【死ぬ気で】リボーン総合15くぴゃ!【犯す!!!】
名前を呼ばれ、誰かに身体を揺すられているのに気付いた風祭将(男子7番)は、ゆっくりと瞼を開いた。
とっさに目に入ったのは、心配そうに自分を覗きこんでくる、チームメイトであり親友でもある水野竜也(男子29番
)の顔。
(あれ……水野くん…?なんで……ここ、どこ……?)
ややトロンとした目付きで、将は水野から視線を少しずらす。
そこはひどく薄暗かった。
窓があるのだろうか、月明かりが差し込んでいるおかげで目を凝らせば何があるのかは大体わかる。
ぼくが今腕を組んで寝ていたもの……これは、机?
座っているのは……椅子、だよね。
教室みたいだな、と覚醒したての将の脳は認識した。
大人数が暗闇の中、犇めき合っている気配がする。
ただでさえ寝起きでぼんやりとしているのに、目に入るものは更に曖昧で漠然としたものばかりであった。
故、とっさには思考は繋がらない。
自分の中で消化しきれなかった場合、他人に頼るというのは当然の流れで。
その例にもれず、将は水野に尋ねてみることにした。
「水野くん……ここ、どこ……?」
そう口にしておいてから、あ、ちょっと唐突な質問しちゃったかな、などと思う。
将の問いに水野は首を横に振った。
「わからない……気付いたら、ここにいた。…他のやつらも……」
「ほかの……」
水野の言葉をやや鸚鵡返しに呟いた将だが、そこでようやく今までのことを思い出した。
そうだ。
ぼくらは合宿に行くところだったんだ。
選抜メンバーでの強化合宿。
チームワークをより強いものにするための、いわば親睦も兼ねている、と西園寺監督は言っていた。
強化するのは体力、技術、そういった基本のものではなく、メンタル部分の強化という方が実際の名目らしい。
つい最近のソウル選抜戦の時、それをぼくらは痛いほど思い知ったから。
同時に得るものもたくさんあったけど。
それでもそれなりに親睦を深めてきていたぼくらだから、今回の合宿は結構楽しみだった。
修学旅行や、宿泊訓練みたいなノリがあったのかもしれない。
そんなこともあってか、移動中のバスの中は皆ドンチャン騒ぎだった。
浮かれて騒ぐぼくらを見て、西園寺監督が苦笑していたのを覚えている。
それから……
それから?
「遊びに行くんじゃないのよ。これから皆には…………を、してもらうんだから」
???
その先の西園寺監督の言葉が、思い出せない。
将の記憶は、そこから不自然なほどプッツリと途絶えてしまっていた。
気付いたら見知らぬ場所で眠っていて。(教室らしいと将は判断したが)
そして、目の前には水野がいたのだ。
今の将に分かるのはそれだけだった。
「皆も、いるの?」
ようやく意識がハッキリとしてきたのか、将は姿勢を正すと正面の水野に問い掛けた。
人が自分たちの他にもいるということは分かる。何を言っているのかよく聞こえないが、ザワザワと集団で会話して
いる声がするから。ただ、薄暗い視界のせいで誰が誰なのか今の時点ではよくわからなかったが。
水野は今度は縦に首を振った。
「そうみたいだ。起きたら、俺はさっきまでお前みたいに机に突っ伏していて……」
そこで少しだけ眉根を寄せる。困惑した表情だった。
「……目の前に、三上がいた。俺はどうやら三上に起こされたらしい」
「三上先輩?」
思いもよらない名前を口にした水野を見て、将は目を丸くする。
なんで?
なんで三上先輩??
三上亮は選抜メンバーではない。
だから、当然合宿に参加しているわけでもないのだ。
では、何故?
将はますます混乱してしまっていた。
それならここは合宿所ではなく、武蔵野森学園の教室だとでも言うのだろうか。
「どうして三上先輩が……」
戸惑いを隠せないでいる将を一瞥した後、水野は動揺を抑えたような声色で続けた。
「三上だけじゃない。シゲもいる。不破と小島も…あぁ、桜上水の女子サッカー部も全員いるな。それに……」
「え?ちょっと待って水野く……」
なんでシゲさんがいるの?不破くん、それに小島さんまで。
女子サッカー部のメンバーも?どうして?
そう続けようとした将だが、ふいに暗闇から現れた人物を見た瞬間、驚きのあまり声を失ってしまった。
「風祭……目が醒めたのか」
その声。
その顔。
記憶に新しい。
というか、忘れる訳がない。
「天城!?」
ガタンと椅子から立ち上がり駆け寄る。
どうして天城が。どうしてここに。どうして。
天城はドイツに行ったはずなのに。
将の脳内はもはや疑問符に占領されてしまっていた。
だが、確かにそこには天城燎一(男子20番)が存在していたのだ。
水野は天城をチラリと見やった後、ふう、と溜め息をついた。
「それに……天城もいる。何故かは本人にもわからないらしい」
「なんで……」
水野のセリフなどろくに耳に入っていないようで、将はただ驚きの表情をして目の前の天城を見上げている。
天城は困ったような顔をして、口を開いた。
「…この場合…『久しぶり』とでも言うべきなのか……」
「天城…どうして、…ドイツに行ったんじゃ……」
「……水野が言った通りだ。俺にもわからない。逆に教えて欲しいくらいだ」
そう呟く天城の声には、こころなしか悲壮感がまじっていた。
無理もない。
さっきまで自分はドイツにいて母と義妹と一緒に過ごしていたのだ。
だが、天城には思い当たるフシが一つあった。
敢えて将達に言おうとはしなかったけれど。
突然家に訪れてきた5人の黒服の男達。
そのうちの一人が日本人だというのは、外見ですぐに分かった。
その男は聞くに久しいおざなりな日本語で、こう言った。
「天城燎一君ですね。あなたを日本版『プログラム』に特別ご招待致します」
天城はハッキリと覚えている。
それから男は懐から何かを取り出し、それを天城に向けた。
そこまでだ。
その先は、やはり将と同じように不自然に記憶に空白が出来ているのであった。
天城も気付いたら机に伏して寝ていたらしい。
「……どういうこと……?」
上手く状況が把握できない将は、ただ漠然と天城と水野をかわるがわる見るしかなかった。
二人とも厳しい表情で黙り込むだけで、期待しているような返答は何も得られはしなかったが。
そこで将はふと水野が妙な服装をしているのに気付いた。
制服のようなものだった。
ベージュのブレザーで、白いワイシャツには若草色の細身のネクタイが絞めてある。
そして何よりも目を引いたのは、その首もとで不気味に輝いている銀色の輪。
バスの中で着ていたものと明らかに違う。彼はジャージを着ていたはず。
考え込む将だが、よくよく見てみれば天城も水野と同じ格好をしていた。
それで初めて、自分もその服を着ているということに気付く。
着替えた覚えはまったくない。将も水野と似たようなジャージを着込んでいた。
もちろん、このような服を自分が持っているはずもない。
喉元に感じるヒンヤリとした感触に、今更ながら動揺してしまう。
「…なに、これ……なんでぼくらこんな格好してるの……?この首輪は……?」
口にしながらも段々と不安になっていく。
自分の記憶が途中からすっぽり抜け落ちてしまっているというのも充分薄気味悪かったが、何よりそれ以上にわから
ないことが多すぎる。それが不安を更に煽っていた。
さっきから『何故』だらけだ。
だが、そう思いながらも口に出さずにいられない。
目の前の水野と天城は、ただ困ったような顔で見てくるだけ。
相変わらず、薄暗い教室の中ではザワザワと雑談の声があふれていた。
きっとそれらの声も、自分達と同じような会話をしているのだろう。
「たぶん、俺達『特別プログラム』に参加させられるんだよ」
その時だった。
場の雰囲気に凡そそぐわない能天気な声が聞こえてきたのは。
水野と天城がハッとした表情で声のした方を振り向いた。
将は目を細めてその人物を見つめた。
将の位置からすれば真正面にいるその声の主は。
「藤代くん!」
今度は将はさほど驚かなかった。
天城や三上など、ここにいるはずのない人物よりは、まだ考えうる範疇にいる人物だったからだ。
同じ選抜メンバーの名FWで、武蔵野森のエースストライカー。
藤代誠二(男子25番)は、「よっ」と手を振りながら近づいてきて、近くの机に座った。
やはり服装は将達のそれと同じだった。
ただ、ネクタイはかなりだらしなく緩められてはいたが。
水野と天城は、ただ険しい表情で藤代を見ていた。
将はその視線に気付いていない。
気付いたとしても、それの意図するものなどその時の将には理解出来なかっただろう。
「藤代……」
押し殺したような声で天城が呟いた。
それを特に気にするわけでもなく、藤代はいつもの軽口を叩くような口調で続けた。
「俺見たことあるもん、雑誌で。俺達が着てるこの服…コレさ、間違いなく『プログラム』用の制服だぜ」
藤代の言葉を聞いた途端、水野と天城が顔を強張らせる。
「あと、これこれ。この首についてるやつな。これが例のアレだろ?ほら……」
「藤代。やめろ」
調子に乗って喋り続ける藤代を、天城が視線で制した。
藤代は一瞬きょとんとした後、楽しそうな表情で天城の顔を覗き込んだ。
「なんでー?」
「不謹慎だ。それに、まだ『そう』と決まったわけじゃない。適当なことを言って周りを混乱させるな」
「ヒッデェなー、だから適当なんかじゃないって。これ絶対『プログラム』だよ」
「藤代!!」
将は思わず肩をビクリと震わせた。
ただならぬ雰囲気に少しだけ怯えてしまう。
天城がふいに声を荒げたのだ。
押し殺した天城の低い声だからこそ、余計迫力があった。
天城はそのまま無言で藤代を睨みつけた。常人なら逃げ出してしまいそうなほどの鋭い目付きで。
一方藤代の方はというと、ひょいと肩を竦めただけで、別段驚いているふうでも怯えているふうでもなかった。
そこで沈黙が訪れる。
水野は、ただ呆然としていた。
その表情は、恐怖とも、悲壮とも、困惑とも、絶望とも何にでも思えて。
「あ…あの……『プログラム』って…?」
何故そんな雰囲気になってしまったのか、まったく分からない将がその場の雰囲気を取り持つために口を開いた次の瞬間。
ふいに強烈な光が辺りを包みこんだ。
その眩しさに場にいる人間の殆どがとっさに目を塞ぐ。
実際はただの蛍光灯をつけただけなのだが、薄暗い闇に目が慣れてしまっていた連中にとっては、それはカメラのフ
ラッシュほどの眩しさを感じるものだったのだ。
「はいはい。おしゃべりはその辺にしておいて、皆自分の席に戻ってちょうだい」
パンパンと手を叩きながら、名簿を持った西園寺玲が教室の前のドアから現れた。
同時に、迷彩服を着込んだ兵士が数人一緒に入ってくる。
その場にいたものの幾人かは、心の底から絶望した。
『それ』が何を意味するのか、他の知らない連中よりほんの少しだけ早く知ってしまっているだけだというのにも関わらず。
突然教室に入ってきた西園寺を見て、その場にいた誰もがあっけにとられていた。
同時に、一緒についてきた兵士を見て顔を強張らせる。兵士は全員重そうな銃を持っていた。
「ほら、何してるの。皆早く自分の席に着きなさい。今から説明するから」
西園寺は黒板の前まで来ると、持っていた名簿で教卓をトントンと叩いた。早くしろ、という合図だ。
だが、自分の席に着けと言われても、どの机が自分の席なのかわからない。
何せ、記憶が途切れて起きた先がこんな訳のわからない場所だったのだから。
当然誰も席に座ろうとせず、ただ困惑した表情で目の前の西園寺と兵士を見ていた。
「早くしろ!!」
見かねた兵士の一人が、声を荒げた。その場にいた少年少女達がビクンと身震いする。
「…ああ、いいのよ。自分の席がわからないんでしょう、多分」
苦笑しながら西園寺は、手前の席を指差した。そこにいた者達は自然にその指先を視線で追う。
「机の右端に紙が置いてあるでしょう。そこに名前が書いてあるから…それぞれ自分の名前が書いてある場所に座っ
て下さい」
なるほど、古ぼけた机の右上には小さな紙が置いてある。
しかし、それを確認しつつも、未だ誰も席に着こうとはしなかった。
西園寺はふう…と溜め息をつくと、すぐ横の兵士に目配せする。
それに頷いた兵士が、脇に抱えていた機関銃を天井に向けて発砲した。
ガアン!!
耳を劈くほどの銃声に、その場にいた者達は耳を塞ぐ暇もなかった。
パラパラと天井の欠片が落ちてくるのを、兵士と西園寺以外の誰もが絶句して眺めていた。そこには、直径2、3センチほどの小さな穴が開いていた。
「どうしたの?…いい、もう一度言うわよ。早く自分の席に座りなさい。これは命令です」
教卓の上に名簿を載せると、西園寺はにこやかな表情で静かに言った。
「でないと、…この……えっ…と……」
たった今天井を射撃した若い兵士をちらりと見やる。
その視線に気付いた兵士は、苦笑しながらヘルメットをくい、と上げた。
「――――久御山です、西園寺センセ。いい加減俺の名前覚えてくださいよ」
「ああ、そうそう、久御山くんだったわね。…彼の持ってるマシンガンの銃口が貴方達の方に向けられることになるわよ。そうされる前に早く席に着きなさい」
冷ややかに言う西園寺に気圧されたのか、それとも兵士が発砲したことに怯えたのか。
今度は誰しもが慌てた様子で席に着いた。自分の名前が書いてある机を、必死で探して。
全員が席に着いたことを確認すると、西園寺は教卓に立ってゆっくりと教室全貌を見渡した。そして満足そうに頷く。
「はい、みんな席に着いたわね。それじゃあ今から説明をします。ちゃんと聞いてるのよ」
様々な視線が飛び交うなか、西園寺は黒板の方を向くと、赤のチョークで大きく『BR法』、とだけ板書した。
その瞬間、若干数名が反応を示した。ごくりと唾を飲む音が聞こえる。中には拳を握り締めて苦悶の表情を浮かべて
いる者もいた。
板書し終えた西園寺は正面に向き直ると、凛然とした口調でキッパリと言った。
「今日は、みんなにちょっと殺し合いをしてもらいます」
教室の中を、動揺が走る。
悲痛な呻き声があちこちから聞こえてきた。
未だ意味がわからず、ただ困惑しているもの。ああやっぱりそうだったか、と半ば諦めの表情をしているもの。
その反応は様々だったが、共通しているのは誰もが不安と恐怖が入り混じった心情を隠せないでいる、ということだ
った。
西園寺は特にそれを気にする様子もなく…むしろ楽しんでいるかのように言葉を続けた。
「ここにいる皆さんは、今年度の『プログラム』に参加することが決定しました。私は、皆さんの『担当』になった
西園寺玲と言います。知らない人は覚えておいてね」
『プログラム』。
その言葉に、殆どの少年達が反応した。
それを知らない者も、場の雰囲気と先ほどの西園寺の「殺し合い」という単語で大よそのことを理解する。それはほ
ぼ絶望に近い確信だったけれど。
悪戯を思いついた子供のように、ふいに西園寺がクスリと含み笑いを洩らした。
「すごい倍率なのよ、これ。みんな大ラッキーだったわね。フフ」
「……っ、ざけんじゃねぇ!!」
突然、バン、と机を強く叩きつける音が響いた。
全員が一斉にその音がした方を見る。そこには強面の大柄な少年が一人立っていた。
今までも何回か西園寺に突っ掛かり、衝突を繰り返していた選抜メンバーの一人。男子22番、鳴海貴志だった。
「どうしたの、鳴海くん?質問があるならまず挙手してから起立してくれないと困るわ」
首を傾げるその西園寺の仕草に、鳴海はますます怒りが煽られていくのを感じた。
「うるせえ!何が大ラッキーだ!ろくでもねえことばっかぬかしやがって!!」
「あら…名誉なことなのよ、とても…」
「ふざけんな!わけわかんねえ場所に拉致されて、殺し合いさせられることのどこが名誉なんだよ!!第一、いきな
り言われたって信じられるか、そんなもん!!」
顔を真っ赤にして一気に捲くりたてる。それを涼しげな表情で見やって、西園寺はふいに着ていたジャージの懐に手
を入れた。何かを取り出す仕草だった。
「鳴海、よせっ!」
不穏な空気を誰より早く感じ取り、立ちあがったのは鳴海の右隣に座っていた渋沢克朗(男子17番)だった。今にも
西園寺に飛び掛っていきそうな勢いの鳴海を、必死の形相で抑え込む。
「離せ渋沢!あの女、ブッ飛ばしてやる!!」
「馬鹿!そんなことしたらお前が殺されるぞ!見ただろう、今あの男が天井に発砲したのを!!これは虚言でもなん
でもない、現実だ!!」
「そん……!!」
そんなの知るか、と続けようとした鳴海だが、西園寺が手にしているものを見て硬直してしまった。
それは小振りの拳銃だった。そして、銃口は紛れもなく鳴海本人に向けられていたのだ。
「鳴海くん?静かに説明を聞きなさいとさっき言ったはずよ。それとも……」
キチ、とトリガーに指をかける。
「――――それとも、その脳天に弾丸をご馳走して欲しい?」
教室がシンと静まり返った。だからこそトリガーをギリギリで引く音が余計に響いた。
渋沢に抑えつけられたまま、鳴海はそれなり何も言わなくなった。
彼のこめかみを、冷たい汗がゆっくりと伝い落ちてゆく。
俺は怯えているのか。鳴海は頭の隅でそう思った。
怯えている?この俺が?…こんな女相手に!!
