悪意と絶望に満ちたこの世界で――
何を求めればいいのだろう。
何を守ればいいのだろう。
何を成せばいいのだろう。
『刃を向けるべき相手を間違えないで』
在りし日の『先輩』はそう言った。
斬鬼衆は鬼切りの刃である。
そう教えた彼女は、同時にその刃を向けるべき相手は、よく選ぶべきだと彼に説いた。
世界に対する憎悪を鎧と成し心を守り。不条理に対する怒りを刃として身体を鍛え。
そんな風に生きて行こうとしていた彼にとって、その言葉はおよそ理解できないものであった。
彼女が逝った現在も、その言葉の意味を完全に理解できているわけではない。
けれど――
テストの返却が終了した。赤点だけは取らなかった。ギリギリには違いないが。
普段予習も復習もせず、授業も上の空で聞き流しているような彼が、赤点を取らないのは、
出来のよい仕事仲間の少女に、ヤマを教えてもらい、一緒に試験勉強をしているからである。
ギリギリで追試も補習も免れた彼は、あと数日後に控えた夏休みに想いを馳せていた。
――仕事が入ったのはそんな折だった。
白清の西の果てにある森。
夏には、子供たちが蝉やカブトムシを取りに来るスポットである。
「お前と組むのも久しぶりだな」
自転車を漕いでいる赤茶髪の青年。
その自転車の後ろに乗りながら、金髪の青年がそんなことを呟く。
放課後のことである。
この森に出るという、妖魔の調査をせよと命令が下った。
「最近、なんか変わった事とかなかったか?」
仕事への熱意が感じられない、平坦な口調で彼は問う。
暑い。
むせ返るような湿気と、熱されたコンクリートが発する蒸気が、学生服に包まれた体をなぜる。
時折耳に入る蝉の声。
――――後もう少しで夏休みか。
奇妙な感慨にふけりながら、前を見つつ自転車をこぐ。
夏は、早く、短い。年の四分の一を占めると言う点では、他と比較してもなんら変わるはずはないのだが。
何故か自分は、夏というものがあっと言う間に過ぎ去ってしまう気がしてならなかった。
『最近、何か変わった事とかなかったか?』
後ろに乗せた金髪の少年が自分に問う。
変わった事など、多々あった。けれど、その大半は告げる必要のない事だろう。
「ん〜…」
ない頭をひねって考える。しかし何も見当たらない。
「特には。そっちは?」
最近、よく『先輩』のことを思い出す。
忘れたことなど一度もないが、思い出そうとしたこともない。
彼女との記憶は、決して楽しいことばかりではないというのに。
「――ホントかよ。まあいいけどな」
何となく追憶に耽りながら、それでも現実の声にもきちんと対応する
意外と器用だね俺、とか思う瞬間である。
「こっちも大したことはなかったな。佐々木優希と軽くやりあったくらいか」
墓地での会話、そして戦いを思い出す。
戦う理由はきっとなかった。
けれど、あれは必要な戦いだったのだと思う。
彼にとっても、彼女にとっても。
もっと重要なことはあったが、そちらについては秘密だ。
八雲天音との付き合いは、誰にも――薫にも零にも――言っていない。
そうこうしているうちに目的地に辿り着く。
「こっからは歩きか」
自転車から軽やかに跳躍して降りる。
着地音はしない。猫のような体術。
西の果てにある森に、金髪の青年と赤茶髪の青年が立ち入る。
鬱蒼とした森の中の、舗装されていない道を歩く。
御影義虎と、重藤柚紀。斬鬼衆の凶戦士と弓兵である。
――――むしろ、何かあったのはあんたの方じゃねーのかな。
喉本までそう出かけた言葉、それを引っ込める。
無駄な詮索はよそう。けれど、違和感。
確かに彼には変わりないが、何かが今までと違う。
ほんの少しだけ、笑う顔が優しくなり
ほんの少しだけ、彼が普通の少年のように見える時があった。
何かが、彼に人間らしい心を与えている。誰が、か?
