達也は首の下に枕を抱くようにして、うつ伏せに横たわっている。
ギブスをつけた左足は膝を曲げて、クッションで支えてあった。
達也は裸だった。大きめのタオルを腰に掛けただけの姿だ。
ベッド脇に立った佐知子は、達也へと屈みこむようにして、
手にした濡れタオルで、体を拭いている。
「ごめんね。こんなことまで、お願いしちゃって」
「いいのよ。これくらい」
なんでもないといったふうに、佐知子は答えた。
入浴できない患者の体を清めてやることは、ナースとして当たり前の仕事だ。
ましてや、ベテランである佐知子のこと。その患者の状態にも合わせて、
どのようにしてやればいいかなど、すでに体が覚えてしまっている。
洗面器に汲んだ湯で、こまめにタオルを洗いながら、
佐知子は淀みない手つきで作業を続けていった。
ただ。常ならば、あれこれ患者に言葉をかけて、リラックスさせようと
配慮するのだが。いまは、ほとんど無言だった。
視線は自分の手元に固定されている。口を引き結んだ横顔には、
ことさらに作業に集中しようとする気ぶりが見てとれた。
そうでもしなければ……というのが、佐知子の正直な気持ちだ。
しかし、いくら自分の手元だけを見て作業に没入しようとしても。
無防備に広げられた達也の背中は、いやでも眼に入ってくる。
その感触は、タオル越しにも、しかと手に伝わってくる。
それらを、まったく意識から締め出すなどとは、所詮無理な話だった。
どころか。気がつけば、眼は達也の裸の背に吸い寄せられて。
タオルを使う手の動きは、達也の肉体の質感を確かめるようなものになってしまう。
達也の身体は、完全に大人の体だった。
肩も背中も広い。ガッシリとした骨格の上にほどよく肉を乗せて。
固く引き締まった筋肉は、ゴツゴツとした感じではなく、
しなやかな印象を与える。着衣の時に痩せてみえるのは、そのせいだろう。
だからこそ、こうして裸身を晒した時には、意外なほどの逞しさが際立つのだ。
本当に裕樹とは大違いだ…と。佐知子は昨夜も肌を重ねた息子の、
華奢でプニプニと柔らかな体と、つい比べてしまう。
まったく無意味な比較だった。
(……そう。達也くんは大人。裕樹はまだ子供……)
……いつの間にか、タオルを持つ手が止まりかけているのに気づく。
佐知子は、洗面器の湯にタオルを浸して、手早く洗いながら、
“なにをいまさら”と自分を叱咤した。
すでに、達也の排尿の補助までしているのに、いまさらこんなことで
惑乱していてどうするのか、と。
彼の身体的成長が、成人男性と比べても遜色ないということも、
充分に承知していたことではないか。
(……遜色ないどころか…)
また、危うい方向へ流れようとする思考を断ち切るように、タオルを固く絞った。
ああ……やはり、あまりにタイミングが悪い、と嘆いた。
こんな時に、達也の肉体の逞しさを見せつけられるのは。
達也が、大人であること、男であることを意識させられるのは。
手馴れた作業も、いまの佐知子には苦行であった。
……とにかく、早く終わらせることだ、と。
はやくもお定まりになってしまった文句を呟いて、佐知子は、
悠然と横たわる達也へと向かう。
しかし。
少しでも早く終わらせようと、気を急きながら。佐知子は、ハタと固まってしまった。
すでに肩や背中や腕は拭き終えた。あとは腰から下だが。
どうしよう……? と、迷う目を大判のタオルに覆われた達也の腰に向ける。
当然、その下も裸だ。それは脱ぐのに手を貸した佐知子には、よくわかっている。
視線をズラしたまま、エイヤとブリーフを引き剥いて。すぐに達也にはタオルを腰に巻いてもらって。
そのまま、うつ伏せに寝かせたのだったが。
……まずは脚から、と、問題を先送りにしようとした、その時。
やはり、ほとんど喋らず、居眠りでもしているのかと思えた達也が、不意に身じろぎして。
後ろへまわした手で、サッと腰のタオルをとってしまった。
「ちょっと、恥ずかしいけど」
軽く佐知子へ振りかえるようにして、そう言ったが。口調はしゃあしゃあたるものだ。
むしろ、いきなり剥き出された若い男の尻を、思わず凝視してしまった佐知子の方が、
頬を赤らめ、ドギマギとするのを隠せずにいた。
それでも、仕方なしにタオルを持った手を、おずおずと、そこへと伸べる。
キュッと締まった、形のよい臀の表面を撫でるように拭いていく。
……まったく、なんというザマかと、ナースとしての自意識は佐知子を責めた。
男の生殖器だろうが尻だろうが、仕事上、飽きるほど見てきたではないか。
なのに、昨日からの醜態は、いったいどういうことだと。
……それはそうだけれど、と、力弱く異議を唱えたのは、佐知子の生身の部分。
どうしても、ナースの意識で見ることが出来ないのが、問題なのだと。
彼は、達也は、これまで佐知子が知る、どんな患者とも、どんな男とも違うので。
あまりにも佐知子の基準からはみ出した存在なので。
達也のことが、わからない。
だが、達也に対している時の自分自身は、さらに理解できない。
達也の……男性を。目の当たりにして。身体に走った震えは、なんだったのだろう?
それに触れた時に、胸を満たした不穏な情動はなんだったのだろうか?
そして、いまもまた。
達也の固く引き締まった尻から、目を離すことが出来ないのは何故なのだろう?
手に伝わる固い弾力に、キュッと、胸が切なくなってしまうのは?
(……これじゃあ……)
ナースの胸や尻に粘っこい視線を這わせてくる、いやらしい男たちと同じではないかと。
理性に責められて、どうにか眼を逸らしても、状況に大差はないのだった。
横たわる達也の裸身は、どの部分も見ても。
しなやかで、力感に満ちて、肌は若さに輝いているようで。
セクシーだった。
男性にも、その形容はあてはまるものなのだと、はじめて佐知子は知った。
その艶かしい寝姿を、ふたりきりの部屋で間近に眺めて。
その肌に触れて。その匂いを嗅いで。
佐知子は、頭の芯が痺れたような心地に陥って、もう機械的に手を動かして、
達也の下肢を拭き清めていった。
そして、足先まで拭き終えると、この後どうすればいいのか、と迷うように立ちすくんだ。
「…うん? もう後ろは終わったのかな」
頼りない佐知子に代わって、場を仕切るのは達也である。
片手をついて、顔を起こした達也は、ギブスの左足を一応気遣いながら、
ゴロリと仰向けに転がった。
慌てて、手を貸そうとした佐知子だったが。
「……ッ!?」
次の瞬間には、ギクリと反射的に後退っていた。
双眸は驚愕に見開かれ、手は無意識な動きで、口元を押さえていた。
あたかも、零れかける恐怖の悲鳴を封じようとするかのように。
仰向けになった達也の股座。
鎌首をもたげた大蛇に睨みすえられて。佐知子は呼吸さえ止めて、凍りついた。
(続)