それは鳴海にとって、この上ない屈辱だった。
激昂の懸念が沸いてくる。だが、それとは裏腹に声が出なかった。いや、出せなかったというのが正しいだろう。
渋沢が肩を掴む手にぎゅっと力を入れてきた。
落ち着け、こらえろ。
そういう意味が込められているというのが分かったのは、渋沢の顔を見た時だった。
真っ直ぐな目で、目の前で銃を構えている西園寺を見据えている。厳しい表情だった。練習でも、試合でも鳴海はこ
んな渋沢の顔は見たことが無い。
「…まあ、いいわ。渋沢くんに免じて今回は見逃してあげる。早く席に着きなさい、鳴海くん。渋沢くんも」
くい、と顎をしゃくって指示する。もちろんその手には拳銃を握ったままだ。トリガーに掛けた指もそのままだった
。
渋沢は無言で着席した。だが、鳴海はすぐには座らなかった。憑き物がおちたような表情で立ち尽くしている。
渋沢が「鳴海!」と小声で呼びかけてきた。しかし、鳴海の身体は未だ大人しく指示に従うことを拒否していた。
「渋沢くんの誠意を無駄にするつもり?」
西園寺のその言葉で我に返った鳴海は、乱暴に椅子に座った。俯いたまま、ギリ、と歯を食いしばる。こんな女に屈
服するのか、俺は。
そんな鳴海を西園寺は心底楽しそうに眺めながら、
「そう、それでいいのよ。…いいキャプテンを持ってよかったわね。命拾いできて」
ワザと煽るようなことを言う。命拾い、という単語にアクセントを置いて。鳴海は怒りで気絶しそうだった。頭は屈
辱感と憎悪に支配されていた。
しかし先刻のように立ちあがることは、もう出来なかった。西園寺が未だに銃から手を離していなかったからだ。
「さて。説明の続きをします。進行を妨げた人は容赦なく撃ち殺すから、みんなもそのつもりでね」
もう誰も何も言わなかった。ただ、黙って目の前の西園寺を見つめている。
「みんな、プログラムって知ってるわよね?別名『バトル・ロワイアル法』とも言うけれど。知らない人もいるみた
いだから、今から説明します。…ああ、何も難しいことではないわ。ただ、ここにいる男女35名で、最後の一人にな
るまで殺し合いをしてもらうだけです。ね?簡単でしょう?」
簡単なもんか。
心の中でそう毒づいて、椎名翼(男子15番)は机の上に組んだ手をぎゅっと握り締めた。怒りで震える自分の身体を
抑えるために。
幸か不幸か、この場合やはり後者の類に入るのだろうが、椎名の座っている席は教卓の目の前だった。顔を上げれば
すぐ前に、よく見知った女性……今、銃を手に持ち、にこやかな笑みを浮かべてふざけたことを延々説明している西
園寺がいる。
だが、彼は敢えて顔を上げようとはしなかった。自分たちを殺し合いのゲームに参加させようとしている、そんな女
が今まで信頼してきた人物だとは、到底信じることが出来なかったからだ。
『プログラム』のことは知っていた。
少年少女達による、一名枠の生き残りを賭けた殺し合いのゲーム。
一年に一度、政府が全国の中学三年生の中から任意の50クラスを選んで、それに強制参加させるのだ。
最近はいろいろと応用をきかせているようで、例えばクラブ団体など様々な方面に趣向を変えたプログラムも、今ま
で何回か実施されている。
それはニュースで報道されはしているが、年に一度、しかもそれは優勝者のインタビューと他の死んだ生徒の名前と
死因をおざなりなテロップで流すだけで、ひどくあっさりとしたものだった。
だから、椎名は実際に殺し合いが行われているのを、いまいち実感することが出来ないでいた。
ましてや、自分がそれに選ばれることなど。
だが、事実今はそれに参加させられ、滑稽にもレクチャーを受けているのだ。あまりにも馬鹿らしくて、思わず笑い
がこみ上げてくるのを慌てて堪えた。
あれは、誰だ。
銃を手に持ち、それをあまつさえ俺達に向け、そして「殺し合い」の説明をしている。あの女は、誰なんだ。
椎名が腕を組み変えた時、ふいに隣に座っていた女子が手を上げ立ちあがった。
「ひとつ質問したいことがあるのですが」
見知った顔だった。確か、桜上水のマネージャーか、何かではなかったか。
後ろの方で「小島!」と叫ぶ水野の声が聞こえた。そうだ、名は小島と言った。
椎名は桜上水と試合をする前に、一緒にフットサルをした少女のことを思い返していた。
それが今隣に座っている少女、小島有希(女子2番)だったのである。
「はい、何かしら?え…と、女子2番の小島有希さん」
名簿を見ながら西園寺監督が穏やかに返事をする。
「ここに集められた人達の繋がりがよくわかりません。『プログラム』は、クラス団体やクラブ団体で行われるもの
なのではないのですか。見たところ、女子は私を含めても5人しかいないみたいですけど。これはどういった意味があ
るのですか」
「ああ…」
小島の質問に、西園寺監督は思いついたように腕を組み直す。ゴトリと銃が教卓に置かれ、参加者達は一時的にほっ
と安堵の溜め息を洩らした。
「それは説明してなかったわね。いいわ、教えてあげる。…あのね、今回のプログラムには実験的な意味合いもある
の。…まあ、毎年微妙に新しい試みはされているのだけれど。最初に選ばれたのは東京選抜メンバー22人。…でも、
これはデータを取るには少なすぎる人数だったのね。それで急遽参加者が追加されたって訳。選抜に落選した人、選
抜メンバーと関係のある人、まあ様々ね。小島さん、あなたたち桜上水女子サッカー部の人達は、貴重な女性参加者
として招待されたのよ」
始終笑顔を絶やさずに説明を続ける西園寺監督を見て、小島は眉根を微妙に寄せた。
そして「わかりました」とだけ口にすると、静かに席に座った。その声は明らかに理不尽な政府の処置に対する怒り
が含まれていた。
「他には?何か質問はあるかしら?遠慮無く言ってくれて結構よ」
「はい」
西園寺の言葉に、今度は廊下側の席の方から手が上がった。皆一斉にそちらの方を向く。
「男子3番の李潤慶くんね。何かしら」
はーい、と笑顔で立ちあがったのは李潤慶(男子3番)だった。二つ後ろの席では、彼の従兄弟の郭英士(男子5番
)が険しい表情で見守っている。
「じゃあ、どうして韓国人のぼくが参加させられるんですか?これって結構問題なんじゃないのかなぁ。下手したら
お国同士でバトル・ロワイアル、なんてことも充分ありえると思うんですけど」
流暢な日本語を操り、物騒なセリフを次々と紡ぎ出す。
しかし、李の口調は言っている内容とは裏腹に、期待を含んでいきいきとしていた。
「ああ、それは問題無いわ。あなたがここに呼ばれたのも、実は今回の試みの一つなのよ。あなたは以前に東京選抜
メンバーと戦った相手だし、それに従兄弟の郭くんもいるみたいだしね。でも大丈夫、あちらの了承は得ているから
。むしろこれは日韓の友好を深める目的も兼ねているの。だから安心して殺し合って頂戴ね」
「あ、そうなんですか。はい、わかりました」
あっさりと納得して席に着く李を、西園寺は満足そうに眺めていた。それとは対照的に、郭は厳しい顔で見つめてい
たけれど。
今までの説明を聞きながら、天城は小さく舌打ちした。
なるほど、自分がわざわざドイツから召還されたのも、要はただの人数合わせといった名目なのか。
きっとドイツ政府の方にも承諾をとってあるのだろう。
他に質問はあるかしら、と西園寺は教室全体を見渡した。だが、それ以後誰も手を上げ様とはしなかった。
「…無いみたいね。それでは今からプログラム説明のビデオを上映します。皆、おしゃべりなんかしないでちゃんと
観てるのよ」
西園寺がパチンと指を鳴らすと、二人の兵士がガラガラと何か大きな箱を運んできた。それはテレビとビデオが取り
付けられているワゴンのようなものだった。
兵士の片方が小さなリモコンを取り出し、再生のスイッチを押す。すると、派手で壮大なBGMとともに底抜けに陽
気な女性の声が教室に響き渡った。
『はーい!名誉ある今年度プログラムに参加する皆さん、こんにちわー!!』
「香取先生!?」
テレビに映った若い女性を見て、桜上水メンバーは全員仰天した。
無理もない。自分たちの顧問であり、教師でもある香取夕子がテレビの中で元気に手を振っていたのだから。
「…なんで夕子ちゃんがテレビに映っとんねん…」
半ば呆れたような声でボソリと呟いたのは、男子13番・佐藤成樹だった。彼もまた選抜メンバーに関係無く、プロ
グラム参加者にさせられたうちの一人だった。
困惑する生徒たちなどおかまいなしに、香取は説明を始めた。
『これから正しいバトル・ロワイアルをしてもらうための説明をしまーす!みんな、よく聞いててくださいねー!!
』
そう言って大きなモニターの前に立つ。黒い画面に緑色の線で、何か地図のようなものが映し出されていた。そのう
ち一部分だけ赤く光っているところがあった。そこを香取は教鞭のようなもので指し示す。
『皆さんが今いる場所は、ここ。とある小さな離れ島にある、今は廃校となった校舎です。これから皆さんには2分
のインターバルを置いて一人ずつ校舎から出て行ってもらいます。そして、最後の人が出て行ってからの3日間、命
懸けのサバイバルゲームに挑んでもらいます。細かいルールやペナルティなどといったものは一切ありません。要は
殺し合いです。生き残れるのはたった一人!優勝者は、この先一生の生活が保証されます。なんと、国民栄誉称まで
もらえちゃうんです!!』
命懸けだとか、殺し合いだとか散々物騒なセリフを吐いて、香取はモニターをコンコンと教鞭で叩いた。
『繰り返しますが、優勝者は一名のみです。ですが、3日間という決められた期限内に優勝者が決まらなければ、残
念だけど、その時点で参加者全員には死んでもらいます。24時間内に一人も死亡者がいなかった場合も同じです。だ
から、そんなこと無いようにみんな積極的に殺し合いに参加しましょうねー♪』
それでは、次にいくつかの禁止要綱を説明しまぁす。
笑顔で明るく言った後、香取はモニターに映された地図を教鞭で指した。地域が碁盤目上に区分され、それぞれにF
−3だとかD−4だとか記号のようなものがついている。
『この島には、禁止エリアというものがあります。簡単に言うと「入っちゃダメ」って場所のことで、これは時間ご
とに指定されます。この、C−2、とかそういう記号が区域の名前です。ちなみに、最後の人が出て行ってから20分
たつと、学校は禁止エリアに指定されるから気をつけてね。忘れ物なんかしちゃダメですよ?
でね、どうしてこんなものが決められているかっていうとね、その場に隠れて1歩も動かない人が毎年いるからなん
だって。だから、ゲームの進行を円滑にするためにそれが実行されたのね。入っちゃいけないのは、この時間ごとに
指定される禁止エリアの他に海があります。海に逃げようとすると、船に待機している兵隊さんに射殺されちゃいま
すよ〜。
そうそう、禁止エリアの指定は午前・午後の6時と12時、一日4回島の放送で流しますから、その時にチェックし
て下さい。死んだお友達の名前も発表するから、皆寝坊して聞いてなかったーなんてことないようにね。わかったか
な?…ハイ、それでは皆さん、自分の首元に注目してくださ〜い!』
少年達は一斉に自分の首に填められている銀色の輪に触れた。
『これはねー、スッゴイ機械なんですよー。完全耐熱、防水、耐ショック性で、皆さんの心音パルスをセンサーで判
別して、こちらのコンピュータにデータを送信してくれます。それでその人の生死を知ることが出来る訳です。もち
ろん位置もチェックできます。それとね、この首輪にはもうひとつ大事な機能が付いていて…さっき話した禁止エリ
アね、そこに侵入すると、こちらから逆に電波を送って……ドッカーン!!』
敢えて勿体ぶってから、香取は胸に持ってきた両手をばっと広げた。
説明を大人しく聞いていたうちの何名かが、一瞬ビクリと身を震わせる。
『…こんなふうに爆発して、頭と身体がバイバイしちゃいまぁす。怖いね〜』
両手を組んで口元に持ってくると、ブルブルと震えるような仕草をする。しかし香取の声はむしろ楽しんでいるふう
だった。
『あ、間違っても無理に外そうとしないようにね。その場合もセンサーが反応して爆発しちゃいますから』
そう言って今度は画面外から何やら大きなスポーツバッグらしきものを取り出す。
『でも、安心して下さい。何も皆さんを丸腰のまま外に放り出すわけではありません。こちらでサバイバル道具一式
と、武器を用意してありますので』
チャックを開けて、腕時計、方位磁石、懐中電灯、地図、鉛筆、パンが3つ、ペットボトル(おそらく水が入ってい
るのだろう)を一つ一つ説明しながら取り出した。
そして香取が最後にそのバッグから取り出したものは……コルトガバメント。拳銃だった。
わぁ、と嬉しそうな顔をしてそれを様々な角度から観察する。
『これが武器ですねー。あ、でも全員が同じ武器という訳ではないので、その辺は気をつけてね。これはアタリの部
類に入っていますけど、中にはハズレもありますから。ハズレが当たっちゃった人は、他の人から奪うなりしてアタ
リの武器を手に入れて下さいね』
エイ、と銃を上に向けて発砲する。
その銃声に、香取は「ひゃあ〜」などと言って目を丸くさせていた。
『それでは、これで説明を終わります。香取夕子でしたぁ。みんなー、頑張って殺し合いをするんだぞー!特に桜上
水のみんな、夕子応援してるからね☆』
そこでプツリとテープが途切れた。残されたのは「サー…」というノイズだけ。
兵士がリモコンを取り出し、ビデオとテレビの電源を切った。教室はそれでも沈黙が続いていた。
西園寺が教卓に片手を置いて立ちあがると、生徒たちは我に返ったようにそちらを見た。
あまりの挙動不審さに、西園寺は苦笑いする。
「さて、これで大体のことは分かったわね。…それにしても、さすが教師ね、香取先生。とても説明がお上手で。ふ
ふふ」
そして顔面蒼白の桜上水メンバーを楽しそうに見比べる。
ただ、不破大地(男子26番)だけは何の感情も感じ取れない顔をしていたが。
あの子はいつもああだものね。でも心の中はどうかしら?きっと心中穏やかじゃないわね。
西園寺は思わず忍び笑いをした。
「さて、もう一度聞くけれど、質問がある人はいないわね?一度学校から出るともう戻ってこれないから、今のうち
に聞いておかないとダメよ?」
そう言って教室全体を見渡す。
鳴海と目が合った。ビクっと反応する鳴海に西園寺がニコリと微笑みかける。すると、
「………本当に…やるのか。あんたは…いや、この国は本気なのか……?」
かすれ声で、鳴海はそれだけを口にした。その言葉にはこころなしか絶望のニュアンスが含まれていた。
「君も結構疑り深いのね。まだ実感がない?」
「…あるわけ、ねえだろうが……」
身体の奥から捻りだすような声で、俯く鳴海。そんな彼を一瞥した後、西園寺はふいに身動きした。それに反応した
のは渋沢だけだった。
「そう。……なら、無理にでも実感させてあげるわ」
――――実演で。
ルージュを塗った口唇が、微笑を浮かべた。
バン!!
乾いた銃声が教室に響く。
次の瞬間には、西園寺の持つ拳銃の銃口から煙が出ていた。
鳴海の目の前に座っている内藤孝介(男子21番)の制服に、鮮血が飛び散った。
同時に、戸田志津代(女子4番)の身体がグラリと仰け反り、真後ろの内藤の机に倒れかかってきた。
「ひぃっ!!」
小さく悲鳴を上げて内藤が立ちあがる。
彼の机の上には、頭の右半分を失った戸田の上半身が乗っていた。即死だったのだろう、彼女の見開かれたままの目
は、何を思わせることもなく、ただ虚空を見つめていた。失った頭部の右半分からは、血液とヌルヌルした赤黒い脳
髄が絶え間無く流れ出ている。
「あ……あぁ……」
自分の服に飛び散った液は、目の前に座っていた女子の血と脳髄だったのだ。
それを改めて理解した内藤は、腰を抜かした後、頭を抱えてブンブンと首を振った。
初めて目にする本物の死体。加えて、一歩間違えれば自分が撃たれていたのかもしれないという恐怖。
それらに駆られ、内藤は勝手に流れる涙を止めることが出来なかった。
精神的にショックを受けたのは、内藤だけではない。
内藤の更に後ろに座っていた鳴海も。その場にいた殆どの生徒が驚愕の色をその顔に浮かべていた。
……若干数名、涼しげな顔をしてそれを傍観している者もいたが。
西園寺は銃口から出ている煙をフウと吹くと、愕然としている鳴海を見やってニッコリと微笑んだ。
「どう?鳴海くん、これで少しは実感がわいたかしら?」
返事はない。というより、誰も口を開こうとはしなかった。開けなかったのだ。
そこにはただ内藤の嗚咽だけがあった。
そんな内藤を気の毒そうな顔で見た後、西園寺は労わるように優しく声をかけた。
「ごめんなさいね、内藤くん。あなたの机、汚しちゃって」
内藤は涙に濡れた顔を上げた。
……何を言っているんだ、この人は?
違う、俺が泣いているのはそんな理由でじゃない。
あんた、平気なのか?今殺しただろ、俺の前に座っていた女子を。
そのことは気にも留めないで、何で俺の机の方を心配しているんだ?普通は逆だろう。
……普通?何が普通なんだ?普通ってなんだ?
頭がぐるぐる回る。おかしい。何も、考えられない。
内藤の精神は崩壊寸前だった。
それを心配そうに見つめる木田圭介(男子8番)の視線にも、彼は気付いていなかった。
だが、彼は壊れることは免れた。
「あ……あ、ああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
別の方向から聞こえた甲高い悲鳴が、彼を現実に引き戻したからだ。
その場に居合せた全員が一斉に振り返る。
教室の中央で、頭を抱えて直立している女子の姿が見えた。桜井みゆき(女子3番)だ。
彼女は数少ない女生徒の一人で、たった今西園寺に撃ち殺された戸田の親友でもあった。
「しーちゃん!しーちゃん!!しーちゃん!!!」
狂ったように叫ぶと、桜井は戸田の遺体に駆け寄ってその身体を揺すった。
もちろんその身体が何か言うはずもない。段々冷たくなっていく戸田の手を握り締めながら、桜井は眼球が零れるほ
ど涙を流した。
「しー…ちゃん……うぅ…しーちゃぁん……し…ちゃ…」
その声が段々と小さくなっていく。後は形容しがたい嗚咽しか残っていなかった。
「静かにしてくれる?ただの余興にそこまで大騒ぎする必要はないでしょう」
銃をその手に持ったままの西園寺が、戸田の遺体にしがみついて慟哭している桜井に近付く。
自分の肩に振れる手の感触にビクリと反応してから、桜井はゆっくりと顔を上げた。
「よきょう…」
鸚鵡返しに西園寺の言葉を繰り返す。その目は赤く充血していた。
「そうよ。説明ついでの、ただの余興。ほら、わかったら自分の席に戻りなさい。ね?」
優しく諭す西園寺だが、その表情は冷たい。
瞬間、昂ぶった桜井の感情が一気に爆発した。
「ふざけないでっ!!」
西園寺の手をバシッと払いのけて、その胸倉に掴みかかる。誰もが息を飲みその様子を凝視していた。
「余興!?余興でしーちゃんを殺したの!?」
対する西園寺は冷静だった。何事もなかったかのような表情で、自分に掴みかかってくる少女をただ静かに見下ろし
ている。
「しーちゃんが……しーちゃんが何をしたって言うのよっ!!」
「何もしてないわ。…ただ、鳴海くんが実感を持てないっていうから、無理にでも分かってもらったの。実演でね。
その協力者になってもらっただけよ、彼女には」
「それだけ?……それだけなの!?」
「それだけよ」
淡々と言い放つ西園寺を見て、初めて桜井は胸が焼けつくような殺意を覚えた。
同時に、言い様のない悲しみの奔流に流されそうになる。
「どうして!?」
叫びながらも、涙が止まらない。
「どうして!どうしてこんなこと!!」
涙でくしゃくしゃになった顔を隠そうともせずに、桜井はひたすら西園寺の胸元をどんどんと叩いていた。
その行為に意味があるとは、自分でも思えない。
でも、そうせずにはいられなかった。
苦しい。胸が苦しい。
そうだ、この胸の苦しみをこの女にも与えてやるんだ。
この身が壊れそうなほどの絶望を。悲しみを。
だから、この行為を続けるんだ。
でも、ああ、しーちゃん、助けて。
どんなにどんなにこの女の胸を叩いても、私の苦しみは消えないの。
だけど、しーちゃんはもっと苦しかったんだよね。痛かったんだよね。
しーちゃん。しーちゃん。
しーちゃんは………もう、いない。
二度と、会えない。
「やめるんだ、みゆきちゃん!!」
半狂乱になって西園寺の胸を叩き続ける桜井を見かねて、将が思わず叫んだ。
その声に我に返ったように、続いて小島も立ちあがった。
「みゆきちゃん!落ち着いて!!」
西園寺に掴みかかっている桜井を抑え込んで、必死で落ち着かせようとしている。
だが、桜井は訳のわからない言葉を喚き散らすだけで、言うことを聞こうとはしなかった。
無理もない、とその場にいた誰もが思った。目の前で親友を殺されて、冷静でいられる人間の方がおかしい。
だが、この場、この状況でそういう行動に出れば、ただ新しい死体を増やすことになるだけだ。
それを誰もが分かっているから、将と小島は必死で桜井を止めようとしているのだった。
本当に面白いわ、あなた達は。予想通りのレスポンスをしてくれて。
これでいいデータが取れそうね。
さて、次の私の行動に、あなた達はどんな反応をしてくれるのかしら?
