【百合】その花びらにくちづけを 14【ふぐり屋】

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438最後尾の名無しさん@3日目
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439最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:21:54 ID:qSfJAEX6
お前
440最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:22:30 ID:qSfJAEX6
らは
441最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:23:56 ID:qSfJAEX6
カス
442最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:24:29 ID:qSfJAEX6
(^^)
443最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:50:55 ID:5hQYxsfd
智江李望維(ちぇりぼうい)

蛮族っぽい名前だが、れっきとした陳国武将。
三系剣族らしいと『精子』には書かれている。
444最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:51:18 ID:5hQYxsfd
智漢(ちかん)

五度牡牝行の七本棒のひとり。
その名のとおり、計略に長けた知将。
鏡や棒、玉などの道具を使わせれば天下一品である。
445最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:51:39 ID:5hQYxsfd
竹眉の七賢(ちくびのしちけん)

竹眉の七賢とは、
竹林で酒をくみかわしながら性談を行なったと伝えられる七人の自由人の称。
候内舎生を筆頭に、大学者の巴解、哲学者の郭子呉、
知晃(ちこう)こと陳夏諏、慕柔(ぼにゅう)と慕われた柔望などがいた。

446最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:52:27 ID:5hQYxsfd
陳夏諏(ちんかしゅ)=知晃(ちこう)
陳歩と泡姫との隠し子。陳歩50にしての子である。
悪名高い泡姫だが、陳夏諏のあまりのひ弱さ、そして政治的悪臭の温床になると考え、
陳歩と協議した結果「知晃(ちこう)」と名を変えさせ、当時の大学者であった巴解に託した。
学者であり詩人でもあった巴解の影響を受け、世俗を離れ詩歌、そして親譲りの絵画といった文化面で活躍。
後に巴解と供に竹眉の七賢の一人に数えられる。
代表作があの『万功乙杯』(まんこうおつぱい)。

万功を得て旧都に帰するも寂寥
乙なる杯を傾け月に魅るも荒廃
万功も乙杯も 供に寂しからず
いずくんぞ甲(功)乙つけられんや


万の功を得て凱旋するのも寂寥を感じるし、いい酒を傾けて月を見るのも荒廃した体たらくだ。
しかし万功も乙杯も、そのものは寂しいものではない。どちらか選べと言われても甲乙つけがたい。
この詩詠んだとき、おそらく陳夏諏は自分の出生の秘密を知っていたのではないだろうか。
名将の子として生まれ、もしかしたら万功を立てる名将であったかもしれない自分と、
今風流に生きる自分の対比が、どうしても結びつかない。そんなもどかしい気持ちがこの詩に現れている。

彼はその後、田代による乙女淫道に触れたことをきっかけに士武堅らのおこした文化運動
「白ノ白ノ白・沈恥炉倫(パイノパイノパイ・チンチロリン)運動」に傾倒、
士武堅らの意志をつぐ形で詩論「阿淫(アイーン)」を表した。
主に音韻の配列等を考察した詩論で、現在もその文学価値は高い。
彼は陳国崩壊と同じ年に性病にかかり死亡。若死にだったという。
ちなみに、江炉漫画島の陳歩廟の鱒の絵の贋作の一つに、この陳夏諏が描いたとされる鱒がある。
父の絵に比べて弱弱しさがあるものの、偉大な父に少しでもへばり付こうとし
川の中に入り込んでなかなか出てこない謙虚な鱒の絵が、繊細なタッチで描かれている。
447最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 14:52:48 ID:5hQYxsfd
陳哥酢(ちんかす)

陳歩の祖父。
牌姉妹による、南方の派婦派婦国の反乱を鎮圧した将軍。
陳家の創始者とも言われる。

448最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 15:26:33 ID:qSfJAEX6
ぬははははは!
いくら消しても無駄無駄無駄ァ!
449最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 15:34:36 ID:qSfJAEX6
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450最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 15:36:20 ID:qSfJAEX6
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451最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 15:37:56 ID:qSfJAEX6
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452最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 16:23:24 ID:5hQYxsfd
陳華洲(ちんかす)

