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于甫甫(うほほ)
于甫の子、後満の相国。後満の事実上の建国者。
主君の満満とは非常に強い絆で結ばれていた。
そのため同性愛者疑惑まで浮上するほどだったという。
衛厨(えいず)
斉の将。「斉苗五本槍(後に四天王)」の一人。八十斤の大斧を小枝のように振り回す猛将。
荷洋族の戦士倉観路吾に討たれた。
韓燕(かんえん)
斉の将。「斉苗五本槍(後に四天王)」の一人で、二槍の使い手。
荷洋族の戦士経瑠辺洲に討たれた。
倉観路吾(くらみじあ)
斉・後満の将。得物は十一尺以上ある長槍。
北方の荷洋族の戦士だったが斉苗の人柄に惚れ親友経瑠辺洲(へるぺす)とともに帰順。
輪鋲・梅読・経瑠辺洲らと「斉苗四天王」と呼ばれ恐れられた。
斉苗の死後は公子斉天桓の腹心となり後満の将として活躍した。
満満の死の前年に荷洋族に討たれ戦死した。
佐々木 紺次郎武(ささき こんじろうむ)
倭国出身の剣豪。
剣の道を志し、己を鍛えんがため戦乱の続く厨国へと渡り、斉苗の武勇に惚れ込み配下となる。
三尺余りの長刀「モノ欲しい竿(ものほしいざお)」を自由自在に操り、
落ちてくる栗を相手に編み出した秘剣「万栗返し(まんぐりがえし)」を繰り出す。
斉奕(せいえき)
斉苗の次男。
斉国の文武両道の将で斉苗に劣らぬ将器の持ち主。
対満、陳戦などにおいて兪備曼らと共に作戦立案にあたり、
的確な策で斉の勝利に貢献した。
彼も父と同じく郁々の戦いにおいて性病で死ぬ。
斉昂(せいこう)
斉苗の三男。
斉苗に劣らぬ武勇を誇る猛将。
対満、陳戦など全ての戦いで先鋒を務め、数多の首を取った。
彼もやはり郁々の戦いにおいて性病で死ぬ。
斉嵯(せいさ)
斉天桓の子とされているが実際は養子という説もある。
後満最後の宰相として奮闘したが、
後満4代(満の6代)皇帝満志尾(まんしお)が暴君だったせいもあり、
思うに任せず、結局祖国を陳の魔の手から救えなかった。
陳による病巣占領後自刎して果てた。
斉司(せいし)
斉苗の嫡子。
人海戦術を得意としたが、烏合の衆を金で操ったようなもので、
戦争が終わると軍が全滅状態になってしまっていたという。
実は兄弟一の愚将かもしれない。
彼も郁々の戦いにおいて斉家の祟りか、性病で死んでいる。
斉天桓(せいてんかん)
斉の公子。
一族の病死により王位継承権を得たが、于甫甫の説得により満満に降る。
主に北方守備を担当し、靺腸族や荷洋族に睨みを利かせていた。
殷陶による恐怖政治が起こると、国難に憂いた于甫甫は斉天桓の下に走り助力を求めた。
斉天桓は一計を案じ、自ら女装して殷陶の宴の席に潜入し、彼を討つことに成功する。
その後、満満の長子・満耳流(まんじる)を立て、後満の前座位将軍に任命された。
女性説や宦官説、国のために泣いて一物を切った義侠説など、その素性は謎が多い。
人材不足の斉末期・後満時代において、于甫甫と並ぶ大黒柱である。
斉苗(せいびょう)
字は菅栴(かんせん)。陳歩生涯の宿敵。
「人中に斉苗あり、馬中に赤痢あり」と賞された剛将。愛馬は赤痢馬(せきりば)。
野心高き男で、若くして大兵を擁し、武勇に優れ、前魏を実質的に崩壊させた男である。
やがて、天下統一を目指して動き出した斉苗、
向かう所敵無しであり、大陸の覇者となる日も近いと噂されていたが、
陳を攻めた時に、生涯の宿敵・陳歩と出会う事になった。
その当時の陳歩は、初陣で道卓を失ってから一度も負けたことが無く、脂の乗り切っていた時期である。
そんな陳歩との初戦で、斉軍の中を無人の野を征くが如く縦横無尽に暴れまわる彼を見た斉苗は、
おもわず側近の于甫に「于甫、いい漢だなぁ」と漏らし、
戦時中にも関わらず陳歩の陣に名産の耶羅那烏賊を送らせたという。
それを受け取った陳歩もまた、斉苗の度量の大きさを感じ、お互いを認め合う仲となる。
この戦いは、お互い兵站の問題や、満の圧力によって戦いを続けられなくなり、引き分けに終った。
陳と一時停戦した斉苗は、他の土地に勢力を伸ばそうとし、
王南三兄弟等の豪傑と戦い、その力を更に伸ばしていく。
やがて、満は陳歩の前に大敗を喫し、満の圧力は弱まった。
しかし、斉にとっては、今や満よりも満を大敗させ、
一躍勢力を拡大した陳の方が脅威となり始めていたのである。
斉苗は、陳へ兵を派し、再び陳歩と合間見えることとなった。
陳と斉の総力がぶつかり合った戦いは、勝ったり負けたりの一進一退で、
策を用いて陳歩を討ち死に寸前まで追い詰めた事もあり、
大いに嘆かせた事もある。(郁々(イクイク)の嘆)。
しかし、斉苗は天命に恵まれなかった。