西園寺の瞳が妖しく光ったのを、将は見逃さなかった。
「え…っと……そうそう、女子3番の桜井みゆきさんだったわね。お友達思いなのは結構なことだけど…いい加減静
かにしてくれないと」
そう言って銃の標準を自分に合わせる西園寺の動きを、桜井は客観的に眺めていた。
…あぁ、さっきしーちゃんを殺した銃だわ。私もあれで撃たれて死ぬのね。
西園寺がキチ、とトリガーを引いた瞬間、将が机を押し倒して飛び込んできた。
意外な展開に目を見開く西園寺だが、すぐに笑顔になった。
――――仕方ないわね。風祭くんは私も評価しているのよ。だから。
西園寺は撃つ瞬間に軌道を少しだけずらした。狙いを外したのだ。
バン!!
二度目の銃声が教室に響き渡る。
同時に、「うっ…」という呻き声が聞こえた。
「みゆきちゃん!?みゆきちゃん!!」
将の動揺した声もする。
近くに座っていた生徒たちが耐えきれずに駆け寄ってきて、そこに人垣が出来た。
その中心で、左の二の腕を抑えた桜井が蹲っていた。押えている手からは、血が流れ出していた。腕を撃たれたのだ
。
「か…風祭、せんぱい……」
弱々しい声で自分を呼ぶ後輩の姿を見て、将の顔は真っ青になった。
「…血が……血が出てる!!」
「……見せて!!」
同じく顔面蒼白の小島が、桜井の腕を押えている手をゆっくりとどかした。そして傷口を確認した後、少しだけ安堵
の表情を見せる。
「…だいじょうぶ、掠ってるだけよ……でも止血はしなきゃ。黴菌が入って化膿でもしたらもっと大変なことになる
わ。…風祭、何か布とかある?」
将はハッとなってブレザーのポケットに手を突っ込んだ。だが、何も入ってはいない。ズボンのポケットも漁るが、
同じことだった。当然と言えば当然だろう。これは勝手に着替えさせられた服だ。そこに都合よくハンカチやらティ
ッシュやらが用意されているはずがない。それは小島も桜井も同じであった。
将はあれこれ思索した後、ふいに思いついたように、きちんと絞められている若草色のネクタイをほどいた。
それを小島の目の前に突き出す。
「…これを!」
小島は一瞬驚いた顔をした後、こくりと頷いてそのネクタイを受け取った。
血が滲み出ている傷口に、服の上からネクタイを器用に巻いていく。最後にぎゅっときつく縛って終わりだった。
「…これで取り合えず応急処置は出来たと思うけど…でもちゃんと消毒しないと…」
額に汗をかきながら、小島が呟く。
それを一部始終眺めていた西園寺が、ふいに手をパンパンと打ち鳴らした。
「ほらほら、早く席に着きなさい。みんなも。さっき言ったわよね、進行を妨げる者は容赦なく撃ち殺すって」
銃をその肩にとんとん、と置くと、その場に集まっていた生徒は蜘蛛の子を散らす様に自分の席に戻っていった。
内藤は震えながら、血だらけの自分の席に座った。
小島は、フラつく桜井を支えながら彼女の席に行き、桜井をゆっくりと座らせた。その時、耳に何かを囁いたようだ
ったが、西園寺は敢えて何も言わなかった。
将は席には戻らず、目の前の西園寺を睨みつけている。
西園寺はその視線に気付くと、どこか狂気を帯びた妖艶な笑みを浮かべた。
「どうしたの、風祭くん?早く自分の席に戻りなさい」
将は何も言わない。
「風祭くん?もう一度言います、自分の席に戻りなさい。これは命令です。…二言目はないわよ?」
冷たい銃口を、コツ、と将の額に押し当てる。将はそれでも無言で西園寺を睨みつけたままだった。
緊張感が教室内を走る。
(あのバカ……!!)
それを水野はかなり焦った表情で見ていた。
(まだわからないのか!?この状況で逆らったりしたら、死体になるだけなのに!殺されるぞ、風祭!!)
思わず立ちあがりそうになるのを、ぐっと堪える水野だった。握り締めた手が汗ばんでいるのも気にならないくらい
、心臓が激しく脈打っている。
そのままの姿勢で暫く経った後、将は漸く口を開いた。
「……何を笑ってるんです、監督。そんなに楽しいんですか」
――――戸田さんを殺して、みゆきちゃんを撃って、ぼくに銃を向けて。
あなたは、いったい、何を思うのですか。
将の言葉を聞いて、水野は内心ホッとした。もし風祭が口を開くのが一歩遅かったら、自分は飛び出していたかもし
れない。
だが、とすぐに思い直す。今、風祭はなんて言った?
将は何の感情も読み取れないような表情で、そこに立っていた。
突然、西園寺が声をあげて笑いだした。もちろん、銃は将の額に当てたままで。
「…楽しい?違う、違うわ、風祭くん。私はね……ただ、嬉しいのよ」
「嬉しい?」
将の眉根がかすかに中央に寄せられた。
「そうよ。嬉しいの。何故かしらね」
ひとしきり笑い終えた後、西園寺は銃を持つ手はそのままに、将の瞳を正面から覗き込んだ。
煽っている、と椎名は思った。西園寺は将の怒りを煽って楽しんでいるだけだ。
やめろ、将。もう玲には関わるな。
この人は変わってしまった。信じたくはないけれど、俺達が知っている玲じゃなくなってしまったんだ。
言う通りにしなければ、殺されるだけなんだ!!
だが、椎名の声にならない叫びは、将に届くことはなかった。
「……あなたは狂っている」
ポツリと呟いた将の言葉に、西園寺の形の良い眉が少しだけ動いた。
「――――そうかもしれないわね。私自身、その自覚はないけれど」
「そう……ですか…」
俯く将の瞳が、一瞬悲しそうに揺らいだ。
水野は、もう我慢の限界だった。ガタンと音をたてて、乱暴に立ちあがる。
「いい加減にしろ、風祭!」
突然の水野の怒号に、将はハッと我に帰った。水野は構わず続けた。
「早く席に戻れ!!今の状況がわかっているのか!?お前は今、その人に銃をつき付けられてるんだぞ!それが意味
することはお前もじゅうぶん分かっているはずだろ!!もう関わるな!何も言うな!!―――俺は、もう、これ以上
……!」
水野の語尾が弱まっていく。
「…これ以上…人が死ぬところは見たくない……おまえも…だから……」
俯く水野を満足そうな顔で見やって、西園寺は穏やかな声で言った。
「水野くん。人は死ぬわよ」
神託を告げるような、清らかな響きだった。言葉と声色が一致していない。
だが、水野はその言葉を聞いて、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
脚ががくがくと震えて、そこに立っているのがやっとだった。
西園寺は言葉を続けた。
「私が何もしなくても、人は死ぬわ。そして、誰もいなくなるのよ。その時が来たら…水野くん、あなたは一体どう
するの?」
水野は打ちのめされたように、まったく身動きをしなくなった。
将は銃をつきつけられたままの姿勢で、ぼんやりと水野を見ていた。
ふいに、西園寺が銃を持つ手を下ろした。
「…まあ、いいわ。風祭くん、早く席に着きなさい。水野くんの気持ちを無駄にしないためにもね」
そう言ってポン、と将の背中を押す。将はふらふらと危うい足取りで自分の席に戻っていった。
水野も、呆然としたままでゆっくりと着席した。
重い空気が、そこに立ち込めていた。
「それでは、これから『特別プログラム』を実施します。今から名前を呼ばれた人は、大きな声で返事をして前に出
てきて下さい」
教卓に戻り、銃を置いた西園寺が声を高らかに言いはなつ。
同時に、バッグが大量に積まれている大きなワゴンを兵士が二人がかりで運んできた。それが合図だった。
始まってしまったのだ。この、狂気の渦巻くプログラムが。
そして、それを拒否することも。それから逃げ出すこともできない。
……「死」、以外は。
そこにあるのは、絶望。
ただ、それのみ。
西園寺は名簿を開くと、凛とした声で読み上げた。
「男子1番、伊賀仁吉」
殺し合いの、はじまりだ。
女子4番・戸田志津代 死亡
<残り34人>
「男子1番、伊賀仁吉」
「はい……」
ぼそぼそとよく聞き取れない声で返事をする伊賀仁吉(男子1番)に、西園寺はうっすらと笑みを浮かべた。
「返事はもう少し大きく」
「はい」
もう一度言い直して、伊賀は思い切ったように教卓の前まで歩み出てきた。
誰しもが伊賀の姿に注目している。
伊賀は、この時ほど自分の名字を呪った時はない。
何故俺が一番最初に名前を呼ばれなければならないのか。俺の名字が五十音順で、一番早いからか。
くそ。よりにもよって。こんな時に限って。
未だ信じられない。自分が、この狂ったゲームに参加させられるなんて。
兵士からスポーツバッグを受け取っても、伊賀はずっと俯いたままだった。
そのままふらふらと教室から出ようとすると、後ろから西園寺が声をかけてきた。
「伊賀君。あなたは一番だからかなり有利よ。…がんばってね。」
そう言ってやわらかく微笑む。
一瞬、西園寺が何を言いたいのかがわからなかった。勘の良い者なら、すぐには気付くことだが。
そして、伊賀はその意味に気付いてしまった。
西園寺を少しだけ見つめた後、伊賀は無言で教室から出て行った。
2分の間隔をおいて、西園寺が再度名簿に目を落とした。
「男子2番、井上直樹」
「…はい」
無造作に椅子を引くと、飛葉中3年の井上直樹(男子2番)は横着な態度で返事をした。
彼は、西園寺の教え子の一人でもあった。選抜メンバーではなかったが。
派手な金色のスポーツ刈頭をかきながら、それでも大股で教卓の前まで来る。
名簿を持ち悠然とそこに立っている西園寺を見上げると、苦虫を噛み下したような表情で呟いた。
「カントク。オレ、これでも結構あんたのこと買うてたんやで」
「そう。ありがとう」
「……けど、それも今日までの話や。オレはもう、あんたを今までと同じ目で見るんは出来ん」
「それはどういう意味かしら」
「…そういう意味や」
「あら、教えてくれないの?残念ね」
口ではそう言いつつも、西園寺は少しも残念そうな顔はしていなかった。
苦しそうな、悲しそうな表情を浮かべている井上を、ただ楽しげに見つめている。
井上は、ふいに涙が出そうになった。
これが監督か。
今まで、オレが、オレ達が、尊敬し信頼しともにサッカーの道を歩んできた人。
あの人はもうここにはおらん。
オレの目の前にいるこの女は、西園寺監督やない。あの人は死んでもうたんや。
井上は無理矢理自分を納得させた。
そうでもしなければ、流れ落ちそうになる涙を堪えることは出来なかったからだ。
「…わからんなら、そんでええよ。ほなな」
兵士からバッグを受け取ると、井上はそのまま振り返らずに廊下を駆けて行った。
「男子3番、李潤慶」
「ハ〜イっ♪」
李はシュタっと挙手すると、軽い足取りで西園寺の前まで歩いていった。
それを見る郭の表情が微妙に強張る。もっとも、その変化に気付くことができる者など、今名前を呼ばれた彼の従兄
弟くらいであったが。
西園寺はクスクスと苦笑した。
「あら、元気ね。でも、もうちょっと真面目に取り組まないとダメよ」
「心外だなぁ。これでも真面目なんですよ、ぼく」
「あら、そう?…そこまで言うなら、期待してるわ」
「ハイ」
まったく邪気のないその笑顔に、西園寺は一瞬だけ動揺する。
李はそんな彼女などお構いなしに、鼻歌まじりに兵士からバッグを受け取っていた。
教室から出ていく際に、ふと従兄弟の方を見やる。すぐに目が合った。
当然だ。英士はぼくのことをずっと後ろから見ていたんだから。
そんなことくらい、ぼくにはお見通しさ。
バツが悪くなって思わず目を逸らした郭に、李はさっきとはうってかわった含みのある微笑をなげかけて、足早に出
ていった。
「男子4番、上原淳」
「は、は、はいっ!!」
上原淳(男子4番)は、気の毒なほど怯えていた。
兵士からバッグを受け取ると、逃げるようにしてその場から去っていく。
転んだりすると危ないわよ、西園寺は上原が消えた廊下の方に声をかけると、再び名簿を読み上げた。
「男子5番、郭英士」
「はい」
郭は比較的冷静に返事をすると、ゆっくりと立ちあがった。
悟られないように、真田一馬(男子14番)と若菜結人(男子30番)に視線を送る。
二人とも目が合ったことを確認して、郭は少しだけ安堵の溜め息を洩らした。
そのまま何事もなかったかのように兵士から鞄を受け取る。
自分を軽く一瞥した後、何も言わずに去って行こうとする郭の背中に、西園寺は意味深なセリフをなげかけた。
「……君はどちらを選ぶのかしらね?」
その言葉に郭は少なからず動揺する。背を向けているおかげで誰にも気付かれずに済んだが、その顔には明らかに驚
愕の表情が浮かんでいた。
薄暗い廊下を歩きながら、西園寺の言葉を頭の中で反芻する。
『どちらを選ぶ』?
どういう意味だ、それは。
一馬と結人、どちらを俺が選ぶのかということか?
それとも……
(……バカバカしい!)
考えてから小さく舌打ちする。彼にしては珍しい行為だった。
「男子6番、笠井竹巳」
「…はい」
小さく返事をして立ちあがる笠井竹巳(男子6番)の顔色は、ゾッとするほど悪かった。
心配そうに自分を見つめる渋沢の視線にも気付かないほど、彼は意気消沈していた。
その表情には、もはや生気は宿っていなかった。
(…なんで、俺こんなところにいるんだろう…)
彼もまた選抜メンバーではない。それどころか、彼はその選抜選出合宿にさえ呼ばれていない人間なのである。
なのに突然寮に黒服の男が現れ、そして何時の間にか拉致されていたのだった。
笠井は兵士からバッグを受け取ると、ずるずると身体を引き摺るようにして出ていった。
そんな笠井を特に声もかけずに見送ったあと、西園寺は妙に嬉しそうな声で名簿を読み上げた。
「男子7番、風祭将」
「はい」
将は素直に返事をすると、ゆっくりと立ちあがった。椅子を丁寧に机に戻し、きちんとした足取りで西園寺の前まで
歩いていく。
その様子を水野はひたすらハラハラしながら見守っていた。
あいつのことだ、また西園寺に何かを言うんじゃないか。頼むから、何もないでくれよ。
水野の祈りが通じたのか、将は西園寺を一瞥しただけで、何も言わずに兵士からバッグを受け取った。
その小さな背中に、西園寺は心底楽しそうに声をかける。
「風祭くん。私、あなたにはいろいろと期待しているのよ。だからがんばって」
その言葉を聞いた途端、将はゆっくりと彼女を振り返った。
「……何をがんばれって言うんですか」
とても、静かな声色だった。それは、まるで沸きあがる怒りを必死で押し殺しているかのようでもあった。
そんな将の心情を見透かしているのか、西園寺は手を組み直すと、指で「バン」と銃を撃つ仕草をした。
「もちろん、殺し合いよ。ふふ、優勝できるといいわね」
その瞬間、ハッと将の顔が強張る。
何かを言おうとする口唇を噛み締め、西園寺を睨みつけると、将は何も答えずに教室から出ていった。
上條麻衣子(女子1番)、木田圭介(男子8番)と次々と人が呼ばれて出ていく様を、黒川柾輝(男子9番)は人事の
ように眺めていた。
いや、違う。
俺が見ていたのは、教卓の側で名簿を読み上げているあの女だ。俺達を裏切った。憎むべき、女。
元々何を考えているか分からない人ではあった。
しかし、それは良い意味でだ。玲はいつも俺達の期待を良い意味で裏切ってきた。
それを俺達は気に入っていた。心地良かった。認めていたんだ、玲を。俺達は、心からあの人を尊敬していた。
だが、俺より早く出ていったナオキは言っていた。「もう、あんたを今までと同じ目で見ることは出来ない」、と。
それは俺も同感だった。もう、それは永遠に無理なんじゃないのかとさえ思えてくる。
彼女に対する、信頼、敬い、そういった思いはガラガラを音を立てて崩れ去っていた。
…じゃあ、翼は?翼は、どうなんだろうか。
黒川は、ふと前の方で大人しく座っている椎名を見やった。
あいつは俺達より玲との付き合いは長い。だからこそ、俺達よりもずっと思うことがあるんじゃないだろうか。それ
なら……
「男子9番、黒川柾輝」
そこで彼の思考は途切れた。ついに名前を呼ばれる時が来たからだ。
「はい」
決めた。
もう、腹を括るしかない。ここでああだこうだと頭を悩ませていてもどうにもならない。
どう足掻こうと、このクソったれたゲームは始まっちまうんだ。俺達の意思など、お構いなしに。
黒川はおざなりな返事をすると、ズボンのポケットに手を突っ込みながら教卓の前まで歩いていった。堂々とした足
取りだった。
目の前でニコニコと相変わらずの笑みを浮かべている西園寺に、鋭利な視線を送る。
「あなたは一緒に行動をするのかしら?それとも、単独で?」
その目を見つめ返してきながら、西園寺がそんなことを言う。「『誰と』一緒に行動をするのか」とは、敢えて言わ
なかった。分かりきっていることだからだ。
黒川本人もまた、それは分かっていた。
「…さあ」
だからこそ、曖昧な返事を返したのだ。それが、彼なりの精一杯の反抗でもあった。
バッグを受け取って教室から出ていく際に、ふと椎名の方を見る。
椎名は、黒川と目が合った瞬間に、コクリと小さく頷いた。
黒川も頷き返すと、踵を返して出ていった。
「男子10番、小岩鉄平」
「は…ハイッ!!」
名前を呼ばれた瞬間、小岩鉄平(男子10番)は大袈裟なほど身体を震わせると、大急ぎで教卓の前まで走っていった。
バッグを受け取り、それこそ韋駄天の勢いで走り去っていく。
「女子2番、小島有希」
「はい」
ハッキリとした声で返事をすると、小島は桜井をチラリと見やってから教室を出ていった。
小堤健太郎(男子11番)、桜井みゆき(女子3番)、桜庭雄一郎(男子12番)と順当に名前が呼ばれていく。
この間、特に何事も起こらなかったが、桜井だけは名前を呼ばれてから教室を出ていくまで、ずっと無言で西園寺監督を睨みつけていた。
「男子13番、佐藤成樹」
「ほいほい、っと」
名前を呼ばれるまで椅子に深く腰を掛けていた佐藤は、よっ、と器用に立ち上がった。
金色の派手な頭をボリボリと掻きながら、面倒くさそうに歩いてくる。
佐藤はバッグを受け取ったあと、西園寺の顔をマジマジと見つめた。
「あんた、ホンマにべっぴんさんやなぁ」
一瞬だけ目を丸くする西園寺に、ニカッと微笑みかける。
「あら、ありがとう」
西園寺が笑顔で返した瞬間、突然佐藤は真顔になった。
「…けど、オレは気に入らん」
「え?」
聞き返してくる西園寺に、ふっと不敵な笑みを見せる。
「そのキレーなお顔に鉛玉ブチこんだるさかい、覚悟して待っときいや」
指で銃の形を作り、西園寺の顔に標準を合わせる。ばん、と口で言うと、佐藤は教室から駆け去って行った。
西園寺はそんな佐藤を見、含み笑いをしながら再び名簿に視線を落とした。
「男子14番、真田一馬」
「は、はい」
慌てて立ちあがる真田を、若菜は心底心配そうな表情で見守っていた。
メンタル面が他のメンバーと比べて劣っている彼が、この異常な状況の中、まともな神経を保っていられるのか。それが一番
心配だったのだ。
兵士からバッグを受け取ると、真田は若菜をチラリと見て教室から出ていった。
「男子15番、椎名翼」
「……はーい」
明らかに小馬鹿にしたような返事をして、椎名はのんびりと立ち上がった。
席は教卓の前なので、すぐに西園寺の前に立つ。その視線は始終西園寺の瞳をとらえていた。
「あら、やる気なさそうね、翼」
「おかげさまで」
「私、あなたのこと応援してるのよ。心からがんばって欲しいと思っているわ」
その西園寺の言葉を聞いたとたん、椎名は一瞬目を見開いた。
そしてゆっくりと頭を擡げる。声をかけようとした西園寺を、どこからかわいて出てきた誰かの笑い声が遮った。
「あはは……そう、応援してるんだ?あんたが?俺を?ふぅん、そうなんだ…」
それは椎名本人の声だった。教室を沈黙が包む。
そこには、椎名のどこか狂気じみた笑い声だけが満ちていた。
ああ、おかしい。俺を、俺達を裏切っておいて、「応援してる」?