陳国の名将。陳鎮の子で階級は正上位大将軍。
騎上位大将軍陳間等と共に陳の厨華統一に貢献した。

北方からの侵略者、華璃句美国の普吐魔羅将軍と幾度もの激戦を繰り広げる。
しかし、普吐魔羅配下の騎馬部隊の機動力にはずいぶん手を焼いたようで、
騎馬部隊が出ると陣に引きこもり防戦一方になった。
それでも北方民族から領土を守り抜き、時の御主から「お主は北の守護神だな!」と激賞された。
陳が厨華を統一し陳帝国となった後も華璃句美国など北の異民族と対峙し続けた。
453最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 16:23:57 ID:5hQYxsfd
陳虎(ちんこ)

陳歩の三男。
次兄陳宝はもちろん、長兄陳邦敬をも越える才智の持ち主で、天才の誉れ高い神童であった。
そんな彼は長じてからは尿道炎、諸除易らと共に陳軍の作戦立案の中心を占めた。
しかし令布の戦いの作戦を巡り急進派の尿道炎、諸除易と対立。
その後幕僚内での彼の立場は日に日に小さくなり、国境守備隊長の弟陳陳のもとへ送られ、
陳歩失脚後押し寄せてきた雲・満残党・北方民族連合軍の猛攻を受けた際、
弟・陳陳を本国に逃がすための囮になり、敗れて連合軍の捕虜となった。
その後雲からの数度にわたる仕官要請を断り続け斬首された。
時の宰相諸除易は玉京陥落後に、
「彼が生きていればこのような屈辱を味わう事はなかった。
 些細な行き違いで彼を邪険にした私が浅はかだった」と後悔の言葉を吐いたいう。
それほどの才智の持ち主だったのだろう。

■摘出令(つんでれい)
陳虎の最終官職は摘出令(つんでれい)だったそうだ。
この官職に就くものは皆些細な行き違いで不幸な人生を歩む事が多い。
たとえば前魏の尹殷寵も十八の禁のおり摘出令に就いていたが、
帝に対する不敬罪を押し付けられて処断されている。
彼もまた、職務に忠実であろうとするあまり、
皇帝に対してツンツンした態度で接しており、平素より誤解される事が多かった。
彼の処断後、自宅から皇帝に対する思いをつづった告発文が大量に見つかった。
それは、告発しようにも出来なかった彼のいじらしさがにじむ名文で、
施閥帝は「もっと素直になればよかったのに」と嘆息したそうだ。
454最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 16:24:29 ID:5hQYxsfd
陳子(ちんこ)

陳歩の一人娘、双刀の使い手。
愛用の双刀「不蛇那利(ふたなり)」を振るい、男顔負けの武勇のを誇った。
「両刀姫(りょうとうき)」と呼ばれる。

■不蛇那利(ふたなり)
陳子愛用の双刀。
陰陽の思想に基づき、陽を現す「日の剣」と陰を現す「月の剣」は対になっている。
並みの男性ではもてあますほどの長く太かったといわれる。

455最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 16:24:49 ID:5hQYxsfd
陳康(ちんこう)

陳の臣で陳歩の弟。階級は汁骨勲(しるごっくん)。
兄とは違い凡庸な男ではあったが、堅実な仕事ぶりには定評があった。
兄陳歩失脚事件前後に病を患い隠居。その1年後に死亡した。
ちなみに馬羅は彼の三男である。
456最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 16:25:27 ID:5hQYxsfd
陳沈(ちんちん)

陳歩の父。字は乙規(おつき)。
前魏15代居怜帝(いれてい)の時代に、尚徐令府(しょうじょれいぷ)の位を買い中央政界に復帰した。
これは名族陳氏にとって久しぶりの中央復帰となった。
しかし袁如と対立し3年で岸安(ぎしあん)を追われ、玉京近郊の県尉に落とされてしまった。
地方豪族であった道卓と出会ったのもこのころである。
その後起こった曹賈の乱において道卓と義勇軍を旗揚げし、黄明党に立ち向かった。
その様子を見た後威零帝に認められ道卓とともに前座尉に任じられた。
だが7年後起こった岸安事件後のごたごたの中に巻き込まれ死亡した。

岸安事件直前に盟友道卓が袁如の策略に嵌り、殺されそうになったため故郷に逃げようとした際、
彼に「息子の陳歩と弟の陳鎮を頼む」と言い残している。
死期を悟っていたのだろうか…。

457最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:03:05 ID:qSfJAEX6
オラオラ出てこいよ>>>200
458最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:04:08 ID:qSfJAEX6
>>201に注意くらって泣いて尻込みでもしたか?
459最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:04:46 ID:qSfJAEX6
散々チキンチキン煽った威勢はどうしたwwwwwwww
460最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:05:38 ID:qSfJAEX6
チキンは>>200だったようだな
461最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:12:00 ID:qSfJAEX6
情けない奴らじゃのうw
462最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:51:55 ID:5hQYxsfd
陳鎮(ちんちん)