――――まさか、な。
まぁどちらにせよ構わない。他人の幸せ程面白い物はないから。
森に着く。中に入る。微かに、息をつく。
木々は熱気を和らげ、強烈な日差しから体を守ってくれる。
「そんで、今日の任務はなんだったっけ?」
「この森にでるらしい、妖魔の調査だ」
この森で遊んでいた子供たちが、大きな獣に襲われたという情報があった。
目撃証言によると、大型犬並みの体格に、猿のような顔をしていた、との事だ。
大人たちの大半は、ただの犬を見間違えたのだろうと本気にはしなかった。
ただ、子供たちはそれ以降この森に近寄らなくなった。
「俺ら向きの仕事じゃないが、偶にはいいだろう」
大量に発生する妖魔を駆逐するよりは、よほど平和だろう。
経験の浅い一年の頃は、この手を下積みを何度かこなしたものだ。
「さっさと終わらせて、なんか食いに行こうぜ」
夏の虫の声が響く森の中をゆく。
無造作な足取りだがだが、両者共に周囲の気配の変化に対して、
各種感覚のアンテナを張り巡らせている。
「大型犬のような体格に、猿の顔、か…」
この道の経験は長いけれど、そんな妖魔の姿は見た事が無かった。
見た事が無い、つまり相手の出方も攻撃方法も分からないと言う事。
一瞬のミスが死を招く可能性もある。
「一匹っつっても、油断はしねーようにな」
すっと懐から投げナイフを取り出し、順手に握りしめる。
無数の生き物が動く気配がするが、大型の獣の気配はまだしない。
「…所で、その子供無事だったのか?」
襲われながら、生き延びた人間の話など数える程だ。
ましてや、抵抗力のない子供が。
「人面犬って線は・・・・ないだろうな」
昔、噂になって奇妙な生き物のことを思い浮かべる。
「それが、怪我はなかったそうだ」
無数に蠢く生き物の気配を感じ取りながら、彼は平坦な声で答える。
人に仇を成す妖魔。狩り取るべき存在。不条理の具現。
彼が妖魔を狩るのは憎しみではなく、その存在に対する嫌悪と怒りだ。
今回、彼にイマイチ覇気がないのは、子供たちに犠牲者がいなかったからだ。
更に奥へと進む。生き物の気配が微妙に減少する。
ふと――彼の眼がとある木に注がれた。
深く穿たれた爪の跡。
大きさから推察するに、犬どころか虎ぐらいの体格はありそうだ。
「ふん――どうやら、此処らが縄張りらしいぜ」
此処に至って、ようやくエンジンがかかる。
不敵な笑みを浮かべ、神経を張り巡らせる。
――ソレは息を潜めて、二人を観察していた。
常時野生に身を置きしモノの足取り。きっと退魔士というやつらだ。面倒な。
ソレは音もなく木々の枝の間を移動した。
「…怪我すらねーってのは、変だな」
妖魔のランクにも寄るだろうが、相手はただの子供だ。
その気になれば、脆弱なその体など一瞬で肉の塊と化す。
それが怪我一つない、と言うのはとても奇妙な話だった。
もとからその子供に危害を加える気などなかったのでは、とすら思わせる。
――――もしかしたら、話し合えるか?
