、あなた、そんな微笑み浮かべられますか?
 あなたのその役、私に譲ってくださいと言ったら、どんな顔を見せてくれますか?
 痛い。
「あー、雪村くん。独り身のものが、やっかむ気持ちは判るがね。捏造はよくないな。捏造は。
 つか、希望、手を放せって。袖が伸びるだろ」
「あー。ひどーい。手を繋ぐのが恥ずかしいっていうから、これで我慢してるのに」
 初々しいカップルのようにじゃれあうふたり。
 先輩。知っていますか?
 横恋慕した人間の向けるやっかみは、きっとあなたが想像しているものなんか比べものに
なりませんよ?
 ……駄目。なにも考えるな。思考してはいけない。
 私は、いま、なにも考えずに、眼から入ってくる情報、耳から入ってくる情報を単純に
処理するだけでいい。余計な思考はいらない。
「あ、と。これ以上おふたりのお邪魔をしては、馬に蹴られて死んでしまいますね。
 では、雪村はこれで」 
「あ。うん。またね」
「お、おお」
 二人の挨拶を背中で聞くように先輩の脇を抜けて、階段を駆け上げる。
 これ以上ここにいたくなかった。ふたりのまえに立っていたくなかった。
 この会話はふたりにとって、なんの気なしのものだろう。後輩にちょっと仲を冷やかされた
だけで、それを悪い気もせず受け取り、すぐになにもなかったかのように、ふたりで仲良く
歩き出すのだろう。手なんかを繋ぎながら。


 ――――私はなぜここにいる? 
97(5/9):04/01/25 13:49 ID:3gBuJORc
 その日夢を見た。
 名も知らない家の物置。申しわけ程度に付けられた小窓から差し込む雪明り。凍えるような
寒さの中で。
 私は待っていた。楽しみに待っていた。
 早く見つけてくれないかな。
 舞人ちゃんまだかな。見つかっちゃったらなんて言おうかな。
 座り込んだ地面の冷たさなんて忘れていた。こんな暗いところで一人ぼっちで怖くて
寂しかったけど、心はドキドキしていた。
 かくれんぼ。
 いつもは他の子たちが遊んでるのを眺めてるだけだった。
 でも、舞人ちゃんが、私と遊んでくれると言ってくれた。仲良くしてくれると言ってくれた。
 ただただ嬉しかった。
 私を見つけたら舞人ちゃんなんて言うだろうか。
 あはは、おまえは馬鹿だなぁ。こんなところに隠れたらすぐに見つかるだろうが。
 そう言うかな。
 そしたら、私はこう言うんだ。
 えへへ。見つかっちゃったー。小町は馬鹿だぁー。
 舞人ちゃんは笑ってくれるだろうか。面白いって誉めてくれるだろうか。
 そして、こんどは私が鬼になって、舞人ちゃんを一生懸命探すんだ。舞人ちゃんは、
いつもみんなの中心にいて、遊びも上手くて、きっと私はなかなか見つけられないだろう。
 でも私は探すんだ。舞人ちゃんを見つけるまで探しつづけるんだ。
 霜焼けができた手をすり合わせる。まだかな。きっといまに、あそこの扉が開いて、
舞人ちゃんが現れる。私を見つけてくれるんだ。
 楽しいことを待つ時間は長い。でも私はじっと待っていた。
 どれほど待っただろうか。
 物置の入り口がガタンと音を立てる。そして、錆付いたレールをぎぎぎと擦るような音を
立てて滑り、扉が開いていく。
 きた。舞人ちゃんだ。
98(6/9):04/01/25 13:51 ID:3gBuJORc
 果たして私の予想は当たっていた。そこに立っていたのは。白銀の世界を背景に立っていた
のは。舞人ちゃんだった。私の王子様。
 その舞人ちゃんが口を開く。
「わはは。見つけたぞ小町。おまえ、こんな簡単なところに隠れて。馬鹿なやつだなぁ」
 やっぱり私の思ったとおりだった。私の想像どおりだった。だから私はこう答えるんだ。
「えへへ。見つかっちゃった。小町は馬鹿だぁー」
「あはは。おまえはほんとに面白いやつだな」
「えへへ。せんぱいに誉められちゃったー」
「次はおまえが鬼の番だぞ。俺はスパルタ教育でいくからな。おまえなんかじゃ一生かかっても
 見つからない場所に隠れてやる」
「それじゃ、小町は一生かかってもせんぱいを見つけるー」
「む。それなら、俺はおまえが百回生まれ変わっても見つけられない場所に隠れてやるからな」
「じゃ、じゃあ、小町は百回生まれ変わってもせんぱいを探しつづけるもん」
「あはは。おまえ、ほんと馬鹿だなぁ」
「だって、小町は馬鹿だもんっ」

