>>617 >18禁の区別がないと起こる問題
ソフ倫創設の契機となった京都中学生万引き事件は知ってると思うけど、
問題視されたのは2点。
・犯行者が中学生だったこと。
・内容が完全に違法(わいせつ)な表現だったこと。
事件発覚により、多方面から、激しい表現規制(というより禁止)の突き上げがあるとともに、
もちろん販売店の責任追及もあった。
そこで行政執行に危機感を持った業界が、
外部に対して免罪符的な機関として創設したのがソフ倫。
先の2点について、
・販売自主規制
・表現自主規制
を自らに課すことによって世間の目を逃れた。
つまり、この2点は密接不可分な関連性を持っているわけです。
文学だけでなく、映倫・ビデ倫etc、それぞれに倫理基準があるのは、
「違法か合法か」だけではなく、各ジャンルによって異なる世間の目を意識してのこと。
そして、なぜ世間の目を気にしなくてはならないのか、と言えば、
新たな行政上の規制の創設につながりかねないから。
立法あるいは法改正が困難なシステム上、
日本ではこの行政上の規制が多用されている、
そして、司法もそれを容認している、ということも注意したい。
ほかのメディアが良いならこちらも、というのは安直過ぎる。