>>98 やあ、君もお疲れさま。
質問は勿論受け付けるけれど、「割り込み」ではないし僕はこの場所でも交流所の方でも
「誰でも来てくれたらとても嬉しい。条件は「分かりたいと望んでいることだけ」だよ」と
言った筈なんだけどな。分からないことは謝ることではないから、orzしなくて大丈夫だよ。
君も卑屈になる必要は何処にも無いよ。
>見失いそうになったときは、「心」と「選択肢」は最初からあるという思い込みを捨てて、
何かしようとする時、例えばAという選択肢とBという選択肢があるとするね。
その時、君の中にある「心」はAとBという選択肢に「限定されている」。
「既存の概念」や「選択肢は最初から今知っていることの中にあるんだという思い込み」と
言い換えてもいいかも知れない。
そういう時は、一度「選択肢」を捨てて、自分が本当に何をしたいのか、何をするべきなのかを
素直な気持ちで見つめてみるといい、ということなんだ。
他人がこう言ったから、とか状況がこうだから、とかは一度捨てた上でね。
(補足すると、「他人の意見」や「状況」を考えすぎると、自分の本当の望みが見えないうちは)
(足枷になることも多いから、自分の素直な気持ちが固まってから考えた方が効率的なんだ)
変な例えだけど、美味しいケーキが食べたいという望みを持っていて、アップルパイを食べようか
ブルーベリータルトを食べようか迷っていた時に、一度その「選択肢」を捨てて心のままに
ケーキ屋に行ってみたら、新商品のストロベリームースがあって、
「今まで知らなかった、ストロベリームースという選択肢の方が美味しそう」なこともあるということだよ。
>それらが持つそもそもの理由をひとつずつ追求してみるのも興がある。
これは、「アップルパイを食べたいのかブルーベリータルトを食べたいのか?」と
「選択肢を限定して考える」のではなく、「そもそも自分は何がしたいのか?」という理由を追求して
みるのも面白いということだ。今の例で言うと、「美味しいケーキが食べたい」というのが
「望み」であり、ケーキ屋に行った「理由」だ。
「自分自身が何をしたいと望むのか」。
勇者の「僕」が言っていたことは、それを見付ける為の一つの「手段」だよ。
君の質問にはこれで大丈夫かな。
分からない部分があったら、遠慮無く言ってくれて構わないからね。