やがて陣中にて性病にかかり、若くしてその命を落とす。
陳歩はその死を聞いた時、身内の死の様に嘆き悲しんだと言われている。
しかし、袁如と影で手を結んでたという黒い噂もある。
当時、袁如の国で流行ってた性病に斉苗はかかっており、
その性病は斉苗の国では流行ってなかったらしい。
また、これは斉苗の武勇を恐れた袁如の策では無かったのかという説もある。
何にしろ、袁如と関わってしまったことが、
彼の死を早めたと言うことだけは疑いようの無い事実であろう。
追記:斉苗は真性のブス専だったらしく、腐美人という屋追族出身の正室がいた。
■赤痢馬(せきりば)
斉苗の愛馬。
一日に千里を駆けるといわれ、その速さは赤痢菌に侵された腹の如し。
しかし、斉苗が病で没すると後を追うように死んだという。
その死因は赤痢であった。
■汗尻馬(かんけつば)
性域地方産の馬で、痔を垂れ流してでも走り続けるとされる名馬の種。
通説では赤痢馬も汗尻馬の一種と目されている。
■耶羅那烏賊(やらないか)
斉苗出身地の名産品といわれている。
梅読(ばいどく)
斉苗配下の将。
「斉苗五本槍(後に四天王)」のひとり。得物は片方で五十斤ある双戟。
第二次鎮江攻防戦で兵糧庫を守るが油断して酒宴をしていたところを
満軍に急襲され兵糧庫を奪われ敗戦の原因をつくる。
満軍の捕虜となり鼻を削がれた後斉苗のもとに送り返されるが、敗戦の責を問われ処刑される。
腐美人(ふびじん)
斉苗の正室。屋追族の人、厨国三大醜女の一人。
たいへん醜い容姿だったが、ブス専であった斉苗に気に入られ正室となった。
虚言癖があり、「後威零帝に犯された」と出鱈目を斉苗に吹き込み岸安事件を引き起こさせた。
(この虚言癖についてだが何故か史書・小説によって記述が異なり、
『下通鑑』『艶義』などでは袁如一人が原因とされているが
ここでは虚言癖説を採る『精子』に準拠した記述なのでご了承いただきたい。)
死後、不美人草になったという伝説がある。
狂劇や『艶義』では悲劇のヒロインとして美化されている。
■斉王別姫(せいおうべっき)
斉苗と腐美人の悲劇的な別れを題材にした狂劇の演目。
かなり脚色されており史実とはかけ離れている。
悲劇のヒロインとされる腐美人役は劇団一の美女が演じることになっている。
経瑠辺洲(へるぺす)
斉の将。得物は五十斤以上はある方天画戟。
北方の荷洋族の戦士だったが斉苗の人柄に惚れ親友倉観路吾(くらみじあ)とともに帰順。
輪鋲・梅読・倉観路吾らと「斉苗四天王」と呼ばれ恐れられた。
郁々の戦いで戦死した。
兪備曼(ゆびまん)
斉苗配下の軍師にして猛将。
自らの計略、「二穴攻めの計」について、
「あれほど恐ろしい計略は前例がない。
たとえ千年経とうとも、これを越える戦法はないだろう」と語っている。
確かに引っ掛った軍はたちまち敗走してしまう程の恐ろしい策ではあるが、
本人にも多少ナルシスト的なところがあったのかも知れない。
劉待(りゅうまち)
斉の太守。
第二次鎮江攻防戦にて満国に捕らえられた後に満国軍に加わり、
第三次鎮江攻防戦では、陳巣肛軍を撃退し勝利した斉軍により粛清された。
輪鋲(りんびょう)
斉苗配下の将。「斉苗五本槍(後に四天王)」の一人。
双剣から繰り出される華麗な剣技を武器にする。
同僚梅読とともに斉苗に従い各地を転戦した。
武勇に優れ、陳軍の誇る猛将達を手玉にとる活躍ぶりで
あの陳歩をして
「斉苗ばかりか輪鋲までも相手にしなければならないとは…」
と嘆かせたほどの猛者であった。
医学の心得もあり、性病に苦しむ主君、斉苗の治療にあたったのは彼である。
主君の死後は野に下り、斉苗から与えられた邸宅を斉苗家(せいびょうか)と名付け、
そこで性病に苦しむ人々の治療にあたった。
■陳国(ちんこく)
西北、巴蜀、荊州を占める大国。首都は玉京(たまきん)。
陳国国境から首都玉京までを結ぶ街道に尿道がある。
■斉濃(せいのう)
巨山・摩羅(まら)山のふもとに位置するほか、周囲を密林に覆われるという天然の要害を持つ都。
土地は肥沃だったが、摩羅山は当時活火山だったということもあり、
人口は伸び悩んでいたが、なぜか優秀な人材が多く輩出された地でもある。
陳歩は、摩羅山信仰の第一人者でもあった。
■尿道(にょうどう)
陳国の国境から首都玉京までを繋ぐ街道。
近くに川が流れているのが特徴である。
たまに洪水になったときは大量の水や、
臭い白い液が尿道を通ることがあり治水工事の必要性を感じさせるが、
これによって敵を撃退したことが何度もあるのでそれはしないらしい。
陳歩が首都玉京を占領されて復職した時に敵を撃退できたのも、
この洪水で敵の補給部隊が壊滅したためであり、まさに陳国に尿道ありと言ったところだろうか。