敵は獣型と聞かされた時から、ほぼ説得は絶望的と見ていたが。
ここで希望を捨てるわけには行かない。拾える命は全て拾うと決めたのだから。
大きな爪跡。それはまるで、自分達人間に対する警告のようにも思えた。
「気ぃ抜けねーな」
辺りを見回しながら、同時に周囲を視覚に頼らずに、見る。
同時に届く、小さな小さな葉が擦れる音。
とっさにそちらの方を見上げる。そこには何も居なかった。
けれど分かる。
―――――見られている。
「…そろそろかもな」
――居る。気配が動いた。頭上から微かな音がした。
向こうがこちらに気づいて、こちらも向こうに気づいた。
「いつも通りでいくぞ」
彼は返事を待たず走り出す。
木々の隙間を縫い、疾風のように移動する。
彼が前衛を務め、妖魔を引き寄せる。
それを彼が後方支援する。
それがこの二人のやり方だ。
――ソレは跳びはねながら移動した。
戦うのは本位ではない。
しかし向こうは、脅しただけでは帰ってくれそうにない。
厄介な。あの子供たちのような相手なら脅せはそれで済むというのに。
やがて開けた場所まで辿り着く。
「―――あいよ」
義虎の言葉に応じながら、腕を一振り――――、一本であったナイフが四本に増える。
宙に二本投げ、それを反対の手で掴んだ。
先頭を走る義虎と100m弱の感覚を開けながら、その後を追いかける。
射程ギリギリの位置の方が、こちらを狙ってくる敵を引きつけ易い。
まぁ仮に義虎の攻撃から逃れられたら、の話だが。
それにしてもあの獣は足が早い。このまま誘導されるのはあまり好ましくないが。
「義虎。んな安直に追いかけて大丈夫か?」
もしや、相手が己に有利な環境を整えている場合もある。
面倒な事にならなければいいのだが。
弓兵の指摘どおり、ソレは広い場所に待ち構えていた。
ソレは猿のような顔をしていた。つまり人間のような顔をしていた。
虎のような体躯。手足は確かに虎だ。
尻尾から蛇が生えている。
「鵺、か」
約10メートル程の間を空けて対面する。このような場所なら、逆にこちらが有利だ。
森の中で立体的に動かれたら、白兵戦を得手とする自分には成す術がない。
――さっさと殺すか
斬妖の刃を引き抜こうとする。
「ワタシは、ムエキなあらそいをコノマない」
ソレが――鵺が喋った。日本語を覚えたばかりの外人のような
イントネーションで。
「――――?」
切り開かれた森。穏やかな空間。透き通った空気が漂う、そんな場所。
敵からは目を離さずに、肌で周囲の有り様を感じ取るが、他に妖魔が潜んでいる気配もない。
が、かと言って罠などが仕掛けられた様子もない。
障害物の無い場所では、弾丸を遮る物も無く。こちらの望む通りの舞台だ。
――――なんでだ?
もし己が敵手なら、迂闊に手を出さずに夜を待ち逃げ回る。
その後、入り組んだ地形からヒットアンドアウェイ。消耗戦に持ち込む。
相手の数は二人が、この場所は生き慣れた自分の庭のようなものだろうから。
それが何故、こう正面切って挑んで来たのか。
『ヌエ』。何やら日本の昔話に出てくるようだが、詳細は知らない。
その日本版キメラのような不可思議な生き物が、突如口を開いた。
――――私は争いを好まない、だと?
声を張り上げ、その生き物にコミュニケーションを取ろうとする。
「なら!何故子供達を襲った!」
追いついた弓兵が、声を張り上げて問う。
相手の戯言に付き合う気はなかったのだが――
なんとなく仕掛けるタイミングを逸してしまった。
「ココはワタシのネグラだ。
ネグラを荒らされれば、おまえたちトテオコルダロウ?」
鵺が答える。
油断はしていないが、仕掛けるつもりもない、そんな感じだ。
「ワタシはココデ、静カにクラシタイだけだ、こどもたちにケイコク
だけでスマセタはずだ」
「そうかい――」
彼は――御影義虎は躊躇しなかった。
――「永遠に眠れ、地獄へ帰れ」
刃を投擲。無論牽制である。
ホルスターからグロックを引き抜く。
相手がどちらに動こうと、次に銃弾が襲うという手はずだ。
