達也は誓約を守った。
佐知子への身体的な接触を“控える”という誓言を守って、この日の午前を過ごした。
そう、“控える”と達也は言ったのだ。“もう、しない”とは言わなかった。
ふたりきりの病室で、昨日までは頻繁に行っていた淫らな戯れの、回数を控える。
過激さを増して、危険な領域にまで踏みこんでいた行為の、程度を控える。
そういう心づもりであったことを、実践によって佐知子に知らせた。
午前中に、もう一度だけ、達也は佐知子の腕をとって引き寄せた。
無抵抗に、というよりは、ほとんど自分から倒れかかるように
達也の腕の中におさまった佐知子にキスして、身体に手を這わせた。
胸を、朝よりは強く長く揉みしだき、腰から尻を撫でまわした。
過剰なほどの反応を佐知子は示して、必死の勢いで達也の舌に吸いつき、
熱い身体を押しつけた。嬉しそうに撫でられる大きな臀を揺らした。
その熱烈さには、なんとか達也を誘いこもうとする意図が見え透いていたが。
しかし、達也の手は、佐知子の着衣を乱すこともなく、核心部分に近づくこともせずに、
疼く肉体の表面を撫でただけで離れた。
哀切なうめきを洩らして、やるまいと引き止める唇もふりほどかれて。
そして達也は、笑って言うのだった。
『これくらいは、いいよね』
まだ、しっかと達也の首に抱きついて、悲痛な眼で見つめる佐知子の表情には、
“これくらい”で終わられることこそ辛いのだ、という心がありありと映っていた。
『……達也く…ん…』
淫情に潤んだ声で名を呼ぶことで、察してくれと訴えた。佐知子には精一杯のアピール。
しかし達也は、首に巻きついた佐知子の腕を(そこにこもった抵抗の力にも気づかぬ素振りで)
優しく外すと、体を離してしまった。
佐知子には、いや増した肉体の苦しみだけが残されたのだった……。
そんな残酷な振る舞いの後は、すぐに達也は平素の態度に戻った。
ベッドに身を起こした姿勢で、傍らの佐知子にあれこれと会話をしかけることで、
まったりとした時間を潰すという、いつも通りの過ごしかた。
しかし。当然ながら、対する佐知子のほうは、平常な状態ではいられなかった。
……この部屋で達也と過ごすようになって以来、佐知子が“平常な状態”で
いられたことのほうが、稀であるとも言えるが。
定位置である椅子に座って、表面上は達也との会話につきあいながら、
佐知子は一向に落ち着かぬ気ぶりをあらわにしていた。
すぐに、うわの空になり、沈思に入りこむ。
しきりに、椅子にすえた臀の位置を直した。
切ない色をたたえた眼で、ジッと達也を見つめた。
時折、なにか言いたげに唇が動いて。逡巡の末に、ため息だけを洩らすということを繰り返した。
何度か、些細な理由をつけては立ち上がって、ベッドへと近づいた。
急に、シーツを取りかえると言い出したのも、そのひとつだった。
その作業をする間、佐知子の体には滑稽なほどの緊張が滲んでいた。
いつものように、達也を寝かせたまま、シーツを替える作業に、やけに時間をかけて。
そして、これは無意識のことだったろうが。屈みこむときの腰つきには、
微かにだが明らかなシナを作っていた。
不器用で迂遠な、しかし佐知子なりには懸命な誘いかけ。
そうと気づいたから、達也はなにも手だしをしなかった。内心の嘲笑を穏やかな笑みに変えて、
佐知子を見守ってやった。
たっぷりと時間をかけて。それ以上どうにも引き伸ばせないとなって。
佐知子は、失望に顔を暗くして、外したシーツを手にベッドから離れた。
……このように、佐知子には、もう自分がどれほど、その内心の焦燥や煩悶を
あからさまに態度にあらわしてしまっているか、顧る余裕もなくなっていた。
そして、その変調が、時間が経つほどに強まっていることも、明らかと見えた。
残酷な愉悦をかみしめながら、なにくわぬ顔で達也は観察を続けた。
ひとつ、達也の注意を引いたのは、佐知子が時おり、白衣の腰のポケットを気にする
ようすを見せることだった。手で押さえるようにして、ジッと視線をそこに向ける。
そっと達也の顔をうかがい、また手元に視線を戻す。
なんだ? と達也が怪しんだのは、そうする時の佐知子が、特に緊張の気配を強めるからだった。
真剣な表情で考えこんで。意を決したふうに、ポケットの中に指を差しこんで。
そこで迷って。結局、ふんぎりをつけられずに、嘆息とともに指を抜き出す。
そんなことを、達也の眼を隠れて(隠れているつもりで)、佐知子は何度も繰り返した。
(続)