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>>614 そう強がるなよ。
低脳しか言えない低脳さんw
馬羅(まら)
字は馬並(うまなみ)。
陳の対面側位将軍で陳歩の弟陳康の子。
ちなみに馬姓を名乗っているのは養子に出されたからである。
膂力は無いが知略に優れ、文官としての能力も高かった。
正上位大将軍陳華洲の右腕として北部戦線を支えた。
性痙の戦いにも援軍を率いて参戦し、勝利に貢献した。
陳が統一王朝となった翌年、華璃句美軍に追い詰められた陳華洲を救うべく敵陣に突撃。
陳華洲を救い出したが自身は無数の矢を受け死亡した。
三駆駄利 汗(みくだりかん)
西方の異民族子瀬希族(こせきぞく)の「汗」。
「汗」とは部隊長の意であるらしい。
李昆に雇われ、陳歩を根も葉もない噂で貶めたり、
御主の信頼を李昆一人に向けさせる工作を行い、
これはまだ推測の域を出ないが、
陳歩派の大物官吏が次々と急死した事件に関わったとされるなど
陳歩失脚の暗部に深く食い込んでいた人物。
陳歩が流刑になった後、一旦陳国内から姿を消したが、
統一王朝陳が確立された後に風呂氏に雇われ、
同じような工作をして風呂氏が専制を築く手助けをしたが、
年老いて耄碌したのか尻尾をつかまれ、霊座らの手で風呂氏ともども誅殺された。
務世(むせい)
天下の大賢人。
雲国の名宰相弁揮に推挙され雲項に会ったが、彼に
「君は天下の盲腸なり」と言われ、
「それはあっても無くても同じということですか?」と怒って問い詰めるも開き直られ、
怒りのあまり雲国と敵対していた陳国に仕官してしまった。
楊如(ようじょ)
甫幾(ほいく)省の人。
はじめ満国に仕えたが、若輩者と軽んじられ要職に就くことが出来なかった。
故郷の歩戊(ほぼ)という学者の下で勉学に励み、陳に仕える。
内政に秀で、砂漠地帯の沙芭(すなば)に山を作り川を引く大工事を行い成功させる。
この一大事業の功により陳の宰相となった。
清廉潔白な人物で陳歩を陥れようとする珍歩の謀略を見抜き、
逆に糾弾して珍歩を平民に落とした。
しかし増田・別所政策で失敗し※、発言力を失う。
後威零帝即位に際し隠居。後任に陳邦敬を推薦した。
朗らかで人間味に溢れた人情家で、
辺泰(へんたい)・辺疾娑(へんしつしゃ)親子など、崇拝者は多い。
余談だが、楊如の子孫である炉国の楊徐(ようじょ)と、
辺泰の子孫である姦国の魯理昆(ろ りこん)
が壮絶な争いを繰り広げる仇敵同士になるのは実に興味深い。
※彼は増田・別所政策で失敗したが、エローパ帝国の策謀家ペド・ロリーも認める程の名宰相である。
一説には嘘か真か「退歩(たいほ)の陣」まで会得していたという。