陳歩の従兄。
陳鎮はその武勇に慢る事なく全体の戦局を見通す能力は陳軍随一といわれた。
陳歩の初陣である盛漢討伐戦でも敵の策にはまって敗走する味方の殿軍を引き受け、
盛漢の弟盛観岱を逆に討ち取るなどの活躍を見せる。

攻城戦にも優れた力を発揮した。
陳軍の目の上のタンコブだった根同霧城を陳歩が攻めたとき、なかなか落とせないのを見て、
「城門をすべて押さえているからダメなのです。
 敵は逃げ道がなくなるから必死になって守ります。
 ここはわざと城門を1つ空けておき、そこから逃げてきた敵を殲滅しましょう。」
と進言し、難攻不落と言われた根同霧城を見事陥落させた。
三国志の劉備という武将も、黄巾族という反乱組織を攻めるときに、
陳鎮が使ったこの戦法を用いて勝利を収めたという。
忠侯と諡された曹仁という武将も、陳鎮を手本に戦ったと記されている。
後に陳歩は彼を「我が軍法の師。私は彼の足元にも及ばない」と称えた。
463最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:53:32 ID:5hQYxsfd
陳陳(ちんちん)

陳歩の五男。
性格は温厚で人に好かれた。また美男子として知られる。
父陳歩曰く「あ奴は虎や尿道炎のように派手さが無いから凡庸に見えるが、
あ奴の用兵には無駄が無い。それに兵が絶対の忠誠を誓っておる。
将器は私とて及ぶものではないだろう。」と言わしめた名将。
実際、陳歩の失脚以前は大国雲との国境を卒なく守り抜いていたところをみると父に劣らぬ名将といえる。
欠点は性格が優しすぎるが故に非情の決断ができないところにあり、
実際幼馴染であった配下の愚将法計を部隊長から外せなかった。
それが後に陳の最大の危機を招く。

陳歩失脚後、好機と見て勃った雲・満残党・北方民族連合軍の猛攻を受けた際、
後満君主満満の計略にかかり国境沿いの拠点処襄(しょじょう)を落とされた上に、
敬愛していた兄陳虎が彼を守るため囮となり捕虜になってしまった。
この敗北の原因は愚将法計とその部隊が足を引っ張ったためであり、
彼の美点であり欠点でもあった優しさが招いた大敗であった。
後に陳虎刑死の報を聞いた彼は、
「私が不甲斐無かったがために…おのれ満満貴様だけは!!」と言ったのち卒倒したという。


464最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:54:48 ID:5hQYxsfd
その後騎上位大将軍に復帰した父や玉京の宰相諸除易と合流し、対連合軍戦の最前線で戦い続けた。
この戦いにおける彼は以前とは人が変わったようで、怒りっぽくなり、
意にそぐわぬ部下はその場で斬り捨て、好んで残虐な戦いをするようになった。
特に満満率いる後満軍にはまったく情け容赦せず殲滅戦を挑んだ。
更に彼は満満の姿を見るとただでさえ怒っているのにさらに激昂し、
その怒りのオーラが高く立ち上り、後満軍に恐怖を与えた。
満満は「アレが『満見見珍勃勃』(まんまんみてちんちんおっき)の股事にあった現象なのか…?
私は恐ろしい奴を怒らせてしまった…」と恐れおののき、戦うのを避けたという。

陳がもとの広大な領土を回復した後官位を投げうって
再び江炉漫画島に流された父に付き従い、
そこで兄達や配流されてすぐ死んでしまった父の供養をしながら暮らし、54歳で亡くなった。
江炉漫画島での彼はかつての温厚で優しい性格になっていたという。
彼もまた乱世に翻弄された悲劇の人物といえよう。
465最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:55:52 ID:5hQYxsfd
陳歩(ちんぽorちんふ)

金玉帝19年、満性5年に生殖(せいしょく)省・辺児子(ぺにす)県で陳沈の息子として生を受ける。
(奉桂丹省・ほうけいたんしょうの出身との説もあるが陳歩自身は否定していた。
奉桂丹省は悪名高い陳黒斉・ちんこくさい、を輩出した事で有名である。
陳黒斉は倭から渡って来た倭人といわれているが定かではない。)

