母親が他人に犯される作品 #2.2

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……ションボリと、ゴツい肩を落とした高本が、市村に連れられて
病室を出ていくのを見送ってから。
佐知子は、達也に手を貸して、立ち上がらせた。
「大丈夫?」
「うん。すみません」
ズッシリとした重みが、佐知子の腕にかかる。
支えようと肩を寄せれば、体の大きさも改めて実感された。
先ほど、高本の巨体に迫られたときの恐怖を思い出す。
だが、達也の大きさを感じることは、恐れではなく
不思議な安心感を、佐知子に与えた。
「いい? 歩ける?」
問いかける声が、意識せぬままに柔らかくなっている。
「うん、大丈夫」
松葉杖を持ち直した達也が答えて、ふたりは、ゆっくりとベッドへと向かった。
達也の背にまわした佐知子の手に、熱と固い筋肉の感触が伝わってくる。
かすかに汗ばんだ達也の体臭も、この時の佐知子には不快に感じられなかった。
辿り着いたベッドに、ひとまず達也を腰かけさせて、ひと息ついた。
ギブスを巻いたの左足を支え上げて、横たわらせようとした時、
「……てっ」
達也が小さく声を上げて、ベッドに突こうとした右腕を浮かせた。
「どうしたの?」
「うん、いや、なんでも…」
「腕が? 痛むの?」
「いや、ちょっと……痺れただけ」
「見せて」
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なんでもないと済ませようとするのを許さず、佐知子は達也の腕を取った。
達也の右腕は、肘のあたりに包帯を巻かれている。軽微とはいえ負傷しているのに、
この腕で高本を殴りつけたのだ。
真剣な目で佐知子は検分した。見たかぎり異常はない。
「痛むの? ちゃんと正直に答えて」
視線を上げ、達也を睨みつけるようにして訊いた。
「手を突いた時、ビリッって…」
「今は? どうなの?」
「痛くはないです。痺れて、力が入らない感じかな」
「そう、わかったわ。すぐに先生に来ていただくから」
「あ、待って」
医師を呼ぶために立とうとした佐知子の腕を左手で掴んで、達也が止めた。
「大丈夫だから」
「ダメよ。ちゃんと診てもらわないと」
「平気だよ、大事にしたくないんだ。お願い、佐知子さん」
「…………」
手首のあたりを掴んだ力は強いものではなかったが。
懸命に頼む達也の顔を見ていると、無理に振りほどくことが躊躇われた。
「……わかったわ」
結局、佐知子はため息まじりに了承して、自由なほうの手を重ねて、
達也の手を、そっと外した。
あらためて、達也を横にならせて。椅子を引いて、ベッド横に座る。
「もう一度、よく見せて」
両手で捧げ持つようにして、入念に視診する。
「まだ、痺れがある?」
「だいぶ、治ったみたい。力も入るようになったし」
グッグと、掌を握りしめる達也。
筋が攣ったという程度のことだろうか? と、ひとまずの診断を下す佐知子。
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佐知子は、白く細い指に力をこめて、達也の腕を押した。
「痛かったら、言うのよ」
やはり、固く引き締まった筋肉の抵抗を感じながら、揉みこんでいく。
「あ……気持ちいいや」
陶然とした声を洩らして、達也が眼を細めた。
反応をうかがっていた佐知子は、その艶っぽい表情にドキリとしてしまって、
慌てて手元に目線を移した。
「…………あんな無茶をして」
誤魔化すように、怒った口調で言った。
「うーん……やっぱり、ムチャだったかな」
他人事のような達也の口ぶりが、無性に癇に障った。
「当たり前でしょう。 あなたは、怪我をして入院してるのよ?」
「それは、そうなんだけど……。佐知子さんが危ない、って思った瞬間に、
 頭が真っ白っていうか。完全に逆上しちゃったんだよね」
「…………………」
「気がついたら、飛び出してたって感じで。それで、あのバカが
 フザけたことを言うから、思わず…」
「……で、でも、あの時、もし彼が向かって来てたら」
「そりゃあ、ヤラれてたよ。一発だね」
何故か、愉快そうに達也は断言した。
「腕っぷしじゃあ、五体満足の時でも、高本には敵わないもの」
笑ってる場合か、と佐知子は思うのだが。
「だから、ほんと考えるより先に体が動いてたんだよね、あの時は。
 …これじゃ、高本のことは言えないなあ」
苦笑する達也の、彼らしくもない猪突の行動が、すべて自分のためだったという
事実に、なんと言っていいのかわからなくなってしまう。
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「まあ、そんな目にもあわずに済んだし。佐知子さんも無事だったし。
 結果オーライってことで」
あっさりと話をまとめる達也。
「……本当は、高本に、あの場で謝らせるべきだったんだけど」
「彼のことは、もういいわ」
佐知子の中では、達也と高本を峻別する意識が出来上がっている。
にべもない反応に、達也は渋い顔をして、
「うう……あんなことの後だから、佐知子さんの気持ちはわかるけどさ。
 悪いヤツじゃないんだよ、あいつも。バカだけど」
いまさら高本を弁護する達也を、佐知子は呆れた眼で見つめた。
何故、達也が、あんな粗暴な不良を、そこまで友達として遇するのか理解できない。
「……達也くん、正直言わせてもらえば」
「ああ、わかるよ」
みなまで言うなと、意見しようとする佐知子を制して、
「でも……あのふたり、高本と市村くらいなんだよね。壁を作らずに接してくれるのって」
ちょっと弱い声。わすかにのぞかせた諦念と寂寥が、秀麗な顔立ちをさらに大人びたものに見せて。
……佐知子は、波立つものを胸に感じた。
だが、達也はすぐにそんな翳りを消して、
「でも、本当に、悪いヤツじゃないんだよ。バカだけど。かなり」
熱をこめて、褒めるのだか腐すのだかわからないアピールを繰り返した。
「本当だよ?」
「……ええ、わかったわ」
根負けしたように、佐知子は言った。
高本への心証は、すぐには変えられるはずもなかったが。
「達也くんの気持ちは、よくわかったから」
数少ない友人に向ける達也の想いは、充分に理解できたから。
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白い歯を見せて、達也が嬉しそうに笑った。
目を細めたくなるような眩しさを佐知子は感じる。
「……ねえ? ようやく、達也って呼んでくれるようになったね」
「え? …そう…そうね」
言われて、気づいた。いつの間にか、そう呼んでいた。
口にしてしまえば、どうということもない。“宇崎くん”などという
呼びかたよりも、ずっと口に馴染む気がした。
これだけのことに喜ぶ達也を見ると、もっと早くそうすればよかったと思えて。
そして、佐知子は、もうひとつ、まだ言えずにいる言葉に気づいた。
まだ言っていない、しかし、言わなければならない言葉。
達也の右腕の包帯のあたりに、指先をあてて。
うん? という顔になる達也に眼を合わせて。微笑む。
「……今日は、ありがとう。達也くん」


