Shall we エロゲ♪現実の幼馴染・兄弟姉妹18
高校は隣の学区の県立高校に通った。
同じ学区の同レベルの学校へは地元のローカル線(上り)で15分、そこからバスで30分と乗換えが面倒だったが、
通った高校はローカル線(下り)で25分、駅から歩いて5分と便利で都合が良かったから。
高校がある町には父の妹(実は義妹)の家族が住んでいた。
(本当は従妹なのだが、幼い時に両親を失い、伯父夫婦である父方の祖父母に引き取られた)
その高校にしたのは保証人の兼ね合いもあった。
私の母は女3人姉妹の長女だったため父は婿入りした。
叔母の家族が私の家に来る事はほとんど無く、また、こちらから伺う事も少なかった。
年に数回、伯父の家(父の実家)で会う事がほとんどだった。
叔母には娘が2人いて、姉は私と同い年、妹は一つ下。
その同い年の従姉も同じ高校に入学した。
(ハトコにもあたりますが、感覚的にはイトコのままなので、従姉でお願いします)
私の4つ離れた兄と伯父方の従姉弟は歳が近く年長組、私と叔母方の従姉妹は年少組と区別され、
一緒にいる事が多かったが、私にはそれほど親しいという感覚はなかった。
我が家は母の実家であり、母方のイトコとの方がはるかに親しかったから。
その従姉との思い出といえば、伯父の家の犬の散歩。
うちも従姉の家もペット禁止だったため、よく従姉妹と3人で散歩に行った。
その程度だった。
だから、入学当初は廊下や食堂で見かけても眼で合図する程度で、立ち止まって話し込む事はほとんど無かった。
それが5月上旬だったろうか、従姉が教室に来て廊下に呼び出された。
そして、「来週、木・金って泊まりにきてくれない?」と言ってきた。
妹が修学旅行で不在、両親も仕事や温泉旅行で不在、1人でいるのもなんだから、との理由で。
教室から聞き耳立てていた人がいて、話が終わって席に戻るとちょっとした騒ぎになった。
その時まで誰にも従姉とイトコである事を話してはいなかった。
私は学区外から来ている、いわば余所者であるのは周知の事実。
それなのに早速彼女を作りやがった! そう認識されたらしい。
従姉と同じ地元の中学出身の女子は、興味津々、といった感じで根掘り葉掘り聞き出そうとしてきた。
「イトコだから・・・」で沈静化を図ったが、事態が収束するには時間がかかった。
お泊まり当日
約2`程離れている事は把握していたが、高校から従姉の家へは駅とは逆方向で行き方がよくわからなかった。
従姉は自転車で通っていたので、放課後駐輪場で待ち合わせた。
自転車の後輪の軸には立ち乗りできるステップが付いていた。
校内からの2人乗りは抵抗があったので、坂を降りた所まで推して歩いて、
その後従姉に後ろに乗ってもらい私が自転車をこいだ。
私の肩をしっかり掴んで密着する事なくバランスを保っていたが、途中何度か胸のふくらみを背中に感じた。
途中、スーパーで食材を買って家に到着。
サドルの高さを変えていたのにそのまま乗って片付けようとして「ん、(足が)届かない」と言ったのがおかしかった。
従姉は一旦自室で着替えて夕食の下ごしらえ、私はその日体育で汗を掻いていたのでシャワーを借りた。
シャワーを終え、荷物を客間に置き、居間でくつろいでいたら脱衣場の方から、
「一緒に洗濯するから洗濯物出して」と言ってきた。
自分もシャワーを浴びようと脱衣場に入ったが、私の洗濯物が見当たらない。
(洗ってもらうつもりは無かったから、着替えはしまっていた)
それを出せ、と言う事だった。
「いえ、結構です」と何度も断っていると痺れを切らしてこちらに出てきた。
一旦脱いだところで洗濯物がない事に気付いて、改めて上を着たようでブラははずした状態だったらしく、
着ていたパーカーの胸元が揺れていた。
「なーに恥ずかしがってるの?」と言ってきたが、泳ぐ目線を気付かれたくなくて激しい口調で拒んだら
「あっ、ゴメン・・・やっぱり恥ずかしいよね」と小さく謝って戻っていった。
私は次男、従姉は長女、さらには誕生日が2ヶ月ほど早い、という事もあってかお姉さん風を吹かす傾向があった。
大抵私が素直に折れていたので、この時の私の激しい口調は予想外の行動だったらしい。
その後、夕食まではTV見ながら勉強
入学して間もない頃に受けた学力テストの順位は私の方が上だった。
県立高校は地元だと多少点数が低くても入れる制度があり、従姉は平均をやや下回っていた。
逆に学区外の私の場合だと合格ラインよりも多めに点を取っていないと合格できないため比較的上位だった。