 それは夢。ありえなかった夢。 
 そこで目が覚めた私のまなじりから、涙が一筋零れる。雫内とは比べるまでもないが、
それでも秋も大分深くなった明け方はとても寒い。寒気にわずかに身を震わせると、涙は
こめかみを伝い、枕へと吸い込まれていく。
 これは悲しみの涙?
 違う気がした。そこには私の安らぎがあった。たとえ夢の中でも。現実の痛みを和らげて
くれる魔法の薬がそこにあった。 
 夢の中の私はたしかに幸せだった。現実の苦痛はひとつもなかった。
 夢の中の私はあんなに幸せだったのだから、少しぐらいの悪夢に苦しむぐらい、どうってこと
ないはずではないか。そうだ。少しぐらいの悪夢になんて。
99(7/9):04/01/25 13:52 ID:3gBuJORc
 それから暫く経って。
 放課になって、家路につこうと校門を抜けると。
 良く知った後姿を見つけた。そしてもうひとつ。黒くつややかで綺麗な長い髪をなびかせ
ながら、その隣りを歩く影。
 確認するまでもなかった。そのふたりは他の生徒たちからも注目を浴びていたのだから。
 一瞬、逡巡した。
 忘れ物でもした振りをして、教室に引き返そうか。あのふたりは気づいていない。
 なるべく自然を装えば、他の人たちにも変な風には映らないはずだ。
 だが、わずかに遅かった。
 いつものように仲睦まじくじゃれあうふたり。なにかふざけあっていたのだろうか、
星崎先輩が脇に少し避けようとして、鞄を取り落とした。
 その鞄を拾おうとした星崎先輩と目が合ってしまった。 
 或いは迷いなく行動できれば間に合ってたのかもしれない。しかし、もう手遅れだ。目を
合わせたあとで、無視して引き返すことはできない。
「あれ? 雪村さん?」
 その言葉に先輩もこちらに向く。ふたりのもとに歩み寄るしかない。
「おお。雪村、ちょうどいいところにきた。おまえ、この女に言ってやってくれ。腕なんぞ
 組んで歩いている人間が、周りにどれだけ恥を撒き散らしてるのかを」
「そんなことないよっ! 恋人同士なら、腕を組んで歩くぐらい当然だよね?」
 私に問いかけているが、私を無視したようなふたりの言葉。別に私でなくともいいのだろう。
100(8/9):04/01/25 13:53 ID:3gBuJORc
「あー。そうですねー。腕ぐらい組んで歩かないと、恋人同士とは言えないんじゃないですか?」
「ねー。やっぱりそう思うよねっ」
 私の答えに、満面の笑みで返す星崎先輩。この人は他人に悪意を向けるなんてことは、
いままでもこれからもないのだろう。
「なっ! 貴様っ! 裏切ったなっ! シャルルマーニュの誓いを破るつもりか。血判状を
 交わしたこの義兄弟を裏切るとは、なんたる不届き者よ」
「雪村は、いつでも恋する乙女の味方ですからね」
「うんうん。そうだよねー。舞人くんは、女の娘の気持ちが全然判ってないよねー。あ、そうだ。
 雪村さん。こんど一緒にクレープでも食べに行かない? 雪村さんとは凄く気が合いそうな
 気がするよ」
「そうですね。雪村も、星崎先輩とは凄く合いそうな気がします。むしろ、せんぱいから
 乗り換えません?」
「あー、どうしよっかなー」
「こらこら。人の彼女を誘惑するでない。そ、それにな、俺にもクールでニヒルでハード
 ボイルドという対面があるわけでな。全国の夢見るちびっこ諸君の期待を裏切るわけには
 いかんのだよ」
「あ り え な い」
「あはは。おふたかたとも相変わらず、ラブラブですねー」


 ――――なんで私はここにいるの?
 コレハユメ?
 ドレガユメ?
101(9/9):04/01/25 13:54 ID:rdY4jm6h
 電話の着信音。

――はい。もしもし。……あ。青葉ちゃん? どうしたの?
『あ。うん。きょう、おねえちゃんが学校休んでるって聞いたから、風邪でも引いて
 寝込んでるんじゃないのかなって……』
――え? 誰から?
『えっと。牧島さんって人から』
――あれ? 青葉ちゃんと麦兵衛くんって知り合いだったの?
『うん。まえにおにいちゃんに紹介されたことがあるから。あ、それで、もし体調が悪いん
 だったら、私が看病に行こうかなって』
――えへへ。じつはさぼりです。きょうは、自主休校して、先輩と一緒に遊びになんか行ったり
   してました。てへり。
『え? おにいちゃんと? でも、おにいちゃん、きょうは……』
――ん? どうしたの?
『……う、ううん。なんでもない。私の見間違いだよね……。じゃ、じゃあ、別に具合が悪い
 わけじゃないんだよね?』
――うん。心配かけてごめんね。あしたは元気もりもり、いつもの七兆倍のハッスルで
   学校行くから。
『うん。良かった。それじゃ、またあした。おやすみなさい』
――おやすみー。







 夢見る少女はもういない――――。