『ネグラを荒らされれば、おまえたちトテオコルダロウ?』
その口振りから察するに、何千年も前からこの地に住んできたのだろうか。
それにしては、今までに存在の報告すら無かったのがおかしいが。
義虎が、相手の言葉など聞く耳持たぬかのように刃を投げつけた。
面倒だ。手首をひねり、短いモーションでナイフをそれ目掛け投げる。
確かに刃は速かったが、獣に届く僅か数cm手前、
ナイフと刃は澄んだ金属音を立て、弾き合い地に落ちた。
「待てよ、義虎。俺が行く」
歩き、間合いを詰める。
義虎とそう変わらない位置にまで接近すると、笑みなど浮かべながら
獣を柔らかく問いただす。
「そりゃ悪かった。あんた、随分前から此処に住んでんのか?」
――届く直前で、斬妖の刃が弾かれた。投擲された、ただのナイフで。
こんな芸当が出来るのは、自分の知る限り、後ろの青年くらいだ。
「お前、またそんなことを・・・・・」
彼の性格はある程度知っていたつもりだが――
弓兵の問いに、鵺は答える。
「・・・・いや、ここにきたのは、ごねんばかりマエのことだ」
鵺は青年の態度にいぶかしみながらも、
「マエのスミカは、おまえたちによっておいだされた」
ぽつりぽつりと語りだす。
「おまえたちニンゲンは、にくんでもニクミたらないが、それデモムエキな
セッショウハしたくない。おとなしくカエレ」
【次あたりにこちらが仕掛ける・少女出現・対立の流れに】
甘ったれの理想主義者。そう言われようが構わない。
戦など下らない事で、泣き悲しむ顔は見たくないから。
「救える命は全部救う。無駄に命を奪っても、ロクな事はねーよ」
あっけらかんとした口調で義虎を制しながら、更に前に進む。
後四、五歩で触れられそうなほど、近い。
「成る程、そりゃ正しい。けどな、もう此処は人間が自分達の領土にしちまってる。
そこに後から来て、勝手にねぐらにされたら、俺達はどうすりゃいいのやら」
掌中のナイフをくるくると回転させながら、のんびり告げる。
「あんたに選択肢は三つある。
一つ目は俺達に敵対し、無理矢理この森を奪う。
二つ目はこの場所から離れ、まだ人の手があまり入っていない場所を探す。
三つ目は、この場所に住み、人間と関わらないようにして過ごす」
自分勝手な選択肢だと言うのは理解している。
けれど、自分達にこの森を人間から奪う事などは、出来ないから。
「勝手に森を奪っておいて、何言ってんだって感じだろーけど、選んでくんねーかな。
俺達に出来る事は、これ位しかねーんだ」
【了解しました。】
「おまえは・・・・・」
鵺の表情が歪む。
怒っているのか、それとも悩んでいるのか。
「・・・・・・・・このモリをハナレルつもりはない。
ワタシニハ、ココをはなれられないリユウガあるのだ」
間近にいる青年。
その気になれば、喉笛を食い千切ることも容易い。
無論、自衛以外で戦うつもりはないのだが。
何よりこの青年は――
「おまえは、やさいしいニンゲンなのだな」
鵺が――笑った。
「遺言はそれだけか?ならさっさと逝くがいい」
彼は――御影義虎は、鵺の言うことを理解しながらも、それでも拳銃を引き抜いた。
この世界は許容量は限られている。
一人死ねば、それだけ他の者が生きやすくなるだろう。
一匹妖魔を殺せば、それだけ他の退魔士が生き延びることができるだろう。
「やめて!」
藪の中から、少女が飛び出す。鵺に飛び掛る。
いや、鵺を庇っているのだ。何故か、それが理解できた。
「やめて、トキを殺さないで」
「マユ、はなれていろといったのに」
鵺を庇う少女。少女を気つかう鵺。
これはいったいどういうことだ?
――――理由。
その獣はそう言った。
その目から、例えばこの土地に愛着が沸いたなどの下らない理由でない事は分かる。
これは譲れなさそうだ。どうしようもない。
ならば、自ずと選択肢は限られる。
自分達に牙を剥くか、それとも関わらずに生きていくのか。
出来れば後者を選んでくれる事を望みながら、掌中のナイフに力を込める。
「いやいや。人間なんて、必ず誰かには優しいもんすよ?