ふざけるのもいい加減にしろよ、玲。相変わらず性格悪いんだから。バカバカしくてやってられないね。
玲、おまえ俺の性格知ってんだろ?知っててそういうこと言うんだろ?
わかったよ。おまえの気持ち。お前の本性。
嫌ってくらい見せつけさせてもらったさ。ああ、もうたくさんだ!!
ふいに、椎名が顔をあげた。その顔はもう笑ってなどいなかった。
「……反吐が出る」
鋭い目だった。綺麗な顔を歪ませて、椎名は目の前の西園寺を睨みつけた。
「覚えておくんだね。…俺は誰にも屈さない。玲、お前相手でも」
何も言わずに自分を見下ろしてくる西園寺の脇を素通りする。椎名は兵士から無理矢理バッグをむしりとった。
そうして、教室の入り口まで来ると、
「…さよなら」
振り返らずにそう呟いて、椎名はその小さな身体を闇の中に溶け込ませていった。
前に座っていた設楽(男子16番)の名前が呼ばれ、彼が出ていってから2分が経過しようとしている。
渋沢は思わず溜め息をついた。目覚めてから、通算10回目の溜め息だった。
彼がずっと考えているのは、今まで出ていったメンバーのことだった。
あいつらは今どうしているのか。かれこれもう30分近く経っているが、殺し合いなど始まってはいないだろうな?
…まさか!!俺は何を考えているんだ!そんなことあるはずがないだろう。
今までずっと一緒にサッカーをやってきた奴らだ。中には選抜のメンバーではない者も混じってはいたが、彼らを疑う気持ち
など、渋沢には一切なかった。
自分の心配よりまず他人の心配をするのは、ある意味渋沢らしい。
そろそろか。そう思った時、ふいに西園寺が口を開いた。
「男子17番、渋沢克朗」
「…はい!」
来た。とうとう、この時が。
低い声で、それでもハッキリと返事をすると、渋沢は意を決して立ち上がった。
「がんばってね、キャプテン」
そう言って肩をポンと叩いてくる西園寺に、小さく礼をする。
兵士からバッグを受け取って、渋沢はふと教室を振り返った。同じ武蔵野森のメンバーを目で自然に探す。
藤代、三上、間宮。そして……俺より先に出発してしまった笠井。
(みんな、死ぬなよ)
心からそう願うと、渋沢は無言でその場を後にした。
「男子18番、杉原多紀」
「はい」
静かに立ち上がったのは、杉原多紀(男子18番)だった。
ゆっくりと教卓の前まで歩いていく。その表情はいつもと変わらず、相変わらずの穏やかな微笑を浮かべている。場違いと言
えば、まさしくその通りの表情ではあった。
兵士からバッグを受け取ると、杉原は渋沢と同じように西園寺に頭を下げた。
そして、
「…今まで、お世話になりました」
それだけを言い残すと、静かに教室から出て行った。
「男子19番、谷口聖悟」
「…はい」
ふらふらとした足取りで、谷口聖悟(男子19番)は西園寺の前まで歩いていった。
「ほら、いつのも元気はどうしたのかしら?そんな弱気じゃ、すぐに死んでしまうわよ?」
西園寺の言葉に、顔を蒼くする。バッグを受け取った途端、脱兎の勢いで駆け去っていった。
「男子20番、天城燎一」
「…………」
天城は、名前を呼ばれても返事をしなかった。というより、返事をする気が起きなかったのだ。
「天城くん?返事はどうしたの?」
「……はい…」
催促されてから、ようやくボソッと返事をする。椅子をひいて大きな身体を立たせると、天城は静かに西園寺監督の前に歩み
寄った。
睨みつけてくる天城に物怖じすることもなく、西園寺は笑顔で話しかける。
「わざわざドイツから来てくれてありがとう」
「………………」
沈黙で返答する天城だが、思うことはいくつかあった。
別に来たくてここに来たわけじゃない。無理矢理連れてこさせられたんだ。
それを知っていてワザと言ってるんだろう、あんたは。
だが、天城はそれを敢えて口にはしなかった。もともと寡黙な性分であったからかもしれないし、ただ単に言っても無駄だと
思ったからかもしれない。
「むこうのご家族のためにも、がんばってね。…そうそう、雨宮監督もあなたのことを応援していたわよ」
「雨宮監督?」
思いがけない名前を聞いて、天城の顔色が少しだけ変わった。
「ええ。かなり期待を寄せているようだったわ。あいつなら大丈夫だ、ですって」
「………………」
何が大丈夫だと言うんだ。俺に人殺しをしてでも生き残れと言いたいのか。ふざけるな。
…だが、この西園寺のセリフのおかげで大凡の見当がついた。
どうやら、雨宮監督もこの馬鹿げたゲームに一枚かんでいるらしい。
なるほど。さっきビデオに出ていたあの女(確か桜上水の顧問だった奴だ)といい、大人達は全員腐りきってるってわけか。
自嘲気味に口元を歪めながらも、天城は悔しさを堪えることは出来なかった。俺は裏切られたのだ。
だが、とすぐにも天城は考え直す。
しかしこっちにも考えがある。雨宮監督は俺に期待している、とこの女は言った。
それはどんな期待なのか、考えるだけでも反吐が出る内容だが、ならば俺はその期待とやらを裏切ってやろう。
「……雨宮に伝えておけ。俺は絶対にお前の思い通りになどならない、とな」
天城は兵士から乱暴にバッグを奪い取ると、大股で廊下を駆けて行った。
「それでは次、女子4番、戸田…さんは、もういないわね。男子21番、内藤孝介」
「…は…い……」
今にも消え入りそうな声で返事をする内藤だが、その顔は死人のように真っ青だった。
無理もない。目の前で人が殺され、しかもその死体が横たわっている机に今までずっと座らされていたのだ。これで平常な精
神を保てる方がどうかしている。
ふらふらと危うい足取りで歩いてきて、内藤は兵士からバッグを受け取った。
「内藤くん。いつまでもそんな調子でいたら、あなたが次に死ぬことになるわよ」
そう西園寺に言われた内藤は、一瞬ハッと目を見開くと、逃げるようにして教室から出ていった。
「男子22番、鳴海貴志」
「おう…」
今までずっと仏頂面をしていた鳴海は、面倒くさそうにゆっくりと立ちあがった。
「返事はハイ、でしょ?」
「ハイハイ」
「ハイは一回でよろしい」
西園寺に何度も返事を訂正させられるが、鳴海のその顔には既に焦燥感や苛立ちといった感情は表れていなかった。
諦めとも、絶望とも違う。どこか、何かを突き抜けたような、何かを悟ったような表情をしていた。
荒治療が少しは役に立ったかしら。西園寺はこっそりとほくそ笑んだ。
鳴海が、ふと口を開いた。
「よぉ…」
「なぁに?」
「あんたは、本気なんだよな」
「ええ、何度も言う様だけれど」
「そっか…」
わかった。
そう頷いたきり何も言わず、鳴海は大人しく引き下がった。
兵士からバッグを受け取るとドスドスと音を立てて豪快に歩いていく。
薄暗い廊下を歩きながら、鳴海はニヤリと笑った。
そうか。あんたは本気なのか。いいぜ、なら俺も本気を出してやるよ。
絶対に生き残って……そしてお前を殺してやる。
(早く、早く、早く〜)
俺の番〜。
机に座りながらウズウズと落ち着きなく身動きしているのは藤代だった。畑五助、六助と兄弟が出ていく様子を、ワクワクし
ながら見つめている。
もう、なんで俺「藤代」なんて名字に生まれちまったのかな〜。ちぇ。五十音順じゃ後ろの方になっちゃうもんな。
六助が教室から出ていって、暫くたった時、ようやく西園寺が名簿に目をやった。
「男子25番、藤代誠二」
「ハイッ!!」
来たーっ!やった、やっと俺の番がきた!!
その場には不釣合いな能天気な声で思いきり元気よく返事をすると、斜め前の方に座っていた三上亮(男子28番)が怪訝そう
に振り向いた。
その視線に気付くことなく、藤代は元気な足取りで西園寺の前まで歩いてきた。おまけに鼻歌まで歌っている。
今までの参加者の態度と比較すれば、藤代のその言動は明らかに異質だった。
誰しもが絶望感を覚える殺し合いのプログラムも、藤代にとっては単なる「面白そうなゲーム」でしかないのだ。
殺し合いをする実感がない、という訳ではなかった。ただ、それに対する恐怖心があまりない、というだけで。
そういう意味では、彼は真っ向からこのプログラムを受け入れていた人物の一人だった。
「ずいぶんとご機嫌なのね、藤代くん」
「え?そんなことないっすよ♪」
笑いを必死で噛み殺している西園寺の顔を見ても、藤代は嬉しくて楽しくて仕方ない。
「兵隊さん、早くっ!早く俺に武器ちょーだい!!」
「わかった、わかった」
あまりの無邪気さに、今まで強面でいた兵士まで苦笑する始末だった。
兵士からバッグを受け取った藤代は、教室の入り口までいくと、
「じゃあなー、みんな♪がんばれよ〜!!」
陽気に手をブンブンと振って、軽い足取りで去っていった。
「男子26番、不破大地」
「………あぁ…」
席をゆっくりと立ちあがると、不破は実に堂々たる足取りで西園寺の前まで歩いていった。
その間にも何やら一人ブツブツと呟いている。
バッグを受け取っても、不破はまだ独り言を続けていた。
「ふふ、どうしたの不破くん?お得意の考察?」
「うむ……」
楽しげに尋ねてくる西園寺の言葉に、不破は俯きながらも(一応)返事をした。
「何を考えているのかしら?」
「……これからどうするべきか、をだ」
それだけを口にすると、不破はまだブツブツと何かを言いながら教室を出ていった。
「男子27番、間宮茂」
「はい…」
いつもと変わらぬ表情で返事をすると、間宮は教卓の前まで歩いていった。
「しつこいくらい、生に執着すること。いいわね?そうしなきゃ生き残れないわよ?」
「…わかっている…」
西園寺の忠告に気だるそうに返事を返す。
苦笑する西園寺を尻目に、間宮はバッグを受け取ると、普段通りの足取りで廊下の闇に溶け込んでいった。
「男子28番、三上亮」
「へいへい」
あ〜かったり、と首をコキコキ鳴らしながら返事をする。
三上はズボンのポケットに手を突っ込むと、心底面倒くさそうな態度で前まで出てきた。
「ずいぶんとだるそうにしてるわね」
「あ?そりゃ、まぁな」
選抜落とされた上に、こんな訳のわかんねえゲームに参加させられてよ。かったるくねえ訳ねーだろが。
ったく、いい根性してるぜ、あんたは。
教卓の上に置かれている拳銃を見ても特に物怖じすることもなく、三上はぼんやりと西園寺の顔を眺めていた。
「…ひとつ聞きてえことがあるんだが」
ふいに口を開く三上に、西園寺はニコリと微笑みかける。
「どうぞ」
「生き残ったら、……このゲームで優勝したら、家に帰れんのか?」
「ええ、帰れるわよ。ただし、何度も言うように、生き残れるのはたった一人だけどね」
「……あっそ」
その返答に、ま、どーでもいいけど、と肩を竦めてみせる。
そのままクルリと方向転換をして兵士からバッグを受け取る三上に、今度は西園寺の方から声をかけた。
「三上くん。あなたは、優勝したらどうするの?」
西園寺の言葉に、三上はゆっくりと振り返った。
その口唇が、ニヤリと邪な微笑を象る。
「……あんた、いい女だな。俺の好みだ」
言いながら、三上は受け取ったバッグを慣れた手つきで肩にかけた。
「もし生き残れたら、俺はベッドの上であんたをヒイヒイ言わせてやるよ」
あんたは好きなんだろ?そういうふうにされるのが。
俺は泣き叫ぶ女を無理矢理ヤるのは趣味じゃねぇ。でも、あんたは別だ。
メチャクチャにしてやる。どんなに許しを乞うたって、俺は絶対に許さねぇ。
最後に、あんたを縊り殺して終わりさ。
ふいに西園寺がクスクスと笑いはじめた。じっと自分を見つめてくる少年に、意味ありげな流し目を送る。
「……楽しみにしてるわ」
「楽しみにしててくれ」
おどけた口調でそう言うと、三上は背を向けて薄暗い廊下を歩き始めた。
しかし、彼が下口唇を噛んで眉根をきつく寄せていたのは、誰も知らない。
その心に渦巻いているのは愛しさではなく、燃えるような憎しみだけだということを。
「男子29番、水野竜也」
「…はい」
やや間を置いてから、水野は静かに返事をした。やはり静かに立ちあがって、椅子を机に戻す。
水野は西園寺の前まで歩いてくると、唐突に話を切り出した。
「…俺も、一つ聞いていいですか」
それは、ひどく押し殺した声だった。感情を一切込めないように努めている、だからこそどこか切羽詰った響きでもあった。
「何?」
西園寺は特に表情を変えなかった。
「……さっきの、天城との会話、聞こえたんですけど。雨宮監督がどうの、って…」
脚の横においた拳を、さらに力をこめて握り締める。
思い出したように、西園寺があぁ、と言葉を洩らした。水野は構わず続けた。
「もしかして、俺の親父も……桐原も、このプログラムに関与しているんですか」
「……水野くん、あなたなかなか勘が鋭いわね。その通りよ」
西園寺の言葉に、水野は予想はしていながらもやはりショックを受けた。
やっぱりか。そうだろうとは思っていた。
西園寺監督、香取先生、国部二中の雨宮監督。
このプログラムに関与している人達は、ほとんど俺達に関係のある大人ばかり。
もしかしたら、あいつも……そう思った俺の考えは、残酷にも当たってしまった。要は、裏切られたというわけだ。
だが、何故か悲しくはなかった。どちらかというと、諦めの思いの方が強かったからか。
親父ならそれくらいのことはするだろう。政府勅令は、断れば己の命が危なくなる。それに、せめて引導は自分で渡してやり
たい、という思いもあったからなのかもしれない。
だから俺は悲しくない。親父の性格を考えれば、それは当然の結果だ。
だが。一体何なんだろう、この虚無感は。俺は未だにあいつに固執しているのか?
……違う!!
「…そうですか。教えて下さって有難うございます」
水野は考えを振り切るように、兵士からバッグを受け取って足早に駆けて行った。
その声は、間違いなく震えていた。
それが自分でもわかるから、水野は余計に悔しかった。
「女子5番、横山寧々」
「はい」
教室に残っている生徒は、もう自分と後ろの少年しかいない。
半ば諦めの念を抱きつつ、横山は小さく返事をして兵士から鞄を受け取った。
「3年の女子はあなた一人だから、ぜひ頑張ってね」
薄く微笑むその西園寺の綺麗な顔が、何故だか不気味に思えた。
横山は特に何も答えずに教室を後にした。
「ラストね。男子30番、若菜結人」
「…は〜い…」
いかにもやる気がなさそうに(この場合、あった方が問題なのだが)返事をして、若菜はのんびりと立ちあがった。その場で
うぅん、と伸びをする。
自分でも不思議だったが、初めよりは随分と恐怖心が薄らいでいた。
1時間近くもずっと机に座っていたのだ。どんどん人数が減っていき、それでも自分はおそらく最後なのだろうと悟った時に
、もう悩んでいても仕方ないと思えてきた。
ある意味、ふっきれたのだろう。
(英士と一馬、今ごろ合流できてっかな…俺は英士の合図に気付いたけど、一馬、あいつヌケてっからなぁ、大丈夫かなぁ…
…)
いろいろと考えながらゆっくりと教卓の方まで進んでいく。
だが、郭と真田が合流しているだろうことは、心配しつつも何故だか確信がもてた。
俺は最後の最後だけどさ。それでも、英士と一馬は俺を待ってくれてる。きっと。
そう考えると心が少し軽くなった。それは、ただの予感、希望でしかなかったけれど。
(信頼だよな、きっと。ハハ、なーんか俺らしくもねぇなあ。あー恥ずかし)
兵士からバッグを受け取る。入り口から外は、薄暗い廊下が続いているのに、不思議と恐怖はなかった。二人のことを考える
だけで、不安が薄らいでいくのがおかしかった。
そんな若菜の心情を見透かしているかのように、西園寺がその背中に声をかけた。
「若菜くん。妙な期待なんかしちゃダメよ。よく言うでしょう、信じる者は裏切られる、ってね」
若菜は思わず振り返った。見ると、西園寺が教卓に肘をついて、意味深な微笑を浮かべて自分を眺めている。
ふいに頭がカッとなるのを、若菜は感じていた。
自分の考えが見透かされて茶化されたことはどうでもいい。
だが、郭と真田の悪口を言われたような気がして、そっちの方が若菜には我慢ならなかったのだ。
「あーそうっすね、ご忠告ドーモ。でもお生憎様、俺達にはそんな心配、まぁったく必要ありませんから。カントク、あんた
と違ってね!」
べー、と舌を思いきり突き出すと、若菜は不機嫌をあらわにして廊下を駆けて行った。
裏切りなんかあるもんか。
俺達は、いつでも三人一緒なんだ。今までずっとそうしてきた。だから、きっと、これからも。
…これからも……ずっと……
一緒にいられるのか?…こんな状況で。本当に?
