母親が他人に犯される作品 #2.2

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次の日。
「あれ?」
なにかに気づいたようすで、達也が佐知子の顔を見直す。
病室、朝の挨拶を交わした後に。
「……なに?」
何気ないふうを装って、佐知子は聞き返したが、
頬のあたりに微妙な緊張が滲んでいた。
ジッと見つめてくる達也の視線を避けるように、眼を伏せる。
「いや、いつもと感じが違うなって…」
「そ、そう?」
とぼける言葉が、自分でも空々しいと思った。
無論、達也のいう印象の違いの理由は、佐知子自身が一番よくわかっていた。
メイクだ。
仕事柄もあって、いつもはほんの申し訳程度の薄い化粧しかしていない佐知子だったが。
比べて、今朝はずいぶんと入念なメイクが施されている。
それは、佐知子としては、いたしかたない処置だった
……朝、鏡に映した自分の顔を見て、佐知子は暗い気持ちになった。
目の下にクッキリと刻まれた隈。前夜の寝不足の痕跡だ。
ひどく目立っているように、佐知子には思えた。
仕事柄、急な徹夜なども珍しくはない。重篤な患者の担当となって、何日も短い睡眠で
過ごすこともある。ただ、これまでは、そんな状況で自分がどんな顔をしているかなどと
気にしたことはなかった。
だが、この朝には、どうしても、その些細な痕が気になって看過することが出来なかった。
いつもよりはるかに長い時間を鏡台に座って、日頃使っていないファンデ等も引っ張り出して、
佐知子は忌々しい隈と格闘した。
どうにか、納得できる仕上がりを真剣な目で確認した時には、もう出勤時間ギリギリだった。
仕上げに口紅を引こうとして、いつもの地味な色の口紅を唇にあてた。
だが、それは今日のメイクには合っていなかった。
少しの逡巡のあとに、佐知子は口紅を換えた。これもほとんど死蔵していた、
鮮やかな発色のルージュを取って、慎重に肉感的な唇の上に滑らせた。
434241:03/05/30 14:29
塗り終えて。ルージュを置いた。
あらためて、鏡に映った顔を眺めた。
見違えるような自分がいた。
悪くない…と、佐知子は相応の満足を感じた。そんなふうに、女性らしい
ナルシシズムを胸にわかせたのは、ずいぶん久しぶりの気がした。
出勤すると、顔を合わせた部下たちは一様に目を見張り、そして口々に佐知子の
美貌を褒めそやした。
それにもグッと気分をよくして、ようようと達也の病室へ向かった佐知子だったが。
「………………」
いま、こうして、不躾なほどの達也の視線に晒されていると、高揚は消えて、
不安が大きくなってくるのを感じる。
(化粧が厚すぎたのではないか?)
(あまり慣れないことだから、メイクがおかしかったのではないか?)
(年もわきまえずに派手づくりをして…と、呆れられているのではないか?)
実際には、達也が言葉を途切れさせて、しげしげと佐知子を見つめていたのは、
ほんの数秒のことであったが。審判を待つような心理になっている佐知子には、
とても長く感じられた。
だから、達也がニッコリと笑って、
「いいね。こういう佐知子さんも、すごく素敵だよ」
惜しげもない賞賛を与えたると、深い安堵に体の力が抜けていった。
フーッと、思わず深い息をついたのは、いつの間にか呼吸さえ止めていたようだ。
大仰な滑稽なほどの自分の反応を、顧みる余裕も佐知子にはなかった。
そんな佐知子を、達也は(内心はどうあれ)眩しそうに見つめて、
「……佐知子さんて……本当に綺麗だよね」
深い実感をこめて、そう言った。
「そう? ありがとう」
佐知子は、数日の達也との付き合いで身につけた、軽い返答で切り抜けた…つもりだったが。
声は微妙に上擦っていたし、頬には赤みが差していた。

                (続)