恋人なり、家族なり、自分なり。その優しさが俺は好きだから、こうしてあんたと向かい合ってる」
義虎が呟く。とっさに体を翻し、義虎と正対する。
やはり、この男には獣の言葉は届かないようだ。
彼が引き金を引く前に、その拳銃を弾き飛ばそうとし――――
いきなり何かが緊迫したこの場に飛び込んできた。少女だ。
混乱しそうになる頭を立て直し、ある一つの過程を組み立てる。
自分の予想が正しければ、これは――――
「彼女が、あんたの言う離れられない理由か?」
「そうだ・・・・このコといっしょにいたい・・・・」
鵺は隠さなかった。
この優しい青年を信じてみようと思ったからだ。
「トキは何も悪いことしてないよ。だから許して」
涙ながらに少女が訴える。
まだ小学生ぐらいの子供だ。
「おいおい、やたらとヘヴィなシチュだな」
呆れたように、しかし冷然と眼前の獣と少女、そして弓兵を等分に見る。
拳銃を構えて少女に向けている時点で、どうみても今の自分は悪役だ。
狩るべき獣と、それを庇う少女。
少女はどうみても、万民の盾である自分たちが守るべき存在だ。
彼は――少しだけ迷った。
――――実に単純な任務だ。
何て事は無い。この場に『妖魔』などいなかった。
後は、こいつが頷いてくれるかどうかだ。
ふっ、と体の緊張を緩め、己が体の張り詰めた弦をほどく。
「あんたにも大切な物がある以上、無駄に戦う事はね〜っしょ?
この少女以外の人間に姿を見せないっつー事で、手ぇ打ってみちゃどうだい?」
背後のヌエに呑気に語りかけた後、更にその体にすがる少女にも声をかける。
「マユちゃん、つったっけか?ここでトキ君が頷いてくれりゃあ、
お兄さん達、トキ君を傷つけずに済むんだけどな」
「むずかしいが、ワタシはマユとはなれたくない」
「私も、トキと離れたくない」
少女――マユが鵺の首に手を回して、ぎっゅと抱きしめる。
鵺――トキも少女の身体に顔を擦り付ける。
空気が弛緩する。
「おまえの、いうとおりに・・・・」
鵺が同意しかけた。
それを遮る様に、金髪の青年が舌打ちする。
「重藤、お前らはそれでいいかもしれないが、もしコイツの気が
変わったら、この小娘が食い殺されたら、どう責任をとるつもりだ?」
仕事仲間に問いかける。
「それにコイツは鵺、不吉過ぎる生き物だ。
後顧の憂いはさっさと断った方がいい。それとも、コイツを庇うのかお前が?」
鋭く冷淡な双眸が、彼らを見据える。
ピリピリとした殺意が、森を凍らせてゆく。
ふぅ、と息を吐きながら、再び弦を張る。
正直、ヌエよりもこの男を説得する方が難しいかもしれない。
「さて、な。今、この二人は共に居たいと願ってる。
後にどんな悲惨な結果が待ってようと、後悔はしねーはずだ。」
少なくとも、自分はそうだった。
それに、加えて。
「彼女やコイツの大切な物を『理不尽』に奪う事。
それをあんたは本当に正しいと言えんのか?」
袖口から無数のナイフを取り出す。
空気が、痛いくらいにのしかかってくる。
「そんな人間の決めた下らない観点で、物事は見てらんねーよ。
俺は自分で見て判断したんだ。彼女らは人間。だから、護る」
腕に力を込め、義虎の瞳を正面から見据える。
手首の動き一つで、その四肢を常に射抜けるように。
「はん――後から悔やむから後悔というんだがな。
俺らの眼の届かない範囲で、何かが起こってからじゃ遅いんだぜ?」
丹田に圧縮してあった『気』を解放する。
この男を、死なない程度にに叩きのめすのは難しそうだ
「我らは斬鬼衆――鬼切りの刃にして万民の盾。
お前の言ってることも多少わからんではないがな。
