ここ数日、裕樹の学校での生活は、おおむね平穏であった。
おおむね、というのは、ひとつだけ妙な事態が起こっているからである。
この日も、そうなった。
「よお、越野。帰るんか?」
放課のHRも終わって、帰り支度をしていた裕樹に気安い声をかけたのは、高本だった。
「あ、うん…」
……やはり、今日もか、と思いながら、当惑顔で答える裕樹。
「ヒマだったら、ちょっと付き合ってくれよ」
イカつい顔に、にこやかな笑みを浮かべて、高本が誘う。
以前なら、またイジメの口実かと疑ってしかるべき場面なのだが。
どうも、そうではないらしいから、逆に裕樹は困惑してしまうのである。
数日前、あの宇崎達也が入院した日の朝、はじめて裕樹は高本に反抗した。
その後、なんらかの報復があるものと、警戒していたのだが。
『気に入った。越野は、ナリは小さいが、いい根性してる』
翌日、登校してきた高本は、意外にも、そんなことを言い出した。
そして、その言葉どおりに、裕樹に対して、やたらとフレンドリーな
接近を開始したのである。
裕樹にすれば、安堵より薄気味の悪さを感じてしまう、高本の豹変ぶりであった。
当然、簡単に信じる気にはなれない。
たとえ、高本が本気であったとしても、はいそうですか、と受け入れられるはずもなかった。
“勝手なこと、言うなよな”というのが、正直なところである。
だから、放課後の誘いも断ってきたのだが。
こう連日だと、ちょっと悪いかな、という気になってしまう。
高本がまた、これまでの裕樹の拒絶にも、怒るでもなく、ただ残念そうに
引き下がるものだから。
お人よしの裕樹としては、余計にプレッシャーを感じてしまっていた。
「あ、でも……」
だから、歯切れが悪くなってしまう。
それでも、誘いに乗る気はない。乗ったところで、どうしようもない、とも思う。
(話が合うわけもないし…)
しかし、この日の高本は、やけに熱心であった。
「そう言わないでさ。ちょっとでいいから。越野に相談に乗ってほしいことがあるんだよ」
「相談…?」
「そう。おまえを見こんで、知恵を貸してほしいことがあんの」
「え、でも、それだったら」
裕樹は、少し離れた位置に立って、ふたりのやりとりを眺めている市村を見やった。
「僕なんかより、市村くんの方が…」
「それがダメなのよ。市やんは確かに頭イイけど。これは、市やん向きの話じゃないの。
な、頼む。ちょっとでいいから」
片手拝みに、頼みこまれて。裕樹は、それ以上の拒絶を封じられてしまう。
「じゃあ、少しだけなら…」
要領を得ない用件だし、まったく気は進まなかったが。押し切られるかたちで
承諾してしまった。
「悪い。恩にきるぜ」
……というような次第で、不揃いな三人組は、夕方のファースト・フード店の
一角に座をしめていた。
「越野、ほんとにそれだけでいいのか? 遠慮すんな、好きなもん食えよ」
自分は三つもハンバーガーを買って、さっそく一つ目にカブリつきながら、
高本が聞いた。せっかく奢ると言ってるのに、コーラしか頼まなかった
裕樹に納得がいかないらしい。
「う、うん、僕はいいよ。これで」
裕樹は、別に遠慮したわけではなくて。こんな時間に間食したら、
母の作ってくれる夕食が食べられなくなるし。
なにより、長居をする気はさらさらないのである。
「……それで、相談って?」
だから、自分から切り出した。とっとと話を終わらせて帰りたい。
「ああ、それなんだけどさ」
秒殺したバーガーを、コーラで流しこんだ高本が、真面目な顔を作る。
「実は、相談ってのは、俺の友達の話なんだけど」
「友達? 高本くんの?」
「ああ。そいつが悩んでるんで、俺も力になりてえんだけどよ。
どうも、わからなくてさ」
ずいぶん迂遠な話だな、と裕樹は思った。
高本の友人といえば、宇崎達也と市村くらいしか思いあたらないが。
(まあ、宇崎の場合は、友人というより親分子分の関係に見えるけど)
市村は、いま高本の隣で、押し黙ってコーヒーを飲んでいるし。
高本の気安い口ぶりから、宇崎達也のことだとも思えなかった。
他の学校のワル仲間ってとこか、と裕樹はテキトーにあたりをつけた。
「そんで、越野なら、なんかズバッと、いいこと言ってくれるんじゃないかと思ってよ」
そこがわからない、と疑わしげな顔になる裕樹には構わず、高本は続けた。
「で、どういう問題かっつーとだな。ぶっちゃけ、“女”のことなんだわ」
「えっ?」
「そのダチにさ、好きな女が出来たんだけど。いろいろムズかしくて悩んでるんだな」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
慌てる裕樹。よりによって、そんな類の問題だとは思わなかった。
「そ、それで、なんで僕なの?」
「だってさ、市やんは、この手のことにゃあ、まるで興味ないし。
俺も、ハズカシながら、あまり得意じゃないんだよなあ」
「そんなの、僕だって…」
「んなこたあ、ねえだろう? 越野は顔もいいし、女子にも人気あるじゃん」
「そ、そんなことないよ」
「それによ、こないだのことでわかったけど、肝も座ってるしな。
なんつーか、大人っぽい感じがするんだよな」
妙に熱をこめて、もちあげる高本だったが。同じ口で、つい数日前までは
裕樹を小学生呼ばわりしていたのだから、やはり無理がある。
(続)