……でも!!死にたくない。死なせない。
そう思いつつも、若菜は目頭が熱くなっていくの止めることはできなかった。
「……ふう。やっと皆出ていったみたいね」
名簿を教卓の上に置くと、西園寺は左手の腕時計を見た。
12時ジャスト。
「さぁ、みんな。元気に殺し合いをしましょうね」
<残り34人>
将は分校から出た後、すぐには出発せずに近くの茂みの中に身を隠していた。
その首には、彼の支給武器である双眼鏡が下げられている。
将はとある人物を待っていた。決心を胸に秘めて。
静かな夜だった。
穏やかな風が吹いている。それはこころなしか湿った匂いがした。
ああ、潮風か。確かここは小さい離れ島だと、ビデオの香取先生は言っていた。
どきどきと落ち着かない鼓動を沈めながら、将はただひたすら待っていた。その人を。
決めたんだ、ぼくは。仲間を集めて、みんなで協力してこの異常な現状を破壊するって。
このゲームには乗らない。だから、ぼくは待つ。みんなを信じて。
でも、本当に皆校舎から出てきているんだろうか?
さっきからここで待っているのだが、一向に人が現れる気配がない。
将の隠れている茂みからは、校舎の入り口までは見渡すことはできない。だが、そこから少しだけ離れた場所にあるところな
ので、誰か一人は通るかと思っていた。
しかし、実際2分以上たっても人の気配はまったくない。
将は自分のすぐ後ろに上條麻衣子がいたことを知っていた。彼が最初に待っていたのは、同じ桜上水出身の彼女だったのだ。
そこから黒川、小岩と合流するつもりだった。
(…もしかして、皆反対方向に行っちゃったのかな…)
それまで比較的穏やかな心情でいた(それでもかなりの緊張はしていたが)将は、急速に不安になっていくのを感じた。
このままじゃ埒があかない。どこか他の場所に移動しなくては。
だが、彼は正直一人で移動するのは怖くて仕方なかった。だからこそ、茂みに隠れて誰かを待っていたのだ。
どうしよう、と半ば途方にくれた時、ふと自分の首にぶら下がっている双眼鏡が目に入った。途端にピンとくる。
(そうだ、せっかく支給されたんだから、これを使って…)
将は立ちあがって、足元に置いていたスポーツバッグを肩にかけた。そして、後ろにある木に足をかけ、よいしょ、と登って
いく。
(うん、これならよく見える)
木の上に登ると、将は支給された双眼鏡を使って周りを見渡した。もしこれが他人を傷付けうる武器だったなら、彼は使う気
などしなかっただろう。しかし、どう考えてもこの双眼鏡は武器と呼べる類のものではない。それなら使ってもいいだろうと
将は判断したのだった。
双眼鏡を駆使して、つい先刻自分が出た校舎の入り口の方を見る。間を置かずに、見なれた顔が出てきた。
(小岩くんだ!!)
それは将が心を許している仲間の一人、小岩鉄平の姿だった。スポーツバッグを抱え、きょろきょろと周りを伺いながらこち
らの方向に歩いてくる。
将は安堵の気持ちを堪えることは出来なかった。気は緩められないとは思いつつも、小岩を見つけたことが嬉しくてたまらな
かった。
でも、と彼は少しだけ表情を曇らせる。
結局、上條や黒川とは合流できなかった。やはり、二人は自分が待っていた茂みのある場所とは反対側の方向に行ってしまっ
たのだ。
しかたないよね、と将は小さく溜め息をつく。
彼らとは後で合流できればいい。ぼくは必ず探しに行くから、だからそれまで無事でいてくれさえすれば。
身軽な動きで木からするすると降りると、将はさっき身を潜めていた茂みに戻っていった。
そのまま、小岩が近くに来るまで待つ。
小岩が目の前を通りかかった時に、将はふいに小岩に小声で呼びかけた。
「小岩くん!」
「おわっ!!」
予想もしない場所から突然声をかけられて、小岩はその場に尻餅をつきそうなほど驚いた。
将は慌ててそれを支えると、ぐいっと小岩の腕を引っ張って茂みに連れ込むんだ。
「シッ!…小岩くん、ぼくだよ、ぼく!」
「うぇ?……あ、…か…風祭?」
訳がわからぬまま混乱していた小岩は、目の前にいる将を見て、目を丸くさせた。だが、さっきほど慌てている様子はない。
「ごめんね。ビックリさせちゃって…」
「いや、別に平気だけどよ…」
謝ってくる将に、いきなりで驚いたけど相手がお前で安心したぜ、と言って小岩は少し表情を和らげた。
「うん…ぼく、どうしても一人じゃいられなくて…それで、皆を待とうと思ってたんだ。そしたら、調度小岩くんが出てきたから……」
「あー…そうだったのか」
「…迷惑だった?」
「いやいや全然!逆に感謝してぇくらいだぜ。俺も一人じゃ心細くて心細くてよぉ…こう、胃がキリキリと……」
「また胃が痛くなっちゃったの?」
「お…おう…」
腹部を撫でながら言う小岩の姿を見て、将は場の雰囲気も忘れてクスクスと笑ってしまった。
「笑い事じゃねーっての!」
「あいたっ」
拗ねた口調で言うと、小岩は将にビシッと軽くチョップをした。
こんな過酷な状況の中、こんなふうに普段通りに振舞えるのはおかしいのかもしれない。
だが、小岩とこうして一緒にいると、さっきまでの張り詰めていた緊張感が少しずつ解れていくのがわかる。
将は小岩と合流できてよかった、と心から思った。
小岩もまた同じようなことを考えた後、ふいに真顔になって思いきったように口を開いた。
「なぁ、風祭……お前はさ、こんなゲームに乗ったりなんかしねぇよな…」
不安そうに尋ねてくる小岩に、将は力強く頷く。
「当たり前だよ!ぼくは絶対にこんなゲームには参加しない!…小岩くんは?」
逆に尋ねてくる将の真剣な顔を見て、小岩も安心したようだった。声は弱々しいが、その瞳に嘘偽りは皆無だ。
「俺も、ぜってーこんなもんに参加なんかしねぇ。…んなこと出来っかよ。殺し合え、だなんて…」
「うん」
「…でも、でもよぉ……生き残れるのは一人だけなんだよな…」
「小岩くん、弱気になっちゃダメだよ!」
口にしながら段々と俯いていく小岩の肩を掴むと、将はまっすぐな瞳でその顔を見つめた。
「こんなゲームに乗っちゃだめだ。でも、死ぬなんて諦めてもだめなんだ。ね、脱出する方法を考えよう?」
「…脱出…?ここから逃げんのか?」
将は力強く頷くと、小岩の肩から手を離した。
「それには、仲間がたくさん必要なんだ。確かに一人二人だけじゃ、脱出するのは無理だと思う。でも、たくさん同志がいれ
ばそれもきっと……だから」
「………仲間か……」
小岩はぼんやりとした表情で将の言葉を繰り返した後、意を決したように頷き返してきた。その瞳にみるみる生気が宿ってく
る。
「…そうだな。このまま何もしねーでいるよりは、そうする方がずっといい」
「でしょう?」
「けどよ、仲間っつったって、俺はお前以外の顔見知りはタッキーくらいしか…」
信用できねぇ、そう続けようとした小岩の言葉を遮って、将は首を横にふった。
「もちろん、杉原君も仲間にしようと思ってるよ。けどその間にも、シゲさんや翼さんや渋沢先輩がいるし……」
「シゲさん?誰だ、それ?」
不審げに眉を寄せる小岩に、ああそうか、小岩くんは知らないんだっけ、と将は少しだけ苦笑してみせた。
「シゲさんはね、ぼくと同じ学校で一緒のサッカー部の人。とっても頼りになる人だから安心していいよ。それに……あっ!
!」
「!?な、なんだ!?」
説明途中に急に大声をあげる将を見て、小岩は少なからず驚きの表情をする。
「そうだ、小岩くんの次に確か小島さんがいたはずだった」
「こ、こじま??」
またもや知らない名前を出されて、小岩は軽い混乱状態に陥ってしまった。
「うん。小島有希さん。彼女も同じ桜上水なんだ。小岩くんの近くにいなかった?肩くらいの黒髪のストレートで、きれいな
女の子」
「え?そんな奴い…」
いたっけか、そう続けようとした小岩だが、突然眼前をよぎった影に遮られ、その言葉は発せられなかった。
ブン、と空気が一瞬撓ったかと思うと、目の前の茂みがただの草の欠片となり、ハラハラと舞い散っていく。
それは、明らかに刃物による太刀筋だった。
将と小岩は間一髪でその太刀を逃れると、それぞれ反対方向に転がった。
すぐに体勢を立て直して、将は太刀があらわれた方に目を凝らす。暗闇の中に、確かに人の存在があった。
さらに将は見つめつづけた。さぁ、と風が吹いて、雲から現れた月がその人物の顔を照らした。
「!?君は……!」
「や、こんばんは」
かなり長い刃物―――おそらく日本刀だろう―――を右手に握り締めて、にこやかに微笑んでいたのは、郭の従兄弟の李潤慶
だった。
たった今、自分達が隠れていた茂みを切りつけたのは、この男だったのだ。
将は目の前に立っている李を思わず凝視した。
口唇には穏やかな微笑をたたえてはいるが、その目は笑っていない。
(この人、今ぼくらの方に刀で斬りかかって……まさか!!)
ふいに沸き上がってきた恐ろしい考えに、将は身震いした。
まさか。この男は、まさか。
信じたくはなかった。だが、李がその手に握っている刀を見れば見るほど、その予感は実に確信めいたものになってゆく。こ
の刀は確かに草を薙ぎ払った。現に、おぼつく将の足元には草の欠片が散らばっているのだ。この刀は、本物だ!!
「ねぇ、英士見なかった?」
そんな将の心情などお構いなしに、李は草を踏み締めながらゆっくりと近付いてきた。
何も言わずぶんぶんと首を振る将を見て、「そう」と少しだけ残念そうな顔をする。
「…まぁいっか。多分まだどこかに隠れてるんだろうな。…ぼくもそろそろ移動しなきゃ。ごめんね、邪魔しちゃって。…そ
れじゃぁ、また」
そう言って、クルリと背を向ける。李の意外な行動に、将は一瞬油断してしまった。
「……なんてね!!」
「!?」
将の油断を見抜いたのか、李が突然振り返った。
日本刀を握り直して、それを猛然と振りかざし斬りかかってくる。
「どうせなら、今のうちに邪魔な芽は摘んでおかないと!」
「くっ…!!」
将は身を捻ってその太刀を回避した。瞬間、ガリッという鈍い音がする。李が振り翳した日本刀が、木の幹に引っ掛かったの
だった。
その隙に李から離れ、ごろごろと転がった後、将は置き上がって目で小岩を探した。
実際李と自分たちでは、1対2。人数的に見れば自分達の方に分がある。李の武器は日本刀だ。銃と違って攻撃の対象は一人
にしか絞れない。李は今自分に斬りかかってきたから、その間に小岩が遠くに逃げていてくれれば良い。そうとっさに判断し
たのだ。
李は木に食い込んでしまった日本刀を抜くのに苦戦しているようだった。
今のうちに、そう思った将の目の前に、小岩が立ち塞がった。
――――まだ逃げていなかったのか!?何故!?
「この野郎!!」
小岩は何か長い棒のようなものを持っていた。それで李の頭部を思いきり殴りつける。
がっ、と小さく唸って李が跪いた。
その瞬間を狙って、小岩は落ちていた自分のバッグを肩に引っ提げた。そのままこちらに駆けてきて、呆然と立ち竦んでいる
将の手を掴む。
「逃げるぞ、風祭!!」
「あ…う、うん!」
将はバッグを肩に掛け直すと、小岩に引っ張られながらその場を後にした。
「…う〜……いったいなぁ、もう……」
暫く跪いていた李が後頭部を撫でながら立ち上がった頃には、もう将と小岩の姿はそこにはなかった。
「あ〜あ、逃がしちゃったかぁ……残念」
なかなか上手くいかないもんだね、そうぼやきながら再び木の幹から刺さった日本刀を抜く作業に勤しむ。メキメキと木の表
皮が剥がれて、ようやく刀を引き抜くことが出来た。
しょうがないか、1対2だったしね。グループを奇襲するには、コレは不向きだったか。どうやったって攻撃対象が一人に限
定されちゃうもんなぁ。やっぱり銃器関係が欲しかったな。それに、まだコレ使い慣れてないし。
だが、今ので少し使い勝手がわかった。まだこの重さや手応えに馴染むことは出来ていないが、そう遠くないうちに自分はコ
レを使いこなせるようになるだろう。
今のはその練習だと思えばいい。まだチャンスはいくらでもある。
…それにしても……
「あいつ、思いきり殴りやがって……たんこぶ出来ちゃったよ、もう」
そう言って後頭部をさする。
まぁいい。この身にうけた痛みは、必ず万倍にして返してやる。
ぼくを傷付けた罪は重いよ?そうそうラクには殺してやらないからね。
それまで、せいぜい生き延びているといい。
李は転がっている自分のバッグを拾い上げると、分校郊外を目指して歩き始めた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ」
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ…」
どれくらい走り続けただろうか、気付けば将と小岩の二人は分校エリアを抜け出し、山道の方に入っていた。
息も絶え絶えに、ふらふらとした足取りで、ひたすら道を駆け抜けている。
そのうちどちらともなく脚を緩め…
「こ…この辺まで来れば、大丈夫かな……」
「お、おう……多分…もう追ってこねぇだろ…」
短い会話を交わすと、二人揃って山道脇の叢に腰を下ろす。
バッグを開けてペットボトルを探し当てると、将と小岩は一気に水をその喉に流し込んだ。
「…にしても、あいつ……郭の従兄弟だっけか」
ようやく落ち着いてきたのか、それでも肩で息をしながら小岩が話しかけてきた。
将は黙って小岩の横顔を見た。
「あいつ、どう考えても俺達を殺る気だったよな。刀なんて物騒なモン持ってよ…」
「うん……怖かった」
それは正直な思いだった。間違いなく殺される、揺るぎのない死の予感がしたのを覚えている。そして、恐怖もあったが、何
よりショックの方が大きかった。
誰もこのゲームに参加はしないだろう。将のその信念は、無残にも木っ端微塵に砕け散ったのだ。それは、日本刀を持って奇
襲してきた、先の李の行動が立証してしまった。
少なくとも『やる気』になっている人間は確実に一人いる。李は、きっと自分達以外の人間にも牙を剥くだろう。あの時の李
の暗い瞳がそれを物語っている。そう考えると恐ろしくて仕方なかった。
「でも、小岩くん…どうして小岩くんは、あの時逃げなかったの?潤慶くんはぼくの方を狙ってたみたいだったし、その隙に
逃げればよかったのに……」
ふとそのことを思い出して、将は小岩に問い掛けてみた。すると、
「バカ野郎!お前一人置いてトンズラこける訳がねぇだろうが!!」
小岩が怒った口調で(実際に怒っているのだが)声を張り上げた。
「え…で、でも、あの場合は……」
「関係あるか。それに、あそこで逃げたら男がすたるってなもんだ」
フンっと鼻息も荒く答える。まだ興奮が抜けきっていない様子だ。
「…まぁ、これがなかったらあのヤロウに一矢報いることも出来なかったと思うけどな」
そう言って小岩が将に見せたものは、黒い漆が塗ってある木刀だった。なるほど、これなら頭に直接打ち込むだけでも相手に
は充分なダメージになる。何の木材を使っているのかはパッと見ではよく分からないが、それはかなりの硬度を持っているよ
うだった。
「それが小岩くんの武器だったんだ…」
「そうみてーだな。俺もアイツに襲われるまでは知らなかった」
李に襲われた直後、体勢を整えた小岩はその時とっさに自分のバッグを漁った。何か堅い棒のようなものを手に握ったとき、
ふと頭を上げると、李が木に刺さった刀を抜こうとして動きを止めているところだった。
「逃げなければ確実に殺される」、その瞬間に強くそう思った。
そして、気がつけば李の頭に木刀を振り下ろしていたのである。
結果的にはそれで助かった訳だが、もし、武器がこの木刀じゃなかったら……
小岩にとって、それは考えたくもないことだった。
「…けど、参っちまうよなぁ〜…せっかく仲間集めしようとしてたのによぉ」
木刀を脇に放り投げると、小岩は俯いて大きなため息を洩らした。
「そうだね…結局ぼくと小岩くんしか合流できなかったし……杉原くん、大丈夫かな…」
「あいつが俺達と同じように仲間を集めようとしてたら…大丈夫なんじゃねぇか。あいつのすぐ前は確か、渋沢だったと思う
。あの人なら信用できるだろ」
「あっ!そっか…うん、渋沢先輩ならだいじょうぶだよね。それに、後ろには天城もいるし……」
「ああ」
小岩の言葉に少し心が軽くなった将だが、すぐに憂いを帯びた表情に変わる。
「……でも、水野くんは……」
将と水野は大分離れてしまっている。あの辺りの桜上水生徒というと、不破大地と横山寧々の二人がいるが、3人が上手く合
流しているとは考え難い。何故なら、番号が近いからといってすぐに遭遇できるとは限らないからだ。それは将が自身をもっ
て実証済みである。2分のインターバルは思いのほか長い。
「心配すんな。水野は頭もいいし、そう簡単にくたばるようなタマじゃねぇだろ。な?」
複雑な顔で黙りこくってしまった将を励ますように、小岩が拳をぐっと握って力説した。
それは、なんだかとてもおかしな励まし方だったけれど。
ふと顔を上げる将。その表情は、少しだけ安堵感を取り戻していた。
「……そう…だね、そうだよね。…ありがとう、小岩くん」
「うしっ!んじゃ、他のやつらを探しに行こうぜ!!」
「うん!」
元気に頷くと、将は脚についた砂を払い落として立ち上がった。
その頃、まだ分校付近にいた藤代誠二は、隠れることも誰かを待ち伏せすることもなく、ただその場でリフティングをしてい
た。
何故リフティングをしているのかというと、彼に支給された武器がサッカーボールそのものだったからである。
正直、藤代はバッグを開けた途端にガッカリしてしまった。彼が望んでいた武器とはまったく正反対のものだったからだ。藤
代はバトル・ロワイアルの説明を受けている最中にも、銃器が欲しいとずっと思っていた。
だが、実際に自分に与えられたものと言ったら見慣れたサッカーボール一つだけ。
常人なら途方に暮れてしまうところだが、しかし藤代は違った。
花壇の前で隠れもせず堂々とリフティングをし始めたのだ。
(これから、どうするかな…)
考え事をするのに調度いいし。
藤代本人はそんな程度にしか思っていなかったが、もしここに「やる気」の人間が現れたら、それこそ、藤代は格好の餌食に
なってしまうだろう。
そして……偶然にも、それを狙っている人間がごく近くに潜んでいたのだった。
「!!」
勘の良い藤代は、その気配にすぐに気付いた。ピタリとリフティングを中断し、気配のする方をじっと見つめる。
そこには、何か棒のようなものを持った影が立っていた。更に藤代は目を凝らす。
立っていたのは、小振りの斧を持った伊賀仁吉だった。
(……あらら。こりゃまた意外なお客サンで)
明らかに殺気を放っている伊賀の様子などお構いなし、といった感じで、藤代はただ近付いてくる伊賀を悠然と見つめている
。
―――――こいつは、俺を殺る気だ。
藤代はとっさに確信した。
途端に、身体中が熱くなる。動悸が早くなる。
伊賀はこのゲームに乗ってしまったのだ。それは伊賀のこの追い詰められたような昏い表情を見てとれる。
だが、藤代の心を昂ぶらせていたのは、そのことに対する恐怖心などではなかった。
ゲームに乗った伊賀に対して嫌悪感を抱いている訳でもない。藤代がひたすら注目していたのは、伊賀本人でなく、彼が右手
に持つ斧である。
(……斧。斧か!うん、使える!!)