幼少の頃から名将道卓に支えられてすくすくと立派な偉丈夫に育った。
彼は幼い頃から支えてくれていた道卓を父とも慕っていたという。
雌伏の時は、院歩(いんぽ)と仮名を使い、只の道卓の従者して過ごす。
その為に満国の諸将から「道卓の従者は、天下無双のうつけもの。道卓も趣味が悪いのう。」
などと馬鹿にされたりもしたが、陳歩は別段意に介さなかったという。

そうして水面下で力を蓄えていた或る日、陳国より登用の使者がやってくる。
一度は断ったものの、使者は陳歩の元を幾度も訪れ、ついには陳の君主自らが仕官の依頼にやって来る程であった。
彼はその心に感じ入り、乱世に身を投じる決意を固め、桃尻で陳国の人々と酒を酌み交わす。
後にいう「珍顧(ちんこ)の礼」「桃尻(ももじり)の宴」である。

没記(ぼつき)村にて、「今こそ陳歩勃つ!」と言って立ちあがり、
陳の宿敵、満の軍相手に強気で臨んだ初陣であるが、敵の計に乗せられ大敗。
従弟の陳鎮に殿軍を任せて一命を取り止めたものの、名将道卓を失ってしまう。
陳歩は道卓の死を深く悲しみ、もう二度とこんな愚かしい戦いはしないと決意。泣いて自らの鍛錬に勤め、
その故事は今も『泣いて陳歩の皮を剥く』として伝えられている。

466最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 17:56:15 ID:5hQYxsfd
その後、陳歩は宮美麗の戦いや尿水川の決戦、膣内平定戦等に参戦。
特に「尿水川の決戦」は陳を併合し、満に対抗せんとする雲の軍勢10万を、陳の主軍が間に合わなかったが為に、
陳歩の先鋒隊2万のみで迎え撃つことを余儀なくされた。陳歩の最初の試練でもあった。
敵将は雲の新鋭の良将、良辱。
序盤は雲軍が陳軍を押しまくって、ついに山頂まで追い詰められ水源も断たれてしまった。
この時、陳歩は覚悟を決め、山頂から生きるか死ぬかの逆落としを決行。
後の無い陳軍の勢いに良辱軍はズタズタに分断され退却を開始する。
良辱は、追撃してきた陳歩を渡河の最中に急反転、総攻撃を仕掛けて破らんとしていたが、
陳歩軍のあまりの勢いに渡河中を狙ったにもかかわらず押し負け、全軍総崩れとなった。
その時のあまりの突撃の凄さは、亀が甲羅から頭を出すかのごとく『亀頭の勢い』とまで言われた。
この戦いの後、陳国は北方一帯の支配権を確立し、
陳歩は後背位大将軍に任命されるという異例の大出世を遂げることとなる。
467最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:30:43 ID:5hQYxsfd
こうして、一周りも二周りも成長した陳歩は後の怨敵、初陣に喜び勇んで現れた万黄を突撃で蹴散らし、
敵将程操を切り、万黄にも瀕死の重傷を与えた。
戦いが終わり、負傷して血を流していた万黄は「程操を奪われた、あの陳歩に!」と泣き叫んだといわれる。
また、人生最大のライバル斉苗とも巡り合う。幾度かの激しい戦いの末、結局決着の着かぬまま双方引き上げとなり、
互いに相手を強力なライバルとして認識したのであった。

斉苗との戦いの後、陳歩にとって眼の上のたんこぶである満軍の根同霧城を幾度も攻めるが、
その度に敗れ、「素股の計」等にも掛かってしまい、幾多の犠牲を出した。
それに苛つき、大兵を起こして揉み潰そうともするが、従弟の陳鎮に諌められ、
陳鎮の提案した策を用いてようやく根同霧城を陥落。
さらに、満火素率いる根同霧城奪還部隊をカントンの地にて殲滅。
膣壁の戦いにおいて、あくまでも根同霧城を奪還し、陰歩と満火素の仇を討たんと
大兵を擁して攻め寄せた満軍を雲軍と共に迎撃。
諸除易の進言で、満軍をあらかじめ性病持ちの娼婦を忍び込ませた売春街に誘導し、
性病を大発生させて戦う意欲を失わせ、
更に雲国の名将美出の策で、味方の将を宦官として敵の陣に潜入させ(苦肉棒の計)、
更に秘密裏に陳軍を満の本陣を取り囲むように配置(輪姦の計)、
そして、激しい嵐のとある晩、この日ばかりは安全日だろうと油断しきった満軍に奇襲を掛けて敗走させたのである。
この戦いは、性病にかかって碌に戦えなかった満軍が奇襲を受けたと知るや大急ぎで逃げ出したことや、
窒城(ちつじょう)の守備隊が守将の欄志の指揮の下、よく耐え、満軍に退却の時間を稼がせた事もあり、
あまり被害自体は大きくならなかったが、兵の悉くを繰り出したのに碌に戦うことも出来なかった満国の威信は地に落ち、以後、満の衰退が始まるのである。

