ならば、ここはせめて一太刀…
→ならば、アラミスだけでも守らねば…
刹那、疾風の如き斬撃が左脇腹を掠めるのが分かった。
「うっ…」
「きゃ、ウェズっ!」
辛うじて致命傷は免れることができたが、既にそこの感覚は無い。
…いや、鈍い焼ける様な痛みが全身に広がっていくようだ。
このままでは、直に動けなくなる…。
「…ほう。我の一撃を避けるとは、只の人間にしてはやるな。…だが、次はないぞ?」
確かに番人の男の言うとおりだった。
以前その太刀筋を見ていなければ、瞬きする暇もなく真っ二つにされていただろう。
いや、例え見ていたとしても、ファウの身体で避けれたのは奇蹟だったのかもしれない。
それぐらい男の剣速は凄まじく、『見切る』とかいうレベルの話ではないのだ。
「…アラミス、逃げろ」
この番人が、ルタの眷属にはそう簡単に手出しすることがないのは解っていた。
だが、ファウの事もある。そんな想いは、もうしたくなかった…。
「ウェズ、でも…」
男の剣がゆっくりと振り上げられていく。おそらく一刀両断にでもしようというのか。
しかし、それが分かっていながらも今の俺にはどうすることもできない…。
「いいから、行け。俺のことは構うな…!」
再度、アラミスに檄を飛ばす。だが、アラミスはその場に立ち尽くしたまま動こうとはしない。
「…さらばだ」
番人の冷たく低い声が、俺の最後を告げようとしたその時…
「待て…」
長髪の甲冑に身を包んだ男が剣を構えてアラミスの傍に立っていた。
「あっ、カ、カダンさんっ!」
「大丈夫か? もう安心しろ」
「う、うん、でもウェズが…」
「…ウェズ?」
カダンと呼ばれた男が俺の方に目を向けた。
その眼差しは俺が何者か推し量ろうとしているように見える。
だが、その眼差しもすぐに番人の声によって引き剥がされた。
「…お前が守護者か?」
「そうだ。…俺が眷属アラミスの守護者だ」
「では、訊こう…。何故、我の行使を邪魔する?」
「そんなつもりはない…。只、ルタの元へと向かうだけだ」
「…ルタの所へ?」
「ああ、そうだ」
カダンという男がそう言った途端、番人は今まで俺に向けていた殺気を
その男に対して発し出した。
「守護者よ、ルタに呼ばれたのか?」
「…いや」
「だろうな…ならば通す訳にはいかぬ」
そう言うと、番人は再び剣を構え直し、新たな対峙者に向かい合った。
「それでも…来るか?」
「…………」
「還す者…最強の眷属にして、更にそれを護る守護者よ。
だが、そなたになら解るだろう?…我には敵わぬぞ?」
番人の言うことが只の脅しでないことは、カダンという男の様子からも明らかだった。
一寸の隙も無い、張り詰めた表情。鋭い刺すような視線が番人の男に向けて注がれている…。
「…おい、お前。カダンとかいったな」
「…俺のことか?」
「そうだ。止めておいた方がいい…。お前の敵う相手ではないのだろう?」
「…………」
「こいつの狙いは元々俺一人だ…。お前達には関係ない」
「…だが、そういう訳にもいくまい。俺達はルタの元へと行かねばならないのだからな…」
アラミスは言っていた。自分の中にある大切なものを無くしてしまった…と。
そして、それを取り戻すためにルタの元へ行くのだ…と。
「…ならば、俺が囮になろう」
「何…?」
「話している暇は無い…!俺が仕掛けたらアラミスを連れてすぐに…」
「…何を企んでいるか知らぬが、たかが手負いの女と守護者如きに我は倒せぬ!」
一閃、番人の薙ぎ払うかのような一撃が俺達を襲った。
「くっ…!」
アラミスを庇うようにしてその攻撃を避けるカダン。
俺も血の滲む脇腹を押さえながら、なんとか横っ飛びに避けることに成功した。
「ぐっ…、かはっ…ぁ…」
だが、直後に強烈な痛みが全身を駆け巡った。致命傷ではない…致命傷ではないが、
どうやら今の一撃で右足をやられたらしい。先に受けた脇腹への傷も酷い状態だ。
見れば、カダンの方も甲冑の一部が抉り取られ、欠けていた。
「アラミス…無事か?」
「…うん。だけどカダンさんは…?」
「俺なら大丈夫だ。それよりも…」
「…あっ、ウェズ!」
膝をつき半ば蹲るような俺を見て、アラミスが心配そうな声をあげる。
番人は、尚も俺達に止めを刺そうと間合いを詰めてきていた。
…考えている暇など無かった。奴が今度あの剣を振れば、確実に俺達の内の
誰かが殺られるだろう。その前に、なんとしても俺は行動しなければならない。
脇を押さえていた手を離し、懐の刀子を握り締める。今の俺には、こいつを
二,三投するのが限界のはずだ…。だから、外すことは許されない。全身を鎧で
覆った奴を狙うとしたら一点、兜から覘かせている僅かな隙間だけだろう…。
幸いにも、先の攻撃で俺とアラミス達は番人を挟むようにして離れている。
チャンスは今しかない…!