そう閃いた瞬間に、伊賀が奇声を発しながら襲いかかってきた。
対する藤代は冷静にそれを見据えていた。ふいにヒュウ、と口唇を鳴らす。
「サンキュー、伊賀!!」
藤代は舌を出して口唇を一舐めした後、間合いを詰めてくる伊賀目掛けて、思いきりボールを蹴った。
ボールは真っ直ぐ飛んで行き、伊賀の顔面に直撃した。バシンと大きな音がする。
「っでえ!!」
思わず顔を手で覆う伊賀の悲鳴と、何かがカツンと音を立てて地面に落ちる音が同時にした。伊賀の手から落ちた斧と地面が
衝突する音だった。
それを耳聡く聞き分けると、藤代は蹲る伊賀の横をすり抜け、とっさにその斧を拾い上げる。見た目よりもずっと重く質量感
のある斧だった。
それを片手に、未だ蹲り顔を手で覆っている伊賀の後ろにそっと近付く。
藤代には何の葛藤もなかった。
だって。
この場合、この状況でするべきことは一つだろう?
なぁ、伊賀?お前もそれがわかってるから、俺を狙ってきたんだよな?
…よりにもよって、この俺を!
クク、あはははははは!!
いい度胸してるよ、お前。……でも、大バカだ。
声には出さなかったが、藤代は心の中でそれこそ爆笑していた。
藤代の気配にようやく気付いたのか、伊賀は顔を押さえる手を離すと、ゆっくりと後ろに振り返った。
そこには、何故か笑いを噛み殺しているような、妙な顔の藤代が立っていた。
…自分に支給された斧を持って。
「本当に助かったぜ、伊賀。俺武器がハズレでさァ、マジ困ってたんだよ。でも、お前が来てくれたおかげでさっきよりはマ
シになった。ありがとな。お礼に……」
ふいに藤代が口を開く。伊賀は顔面蒼白になった。
もしや、こいつは、俺と同じように。
しかし、伊賀はその先のことを考えることが出来なかった。
斧を頭上高くに振り上げる藤代の様子を、どこか他人のように眺めている。
「殺してやるよ。」
そう呟くと、藤代は満面の笑顔でその斧を振り下ろした。
ああ、藤代はよくこんな顔をしていたな。
試合でゴールを決めたとき。練習でファインプレーをしたとき。
こいつは、その時も今みたいな笑顔でいたんじゃなかったか。
ガスン、と脳天に物凄い衝撃がきたかと思うと、伊賀の思考はそこで強制終了した。
その頭には先ほどの斧の刃が半分ほど埋まっている。即死なのは、誰が見ても明らかだった。
グラリと身体が傾き、伊賀の死体はその場にどさっと倒れ込んだ。
「いっちょあがり♪」
足元に転がる伊賀の死体を見下ろしながら、藤代はニヘッとまったく悪気のない笑みをうかべた。
まさかこんなにスムーズにことが運ぶとは自分でも思ってなかった。
最初サッカーボールが支給された時はどうしようかと思ったが、なかなかどうして上手くいくもんだ。開始早々に武器が手に
入ってしまった。
いいね。今日の俺は最高にツいてるぜ。
「…おっと、武器はちゃんと持っておかないとな」
もはやただの肉塊と化した伊賀の頭を足で踏みつけ、梃子の原理を使って斧を引き抜こうとする。
力を入れた途端にメキッという音がしたが、藤代は特に気にしなかった。
多分頭蓋骨かなんかが引っ掛かってるんだろう。
…面倒くさいな。一気に抜いちまうか。
「よいしょ、っと!」
無理矢理斧を引っこ抜く。ぱきん、という骨を割る感触と、ぬめぬめした脳髄の感触が斧を媒介にして藤代の手に伝わった。
そこから溢れ出す鮮血は、むせかえるような臭気をはなっている。生臭い、血の臭い。常人なら、胃の中のものを全て戻して
しまうほどのおぞましさだった。
だが、藤代はまったく反応しなかった。頭部の割れ目から流れ出る脳髄と血を見ても、
(ヘエ、のーみそってこんなんなってるんだぁ。ぐちゃぐちゃに混ぜたゼリーみてーだ)
それしか思うことがない。逆に、薄暗いせいでちゃんと見えないのが残念だな、などと考えるくらいだった。
藤代は、斧にこびり付いている鮮血を伊賀が着ている制服で拭うと、伊賀のバッグを探した。
「おー、あったあった」
それはすぐに見つかった。ふんふんと鼻歌を歌いながらチャックを開け、中からペットボトルとパンを失敬して、自分のバッ
グに移し変える。
こんなんじゃあ、どう考えたって3日と持たないよな。成長期の少年に食わせる量じゃないぜ、これは。ま、その分他の奴ら
から奪えばいいだけの話だけど。
次にサッカーボールを拾い上げ、バッグに詰め込む。これは今回一度きりの活躍だったけど、この先暇な時にでも使えばいい
。嵩張るほどのものでもないし、これくらいの荷物なら持ち歩いても邪魔にならないだろう。
「さぁて、そろそろ行くか」
藤代はバッグを肩にかけると、斧を手に持ったまま出発した。その場に、伊賀の死体を残して。
藤代は、最初から「やる気」になっている数少ない参加者の一人だった。
だって、このゲームは一人しか生き残れないんだろう?
なら四の五の言わずに、その流れに従うまでだ。
もちろん、俺は死ぬ気はないし、むざむざと殺されてやるつもりもない。
俺はこの殺し合いのゲームに参加する。
死ぬなんてまっぴらだ。死んだら大好きなサッカーも出来なくなっちまうじゃねーか。
だから。
やるべきことはひとつだけ。
生きるために、俺は殺す。
藤代の口唇の端が、くっと上がった。
男子1番・伊賀仁吉 死亡
<残り33人>
場所は変わって、分校校舎内。
「始まったみたいですね」
会議室の扉を開けて、西園寺玲は優雅な足取りで入ってきた。
真っ白な壁に囲まれた、随分と広い部屋だった。前の方には大きなホワイトボードが設置してあり、そこには今回のプログラ
ム参加者の名前が連ねられている。
その更に前の方で、四角いテーブルを囲みながら顔なじみの大人達が談笑していた。
「やぁ、西園寺くん。待っていたよ、君が来ないと始まらないからね」
そう言ってテーブルの上座に座っているのは、選抜の本監督、尾花沢だった。
「尾花沢監督、お身体の方はもう大丈夫なんですか?」
開いている椅子に腰掛けながら、西園寺がにこやかに話しかける。
「うむ、平気だ。それにこんな機会に病院で大人しく寝ていられる訳がないだろう?」
はっはっはと大きな声で笑う。
「玲、玲ノ席ハココダヨ」
名簿を持って近づいてきた西園寺に、選抜キーパーコーチのマルコ・フェルナンド・ルイスが笑顔で声をかけ、椅子を引いた
。
「ありがとう、マルコ」
西園寺は軽く礼をすると、その席にゆっくりと座った。
「今回は期待できそうですね。人数は35人と中途半端だが、個々の能力は折り紙付きですし。ねぇ、松下先輩?」
国部二中サッカー部顧問の雨宮東吾は、眼鏡をかけ直すと隣の松下左右十に言った。
話をふられた松下は、無精髭を右手でさすりながら答える。
「そうだな。多少のバラつきはあるが、なかなかおもしろいデータがとれそうだ」
「ね、松下さん!もう始まってるんですよね!」
楽しそうな声で松下の袖を引っ張ったのは、さっきビデオに出演していた香取夕子だ。
「ええ、さっき最後の若菜が出発したばかりですからね。前の方では始まってるかもしれませんよ」
煙草をふかしつつ、苦笑してみせる。
「それにしても、香取先生。さっきのビデオ俺も観たんですけどね、最後に発砲したの、あれは反則ですよ。打ち合わせには
あんなの無かったじゃないですか」
さらに隣に座っている、将の兄の風祭功がからかうような口調で香取の肩をつっつく。
「確かに。あの撮影に携わっていたカメラマンも肝を冷やしていたようだったな」
渋い顔をして功の言葉に頷いたのは、水野の実父、武蔵野森の桐原総一郎だった。
途端に香取は拗ねたような顔になった。
「むー。別にいいじゃないですかぁ。私だって撃ってみたかったんだもん!」
ぶー、と年齢と不相応に頬を膨らませる。途端に、会議室に多数の笑い声が響いた。
「さて…」
西園寺が会話の進行を立て直す。
「それでは皆さん。誰に賭けるか、お手持ちの紙に生徒の出席番号を名前をお書き下さい」
そこで更に会話が始まった。
「松下先輩はどうします?」
「俺か?俺は……そうだな、佐藤にするか。あいつは何を考えているのかイマイチ察しにくいが、頭がいいし度胸も座ってい
る。このくらいの状況なら一人でも乗り越えて行けるだろう」
「そうですか」
「お前は?東吾」
「ぼくはもちろん、天城です。あの子の身体能力はあの中でも群を抜いていますからね。それに勘も鋭い。あの子はやります
よ」
お互いにふっと笑い合うと、松下と雨宮は手持ちの紙にそれぞれ「男子13番・佐藤成樹」「男子20番・天城燎一」と記入した
。
「香取先生は誰に賭けます?」
「えっと…それじゃあ私は不破くんで。頭もいいし、何でもそつなくこなせるし……風祭さんは?」
「俺は当然将に賭けますよ」
「弟さんを信頼してるんですね」
「いや…まぁ、それもありますが。あいつは、まあ見ての通りの甘ちゃんですけど、やる時はやるヤツですからね。応援の意
もこめて、俺は将にします」
香取と功はそれぞれ「男子26番・不破大地」「男子7番・風祭将」と書き込んだ。
その横で沈黙し続けている桐原に、西園寺が声をかけた。
「桐原監督はどうなさいますか?」
「………うむ…」
桐原は暫く考えた後、ふいにペンを走らせ「男子25番・藤代誠二」と書いた。
それをみた西園寺が、少しだけ目を見開く。
「……あら、ご子息にはなさいませんの?」
「竜也か。まぁ父親としては応援してやりたい気持ちも無いわけではないが、やはりあれはだめだ。殺し合いなど到底出来ん
よ。その点藤代はムラっ気もあるが、竜也よりはよほどいい。私は藤代に賭ける。」
「なるほど。では、尾花沢監督は?」
「わしは……鳴海だな。あいつの貪欲さ、負けん気の強さはこのプログラムにおいて重宝するものだからな」
「ええ、確かにそうですわね」
「ソウイウ玲ハ誰ニ賭ケルンダ?」
「マルコは誰にしたの?」
「僕ハ渋沢ニシタヨ。身体能力、メンタル面トドレヲトッテモ申シ分ナイカラネ。人ガヨスギルノガ難点ダケド」
「そう。……なら、私は…そうね、翼にするわ。何だかんだ言っても、やっぱりあの子の能力は認めているしね」
西園寺は口唇の端を微妙に上げると、持っていた紙に「男子15番・椎名翼」と書いた。
「それでは皆さん、ベット開始です。そのままモニターにご注目下さい」
ここでもまた狂った会話が続けられていたのだった。
さて、上條麻衣子が何故将と合流することが出来なかったのか。
その理由は、将と小岩が遭遇する約5分前に遡る。
兵士からバッグを受け取り、分校の昇降口から恐る恐る出てきた上條は、近くにある茂みへと身を隠した。
本人の意思とは関係なく、どきどきとうるさい鼓動をなんとか鎮めようとする。だが、彼女の心臓は持ち主の言うことを聞こうとはしなかった。
(もうっ…落ち着きなさいったら!!)
どさりとその場にバッグを放り投げる。それでも、苛立つ思いを静めることは出来ない。
だが、それも仕方のないことだった。いくら彼女が気丈だからと言って、このような異常な現実においてまともに落ち着いていられる訳がない。
いきなり見知らぬ場所へ拉致され、「殺し合え」などと命令されて。挙句の果てには、チームメイトでもあり、後輩でもある戸田志津代を目の前で殺されたのだ。当然ながら、人死にを目撃するのは生まれて初めての事であった上條は、
教室にただよう夥しい血の臭いに、思わず胃の中のものを戻しそうになってしまっていた。
そして、訳のわからぬままこんなところに放り出されたのだ。
もう嫌。帰りたい。こんな場所に長く居たくない。
思わず泣き出したくなるのを、上條はそのプライドでもってぐっと堪える。
(……誰が殺し合いなんてするもんですか)
そこには死にたくないという確かな思いがあった。
だが、だからといって人を殺そうとも思えない。そんな恐ろしいことが自分に出来る訳がない。
第一、現実味がわかないのだ。殺し合いをする私達。
「人の死」は、さっきの戸田の一件で嫌というほど現実視させられた。しかし、「殺し合いをする自分」は、どうしてもイメージが出来ない。
(…でも、あの女は確かに私達に『殺し合いをしろ』って言ったわ。そして、私達に銃を向けて……)
その時、ふいに風が吹いた。風に煽られて、後ろの茂みがガサガサと動く。
「!?……なに…?何…よ……!」
上條はそんな些細なことにも反応してしまっていた。風の仕業だと頭ではわかっていても、どうしても挙動不審になってしまう。
(いや…いや……いやっ!!怖い!誰か、誰か……!)
気丈に振舞おうとする上條の気心は、もうどこかに吹き飛ばされてしまった。
どうしようもなく、恐ろしい。全てが。見知らぬ場所に、こうして一人でいることが。
風の音さえ恐ろしくて、上條は両耳を手で塞いだ。そのまま蹲って目を瞑る。
お願い、お願い。
殺さないで。私を殺さないで。
あぁ、気が狂ってしまいそう。このまま一人でこんなところにいたら……!!
一人で……一人でいたら……!!
(…………ひとり…?)
そこで上條は、フト顔を上げた。
(一人……そうよ、一人でいるから怖いのよ。誰かと一緒にいれば…)
少なくとも、このまま一人ぼっちでいるよりは恐怖を感じずに済む。
藁をも掴む思いでいた上條は、すぐにバッグから地図を取り出した。そう、確かこの地図の裏には名簿が載っているはず。
「…あった!これね!」
地図を探し当てた上條は、ついでに懐中電灯も取り出すと、裏をめくって名簿を凝視した。
まずはじめに自分の名前を探す。
(上條…上條……あっ!)
あった。女子1番、上條麻衣子とそこには書いてある。
自分の名前を見つけた上條は、次にその前後の名前を見比べた。もし、近くに見知った名前があれば、その人物と合流して一
緒に行動しようと考えていたのだ。
あの教室内にいた人間の殆どを上條は知らない。だからこそ、同じ桜上水のメンバーに頼りたくて頼りたくて仕方なかった。
見ると、自分の名前のすぐ上に見知った名前を見つけた。
「男子7番、風祭将」
そうだわ。風祭君は、私のすぐ前に出発したんだった。
どうして今までそれに気付こうとしなかったんだろう。インターバルは2分しかないから、探せばまだ見つかる可能性がある
はず。2分ならそう遠くへは行っていないだろう。
上條は勝手にそう決めつけた。逸る心を落ちつかせて、更に名簿を見る。
風祭くんと最初に合流して、そして次に二人で小島有希を待てばいいのよ。そうすれば、心細くはなくなるわ。少なくとも、
今よりは。
そうと決めたら、善は急げだ。
上條は地図と懐中電灯をバッグに突っ込み、その紐を肩にかけて、おもむろに立ち上がった。
「!!!!!」
その時だった。突然、本当に突然、上條の背後に人影が現れたのは。
その瞬間、上條は心臓が飛び出しそうなほど吃驚した。絶句してその場に腰を抜かす。
「ひっ…い、いやぁ……!!」
その人物が手にしているものを見て、上條は更に顔が真っ青になった。そう、それは、先刻西園寺が持っていた拳銃と同じも
のだったのだ。
殺される!!
上條はその時強く思った。
もう私は駄目なの?このまま、得体の知れない人間に銃で撃たれて死んでしまうの?
……嫌だ!!自分はまだ、死にたくない!!
「いやぁっ!来ないで!!こ、殺さないでー!!」
手元に生えている草をむしり、無我夢中でその人影に投げつける。それは抵抗にも何もなっていないのだが、それでも上條は
その行為を続けた。
ふいに、その影がこちらに向かって腕を伸ばしてきた。
(…死ぬ!)
上條が思わず目を瞑った瞬間、ひどく慌てた様子でその影が声を発した。
「ちょっと、君!…静かにして!!」
「むぐっ…!?」
とっさに口を塞がれ、上條は草をむしる手の動きを止めてしまった。
構わず、男(らしいと上條は判断した。勿論、殆ど錯乱状態ではあったが)は言葉を続ける。少年の声だった。
「こんなところで大声をあげたりなんかしたら、かえって危険だよ!自分はここにいるんだと他人に知らせてるようなもんだ
。……いい?落ち着いてちゃんと聞いてよ?俺は、君を殺そうだなんて思っていない。このゲームにも参加してない」
「……………!!」
真剣な声だった。その言葉に、上條は口を塞がれたまま、大きく目を見開いた。
「…わかったなら、この手を離すけど。いいね、俺が手を離しても絶対に声をあげちゃいけないよ。死にたくないならね。…
…OK?」
慎重に慎重を重ねて尋ねてくるその少年に、上條はひたすらこくこくと首を縦に振った。
いまいち状況がわからないが、この少年が自分を殺す気はないのだと分かっただけでも充分だったからだ。
上條が必死の形相で頷くのを合図に、少年はぱっとその手を離した。
途端に、上條は激しく咳き込んだ。叫んでいる時にいきなり口を塞がれたため、器官がつまったのだ。
「ごっ…ごめん!そんなに強く掴んだつもりはなかったんだけど……大丈夫?」
咳き込む上條の背中を慌ててさすりながら、その少年は小声で謝ってきた。
上條はふるふると首をふった後、改めてその少年の顔を見た。月明かりに照らされたその猫目気味の少年は、やはり見知らぬ
顔だった。だが、もうその時点で上條は殆ど警戒心を解いてしまっていた。自分を案じて背を撫でてくれたことが、嘘偽りの
ないものに思えたからだ。
「俺…俺は、武蔵野森の笠井竹巳って言うんだ。…えっと……君は?」
自分を真っ直ぐに見つめてくる上條の視線に耐えきれないのか、その少年は目線を少しだけ逸らすと、ふいに自己紹介をして
きた。
「私は……上條麻衣子よ。学校は桜上水で…」
上條は、今度は落ち着いて答えた。先ほどの恐怖感はだいぶ消え失せていた。
「かみじょう……そうか、君は風祭の後ろにいた子だね?」
上條の言葉に、笠井は納得したように頷いた。
「?…あなた、風祭くんを知ってるの?」
「うん、ちょっとだけ。前に一度試合をしたことがあったから…」
「そうなの……」
少しだけ声色を和らげる上條だが、ふと目線を落とした先に笠井の持つ銃が目に入ってしまい、思わず顔を強張らせる。その
視線に気付いたのか、笠井は困ったような顔をして苦笑した。
「ああ、心配しないで。コレは偽物だから」
「偽物?」
これが?