468最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:44:28 ID:5hQYxsfd
根同霧城を制圧し、満の脅威がすっかり弱まったことで、陳は再び斉との対立を深める。
そして、陳歩は再び斉苗と合間見えることとなるのだが、その戦いは正に一進一退であった。
陳歩自身も郁々の戦いにおいて斉苗配下の軍師兪備曼の「二穴攻めの計」に掛けられ、多くの兵を失い、
思わず「我、未だ彼に敵わず。」と、長嘆を漏らしたことすらあった(郁々の嘆)。
ところが、斉苗の一族は戦いのさなか病にかかり、あっけなく死んでしまう。
その知らせを聞いた陳歩は、まるで身内の死の様に嘆き悲しんだと伝えられている。
激しい戦いの中で、二人の間にはある種友情のような物が芽生えていたのかもしれない。
あるいは、大いなる目標を失ったことに対する嘆きとでも云うべきか。

しかし、時代の流れは陳歩の悲しみに構ってはくれない。
満攻めの戦いで、かつての同僚陰歩と戦い、立つ事も叶わないままの敗走を幾度も経験し、
陰歩の軍師、出伊の寝返りによって敵の弱点を知り、
出伊の提案した「倍亜具等の計」を用い陰歩を破るが、
陰歩の最後の突撃の時の表情が忘れられず、いざという時萎えに苦しむ事になる。
陳国の諺にある『勃たぬ陰歩、勃てる陳歩を萎えさせる』の元となった出来事である。

また、この戦いの後、陰歩の援軍として送られてきた嶺頭軍と羊水川で戦うが、
その際に四十八手の秘技や夜戦の極意など、多くの武芸、軍略を陳歩に授けた先代よりの忠臣の一人、
陳歩の懐刀とまで呼ばれた背貢須を羊水川で嶺頭に負傷させられる。
立てなくなった背貢須は、絶望して自らの命を絶ってしまう。これにより陳歩は深い心の傷を負うこととなる。
こうした数々の悲劇に見舞われ、酷い萎えに苦しんだ陳歩は、それを友人の宦官許昆に相談したが、
蔭で二人の会話を盗み聞きしていた宦官の李昆にこの際の発言が利用され、後に失脚することとなってしまう。

469最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:45:00 ID:5hQYxsfd
兎も角も、満国の防衛線の一角、満谷(まんこく)関を落とした陳歩は、
満に侵攻する足がかりとして、田代の乙女淫道の土地に足を踏み入れる。
ここを落とされると満が危険に晒されると判断した満は、援軍として万黄率いる満の主軍を派遣。
みこすり半にて対峙した万黄は、かつては陳歩にあっけなく破れたが、
今では幾多の戦いを生き残った歴戦の将として、陳歩の前に立ちはだかったのである。
このみこすり半の戦いで、菊門の計により、先鋒の将にして、旗揚げ以来の臣、邦刑を失う。
自身も危うく淫水の魚の餌となりかけたが、中軍の薫仁に助けられ窮地を脱し、
瀬宮州(せくす)まで引いて陣容を整え、万黄を迎撃。
万黄の旗本四十八騎の一人、驛卞と壮絶な一騎討ちを行い、薫仁の先制攻撃の機会を作り、
驛卞が引いて後は薫仁との息のあった連携攻撃によって満軍を打ち破った。
この戦いで、満はその兵力と領土の半分を失い、陳歩はその大功を称えられて騎上位大将軍の位を授けられた。
この瀬宮州の戦いは、陳歩の人生最大の見せ場とも言われ、
特に驛卞との一騎討ちは人気も高く、高校の教科書にも載っているほどである。