一緒に勉強、というものではなく、ほとんど家庭教師だった。
それから夕食
お菓子を軽く摘みながらの勉強だったので遅めの夕食となった。
パスタとサラダで軽く済ませた。
予定ではもう少し豪勢になるはずだったが、2人ともそれほどお腹も空いていなかったので軽く済ませる事になった。
私の母は婿取りだったので我が家には嫁・姑の対立はなく、多くを祖母に任せるくらい家事に関しては手を抜いていた。
私達兄弟は結構手伝いをさせられていたのでそれなりに役立つつもりでいた。
しかし不慣れな他所の家では何していいのかわからず、おろおろしていた。
逆に先ほどまで沈んでいた従姉が活き活きしていた。
効率よく、手際よく調理していく様は見事で、なんでその要領の良さを勉強に活かせないのか不思議に思った。
私がそこそこ包丁が使えるのを見抜くと、細々と指示を出すようになるまで回復していた。
そして就寝
私は1階の客間で就寝、従姉は2階の自室で就寝 ・・・ ・・・ ・・・ でも寝付けない。
従姉に合わせて普段よりも2時間ほど早い時間に寝ようとしていたから。
不慣れな環境だったのもその一因であろう。
眠れないから普段電車内用に持ち歩いていた文庫を取り出してしばらく読んでいると、
「起きてる?」と言って従姉が襖を開けた。
「んっ、何?」視線を動かすと、枕と目覚まし時計を抱えた従姉。
「わたしもここで寝るね」と入ってきた。
そしておもむろにもう一組布団を敷きだした。
「もう少し向こうにずらして」と私に移動を求め、空いたスペースに布団を広げた。
「なぁ、抵抗ないの?」 動揺を隠しながらのやっとの一言。
「ん? おじさんちでお泊まりの時は同じ部屋だったじゃない?」 従姉には大した問題ではないらしい。
「小学4・5年の頃の話だろ」 私にとっては大問題。
「まあ、まあ、まあ、いいから、いいから」 こちらの抗議はお構いなしに準備は終わった。
「じゃあ、寝よっ」 断りもなく電気を消した。
私は寝る時、左を向いて丸まって寝付くのだが、それだと従姉の方を向いてしまう。
気恥ずかしいから従姉に背を向け丸くなった。
柱にかけてある時計の音がやけに大きく聞こえるくらい静かだった。
しばらくして「ねぇ・・・」と話しかけてきた。
学校の話や友人の話、親族の話や小さい頃の話、明日のお弁当何がいいとかで盛り上がった。
翌朝
従姉に合わせていつもより少し早く起きた。
台所は従姉に任せて、私は洗濯と布団干し。
朝食を済ませ登校。
昼休み
普段行く学食には行かず、教室でお弁当を広げたら教室に残っていた連中にからかわれた。
5時限目直前に戻ってきた連中も話を聞きつけ、BOYS BE...みたいな展開はなかったのかと問い詰められた。
そして下校
荷物は従姉の家に置いてきたのでその日も従姉と帰った。
事前に叔母に「夕食も食べていきなさい」と呼ばれていたから。
翌日の土曜日は隔週で休みだったから、多少遅くなっても大丈夫、と判断したからであろう。
帰宅は夕方になる、と言っていた叔母はすでに帰っていた。
叔母はしばらく無言でニヤニヤしていた。
そして、「お姉ちゃん大胆ねぇ〜、晩御飯はお赤飯にしましょうか?」 そう切り出してきた。
干してある二組の布団から一緒に寝た事を理解したらしい。
その口調は決して責めるものではなかった。
2人で何もなかった事を説明すると、わかっていたであろうに、「なぁ〜んだ・・・」とつまらなそうな演技をした。
そんな「大丈夫、私は理解力がある」といった態度が少々困りものだった。
お弁当を作ってもらった事に気付くと、叔母は「竜田揚げ入っていた?」 そう尋ねてきた。
どうやら従姉の得意料理=「勝負おかず」だったようで、案の定入っていたりした。
「ふ〜ん」と一瞥されモジモジする従姉の心情を、その時は理解する事が出来なかった。
「おいしかった?」の質問に、「んー、まずくはなかった」と素で答えたら、叔母は苦笑し従姉は睨んだ。
おまけ
その後、中間・期末試験の時は「合宿」と称して招かれる程お泊まりは習慣化した。
夏休みになると納戸と化していた2階の1室を片付けて私の寝室として用意してくれた。
従姉は地元の国公立に進学し、私は都内に進学した兄が出る所を引き継ぐ形で兄と同じ大学に進学した。
この度大学を卒業して地元に戻って就職します。
実家に戻る訳でもなく、部屋を借りる訳でもなく、従姉の家から通勤する事になります。
ええ、すでに名字は変わっていますが・・・なにか?