↑非国民乙
うふ〜ん
ここの住人は非国民
うふ〜ん
その花スレに良識無し
至言である。
カススレ
age
sage
名将の采配オモンネ
うふ〜ん
うんこしてきた
アナルが痛えwwwwwwwwwwwwwwww
wの数だけケツ毛が生えてる
うふ〜ん
うふ〜ん
うふ〜ん
うふ〜ん
(^ω^)
うふ〜ん
お好み焼きってゲロ焼いてるみたいですよね
お
前
ら
うふ〜ん
うふ〜ん
お前らはゲイ
チ
ン
カ
ス
吉狗(きちく)
屋追族出身の将。
拘束の計や脅迫の計などの姦計を得意とした。
翻能派。周靼令布の戦いに参戦。
鬼董(きとう)
陳歩が指揮する合戦では常に先鋒を志願した斬り込み隊長。
愛用の武器は名槍で知られる聖死(せいし)。
「生が一番!」が信条で、鎧兜を着けず生身の体で戦場で疾駆する。
その勇姿を見た敵将の英図(えいず)も、「その豪胆並ぶ者なし。」と舌を巻いたという。
彼の武功で最も華々しいのは窒(ちつ)城の戦い。
単身で窒城の奥まで攻め込み、窒城兵を突き殺し捲った。
そして、城の守将欄志(らんし)との一騎打ち。
お互いに死力を尽くした勝負は、鬼董の名槍聖死が欄志の下腹部を捕らえ勝負あり。
しかし、鬼董は重傷を負った欄志に止めを刺さず、逆に、十月十日手厚く看護した。
同僚の一人がその訳を聞くと、「聖死が選んだ。それだけだ。」と答えたという。
話を聞いた陳歩は鬼董の武勇と度量の大きさに感服し、鬼董に根同霧城を与えた。
なお現代で言われている、「十月十日(とつきとおか)」は、
この鬼董の人に対する情け、労りが生んだ言葉である。
■根同霧城(こんどうむ じょう)
陳歩が鬼董(きとう)に与えたとされる根同霧城は、
巨大な亀の頭の形をした楼閣を、ドーム状の城壁ですっぽり包んだ難攻不落の城。
ドームの先端部分には、籠城戦に備えて、雨水を溜めておく、通称「液溜まり」があった。
この様式は、のちにクンニ派スケベイスラーム帝国を経て、東エローパ帝国に伝播した。
今日、我々が使う「ドーム」という言葉は、この根同霧城から派生した言葉である
許昆(きょこん)
陳国の宦官。陳歩の友人。
廃班置漢や九根官人法などを施行した。
許勢(きょせい)
陳国の宦官。許昆の一族。
生まれつき睾丸が無く、宦官として一生涯を終える。
許盛(きょせい)
道卓の部下。
二曾(にぴぃ)の戦いでは、敵の「八穴同攻の陣」を看破した。
入覇普とは『刎陳の交わり』の仲。
金蛇精(きんじゃせい)
陳国の軍医。
名前が似ているのでよく勘違いされるが、満の北朝太守の金一族とは無関係である。
陳軍の強さを語るとき連戦にも耐えうる持久力がまず第一に挙げられるが、
それを陰で支えたのがこの男である。
連戦の疲労から立てなくなった兵士も彼の処方した、赤マムシ末、赤カシュウ末、イカリ草
などを配合した薬を飲むとたちまち元気に立ち上がったといわれる。
尚、彼の薬の製法は現在でも伝わっており、全国の薬局で購入可能である。
薫仁(くんにorくんじん)
字は輪具(りんぐ)。陳国の名将。
精一杯武功を立てるも、陳歩になかなか追いつくことが出来ず、やがて彼を憎む事となる。
しかし、陳歩の人柄の素晴らしさに触れるにつれ考えを改め、
彼に敬服し『飲頚の交わり』を結んだ。
みこすり半の戦いでは、先陣の邦刑が菊門の誘引にはまって包囲殲滅された際、
中軍にいた薫仁は引っかからずに済み、その後の見事に撤退戦を戦いきった。
もしも、この時総崩れし、渡河する時間が稼げなかったとしたら、
陳歩も淫水の流れに呑まれ、後世の歴史も変わっていたかもしれない。
瀬宮州の戦いでは敵将万黄に対し、突撃を得意とする陳歩が戦いやすいように先制攻撃を仕掛け、
連続突撃により陳歩軍が疲弊すると代わりに万黄と戦う事と言う共同作戦で見事勝利を収めた。
なお、名前の読み方には「くんじん」と「くんに」の二つの説がある。