そう言って上條は訝しそうに笠井の持つ(本人曰く偽物の)銃を凝視した。
「…これのどこが偽物なのよ?どう見ても本物じゃない」
トリガーやらリボルバーやらがしっかりとついてあるのに。その銃身はとても重そうで、いかにも本物らしい銃なのに。
「……俺も最初はそう思ったんだけどね…」
笠井はふうと溜め息をつくと、側の木に銃口を向けてトリガーを引いた。
「!?」
思わず息を飲み、そこに響き渡るであろう銃声を予想して耳を塞ぐ上條だが、しかしその銃口から弾丸が飛び出すことは無か
った。かわりに飛び出したのは……
「…み…水……?」
そう。ただの水だった。
銃口からちょろちょろと頼りなさげに飛び出している水を、上條はただぽかんと口を開けて見ていた。その上條の表情に、ま
たもや苦笑する笠井。銃をクルリと手の中で回し、ベルトにさし込む。
「な…何よ……じゃぁ、それはただの水鉄砲、ってこと……?」
「そういうこと」
「お、脅かさないでよ!ビックリしたじゃないの!」
上條は思わず顔を真っ赤にして声を張り上げた。
何よ!てっきり本物かと思って、ヘンな顔しちゃったじゃない。
「そう?あはは、ごめん。……でも、俺は出来れば本物が欲しかったんだけどね」
「え?…だってあなた、このゲームには参加していないって……」
さっき言ったじゃない、そう呟く上條を横目で一瞬だけ見ると、笠井は急に真面目な顔になった。
「うん、参加しないよ。君は?」
「す、するわけないでしょう!?冗談じゃないわよ、殺し合いだなんて!!」
思いがけないことを逆に聞いてくる笠井に、上條は慌てて否定した。
笠井は「そうだね…」とだけ言うと、自分の腰に差してある水鉄砲に触れた。
「でも、俺達が参加しないって思っていても、実際にやる気になっている奴はいると思うんだ。俺はあの場にいた殆どの顔を
知らないし、知っている人は武蔵野森の人と、桜上水の人数名くらいしかいない。だから不安なんだよ。俺の知らない奴の中
で、誰かこのゲームに進んで参加しようとしている奴がいるんじゃないかって…」
真剣な表情で語る笠井の横顔を、上條は黙って見つめていた。
そうか。この人も、私と同じなんだ。
見たこともないところに、いきなり放り込まれて。
周りは、殆ど知らない人ばかりで。
一人でいるのが、怖くて。だから。
「…だから、私に声をかけてきたの…?」
言葉を続けようとした笠井は、ポツリと呟いた上條の顔をゆっくりと見やった。
「そうだよ。一人でいるのが不安で仕方なかったんだ。せめて武器がちゃんとしたものだったら、一人でも自分の身を守ろう
と思っただろうけど、実際支給されたものはこんなふざけたオモチャだったしね。だから、誰でもいい、一緒に行動してくれ
る人が側に居て欲しかった」
「…………………」
「知り合いの武蔵野森の人とも番号がかなり離れてしまった。その中には、どうしても会いたい人がいる。でも、こんな武器
一つじゃ、とても不安で身動きすることも出来ない」
「……何よ、男のくせに情けない人ね」
上條のその言葉に、笠井は少しだけ苦笑してみせる。
「確かにね。自分でもそう思うよ、情けないって。けど、これが俺の正直な気持ちなんだ。一人で居たくないんだ。一人は嫌
だ。絶対に嫌だ」
そう言って俯いたきり、笠井は何も言わなくなった。そこに潮の匂いが混じった風だけがゆっくりと流れていく。
後ろの茂みが、風に煽られてまたガサガサと音を立てた。だが、上條はもうそれを恐ろしいとは思わなくなった。さっきまで
の早鐘のような心臓の音が、今は静かに身体に響いている。
不思議ね。一人が二人になっただけでも、こんなにも心の余裕が違うんですもの。
……ええ、確かに一人は嫌だわ。
だから誰でもいいから一緒にいてほしいって思う気持ち。私もわかるの。同じだから。
長い沈黙の後で、ふいに口を開いたのは笠井の方だった。
「……あのさ。君も一人みたいだし……もし迷惑じゃなかったら、俺と……」
「仕方ないわね。一緒に行動してあげるわ」
笠井が言い終わらないうちに、上條はいつもの傲慢な口調で言葉を返した。
腰に手を当て、笠井を見下ろして仁王立ちしている。
上條の態度の豹変ぶりに、笠井は一瞬だけ呆気にとられてしまった。
さっきまでのあの異常なまでの怯えっぷりは、どこへ行ったんだ?
しかし、ああなるほど、多分こっちの方が普段のこの子の性格なのだろうと悟り、にこりと微笑み返す。
「ありがとう」
俺、どうしても会いたい人がいるんだ。
明日にも死ぬかもしれないこの身だからこそ、余計に会いたい気持ちが募ってくる。
死ぬのは、怖い。
だけど、あの人と会えないことは、俺にとっては死ぬことよりずっと怖いんだ。
自分に微笑みかけてくる笠井を見て、上條は顔が赤くなっていくのを感じた。
「何よ、ヘンな人ね」
照れ隠しのつもりで憎まれ口を叩くが、上手く口がまわらない。バツが悪くなった彼女は、その場に放り投げてあった自分の
バッグを思わず手元に寄せた。
笠井と一緒に行動することに拒否感がある訳ではない。
むしろ、それは一人でいることにとてつもない恐怖を感じている上條にとっては、願っても無いことだった。
しかし、いくら二人いるとはいっても、笠井の武器は水鉄砲。ただのオモチャだ。
こんなもので身を守れるとは、到底思えない。
せめてもう少しまともな武器があれば、そう思った時に上條は自分の支給武器をまだ確認していないことに気付いた。
腕時計、コンパス、鉛筆、地図、懐中電灯、パン、水と取り出し、最後に何か堅いゴワゴワしたものを取り出す。
それは、紙にくるまれた出刃包丁だった。
ごつい銃などが出てきたらどうしよう、そんな一抹の不安を抱いていた上條だが、それが杞憂に終わった瞬間、正直少しガッ
カリしてしまった。
何よ、これ。これで料理でもしろっていうの?
出刃包丁を手に持ちつつ、はぁ、と溜め息をつくと、笠井がひょっこりと顔を覗かせてきた。
「何、それ?包丁?それが上條さんの武器?」
「…そうみたい。なんだか気が抜けちゃったわ。あまりにもバカバカしくて」
肩を竦めてみせた後、上條がその包丁を再び紙に包んでバッグに戻そうとした途端、笠井がそれを手で制した。
「笠井くん?」
「…上條さん、それはバッグに戻さないで手に持っていた方がいい」
「え?」
真剣な表情で自分の手の中にある包丁を見つめている笠井に、上條は少しだけ表情を曇らせる。笠井は構わず言葉を続けた。
「…間接攻撃は出来ないけど、俺の武器よりはずっと使えるものだし、もしもの場合を考えてそれは常に持ち歩くべきだよ」
「もしもの場合、って…」
笠井の押し殺したような声に、ふと背筋が凍る思いがする。もしもの場合って何?
「さっきも言っただろ?誰がやる気をおこしているかはわからない。だからこそ、警戒は常に怠らないでいなきゃダメってこ
とさ。用心に越したことは無いよ。それに、この状況の中、甘い考えでいちゃいけない」
「そ…そうね……」
一気にしゃべる笠井の気迫に気圧されたのか、上條はこくりと頷いて、包丁をバッグに戻す手を止めた。その行動に、笠井は
うん、と頷く。
「俺の武器は見ての通り、アレだけどさ。威嚇、脅し程度には役に立つかもしれない。上條さんもさっき本物と間違えてただ
ろ?結構よく出来てるよ、これ。実用性はないけどね」
そう言って笑ったかと思うと、笠井はふいに伸びをして立ち上がった。さっきまでの頼りない雰囲気は、その表情には殆ど無
かった。
「そろそろ行こう、上條さん。ここはもうすぐ禁止エリアに指定される。それに、じっとしているとかえって危険だ」
「え、ええ」
笠井の変化に戸惑いを隠せない上條だが、大人しくそれに従って自分も立ち上がった。
そんな上條の様子を見て、笠井はふと思いついたように言う。
「…そうだ。上條さんは、誰か会いたい人っている?目的とかさ」
「会いたい人?……そうね、特別ってほどでもないけれど…さっきは風祭くんと合流しようと考えていたわ。でも、桜上水の
人なら誰でもいい。会って、お互いの無事を確認したいわ。敢えて言うなら、それが私の目的ね」
「オッケー、わかった。じゃあ、行こうか」
物音をあまり立てないように、他の気配に注意しながら慎重に進むよ。
笠井のその言葉に、上條は強く頷いた。
ふたりは、周りの様子を伺いながら、そっと茂みを後にした。
上條は前を進む笠井の背中を見ながら、言いようの無い安堵感を感じた。
あぁ。会って間もない、よく知らない人だけど、この人と合流できてよかった。
だって、一人は嫌だもの。
だが、その時の上條は気付いていなかった。
場合によっては、一人よりも二人でいるほうが危険だと言うことを。
<残り33人>
「みゆきちゃん!」
左腕を抑えながらふらふらと校舎から出てくる桜井みゆきを見つけた途端、今まで木の影で待ち伏せしていた小島有希は思わず声を上げて飛び出した。
自分を呼ぶ聞き覚えのある声にハッとして顔をあげる桜井だが、こちらの方に向かってくる小島の顔を確認した瞬間、安堵の表情を浮かべる。
実はこの二人はさっきの「余興」の後、ともに行動しようと約束を交わしていたのだった。
『みゆきちゃんが校舎から出てきたら、私がすぐに名前を呼ぶから一人で勝手に行かないでね。待ってるから』
そう小島に耳打ちされた桜井は、小さく頷いた。
そんな訳で、二人は約束通り引き合えたのである。
「有希先輩!」
「さ、こっちよ、みゆきちゃん」
桜井の左腕を気遣いながら、近くの木陰に連れていく。
周りに誰もいないことを確認して、小島は持っていたバッグをドサリと足元に落とした。それを見て、桜井も同じようにバッ
グを下ろす。
「先輩…大丈夫でしたか?誰にも…会いませんでした?」
おずおずと尋ねてくる目の前の後輩に、小島は苦笑して見せながら答える。
「ん、平気。みゆきちゃんの前に、一人知らない奴がいたけどね。反対方向に行っちゃったから何も無かったわ」
「そうですか…」
言葉を交わしつつ、小島と桜井は何とはなしにその場に腰を下ろした。
ふと、小島は桜井の左腕を見つめた。桜井はさっきからずっとその腕を片方の手で掴んでいる。しっかり抑えているところを
見ると、どうやらかなり痛むようらしい。
出血は先刻の応急処置で一応はおさまったようだが、それでも完全に止血できたというわけではない。もっと、ちゃんとした
処置を施さなくては。
「ねぇ、みゆきちゃん……その傷、まだ痛むの?」
「え?」
「痛いんでしょう?」
真剣な表情で見つめてくる小島に、これ以上心配をかけたくないと思ったのか、桜井は慌てて首を振った。
「だ、大丈夫です。さっき先輩に止血してもらったし、このくらい何とも……いっ…!」
何ともありません、そう続けようとした桜井の語尾は、どうみても苦痛を訴えるような呻き声に変わってしまった。
そんな桜井の様子を始終見ていた小島は、小さく溜め息をついて「無理しないの」と諭すように言った。
「す、すみません……」
自分の考えを見抜かれたことが恥ずかしいのか、桜井は小さく呟く。
「いいのよ、痛い時は痛いって言っても。痛いまま我慢して放っておく方がもっと危ないんだから。ね?」
「はい…」
泣きそうな顔で、それでも素直に頷く桜井に優しく微笑みかけると、小島はふと地面に置いてあるバッグの中身を調べ始めた
。地図を取り出し、それを懐中電灯で照らしながら端から端まで目を通す。とある一点のところで目線を止めると、小島はふ
いに鉛筆を走らせてその地図に印をつけた。
その小島の一連の行動を、桜井は首を傾げながら不思議そうに見つめている。
「…有希先輩?」
「ほら、みゆきちゃん。見て」
言われるままに、小島が指差すところを見ると、地図の南東の方に小さな集落があった。そこから少し離れたところに、小島
がさっき鉛筆でつけた印がある。目を凝らしてみると、『診療所』と素っ気無く書かれてあった。
「診療所…?」そう呟く桜井にこくりと頷いてみせる。
「プログラム決行場所に指定されたところに住んでいる人は、そう時間が掛からない内に無理矢理別のところに移住させられ
るって聞いたことがあるわ。だから、引越しの準備も終わらないうちに荷物をそのままにして移動しちゃう家もあるんだって
」
勝手な話よね、眉根を寄せて吐き捨てるように言う小島に、桜井は「はい」と相槌を打った。
「…でもね、もしかしたらこの診療所に何か残ってるかもしれないでしょ?少なくとも、包帯と消毒液くらいは手に入るはず
よ。…ちょっと遠いけど…このままここに留まるよりは、ずっとマシだわ」
そこまで聞いて桜井はようやく小島の言わんとしていることに気付いた。
「有希先輩…」
「ね、みゆきちゃん。ここの診療所に行こう?その後の行動を考えるのは、まず傷を治してからってことにして」
「はい」
桜井は今度はハッキリと返事をした。自分のためにそこまで考えてくれている小島を、少しでも安心させてあげたかったのだ
。
この理不尽で過酷な状況の中、これから何をするべきかを冷静に見極めることの出来る彼女に、桜井は羨望にも似た気持ちを
感じた。
なんてすごい人なんだろう。優しくて、そして、とても強い。きれいだ。
自分の中にある、彼女に対する信頼や尊敬の思い。それは、決して間違いなんかじゃなかった。
よかった。有希先輩がいてくれて、本当によかった。
だからこそ、と桜井は思う。だからこそ、この人にこれ以上迷惑をかけてはいけないんだ。
足手まといになっちゃいけない。自分を心配してくれている、この人のためにも。
正直、桜井はその場で泣き叫びたかった。親友である戸田を目の前で殺され、しかも自分も銃で撃たれた。
挙句の果てには生徒同志で殺し合いをしろなどと言う。
不安な上に恐ろしくて仕方ない。だが、それは小島もきっと同じなのだと桜井は思った。
目の前で冷静に言葉を紡いでいる小島にだって、その気持ちが無いわけではないのだ。
それは、彼女の白い額に浮かぶ、小さな汗を見ればわかる。
有希先輩だって不安なんだ。
それなのに、ここで私がそれを口にしたら、有希先輩はどうなるの。
弱気になっちゃ駄目。そんな弱い人間は誰も好きになってくれない。風祭先輩にだって、きっと嫌われてしまう。
桜井は思わず目をぎゅっと瞑ると、左腕に巻いてあるネクタイを握り締めた。
(風祭先輩…)
心の中で愛しい人の名前を呟く。胸が熱くなり、ふいに鼻の奥がツンとなった。
風祭先輩も、とても強い人だわ。自分も撃たれるかもしれないのに、私なんかを庇って飛び出して来てくれた。
『みゆきちゃん!』
そう叫んで私を心配してくれた。そして、このネクタイを……私に…
(風祭先輩……!)
好き。大好き。……会いたい。会いたい!!
「……みゆきちゃん?」
俯き黙り込む桜井を、小島は心配そうに覗きこんだ。
とっさに桜井が顔を上げた。その顔を見て、小島は一瞬目を見開く。
「…有希先輩。私、診療所に行きます。早くこの腕を治して……風祭先輩を探しに行きたいです。会って、お礼を言って、そ
してこのネクタイを返したい。それまで私は死にたくありません。絶対に」
断固たる意志を秘めた瞳は一点の曇りもない。
その瞳は多少の涙で潤んではいたが、もう迷いや不安などと言ったものは殆どあらわれていなかった。
「有希先輩……ひとつお願いがあります」
「なに?」
はっきりとした口調で言う桜井に、小島は少しだけ戸惑う。だが、表情には出ていないはずだ。
「私は先輩みたいに、強くないです。……だから、途中で弱音を吐いたりするかもしれません。その時は、私の頬を叩いて欲
しいんです。私が正気に戻るように」
「え!?」
意外な言葉に、今度こそ小島は驚いてしまった。急に何を言い出すの、この子は?