瀬宮州を落とされ、主軍を失った満に止めを刺すべく、陳歩は満北部最強の要害、監禁城に軍を進めた。
陳歩は、満の主力を殲滅して意気盛んな陳軍をもって、一気に攻め落とさんと挑んだが、
拉致(らち)関、手歩呑(てぽどん)関、野呑(のどん)関、などの要害に阻まれる。
守将の金家の采配もあり、13回も敗れて多くの兵を捕虜に取られ、監禁されてしまった。
陳歩は悔やんだがどうにもならず、金玉日(金正日とも)の生きている間は、満北部に手を出すことが出来なかったという。

しかし、やがて金家は跡継ぎ問題で内紛を起こす。
それに目をつけた陳歩は、すぐに名将失湖に大軍を与え、監禁城を急襲させる。
お家騒動による混乱と人心掌握のできてない情勢、能力の無い大将、
失湖の驚くべき行軍速度とその配下の精鋭、黄尿隊・赤尿隊・糖尿隊の活躍により、
ついに天下の名城と云われ、恐れられた監禁城を攻め落とした。

470最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:46:21 ID:5hQYxsfd
監禁城を落とされ、北の大地に足を踏み入れられた満には最早抵抗する力は無かった。
乞遁の戦い、令布の戦い、啓桔の戦いと尿道炎の策を用いて次々に勝利し、
否任、満胡襲、諸除幕を次々に討ち取り、狼佗亜、近衛幕団を殲滅。
豪関(ごうかん)を陥落させ満の重要な都市の満光(まんこう)まで迫り、
満の惰弱な君主満益を脅して万黄を切らせることに成功する。
これら一連の戦いは、尿道炎や諸除易らの策を用いて大した被害を受けずに勝利してきたが、
陳歩自身はあまり楽しまず、暗愚な主君に切られた万黄を哀れみ、丁重に葬って、
「出来れば満の諸将とは正々堂々と戦いたかった」と語っている。
のちに満は陳の属国のような形になり、無理難題を押し付けられ、数年後それを断ったところ、陳に攻められ、
満光に立て篭もったものの、あっけなく攻め滅ぼされてしまった。

その後南蛮夷平定戦では、敵陣をすばやく包囲し消耗させる不江羅血王、伊魔羅血王の「吸引の計」に対抗すべく、
蘇鎮に離反を約させ、周囲に伏兵を配し、敵が沙亜と言う場所まで進軍してくると、
蘇鎮軍と伏兵に岩を投げさせ(岩射・がんしゃ)、敵を一気に打ち破った。有名な「沙亜面埋伏の計」である。

また、陳歩に共同での大陸制覇を申し込み、断られた途端に大軍を送り込んできた遥か西方の大帝国、
エローッパ帝国の軍勢も通封仕益田の要害にて撃退。敵の将軍も生け捕った。
471最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:46:44 ID:5hQYxsfd
屋追族を南征して討ち、満腔鎮も幾多の戦いの末、倭国の援軍などと共に攻め立て、奥地へと追いやる(後、陳歩の死後獲得した領土は殆ど奪還され、以降6代およそ100年間陳家を悩ませ続けた。)等、戦う戦悉く勝ち、
陳歩の行く所平伏さぬ者無く、その名声は遠く西方の国々までも轟いていたという。

しかし、やがて異民族の三駆駄利 汗の援助をうけた宦官李昆の讒言により失脚。
69歳のときには江炉漫画島に流されてしまう。
やがて、彼の失脚を知った雲国や満の残党は、陳を猛攻撃。
陳歩の息子陳陳もよく戦うが、部下に足をとられ続けて結局、首都玉京(たまきん)の占領を許してしまう。
斉濃(せいのう)に遷都し、立て篭もり、
斉濃の密林と摩羅山の要害のお蔭で辛うじて敵を支えていると言う状況に陥ってしまう。
事此処に至って、陳は陳歩の召還を決意。
陳歩は無実の罪によって遠ざけられたとはいえ、陳の危機を見るに堪えず、崩壊寸前の陳軍を率いて奮戦する。

敵を国境線まで押し返し、首都玉京も奪還。晴れて陳の重臣として返り咲いた陳歩であったが、
すぐに李昆の讒言により再び江炉漫画島に流されてしまい、失意のままに死去する。
陳歩、享年72歳であった。