「…!」
蹲った姿勢のまま懐から取り出した刀子を、番人目掛けて投げつける…!
「!?」
俺の突然の強襲に番人の歩みが微かに怯んだ。
刀子は奴に当たることなく空を切っただけだが、それで十分だ。
「今だ!行けっ…!」
すかさず次の刀子を両の手に構えながら、アラミス達に叫ぶ。
「貴様…!」
番人の男が殺気に満ちた視線を俺に浴びせながら、突進してきた。
「カ、カダンさん!ウェズが…」
「……行くぞ!」
「あっ!?」
俺に向かってくる番人を見定めたカダンは、アラミスを連れて門へと駆け出していた。
そうだ…。それでいい…!
「はぁっ…!」
短く息を吐きながら、手に持った刀子を続けざまに放つ…!
今度は確実に当てなければならない。狙いはあの隙間だ…!
「ぬぅ…!」
番人はその大剣を振り翳しながら、尚も突進してくる。
「うぁぁ…!!」
奴の剣は俺の刀子を弾き、そして俺の胸を切り裂いていた…。
「ぐぅっ…!お、おのれ…」
だが、奴が弾いたのは一投目だけ、寸分の狂いもなくその後ろに着けていた
二投目は、番人の顔面に深々と突き刺さっていた…!
おそらく目の辺りだろうか、真っ赤な鮮血が吹き出して番人の鎧を朱に染めていく…。
その目の前で崩れ落ちる俺には、もう指一本動かす力さえ残っていなかった…。
「ウ、ウェズっ!」
その光景を見たアラミスが駆ける足を止め、こちらを振り返る。
「アラミス!立ち止まるな!」
「で、でもっ!」
アラミスは躊躇してしまっていた。それはこの状況下においては死に繋がる…。
何故なら、その時すでに番人の体はアラミス達に向かって疾走していたのだ。
「貴様等っ…!行かせはせん!行かせはせんぞっ!!」
番人の、その恐るべき速さと威力を持った一撃がアラミスに対して振るわれようとしていた。
「アラミスっ!」
咄嗟にカダンがアラミスの前に出て庇おうとする…が、間に合わない…!
「…ぁっっ!!」
アラミスが悲鳴をあげる間もなく倒れた…その場にいる誰もがそう思った…が、
俺の目に映っていたのは、一人の女がアラミスを庇い番人の長剣を胴に受け
立っている姿だった。そしてその女には見覚えがあった…。
「お、お前は…」
突然現れた女に、番人の男の声は明らかに動揺していた。
「イスナ?!」
カダンが女をそう呼ぶのが聞こえた。そう、あの女の名はイスナ…。
「なんとか間に合ったようですね。守護者よ…」
「くっ、イスナよ。何故我の邪魔をする…?」
「…この二人をルタの元へと行かせるのです」
「だ、駄目だ。誰であろうと通す訳にはいかん、それが我の義務であり使命だ」
「そう、ならば仕方ありません。…倒して進むまでのこと」
「くっ、だが、我とて行使する義務があるっ」
男はそう叫ぶと、大剣をイスナ目掛けて振り下ろした。
「う…」
…剣はまともにイスナの胴に決まっていた。しかし、イスナは倒れない。
「くっ…守護者よ、今です!この者を…!!」
番人の剣を胴に受けたまま、イスナが叫ぶ。その声にカダンは腰の剣を素早く抜いていた。
「むぅ…!」
番人が再び剣を振り上げようとする…が、それよりも早くカダンの剣は男の胸を貫いていた。
「ぐっ、ごほっ…。やはりお前は倒せぬかっ」
「番人よ、それは最初からわかっていた筈…」