だが、俺らはあくまで人の側に立つ者だ。違うか?」
いつになく饒舌に語る。胸がざわめく。
この青年が言っていることは、先輩がかつて語っていたことと
一部重なるのだ。だから――
「じゃあこうしよう。俺を止めてみろ。それができれば諦める。
お前は、俺を叩きのめしてからコイツを殺す」
殺す、と口にした時には、トキは動いていた。
マユを前足で不器用に抱えながら逃げ出す。
【凄い誤字でした】
【×お前は、俺を叩きのめしてからコイツを殺す】
【○俺は、お前を叩きのめしてからコイツを殺す】
「ハッ――――かもな。けどな、確率が少なかろうが何だろうが。
誰も悲しまずに居られる道があんなら、俺はそこを行く」
既に初手は頭の中で組み立ててある。
殺さずに動きを止めれるか。否、この男を止めるには殺す気でやらねばならない。
それでも勝てるかどうかは分からないが。
「俺は斬鬼衆に入っちゃいるが、頭ん中まで斬鬼の志に基づいてるわけじゃねー。
他人に決められた価値観なんざ御免だ。ただ、自らそこに在る物を見て、自ら考える」
手の中のナイフが空に舞い上がる。けれどこれはフェイク。
ベルトに差してあるダーツの矢を抜き出し、手首のひねりを加え撃ち出した。
「これがその答えだ」
更に重量に従い落下してきたナイフを掴み、同じく四肢を狙い撃ち出す。
銃弾に匹敵する速さはあれど、それがこの男に通用するかどうか。
同時にかけだし、木々に身を隠す。
これで仕止め切れたとは思えない。
――――ヌエは逃げたか。いい判断だ。
>>86 【特に問題ありませんでしたので、お気になさらず】
ナイフが宙を舞う。無論フェイクだ。
ダーツに手がかけられた瞬間、彼の四肢は閃光の速度で動く。
眼に頼らず、風の流れを読む。殺意の流れ、その弾道から身を退く。
「はッ、斬鬼衆は、本当にどうしようもねぇやつらばっかしだな」
ナイフとダーツから身を退いて、そのまま弓兵を追いかける。
この男と相対した場合の戦法は、いくつか脳内で組み立ててある。
間合いを潰すことと、遮蔽物を利用すること。現在可能なのはこの程度か。
本当にどうしようもない。
例えば先輩例えば支部長
例えば日ノ本薫。例えば八雲天音。
例えば佐々木優希。例えば重藤柚紀。
分かり合えない。分かち合えない。それでも戦う。
拳と足に力を漲らせて、彼は追う。
「――――チッ」
軽く舌打ちをする。足に掠ってでもいれば、この追撃を逃れられたのだが。
ナイフの扱いと身のこなしには自信があれど、彼相手に自ら接近して戦う程愚かでもない。
学生服の背中の裏に当たる部分に手を伸ばし、取り出したのは銀色に光る円状の刃。
四枚のチャクラムだ。
「Multi―Curve―Shot。“ReAxel“」
ひとまず足を止め、背後を振り返り、構え投擲する。
一枚は、地面を削りながら高速で義虎に迫る。
一枚は、木々の隙間を縫いながらゆっくりと弧を描き向かう。
更に空中で再加速したそれを追うように、もう一枚が銃弾のように飛翔する。
「Multi―Quick―Shot」
ナイフを取り出し、義虎の動きを追う。回避した方向に四本全て、叩き込むつもりだ。
刃を向けるべき相手。
それを間違えないようにと『先輩』は教えてくれた。
確かに今の自分は――きっと間違えているのだろう。
理不尽なモノから全てを守り、そして戦う以外の道を模索している
という佐々木優希。きっと彼女とは分かり合えないだろう。
生粋の退魔士である八雲天音。
本来的には一般人である自分。
彼女とも、きっと分かり合えないだろうと、本当は気付いている。
そして彼――重藤柚紀。
