母親が他人に犯される作品 #2.2

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翌日。
午後の検診のために、佐知子は特別病室へと向かった。
足取りに、前日のような重さはない。
この日ここまでの宇崎達也との接触は、なんの問題もなく済んでおり、
それが、佐知子の気持ちを軽くしていた。
正直、まだ達也の前に出る時には、反射的に身構えてしまうものがあるのだが。
明るく屈託のない達也の態度に、そんな固さを溶かされてしまうのだ。
義理と追従のためだけの見舞い客は、昨日のうちにノルマを果たしてしまって、
この日は、ほぼ途絶えていた。
それもあって、時間を持て余す達也は、佐知子が病室を訪れるたびに、
大袈裟と思えるほど喜んで、引きとめたがった。
佐知子も、他に仕事というほどのものもない状況であり、
ヒマと活力を持て余す患者の無聊を慰めるのも務めのうちと思って、達也につきあった。
これも務めと思って、佐知子は病室に留まり、達也の話に耳を傾け、
そして、いつの間にか、職務上の義務感など忘れていた。
達也の話術には、人をそらさぬ巧みさがあり、話題も豊富だった。
佐知子は、ほとんど口を開くことなく、静かに聞き役を務めるのだが、
しらずしらずのうちに引き込まれて、達也の大人びた声に聞き入ってしまっていた。
口元には自然に笑みが浮かぶことが多くなり、幾度かは声を上げて笑いもした。
そんなふうに、この日のこれまでの時間を過ごしていたのだ。
まったく、思いがけないほどに平穏で良好な状態といえた。
昨夜、眠りにつく直前まで、落ち着かぬ心で思い煩っていたのが、馬鹿らしくなるほどに。
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とにかくこれで、なんとか退院までやっていけそうだ、と。
佐知子は、自身の心の軽さを、職業意識上の理由からだと思っている。
こだわりや先入観という色眼鏡を外して見れば、宇崎達也は、
なんの問題もない患者だった。
(……あとは、あれさえなければねえ…)
軽い歩みで特別病室へと向かいながら、佐知子がひとりごちた“あれ”とは、
達也の例の悪癖のことだった。
この午前中も、達也は会話の中に、いきなり、美貌を賛美するセリフを
挿しこんで、佐知子を硬直させたのだった。それも二度、三度と。
さすがに佐知子も、多少は耐性がついて、表面上は
冗談として受け流すことも出来るようになったが。
実のところは、毎度毎度、かなりのダメージを受けてしまうのだった
(これがまた、忘れた頃、気を緩めた時に、狙いすましたようにカマされるのだ)。
それに比べれば、すっかり“佐知子さん”と呼ばれるようになったことなど、
多少くすぐったいだけで、いかほどでもない。佐知子の方は、
もともと少ない機会の中で、まだ“達也くん”とは呼んでいなかったが。
(本当に……あの悪い癖さえなければ……)
そう内心に嘆息する佐知子だったが。そこに重苦しさはなかった。
……だいたい、“悪い癖”などと呼んでいる時点で、その達也の言動を
許容してしまっているということだった。佐知子は自覚していないが。
つまり、現在唯一といってよい担当患者との関係に、佐知子はほとんど問題を
感じていないということだった。
わずかな時間で、ずいぶん変わったものだが。構わないと思う。
いずれにしろ、良い方向への変化は歓迎すべきである。
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だが。
特別病室の前に立って、軽やかなノックの音を響かせようと手を上げて。
佐知子は動きを止めた。
軽快な気持ちは霧散して、表情が強張った。
そうさせたのは室内から漂う、焦げくさい匂い。病院内では嗅ぐはずのない。
間違いない、煙草の匂いだった。
佐知子は、ノックせずに、勢いよくドアを開けた。
窓際に立った大柄な影が、驚いたようにふりかえった。
制服姿の高本だった。斜めに咥えた煙草から紫煙を立ち昇らせている。
室内には、高本ひとりだった。
達也ではなかった…と、安堵の感情が胸をよぎるが、それも一瞬のこと。
佐知子はツカツカと大股に歩み寄って。
キョトンとしている高本の口から煙草を?ぎ取ると、叩きつけるように床に落として、爪先で踏み消した。
「な、なにしやがる!?」
「あなた、中学生でしょう!?」
ようやく高本が張り上げた蛮声を、はるかに気迫で凌駕して、佐知子が叱責する。
「それに、ここは病院です! 煙草を吸っていい場所じゃあないのよ!」
「なっ…このっ」
眦を決して、高本を睨みつける佐知子の迫力に、思わずたじろいで。
「ザケんな、ババァッ!」
それが、この不良にとっては耐え難い恥辱だったのか、いかつい顔を赤く染めて、
巨体を踏み出し、佐知子の腕を掴んだ。
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「なにするの!? 放しなさいっ!」
「うるせえっ!」
身をよじって、振り解こうとするも、ガッチリと腕を掴んだ大きな手はビクともしない。
「や、やめなさいっ、放して!」
凶暴なほどの力を実感して、佐知子の声に怯えの色が混じった。
完全に逆上したようすの高本は、そんな制止を聞くはずもなく、
ブンまわすように、掴んだ腕を引っ張った。
「い、いやっ」
たたらを踏んだ佐知子の片足から、シューズが脱げ落ちる。
恐怖に、拒絶の言葉が悲鳴に変わろうかという時、
「なにをしてるっ!?」
怒気に満ちた声が、騒乱の病室に響いた。