「……弱いから、私は弱いから…だから、有希先輩みたいな強い人に正気付かせてもらうしかないんです……お願いします…
…」
最後の方は、涙声になっていた。桜井は、もう、今言ったばっかりなのに、と言ってその涙を手で拭った。
あぁ、なんて一生懸命な子なんだろう。
必死で涙を拭い続ける桜井の姿を見て、小島は心からそう思った。
大人しいけれど、その胸には強い意志を秘めている。
小島は女子サッカー部の入部テストのことを思い返していた。
あの時も、この子は頑固にリフティングが成功するまで続けていた。だからその意志を信用して合格にした。
その自分の判断は、決して間違ってはいなかった。
自分の信念は曲げない、そんなところは風祭とそっくりね。
小島は桜井に気取られないように小さく笑うと、目の前で自分の涙と格闘している桜井の頬を両手でぺちっと軽く叩いた。い
や、叩いたというよりは、両手で包み込んだ、と言った方が正しいかもしれない。
「ほら。言った側から泣いてる」
自分の瞳を覗きこんでくる小島に、桜井はハッとなった。
「ご、ごめんなさ……!」
「でもね、みゆきちゃん。あなたは弱くなんかないよ」
じゅうぶん、強いよ。
そう言うと、小島はどこか寂しそうな笑顔をそのきれいな顔に浮かべた。
細くしなやかな指で、桜井の涙を拭う。優しい手つきだった。
「有希……先輩…」
「行こう、みゆきちゃん」
ぼんやりと自分を見上げてくる桜井に、小島は穏やかに声をかけた。
「ほら。早く怪我を治して風祭に会いに行くんでしょ?」
そこで少し意地悪っぽく言う。途端に桜井の顔は真っ赤になった。
「は、はいっ!」
大袈裟な返事をする桜井の様子を見て、小島は苦笑した。
急いで行こうとする桜井を、「あ、ちょっと待って」と制する。
「手ぶらで行ったら危ないわ。…支給武器を確かめておかないと……」
「あ…そ、そうですよね……」
再びバッグを開け、それぞれ自分に支給された武器をチェックする。
小島は鎌、桜井は刃渡り15センチほどのやや大ぶりなサバイバルナイフだった。当たりとは言えるものではないが、だがお互
いの身を守れる程度には役に立つ。
小島はそれを常に手で持つように、と桜井に指示すると、肩にバッグの紐をかけてふいに立ち上がった。桜井もそれに従って
立ちあがる。
どこで誰が狙っているかわからない。だからこそ、移動は慎重に行わなければ。
「行くわよ、みゆきちゃん」
「……はい」
短い会話をして頷き合うと、二人はその場からゆっくりと離れた。
その小さな手に、鎌とナイフを持って。
小島は、歩きながら隣にいる桜井の横顔を忍び見た。
さっきの桜井の言葉が、いつまでもぐるぐると頭の中を巡っている。
『有希先輩は、強い人だから』
違うよ、みゆきちゃん。
私は強くなんかない。むしろ、その逆だわ。
自分を弱いと言った、あなたの方こそ強い人なのよ。
私のすべては、虚勢でしかないの。
不安や恐怖を口にしないのは、言ったらもっと怖くなるから。
一緒に行動しようとしたのも、一人でいるのが怖かっただけだからなの。
後輩であるあなたに偉そうな口を利いて。さぞ、冷静そうな顔をして。
そうして、自分を優位におくことで、不安や恐怖をごまかそうとしている。
ずるいの。ずるい人間なのよ、私。
それでも、と小島は思う。
みゆきちゃん、あなたを守りたいと思う気持ちに嘘はないわ。
だから、私は闘う。
あなたを、守るために。あなたとあいつを会わせるために。
そして、もう一度あいつの顔を見るために。
私はあなたが思っているような強い人間じゃないけれど。
それまでは、死にたくない。
小島は、流れそうになる涙を堪えるために、ふと上空を見上げた。
雲ひとつない空だった。蒼く、暗い空の中央に、銀色の月がゆるりと浮かんでいる。
小島は今まで見たことのある月で、一番きれいだと思った。
(うげっ、何だこりゃ!?)
目の前に転がる死体を見て、三上亮は思わず顔をしかめた。
それは先ほど藤代に殺された伊賀の物言わぬ躯だったのだが、そんなことをたった今校舎から出てきたばかりの三上が知る由も無い。
(……脳天カチ割られてんじゃねーの…誰だよ、こんなヒデー殺し方した奴…)
成仏しろよ、と手を合わせてからその場を後にする。
動揺して取り乱すようなことは無いが、それでも死体なんて見ていて楽しいものでもない。
これからどうするか、半ば途方に暮れながらとぼとぼと歩く。
面倒くせぇことになったな…開始早々に死体とご対面、だもんな。ちくしょうが。
予想はしていたが、やっぱりこのゲームに参加する奴はいるのか。
さて、俺はどうする?
このゲームに参加するのか、しないのか。三上は実のところ、そこで迷っていた。
『もし俺が生き残ったら』。先ほど西園寺にはああ言ったが、三上は自分が人を殺してまで生き残るというビジョンがどうし
ても思い浮かべられなかった。
悔しい、西園寺を許せないという思いは確かにある。しかし、やはり殺し合いをしようとする気は起きないのだ。
…ってことはだ。
とどのつまり、俺はこのクソゲームに参加するつもりはねぇってことか。
なら、簡単だ。何もしないでそのまま死ねばいい。
(……いや、でも誰かに殺されるってのはちょっとな……かと言って自殺なんてもっとカッコ悪ぃし)
だが、三上にも一応人並みに生への執着があった。
(やっぱり……まだ死にたくはねぇんだろうな、俺は…)
はぁ、と溜め息をつくと、三上はたまたま目に入った木陰に座り、バッグを漁り始めた。
取り敢えず支給された武器だけは確認しておこう、と思ったのだ。
(えーと…?時計に、コンパスに、地図、鉛筆、懐中電灯に……)
パンの入ったビニール袋と、ペットボトルを取り出して見た瞬間、あからさまに嫌そうな顔をする。
(なんだこのえらく不味そうなパンは……犬のエサかっての。おまけに水は1リットルが2本だけかよ。こんなんで足りるわ
けねーだろ、クソが!)
心の中で毒づいて、最後に武器を探り当てる。ごつごつとした金属の感触がした。
三上はなんの躊躇いもなくそれを手繰り寄せた。
「拳銃……?」
この型は……グロックか。
三上は昔少しだけかじった程度の知識を活かし、それが何のブランドの銃であるかを判断した。
既に弾は装填されてある。バッグの奥には予備の弾丸が入った小さな箱もあった。説明書を読む。そこには、やはり「グロッ
ク17」と書かれてあった。人を殺すための武器としては、間違いなく当たりの部類に入るものだった。
「………ふぅん…」
拳銃を手に取り、様々な角度から観察する。黒塗りの銃身は、見た目以上にズッシリとした重量感があった。
銃以外のものを全てバッグに戻すと、三上はそれを握ったまま、ぼんやりと考えを巡らせた。
「どーすっかな…」
銃を持ってない方の手で髪の毛をわしわしとかく。
このまま場所を動かなきゃ、俺は首が吹っ飛んで人生にピリオドを打つだけだ。
だが、そんな死に方は冗談じゃねぇ。
死ぬのは嫌だ。長生きしたいとは思わないが、せめて人並みには生きたい。今はまだ死ぬ時じゃない。
あのアマの掌の上で踊らされているんだと思うと我慢ならねぇが、逆らえば寿命が縮むことになる。それは賢いことだとは言
えねぇ。
どうせなら、もがいて、足掻いて、闘って死にたい。
……出来れば、あいつを一目見てから……
ふと、同じ学校のチームメートの顔を思い浮かべ、三上は苦笑した。
(…どうしちまったんだ、俺は…)
自分の中にそんな人間くさい部分があったことに、三上自身小さな驚きを感じていた。
こんな極限状態におかれて初めてそんなことに気付くなんてな。あまりにも滑稽すぎて笑っちまうぜ。
やや自嘲気味に一人ごちる。
しばらくの間、三上は支給された拳銃を手慰みに転がして遊んでいたが、
「決めた」
突然そう呟くと、思いきったように立ち上がった。
手に持っていた銃を、制服のベルトに差し込む。
(俺はこのゲームには参加しない。だが、向こうから仕掛けてきた時には、容赦無くコレをぶっ放す。あいつに会う前に犬死
するなんてごめんだからな………ん?)
人の気配を感じて、三上はとっさに腰の拳銃に手を置いた。
(あれは……)
自分が今来た方向に目を凝らすと、調度自分の真後ろに座っていた水野竜也がこちらに向かって歩いてきているところだった。
その顔は、死人のように青ざめていた。口元に手をあてているその姿は、吐くのを堪えているようにも見える。
三上と水野の距離の差がどんどん縮まっていく。俯きながら歩いているせいで、水野は目の前に三上がいるのに気付いていな
い。
(あの坊っちゃんが…)
ンな調子でいたら、すぐに殺されちまうぜ。ったく、しょうがねぇなぁ。
「よう」
見かねた三上が声をかけると、水野はビクっと肩を震わし、目の前の三上を見て驚愕の表情になった。
「三上……!!」
「どうした、顔色わりーぜ。死体でも見たのか」
「!?」
腕を組みつつ、どこか冷めた口調で聞いてくる三上に、水野の顔はますます蒼くなる。
図星かよ、まったくこれだから世間知らずのぼっちゃんは嫌いなんだ。
死体見たくらいでイチイチ動揺してんじゃねーよ。
このゲームじゃ、あれが当たり前なんだよ。この、狂った世界じゃな。
三上は水野に聞こえないように溜め息をつくと、チラリとその姿を一瞥した。
その脚はがくがくと震えていて、立っているのがやっと、という感じだ。
(情けねぇなー。もっとシャッキリしろっての)
水野は暫くそこに立ち竦み、目の前の三上を睨んでいたが、しばらくたってから漸く口を開いた。
「……おまえが、やったのか…」
「あ?」
「お前が、伊賀を殺ったのか!!」
堰を切ったように、水野が声を荒げた。だが、三上は特に気にすることも無く、サラリとかわすように言葉を紡ぐ。
「ふ〜ん…伊賀ってのか、あいつ。そういや合宿で見た顔だったな」
「…やっぱり……お前が殺ったんだな!?畜生!!」
そう叫ぶと、水野は激しい目で三上をキッと睨みつけた。
少しだけ慌てて、三上が手を振る。
「バーカ、勝手に勘違ってんじゃねーよ。ありゃ俺の仕業じゃねぇ」
「嘘をつけ!」
「おいおい、じゃあどうやったらコレで脳天カチ割ることが出来んだよ」
はぁ、と大袈裟に溜め息をつく。
そしてベルトに手をやると、三上は支給武器であるグロック17を取って目の前にいる水野にその銃口を向けた。
「!?」
「よぉく目をかっぽじって見てみな。……こいつが俺の武器だ」
「……………!!」
水野はその銃口を絶句して見つめていた。鼓動は心臓が飛び出すかと思うほど激しいものになり、その背中に冷汗が幾筋も流
れ落ちて行く。
「…ま、撃ち抜くことは出来るけどな」
「三上…お前……!!」
「動くなよ。俺がトリガーを引けば、お前は一発であの世逝きだぜ」
ギリ、と歯を食いしばりながら自分を激しく睨んでくる水野に、三上は小さく笑った。
(俺は、ここで死ぬのか?)
銃の標準を自分に合わされ、身動き一つできないままで水野は心の中で思いきり咆哮した。
三上は、俺を撃つ。水野はそう確信をもった。こいつは俺を憎んでいる。だから、きっと躊躇無く俺を殺すだろう。
ここであのトリガーを引かれても、何もおかしいことはない。
ちくしょう……!!開始早々かよ!?
あいつに……あいつに、会えないまま、俺はここで三上に撃たれて死ぬのか……!?
「……一つ聞いておくけどよ」
心の中で苦悶している水野に、三上が銃を持ったまま尋ねてきた。水野は無言で三上を睨み上げる。
「お前は、殺し合いに参加する気はあるか?」
「…ある訳ないだろ!お前と一緒にするな!!」
「ヘエ。相変わらず甘ちゃんなんだな」
「……っ…!どうした!撃てよ!俺を殺すんだろ!?さっさとしろよ!!」
そう言って喚き散らす水野を見やると、三上はとっさに銃を持つ手を下ろした。
「安心しろよ。参加する気のない奴を、俺は殺すつもりはねぇ」
「え……!?」
三上の意外な行動と発言に面食らった水野は、目を見開いたまま絶句してしまった。
「俺はお前を殺す気なんか全然ねーってことだよ。……おら」
面倒くさそうにそう言うと、三上は手に持っていた銃を水野の足元に投げて寄越した。慌てて飛びのける水野に、堪えきれな
くなって吹き出す。
「何ビビってんだよ。らしくねぇぜ、水野」
「な……!…三上、おまえ……!?」
「俺もこんなアホくせーゲームに参加する気はねーからな。…その意志表示さ」
そう言って近くの大石に腰掛ける三上を、水野は呆気にとられて眺めていた。さっきまでの張り詰めていた緊張感が、一気に
緩んでしまったのだ。
「…よぉ、水野……」
そんな水野を満足そうに眺めながら、ふいに三上が話しかけてきた。
「な、なんだよ」
それでもまだ警戒心を解くことは出来ず、水野は距離を置きながら返事をした。三上がいつ動くかと思うと、目を離すことは
出来ない。
「……おまえ、これからどうするつもりだ?」
「どうする、って…」
「あーワリーワリー。質問が悪かった。……さっきまで何を考えていた?」
脚を組み直して、目の前の水野を見上げる。水野は三上が一体何を言いたいのか、サッパリ理解不能だった。
さっきまで何を考えていたか、だって…?
説明を聞いている時は、ただ絶望しかなかった。
そして、例の『余興』…思い出したくもない出来事だったが、あの時は西園寺監督に逆らった風祭の身をひたすら案じていた
。
とうとうプログラムが始まってしまい、風祭が名前を呼ばれて出ていく時にも、ずっとあいつのことを考えていた。
死ぬなよ、でも無茶はするな。俺が、必ずお前を迎えに行くから。
だから、それまでどうか生きていてくれ、と。
そしてとうとう自分の名前が呼ばれ、外に出た途端に伊賀の無残な死体を見つけてしまったのだ。水野の不安はそこで更に大きく膨れ上がった。
(…誰がやった……!?)
嘔吐感を堪えつつも、頭の中をよぎるのは将のことだけだった。
ゲームに乗った奴がいる。それは伊賀のこの姿を見ただけでもハッキリと確信できる。
ということは、風祭も狙われる可能性があるということだ。
風祭が危ない。風祭に会いにいかなくては。
そう思っていた矢先に、三上が急に声をかけてきたのだった。
「……何をって……俺は、ただ…」
水野は戸惑ったような口調で、ボソボソと答えた。
「ただ?」
三上は容赦無く聞き返す。しかし、その表情は水野が言わんとしていることをもう既に理解しているようでもあった。それで
も、三上は水野の口から聞いておきたかったのだ。
「俺はただ……あいつに…」
「あいつに?」
「……あいつに……………」
だが、水野はそれ以上何も言わなかった。言いたくないのか、それともただ単に恥ずかしいだけなのか、拳を握り締めて俯いている。
ったく…しょうがねぇボンボンだな、こいつは。
三上は溜め息をつくと、ふと立ち上がって水野の目を真正面から見つめた。
「…風祭に会いたいか、水野」
「!?」
さらにまた図星をつかれ、水野の顔は真っ赤になった。三上はくっくっく、と笑いを噛み殺すと「そうなんだな?」と念を押
し、無言を肯定の意ととらえそのまま言葉を続けた。
「奇遇なことに、俺も会いたい奴がいる。そいつとはかなり離れちまったから、俺は探しに行かなきゃならない。だが、単独
で行動するのはどうも得策だとは思えねぇんだ。…そこで、だ。俺から一つ提案がある」
そう言って右手を前に差し出す。水野は一瞬だけピクリと反応して、その手を見つめた。
「俺と手を組む気はねぇか、水野」
キッパリと言う三上に、思わず目を見開く。
「おまえと……俺が……?」
「そうだ。人物こそ違えど、俺とお前の目的は同じだ。だったら、一緒に行動した方がずっと効率がいいだろ?」
水野は迷っているようだった。差し出された三上の手を無言で見つめている。
自分で提案しておきながら、三上は他人事のように苦笑した。
(…まぁ、いきなり言われても迷うだろうよ)
三上は差し出した手を下ろすと、水野の肩に下げられているバッグを指差した。
「なんだ、迷ってんのか?……ま、無理にとは言わねー、お前の好きにするといい。ちなみに水野、お前支給武器を確認した
か?」
水野は無言で首を横に振った。
(やっぱりな。どこまでも呑気な野郎だぜ)
「そんじゃ、今ここで武器を確認してみな。決めるのは、それからでもいい」
「…わかった」
さっきよりは幾分か警戒心を和らげたのか、水野は三上の言う通りにその場でバッグの中身を開けた。
手を奥に突っ込んでから、ふと眉根をよせる。奥に引っ掛かって上手く取り出せないようだった。
「なんだぁ?ごっついマシンガンでも入ってたのか?」
「…違う。これは…銃器関係のものじゃない…」
複雑な顔をしながら水野が取り出したのは、何の変哲も無いただの金属バットだった。
「なんだそれ?」
「……見りゃ分かるだろ。金属バットだよ」
「はぁ?それが、お前の武器かよ?」
「そうみたいだな。!?……な、なんだよ?」
急に俯き、身を震わせ始めた三上に、水野は少しだけ身を引いた。
「クックック…あっはっはっはっは!!それが!?それが、てめーの武器なのか!?」
三上は遠慮という言葉を知らないかのように、思いきり笑いはじめた。
水野はというと、そんな三上の様子に呆気にとられている。
「ククク、金属バットか…金属バットねぇ……あ〜駄目だ。腹いてぇ〜」
「なんだよ!笑うなよ!仕方ないだろ、当たっちまったもんは!!」
ヒィヒィと笑いを堪える三上に、水野は顔を真っ赤にして反撃した。
三上はわかった、わかったと言って手を上げると、金属バットを手に持って立ち竦む水野の姿を見つめた。
「……決まりだな」
そう言ってさっき投げ捨てたグロック17を拾い上げる。
「来いよ、水野。俺と同盟を組もうぜ」
それをベルトに差し込み、再び右手を差し出す。
「それとも、一人で行動するか?……金属バットで勇敢に闘って……クク」
からかうような三上の口調に気を悪くしたのか、水野はフンとそっぽを向いた。
「まったく…お前みたいな根性悪と手を組む日が来るとはな。とんだ厄日だぜ」
「おいおい。黙って聞いてりゃ言ってくれるじゃねぇかよ、このボンが」
「ふん…」
そう言って手を差し出す水野は、三上から見ればいつもの小憎らしい少年に戻っていた。
そうだ。てめーは、それくらいで調度いいんだ。
憎まれ口を叩いて、余裕ヅラで調子こいてりゃいいんだよ。
だから、いつまでもシケたツラしてんじゃねぇぜ。
三上はニヤリと不敵に微笑むと、差し出された水野の手をとった。
同盟が結ばれた証の握手だ。
「取り敢えず、さっさとに出発するぞ。ここはもうすぐ禁止エリアに指定されるからな」
「あぁ」
同盟を組んだ二人は、立ちあがって歩き始めた。
自分達は、出席番号的に分校に残っている数少ない二人組だろう。
探し人はおそらくもう出発してしまっている。だから、早く追いつくためにはいつまでもこんなところでグズグズしている訳
にはいかない。
どこに向かうか、そう話し合った時に三上は南東の集落がいい、と言った。
民家にいけばいろいろと手に入るものがあるだろう。
禁止エリアに指定されるまでは、そこを拠点にしてそれぞれ会いたい奴を探しに行けばいい。
それに…もしかしたら、アレがあるかもしれないしな。
「アレってなんだ?」
そう尋ねる水野に三上は答えず、ただ透かすように笑ってみせただけだった。
「…ま、やるだけやってみるさ」
「だから、何を…」
「それはアレを見つけてから教えてやるよ」
わけわかんねーよ、拗ねたようにそう言うと、水野はスタスタと先に歩いていった。
「おーい。あんまり先走ると危ねーぞ、金属バット君」
「うるせー」
いきり立つ水野の背中を見ながら、三上は悠々と歩き始めた。
そうだ。やるだけやってやる。
このプログラムにおいて、俺は今、自分が成すべきことを見出した。
ひとつは、あいつに会うこと。
そしてもう一つは……
「三上、早くしろよ。置いてくぜ」
見ると、10メートルほど先に行ったところで立ち止まって、水野が自分を待っていた。
しょうがねぇなぁ、金属バット君は。
得意の武器を握った途端に張り切りやがって。
文句を言ってくる水野を適当にあしらいながら、三上は自分の「探し人」をぼんやりと頭に思い描いていた。
俺は、あいつに会えるだろうか?