472最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:57:15 ID:qSfJAEX6
あああああああああああああああ
オシッコが漏れるうううううううううううううううう
473最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:57:53 ID:qSfJAEX6
自販機のジュース取り出すところにしちゃお
474最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:58:39 ID:qSfJAEX6
あ、ああああ〜ん(はぁと
475最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 18:59:09 ID:qSfJAEX6
超気持ち良い〜ん
476最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 19:01:11 ID:qSfJAEX6






477最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:05:29 ID:qSfJAEX6







478最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:06:37 ID:qSfJAEX6
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479最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:08:03 ID:qSfJAEX6
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480最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:08:53 ID:qSfJAEX6
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481最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:09:43 ID:qSfJAEX6
ホモうんこ君来ねーな。

あの役立たずが
482最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:51:54 ID:qSfJAEX6
ちんこ痒い
483最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:58:19 ID:qSfJAEX6
腐ったスレ
484最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:58:59 ID:qSfJAEX6
sage
485最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 20:59:30 ID:qSfJAEX6
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486最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 21:00:53 ID:qSfJAEX6
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487最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 21:22:08 ID:qSfJAEX6
>>200「・・・(なんで俺が注意されなきゃいけないんだ・・・)。」
488最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 21:25:52 ID:qSfJAEX6
>>200「・・・(俺は悪い事してないのに、ただ荒らしを叩いただけなのに!)」
489最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 21:27:11 ID:qSfJAEX6
>>200「・・・鬱だ死のう」
490最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 21:27:57 ID:qSfJAEX6



491最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 21:49:44 ID:qSfJAEX6
ってのを考えたんだ
492最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 22:55:11 ID:qSfJAEX6
新作どうしたふぐり屋さん
493最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 22:57:16 ID:qSfJAEX6
つくづくやる気のねえサークルだなぁw
494最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 22:57:47 ID:qSfJAEX6
このスレ荒らしてると気持ちが良くなるなぁwwwwwwww
495最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 22:59:49 ID:qSfJAEX6
やはりプロデューサーが屑なんだろうな

こなゆきなんて駄作を輩出するくらいだもん
496最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/10(金) 23:01:51 ID:qSfJAEX6
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
ふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ねふぐソ屋死ね
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497最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 00:17:22 ID:o++A/Q6i
腑抜け屋
498最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 00:17:54 ID:o++A/Q6i
ふぐソ屋
499最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 00:19:00 ID:o++A/Q6i
腐ぐり屋
500最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 00:19:41 ID:o++A/Q6i
オラオラ荒らしが500GETだぜ!!wwwwwwww
501最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 00:52:14 ID:o++A/Q6i
糞スレage
502最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 00:59:13 ID:o++A/Q6i
うんこ
503最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 02:00:32 ID:o++A/Q6i
まんこ
504最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 02:01:24 ID:o++A/Q6i
ちんこ
505最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 02:03:13 ID:o++A/Q6i
くっそう!
女のまんこがくっせえ!
いくら舐めても匂いが消えねえ!
どうなってやがんだゴルァ!
506最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 02:04:07 ID:o++A/Q6i
まんこにうんこ詰めるプレイ思いついたw
507最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 02:04:37 ID:o++A/Q6i
臭いものが余計に臭くなるね
508最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:02:35 ID:o++A/Q6i
509最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:10:24 ID:o++A/Q6i
510最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:11:08 ID:o++A/Q6i
511最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:12:04 ID:o++A/Q6i
512最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:12:38 ID:o++A/Q6i




513>>471の続き:2010/09/11(土) 03:57:55 ID:ctq9PSXm
彼は、候内舎生に『坐面知るは苦し(ざめんしるはにがし)』の詩を出すなど禅の教養もあった。
また、若くして書画に精通し、鱒(マス)の絵を特に好んで描いていたという。雅号は極太。
陳歩の鱒画の最古の作としては、陳歩9歳の時のものがある(但し真贋論争中)。
いつも暇さえあれば鱒の絵を描いていたらしく、絵画史では古代写生画の代表的人物であり、
かなりの教養人だったという。吉川英恥著『陳国志』の冒頭にもその様子が活き活きと描かれている。

摩羅山を深く信仰し、高僧だったとも言われる。
また、基本的に温厚な、色の浅黒く小柄な人物ではあったが、戦場ではその気迫により、何倍も大きく見えたと言う。

名将として名高く、鬼謀百出の策士尿道炎、水魚の交わりの許昆に、戦史に精通した関巻(節姦とも)、
能吏の高願らや、務世、出伊らの賢人、万夫不当の豪傑陳宝、絶麟や、
知勇兼備の陳鎮、薫仁、邦刑、馬羅と数多の将を使いこなしたが、
正翼という猛将だけは思い通りにならず、『正翼を持て余す』との言葉を漏らしている。