投擲される四枚の刃。チャクラムというやつだ。
彼は回避行動を選択しなかった。
地面を這うチャクラムを『気』を纏った爪先で蹴り弾く。
必要なのは精緻にして最小限の動きだ。
弧を描いて飛来する刃をナイフで弾く。
それを追って直進してくる刃を、グロックの銃弾で打ち砕く。
そして前進。世界の歩みが遅くなる。
それは、古武術において縮地と呼ばれる歩方。
剣術使いの戦友から盗んだ技術だ。
間合いを潰し、彼の拳がマシンガンの如く閃く。
――――ハッ、あんたは重戦車かよ。
鋭く回転するチャクラムを蹴り飛ばし、更に二枚の刃もナイフと銃弾の前に沈む。
足りない。こいつの動きを止めるにはこれでは。
「Single―Strai――――!?」
力を込めた一矢を投げようとした一瞬、まるでビデオの早送りのように義虎が動いた。
あっという間に詰められた間合い。繰り出される拳。
それを防ぐも、衝撃で投げナイフを落としてしまった。
既にその手にチャクラムはない。
「くっ……!」
ベルトに差したナイフ――――正しこちらは近接用の頑丈な造りだ。
それを引き抜き、拳の嵐から急所だけをかばい、相手の動きに合わせる。
拳とすれ違いざまに腕の筋を狙い、白刃を振るった。
――遅い。
弓兵の繰り出した接近戦用のナイフを、指の間で受け止める。
動体視力や身のこなしは流石だが、この距離ではこちらに分がある。
ナイフごと腕を捻りあげて、手首に手刀を食らわす。
「覚えてるか、俺が斬鬼になって、白清に来た時のことを」
組み合った姿勢で、彼が囁く。
本来なら、戦闘中こんなことは決してしない男だというのに。
「あの頃の俺は、誰よりも弱かった。
だからお前らが何を言おうと、何をしようと、口を挟まなかった」
この弓兵も覚えているだろう。
一般人に過ぎない彼が、それでも必死に戦っていた時のことを。
「今の俺は、言いたいことだけは言わせてもらう。
その程度の力では、その意思は貫けない、守れない」
突き飛ばす。
「まだやるのか?」
「――――うぐっ?!」
捻られた手首に痛みが走る。
取り落とすナイフ。そして組み敷かれる己が体。
やはり、接近戦に於いてもこの男は、崩せそうな穴が見あたらなかった。
彼が何事か囁く。言いたい事は一つだろう。
『理想を追い求めるなら、それに似合う力を見つけろ』
確かに、義虎の言う事は正しい。事実、あの二人すら護れそうにない自分が此処にいる。
――――けれど。
「強けりゃ自分の好きにしていいのかよ?弱い奴は自分の意見すら言うなって?
…ふざけんな。俺はそんな生き方まっぴらだ」
突き放される。息が荒い。まだ腕が痛む。
――――退くわけには行かない。
「…っはぁ…はっ………知ってんだろ?放たれた矢は、止まんねーんだよ」
呟き、体制を取り直す。残り少ない投げナイフを持ち義虎を正面から睨む。
そして、一言。
「――――所で、残り一枚のチャクラムはどこ行ったと思う?」
その台詞と同時に、途轍もなく巨大な円を書いたチャクラムが
無防備な義虎の背中に飛来した。
「やはりお前は――お前らはそう言うよな」
彼は――苦笑した。滅多に見せない笑みだ。
しょうがねぇなという風に。気心の知れた相手に向けるように。
その言葉も、その信念も――やはり先輩と重なる。
彼は竜巻のように回転して、裏拳でチャクラムを叩き落す。
彼の手口は先刻承知であった。やはり抜け目がない。
その遠心力を乗せた回し蹴りが弓兵を襲う。
【あと2・3で〆ますかね】
――――やれやれだ。
少し見ない間に、化け物のように成長していく。この男は。
奥の手すら読まれている。万事休すと言う奴か?