身体に刃を受けたまま、平然と言葉を吐くイスナ。その口調は、乱れることすらなかった。
「ぬう…ごぶっ…」
男の口からは血が溢れ、すでに喋ることもままならない様子だった。
「お、おい、イスナ…」
思わずイスナに声をかけるカダン。
しかし、イスナは男が絶命するまで、只無言でそれを見つめていた…。
「…大丈夫よ」
「だが、お前…」
「痛っ…」
朱に染まる剣を、更に朱に染めながら、その刃を無造作に掴み引き抜くイスナ。
そして、あれだけ酷く受けた傷口すら、みるみるうちに塞がり消えてゆく。
「それは…」
「気にしなくていいわ、平気よ。それよりも…」
そう呟きながら、イスナが俺の方に目を向ける。
「…あなた、ファウではありませんね?」
「まあな…」
「そう…ウェズなんですね。彼女は貴方に癒しを使ったのですか」
「ああ、おかげで俺のような人間が残ってしまって…。ぐっ、ごほっ」
口を開く側から、血を吐き出していた。恐らく、…もう長くはないだろう。
「ウ、ウェズ?!」
俺の元へ駆け寄ろうとしたアラミスをカダンが止めていた。
「アラミス、あきらめろ、もう助からん…」
「そ、そんな、カダンさんっ」
「ごほっ、悪いなアラミス…」
「そんな…」
俺の身を案じて涙を流すアラミスを見ているのは、辛かった…。
そんな俺にイスナが静かに問い掛けてきた。
「…何か言い残すことはありますか?」
「いや、何もない…。俺の中には後悔しか残っていない…。あんな、あんな想いは、もう…」
そう答えた俺に、今度はカダンが問い掛けてきた。
「…還りたいか?」
「な、何のことだ…」
「…全てを忘れたいか?」
「…………」
「…お前が望むのであれば」
「ぐっ、ごほっ…、それも、悪くないかも知れない…」
「…ならば」
「…だが、断る」
「…なに?」
俺の予期せぬ返答に、わずかに驚いた表情をするカダン。
「ごほっ、ごほっ、勘違いするな…。…俺の証しは既にない。今、俺の中にあるのはファウだ…」
「…………」
「ど、どんなに後悔しか残っていなかろうと…。…それだけは失くしたくない」
「…………」
「うっ、ごほっ、ごほっ、ごほ!」
「ウェ、ウェズ、しっかりしてよ。うっ、ひっ、ひっく…」
俺の命はもうすぐ尽きようとしていた。
そして、こうやって誰かに看取ってもらうのが二度目というのはなんとも皮肉な話だった。
「な、泣くな、アラミス…。こ、これで良いんだ」
そう、これで良いのだ…。俺にとって、アラミスが『癒しの者』でなかったことは幸いだった。
もう、あの時の…ファウの時のような想いは…。
「や、やだ、そんなのやだっ」
「ぐっ、はぁはぁはぁ…。ア、アラミス、お、お前も…
じ、自分の証しは、どこにあるのか考えるのだ…」
「えっ、それってどういう意味なの?」
もう、アラミスの声は俺に届いてはいなかった。俺は…お、れの…あ、証…し……は…
「…ファ、ゥ」
「き、聞こえない、よく聞こえないよ。ね、ねえ、ウェズ?」
「…………」
そして俺の思考は止まり、意識は深い闇の中へと落ちていった…。
…何も見えない。…何も聞こえない。そんな空間に俺は在た。
いや、そもそも何も知覚できないのに、俺が在る、と云うことができるのだろうか?
