【百合】その花びらにくちづけを 14【ふぐり屋】

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312最後尾の名無しさん@3日目
馬魏納(う゛ぁぎな)

『陳記』には、やや後期の陳歩軍の名簿に初めて名が出てくるため古参の将ではないと伺える。
しかし『陳記』に初めて名がでた時には伍長クラスの兵であったが、
わずか5年後には朕性将軍に出世している異例の奇才児だったと伝わる。
さらに独自の兵法の書を作成し後年日本に伝わり、戦国時代では太原雪斎、上杉謙信、
徳川家康、織田信長、毛利元就、島津義弘などが愛読していたという。
書には「朕朕勇み立っては萬満逃すものなり」など大変ためになることが書かれている。


313最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 21:16:05 ID:kk3ur4MP
木直草(うえくさ)

当代随一の学者でありながら、
手にした鏡を用いた妖術で人心を惑わしたとして陳国から追放された。
その後乙女淫道に入信する。

314最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 21:16:27 ID:kk3ur4MP
阿王漢(おおうかん)

五度牡牝行の七本棒のひとり。
教主絶麟をして、「平野では阿王漢にかなうものなし」と賞賛された野戦の名人。

315最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 21:16:55 ID:kk3ur4MP
於義の方(おぎのかた)

陳歩の妾の一人。倭国出身。
陳歩曰く「彼女に出会ってから人生が変わった」
316最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 21:17:43 ID:kk3ur4MP
快漢(かいかん)

五度牡牝行の七本棒のひとり。
本名は加唐、その迅速な動きは敵をして「鷹」と恐れられた。

317最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 22:13:45 ID:kk3ur4MP
賈于覇(かうぱ)

陳国の将。南蛮夷平定戦に先陣として参加。
始め斉苗の嫡子斉司に仕え常に先鋒を務める。
斉司の死後野に下っていたがその忠義を惜しんだ陳歩は自ら賈于覇の元を訪れ仕官を勧めた。
斉司への忠誠心から仕官を固辞していた賈于覇だったが、
陳歩の(器の)大きさに感じ入り、以後陳歩の幕下に加わり数多くの戦で先陣を務める。

南蛮夷平定戦では、不江羅血王、伊魔羅血王の「吸引の計」による猛攻を受け壊滅寸前の軍を
よく支え、陳歩の「沙亜面埋伏の計」による反撃の好機を演出する。
途中彼は南蛮の猛攻の前に何度も逝かされそうになるが、
その度剣に付いた玉飾りを引っ張り気合を入れ奮戦した。
戦いの後、賈于覇はおびただしい量の汗を掻いており、その姿を見た陳歩は、
「よく南蛮の猛攻を耐え抜いた、賈于覇の汗こそ我慢の証、まさに我慢汁よ!」
と褒め称えたといわれる。
318最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 22:14:07 ID:kk3ur4MP
顔謝(がんしゃ)

陳国末期の名将にして執政官。
陳国正上尉の謝盛(しゃせい)の配下。
『艶義』ではよく副官のような立場で登場する。

瀬宮州の戦い以後に参陣。
主に殿軍をよく任され、監禁城以後の主要な戦いの戦後処理を任される。
もっとも、ほぼ空白地となった地域にダメ押しのように
政役(せいえき)を顔役に押し付けただけ、という見方も出来る。
彼の行為は陳国末期のおごりとも思えるが、
やはり陳国としては顔謝のような役目を持った人物が必要だったのだろう。

後陳王朝に上演された歴史劇・英武威(えいぶい・舞台監督:我奈利)のラストは、
元満国の地域に彼が来、おごり高ぶった態度で村の顔役に政役を押し付けるシーンで終わり、
その後の陳国滅亡をぼんやりと暗示する。
曰く、『本蛮、顔射によりて終わり、後に残るは余韻と後悔とあたり一面の白バラのみ』。

319最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 22:14:35 ID:kk3ur4MP
関遁(かんとん)

字は蓬瓊(ほうけい)。
邦刑夏成の親戚で陳国北東部雄南(おなん)の太守。
満との最終決戦、満光(まんこう)城塞攻防戦では本国に召還された陳歩の代わりに
総大将を務めるなど、軍才は上々で、人望もあったようだ。
その後、連合軍による大反攻作戦の際に雄南城と運命を共にした。

■性溜蜜月刀(せいりゅうみつげつとう)
関遁が愛用した重さ十八斤の大刀。
二十斤、二十一斤ともいわれる。
見た目の巨大さに比べ、意外と軽い。

320最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 22:15:13 ID:kk3ur4MP
魏焔(ぎえん)

字は文鳥。陳の対面側位将軍。睾虫とは汗玄時代の同僚。
元から能無しの汗玄に愛想を尽かしていたが、女に現を抜かし、政治を省みぬ汗玄についに怒り、
斬殺してしまった(これが「美人局の計」)。その後睾虫と共に陳に下った。
将器ならばかなりのものがあったが、主君を裏切り陳に下ったことから尿道炎や諸除易ら文官の信頼は薄く、
ことあるごとに「奴は左曲がりの相を持っております。今斬り捨てねば国家存亡の危機になりかねませぬぞ」
と言われていたが軍権の最高責任者である陳歩は取り合わなかった。
また御主や他の武官からの信頼も厚い将だった。彼もまたその信頼に応え派手さは無いものの確実に戦果を挙げた。
が、陳歩更迭後攻め寄せてきた連合軍と陳陳・陳虎らと共に戦うが惨敗し
陳虎と防衛の要所である処襄を失う。その敗戦の責任を一人で背負わされ殺された。
陳陳ら武官は必死に彼の助命を乞うたが、彼の"天敵"宰相諸除易や
敗戦続きで気が動転しきっていた御主には聞き入れられなかった。こうして忠臣が一人無駄に死んだのであった。

321最後尾の名無しさん@3日目:2010/09/07(火) 22:15:33 ID:kk3ur4MP
魏爾(ぎじ)

陳国の文官。
エーロッパの名門校、ペパーダイン大学で性治を学んだ天才として重用される。
彼は巧みなテクニックで一度も戦役に出ることなく、出世街道を歩んだ。
しかし、エロ−ッパ軍襲来時に捕虜の証言などから、
ペパーダイン大学など存在しない事が露見すると偽計の罪で斬首に処せられた。
まさに彼の成功は全部偽りのものだった、と言えよう。