夜。
越野裕樹は、昨夜以上に頻繁に、ボーッと考えこむ姿を見せる母の姿に、
どうしたのだろう? と首をひねったが。
ささやかな異変の理由、母の物思いが向けられる対象のことなど、
無論、しるよしもなかった。
374241:03/05/24 17:37
同じく夜。
広い病室にひとり過ごす宇崎達也は、開け放った窓のそばに置いた椅子に座っていた。
片手には携帯電話を持ち、もう一方の手には、高本の置き忘れた煙草が一本はさまれている。
一服吸って、窓の外に煙を吐き出しながら、達也は顔をしかめて、
電話の向こうに文句をつけた。
「高本、これ、強すぎ。こんなもん吸ってたら、成長が止まるぞ…って、それ以上
 大きくならなくてもいいか」
『でも、今日の宇崎クンのパンチで、ちょっと縮んじゃったよ。マジで殴るんだもん』
通話の相手、高本の大声は電話越しでも変わらず。そのハシャいだ調子には、
病室を追われた時の消沈ぶりは、1ミリたりとも残っていなかった。
『痛いし、カッコ悪いし、やっぱ役が良くないよ、俺』
「とか言って、ちゃっかり佐知子の体、触ってたんだろ?」
『ダメ、宇崎クンたち、入ってくんの早すぎんだもん。あれじゃ、殴られ損』
「まあまあ。おかげで、グッといい感じになったからよ。いまは堪えて、
 いずれ思いきり佐知子にブツけてやれよ」
『もち、そのつもりよ! 今日ので、ますます燃えたよ、俺は!
 越野ママ、近くで見ると、マジいい女だったし、いい匂いしてたし』
「なんだよ。結局役得してんじゃないかよ。ああ、わかったから浩次に代わって」
『……もしもし』
「かなり、効いたみたいよ、今日のは。ちょっとクサイかと思ったけどさ」
『まあ、まさか、中学生に狙われてるとは、思いもしないだろうからね』
「思わないよなあ。……もっとも、あまり中学生を見るような眼でもなかったけどな。
 今日の芝居のあとは、特に」
『フフ…、年のわりにウブなんだな、越野のママ』
「そう。あんまり可愛いんで、マジ惚れしちゃいそうだ」
『嘘こけ』
「うん。嘘」
ケラケラと笑って。達也は短くなった煙草を弾き捨てた。

           (続)