そんなことは…
「さ…ん。ウェ…ズ…」
どうしたというのか、どこからか俺を呼ぶ声が聞こえた気がする…。
何も聞こえない筈なのに声が聞こえる…。しかし、この声には聞き覚えがあった。
「…ファウなのか?」
「はい、そうですよ。ウェズさん」
ファウだった。この何もない空間で…何故。
だが、それは決して聞き間違えることのないファウの声だった。
「ファウ…。どうして…」
「あなたを迎えに来ました」
「迎えに…?」
「はい」
「…そうか、俺は死んだのだったな」
「…………」
「ファウ、お前が俺の水先案内人という訳か」
「まぁ、そんなもんですね」
「そんなもん…なのか?」
生前の、あの頃と全く同じ口調で喋るファウに、俺は不思議な安らぎを感じていた。
「ええ。ですから、一緒に行きましょう」
「…………」
まさか、死んでファウに逢えるとは思ってもいなかった。
その事自体は、俺にとって大変喜ばしいことだった。だが…
「いや、お前と一緒には行けない…」
「…え?」
まさか、俺がこう答えるとは思ってもいなかったのだろう。
ファウの口からは意外なほど間抜けな声しか出てこなかった。
「な、何を言っているんですかっ!ウェズさんは。こんな時に冗談なんて言わないでください!」
だが、すぐに激しい口調で俺を責め立ててきた。…本当にあの頃のようだ。
「…冗談ではない」
「どういう…ことですか」
俺の言葉が嘘ではないと分かったのだろう。ファウの声も真剣なものとなっていた。
「…俺がお前には相応しくないからだ」
「そんなことありません!ウェズさんは…」
俺の言葉を真っ向から否定しようとする、そのファウの気持ちが痛かった…。
「俺は、お前との誓いを守れなかった…」
「私を護る、ということですか?そのことなら私は…」
「…そのことじゃない」
「え?」
「俺は…人を殺したんだ」
「あ…」
「しかも、あれほど人を殺めることを忌んでいた、お前の手で、だ」
「…………」
あまりに衝撃的な告白だったのか、ファウは言葉もなく黙ったままだった。
そう、俺は人を殺したのだ…。
ファウが俺に癒しの力を使い、俺がファウの体で生き長らえてから一年…。
その間、俺はドゥムジの峰から東にある、あのハファザの草原と似た地にファウを埋葬し、
港町とその草原を行き来する生活を過ごしていた。
当然、女の身では危険が付きまとう。俺は護身用に刀子を持ち歩いていた。
そんな日々のことだった。ある日、野党に襲われたとき、俺はそいつらを殺してしまったのだ。
殺すつもりなどなかった…。だが、野党の一人が俺を、ファウの体を襲おうとしたとき、
俺は、気がついたらそいつを殺していた…。後の事はよく覚えていない。
只、何も動くものがない砂漠で、血に染まった、朱い朱い女が一人立っていたこと以外は…。
「…………」
長い長い沈黙…。実際にはそんなには経っていないのかもしれないが、やがてファウが口を開いた。
「…ウェズさんは、そのことを今迄ずっと後悔してきたんですか?」
「…ああ」
「それで、もう私とは一緒に行けない、と仰られるんですね」
「…ああ」
「…わかりました。ですが、最後にひとつだけ、ウェズさんに訊きたいことがあるんです」
「…何だ?」
「あの時…ウェズさんが斬られて死に逝く時、私はウェズさんを選びました」
「…………」
「そのことで、ウェズさんをこんなに苦しめることになるなんて、思ってもいなかったんです」
「…いいんだ、気にするな。お前が悪いんじゃない」
ファウとの誓いを守れなかった俺を、悪いのは俺なのに、そんな俺に、ファウは自分が悪いのだ
というのか…。どこまでも、ファウはファウなのだな…。
「だから、訊きたいんです」
「…………」
「こんな、ウェズさんを苦しめてばかりの私を…ウェズさんは選んでくれますか?」
「…………」
選ぶ…考えてもみなかった。俺がファウを選ぶ。だが、俺は人を殺して…。
…いや、違う。そうじゃない。そうじゃなかったんだ…。
ファウが俺を護衛として雇ってくれた時、俺は相応しくないといってファウの元から去ろうとした…。
だが、あの時俺は本当にそう思っていた訳じゃない。只、ファウに嫌われるのが、
殺人の真似事で身を立てていた俺が、ファウを失望させるのが怖かっただけなんだ…。
だから俺は、本当は、あの時からすでにファウを選んでいたんだな…。
「…俺は、俺はお前を選ぶぞ…ファウ!」
「ウェズさんっ…!」
その時、今まで何も見えなかった俺の目に、ファウの笑顔が飛び込んできた。
それは、あの日の…俺とファウが初めて出会ったときの笑顔と同じだった。
そして、それが俺の最後に見たファウの笑顔だった。
そう、最後には笑顔で「さよなら」を…