柊雛乃だがお前らに一言いいたい事がある

このエントリーをはてなブックマークに追加
572日記
 私がこの家にきてから、そろそろ十七年になります。
 お店の棚に並んでいたときから、みんなに「安物」、「低性能」といわれて、自分でもああそうだなあ、と思って過ごしてきました。
 そんななか、ある日買われていった先は大変なお屋敷で、「なぜこんなお金持ちの人が私なんかを!?」と、とても驚いたのを憶えています。
 お屋敷には、生まれてまもない赤ちゃんが二人いて、まだお母さんが恋しい盛りなのに、彼らのお母さんは体の強くない人でしたので
あまり構ってもらえず、いつも胸が痛くなるような泣き声をあげていました。
 あ、いえ、それは男の子のほうだけでしたそういえば。
 女の子のほうはいつもぺたぺたと男の子を触ったりくっついたりで、ちっとも寂しそうではなかったです。ええ。
 それはそれとして、はじめ、おうちのお掃除はお父さんと要芽さんのお役目だったんですが、下の子たちが育ってくるにつれて、その
役割もだんだんと持ち回りになってきました。
 お父さんはあんまりしなくなりました。
 お母さんはご病気でしたので、ムリです。
 雛乃さんもお母さんに似て重いご病気を患っておいででしたので、ムリです。
 要芽さんは、とても几帳面な方で、お掃除ひとつするのにも、まず掃き掃除からされていて、とても丁寧でした。
 ご一家に途中参加の瀬芦里さんは、あの、なんというかとてもワイルド&パゥワーな方で、ダッシュしたかと思うとジャンプ、ときおりターンを加えつつ、円形の掃除を得意とされていました。
 巴さんは要芽さんに輪をかけて丁寧で、箒での掃き掃除から私を使い、さらに畳の部屋は雑巾で乾拭き、フローリングの部屋は強くしぼった雑巾で
繰り返しと、なんだかこのご一家にあっては将来の予測される働きぶりでした。
 高嶺さんには蹴られました。
 海さんは普通でした。でもときどき高嶺さんをだまして、私を押し付けていました。
573日記:03/10/08 03:48 ID:wg2AMYKc
 空也さんは、さらにその高嶺さんから私を押し付けられていましたが、そのたびに「ほこりを吸い込んだらそうじきさんが可哀想だよう」と泣き出して、
高嶺さんに「あんたバカァ?」と蹴られていました。
 いつもいつもそうでしたので、私は何度、「それが私の役目ですからお気になさらず空也さん」と声をかけたく思ったかわかりません。
 ですが私は掃除機ですので、言葉を口にする方法がついにわからず、高嶺さんに蹴りまくられて泣きじゃくる空也さんを、ただただ見守るしかありませんでした。
 あるときなどは、上のような事情で掃除のできない空也さんの代わりに、私が高嶺さんに蹴られることもありました。
 すると、ゴトンと派手な音をたてて私のホースが外れ、みるみる高嶺さんの顔が青ざめます。
 空也さんは私を見て、ひく、と息を飲んだかと思うと、ますます大きな声で「そうじきさんが死んじゃったあああ!」と、聞いているだけで切なくて
いられなくなるような泣き方をされました。
 いえ、大丈夫、これは外れるようになっているんですよ。お気に病まれることは少しもないんです、どうか泣き止んで、といいたくてたまりませんでしたが、
私は掃除機、自分の勝手に体を動かして、空也さんの頭をなでてあげることもできません。
 私がもどかしい思いでいると、高嶺さんが「ちょ、ちょちょちょっと! 静かにしなさいよ!」と、空也さんにのしかかってベルリンの赤い雨。ドイツ軍人の背後霊が
見えそうな強打を乱発します。
 私のせいでなんということに!
 まだ小さな空也さんは、それをはねのけることもできず、ワンワンと泣き叫んでやられ放題です。
 正直申し上げて、私ちょっと高嶺さんをお恨みしたものですが、掃除機の身の上では身を挺してかばうこともままなりません。
 空也さんがどうしても泣きやまないと知ると、高嶺さんは「あ、ああ、あんたのせいなんだから! ちゃんと直すのよ!」とかなりドモリ入れながらトンズラなさいました。
 高嶺さんが立ち去ったあとも、しばらく泣いていた空也さんですが、しだいに泣き声を抑えて、ひくっひくっとぐずりつつ別の部屋に行ってしまいました。
 私が掃除機でさえなかったら、すぐにも飛んでいって抱きしめてあげたいところですが、それはかなわぬ願い。