ファッションについては、姿を隠すために頭まで布を被っていたとか、
口元まで服を上げ「一歩先の男」を演出した等の話が残されている。

514最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:58:46 ID:ctq9PSXm
戦法は、若き時代は陣の硬さを武器に敵陣にねじ込む「男根の陣」を得意とし、
老いて後は南蛮夷平定戦に代表される技巧的な戦い方を得意とした。
いずれにしても、敵の弱点を発見し、何回もそこを攻める事によって敵を葬ったという。
さらに、四十八手の秘技という計略を巧みに使ったといわれる。その凄まじい戦いぶりに、
満の領地だった地域では今でも子供が泣くのを止めるのに『陳歩が来るよ』(歩来来)と言う。

陳歩が日本に与えた影響も少なくない。
陳歩自身も倭国(日本、輪国とも)の時の女王於女子(おめこ、汚弥呼や卑目子とも)と幾度か使者を遣り取りし、
於女子の屋敷の裏の可愛らしい栗鼠の住む栗の木を話を聞き、
一目見たいと自身も多数の贈り物と共に倭に渡り、於女子の屋敷を訪ねたという(倭貢)。
また、幾度か倭国から援軍が来たこともあるようだ。
ちなみに、日本では男性生殖器のことを幼児語で「チンポ」と呼ぶが、
これは陳歩将軍が愛用していた媒武(ばいぶ)と呼ばれる槍に由来する。
また、戦国時代に加賀で起きた淫行一揆では陳歩が淫乱寺にあって説いた教え、
「イケば天国、イケねば地獄」を一揆軍が唱え、加賀一国を制したという。
知名な戦国武将達も少なからずや陳歩の影響を受けていたに違いない。

515最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:59:31 ID:ctq9PSXm
なお、泡姫とは不義の仲で、子まで設けていた。
更に、側室を多く持ち、倭人の側室於義の方に出会い「彼女に出会ってから人生が変わった」と語っていたという。
また、『陳古記』には両性具有の子を身辺に侍らせていたとの記述があり、
近年、そのミイラらしき物が玉京市内で見つかっている。
性に関してはかなり奔放で好色な人物であったようだ。
いやはや陳歩のような英雄でも、男の性からは逃れられないようである。

江炉漫画島の陳歩廟は観光地として人気が高く、日本からの旅行客も多い。
陳歩直筆の鱒の書画が展示されていたり、珍味「烏賊草」(いかくさ)や、その缶詰「青缶」(あおかん。青色の缶に入っているので、青缶と呼ばれる)や、鱒の絵葉書など色々な土産物を売る店も多い。
516最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 03:59:52 ID:ctq9PSXm
■媒武(ばいぶ)
陳歩愛用の武器。
ぐりぐりえぐる様にして突く槍で満国の将兵を多く討ちとり、
悲鳴をあげて息絶える者が続出したことから、満国に仇なす武器として恐れられたという。

■三節屈手刀(さんせつくっしゅとう)
陳歩の精鋭部隊が使っていたという武器。
三節屈手刀(さんせつくっしゅとう・節屈手刀=せっくしゅとうの表記が一般的)。
鉄器が貴重な時代に切れ味抜群だったとか。
517最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/11(土) 04:00:12 ID:ctq9PSXm
■逝観帯(せいかんたい)
厨華大陸南方の地理的な自然現象のひとつである。特に女岱(にょたい)に多く見られる。
これは地面に刺激を与えると甲高い音があたりに鳴り響くものであり、音は刺激を与えれば与えるほど大きくなる。
音が鳴る原理は刺激を与えられた地面の下にある特殊な岩盤が音を発生させるものであるが、
昔の人は女神が住んでいるとして祭っていた。現在では観光名所ともなっている。
古くはかの陳歩将軍が南方征伐のさいに、この音を使って敵を撹乱し誘き寄せた後に一気に包囲殲滅した。
このため異民族たちは陳歩将軍に心服し、「セイカンタイを使うのが上手い」
と声を上げて賞賛したという逸話まで残っているほどである。
これは流石に作られた逸話だろうが、「逝観帯を制すものが女岱を制す」ことには間違いが無い。