「――――諦めて、たまるかよ」
繰り出される回し蹴りに、肘を合わせる。両腕で固定したとはいえ、肩が外れそうな程の衝撃だ。
けれど、止めたという事は勢いを殺したと言う事。
そして、幾ら義虎と言えど、片足が浮いたままでは移動など出来ないだろう。
「せいっ!」
気合いを込めた下半身が翻り、義虎の顎目掛けサマーソルトを食らわせる。
そして、宙に翻るその手に握られていたのは、漆黒の和弓。そして二本の矢。
この近距離で射った場合の己えの反動は計り知れないが
――――知った事か。
「――――穿て」
空中で弓を引き、義虎の額を狙い二本同時に『重籐弓』を放った。
【了解しました。】
蹴り脚が肘によって止められる。
――らしくもない。
肉弾戦では、埋められない彼我の差がある。
それを、この冷静な弓兵が、理解していないわけではないだろう。
相手の動きは、相手の殺意が教えてくれる。
サマーソルトキック。アクロバティックな動きだ。
それだけ切羽詰っているという証だ。
顎が蹴り抜かれる。インパクトの瞬間に『気』を集約したが、
それでも効いた。脳みそが上下に揺れる。
次手――膨大な気が集約。知らない。初めて見る技だ。
『――――穿て』
何かが来る。狙いは額。
それだけがわかっていれば、反応できる。
「業!」
吼えて、拳にソレを合わせる。
それは破壊の鉄槌だ。
両者の気が反発して、そして爆発した。
蝉が鳴いている。
ブレザーが、いい感じにボロボロになっていた。
「生きてるか、シゲ?」
弓兵に呼びかける。
何故か、呼び名の新密度がアップしている。
爆発。吹き飛ぶ己が体。そして義虎。
並大抵の技では読まれると思った故に、放った。
宙に浮いていた己が体が、爆風に翻弄され、宙を舞い、木に叩きつけられた。
「―――かっ…は!」
肺の中の空気が全て絞り出される。しかも、両の矢を撃ち尽くしてしまった。
後二、三本矢が放れるかどうか。
未だに両の足で地面に立っている義虎。
――――どこまで頑丈なんだこの男は。
よたよたと立ち上がりながら、どうにか返事を返す。
「取り敢えず……っ…死んでねー……」
肩で息をする。体力はもう無い。
「…どうすんだ?彼女達を」
よろめきながらも、何とか立ち上がる弓兵。
『気』と『体力』はもう底をついているはずだ。
前衛職と、後衛職とでは、根本的に鍛え方が違う。
その差が如実に現れている。
「あー・・・・そうだな・・・・」
ガリガリと頭を掻く。
何となくだが――
このまま彼女たちを追い詰めても『先輩』は喜ばないだろう。
いや、きっと彼女ならあの二人を守ろうとするだろう。眼前の青年のように。
「なんか気が削がれちまったな。お前に任す」
天音あたりなら、きっと甘いというのかも知れない。
自分でもそう思う。けれど――
「つーか、なんで殺しあってたんだ俺ら?」
自分で言い出したことを、すでに忘却の彼方へ葬り去ろうとする。
「さっさと帰ろうぜ。
俺が運転していくから心配するな」
恩着せがましく言う。
そして自分のしたことも、不問にしようとしている。
『なんか、気が削がれちまったな。お前に任す』
――――本当に、手のかかる。
ようやく、張り詰めた弦が緩む。
いや、それ以前に既に弓もゆがけもボロボロだ。
「…素直じゃねーなぁ。ったく」
嬉しさ半分、苦笑半分を混ぜながら、どうにか足を動かし、義虎の肩を叩く。
――――本当に、こいつは変わった。
多分、それは良い方向に。
「戦ってた理由?んな物忘れちまったよ。
義虎が運転ねぇ…事故んなよ?…さって、何か食いに行こうぜ」
軽口を叩きながら、義虎の先を歩き、森の外に向かう。
あの獣は、これからも人に姿を見せる事なく生きるだろう。あの少女を除いて。
――――これが、俺の残した結果。母さんや、アイツは俺を褒めてくれっかな?
出口付近で振り返り、満面の笑みで背後の青年に一言。
「――――たまにはこんなのも、悪くねーだろ?」
【これで〆と致します。長時間有り難うございました】
【何分遅筆ですみません。お疲れ様でした。ではノシ】
「――さあな」
肩を竦める。
二人並んで森を出る。
日が暮れる。紅く染まった夕日。
暖かく穏やかな色。今日の戦いは――
いや、よそう。また明日考えよう。
とりあえず二人は自転車に乗って、走り出した。
【こちららこそどうも】
【またいずれノシ】