うふ〜ん
なれるまで読みにくいのはもう個性。ダメな主人公が都合のいい、いいわけをしながら人生の縮図ともいえる宿屋をめぐります。主は偉大也。
何度か読み返したくなる作品。
ストーリーより主人公の心の動きに注目したい。むしろ主人公の心理的な動きの為のストーリー展開と言っていい。
と思う。多分。大傑作。読んでない人は今からでも本屋かネットででも買って読むべし!今までの読書人生で、これほど終わりが近付くのが(後のページが薄くなるのが)寂しかった本は無い。騙されたと思って読んで欲しい。騙す事もあるけど。
いやー、長かった。久々に小説自体読んだから余計に。
単純に主人公の身に起きる事件をおもしろがるもよし、すぐにコロコロ変わる心情に共感するも鼻で笑うもよし、いろんな楽しみ方があると思います。
って、それが小説だし、広くとらえれば芸術なんだけど。でも、ゆくゆくは「魂」という深いテーマにぶち当たる。
なんだか希望的なんだか絶望的なんだか分からないラスト。
でも、そのとらえ方も「自分で考えろ」ってことなんでしょうね。
めちゃくちゃな現実世界を「けっ」と蹴飛ばすパンク精神を感じますが、主人公の情けなさがそれだけではない厚みをもたらしています。
話は一応大刀を神社に奉納しに行くという目的だけを目印に、
つらつらと脱線しまくり進んでいく。主人公はどうしようもない阿呆でありながら、
時に鋭い洞察でもって世界を眺めていることもあり、
馬鹿だなあと笑った次の一行で深く考えさせられたりする。
最後は今まで好き勝手に脱線しまくっていたとは思えないほど定まっていて、また、読み手を悩ませる問題を提起している。
主って結局…なんて考えてしまうね。
あーおもしろかった。なんか見た目はまじでほんと広辞苑(岩波書店)なみに太くしかも講談社の活字って毎度読みづらいんだがでも それでもすらすら読めました。思ったほど時間かかってねーはず。というかいつも小説をダブルブッキングしながら読んでるんだが、
まちだこーしかしのめりこみすぎると危ない小説だと思いますなんたって小説なんだから。ということを忘れずに脳みその三割程度つかって読んだ方が健康的に読める はず。
はなからなんとなく結末見えるんだが というか読んでいくうちに結末想像ついちゃう というかなんかとにかく違和感を感じねばならぬでしょーーーね。読み終わると「小説やった〜」と思うんだがしかし読書中に
まちだこーの世界にのめりこませるそのまちだこーの御筆の御力はすばらしいね。現代にもこんなふぁんきーな作家が居てよかったです。
同じ作者の「告白」が素晴らしかったので、購入してみました。他のレビューでも言われてるが、長いし、文庫じゃないから重い!
つまみ食いするように断片的に読んでしまい、読了するのに2ヶ月くらいかかってしまった。「告白」と比較して、やはり冗長な感じは否めない。小説として上手くまとまっているのは、間違いなく「告白」だと思う。「告白」は現実に起きた事件というある意味足枷が
てる。永井均が「マンガは哲学する」という著作の中で、芸術とは他者の狂気に触れる喜びではないかと述べていたが、そういった意味では、本作は紛れもない芸術作品と思う。
僕も、現実世界が馬鹿馬鹿しくなったら読み直してみたいと思う。だって、もっと馬鹿馬鹿しい現実世界がこの本の中にはいつも在るのだから・・・何ヵ月かけて読んだことだろう。
あまり厚いのになれていなかったので一番100ページくらい進めてからしばらく読むのを遠くしていた。
けど、様々な時に「あんな生き方をしていて奴はどうなるんじゃ?」と頭にぼやんと浮かぶ。それで時間を作り読み出すと止まらず読んだ(つっても何日かかかったのだが)。
残虐な描写にはキリキリするようにページをめくりながら読み、女狂いのとこではやきもきし、主へ誓いをしていると名目にブレブレな生き方をしといる男を描いた娯楽要素を盛り盛り盛り込んだ作品。 「主」の命令で「燦州(さんしゅう)の大権現」に刀を納めにゆく、
主人公の長い旅。個人的に、今年「讃州」の大権現に御参りして来たので、そういう意味でちょっと楽しかった。
大権現、主人公の名がスクナヒコナを思わせる鋤名彦名、なので読みながら笙野頼子『金毘羅』のことが常に頭にあった。比べて読むと面白い。
新約聖書に書かれている、他ならぬあの御方を思わせる「主」のキレっぷりがステキ。長い、厚い本だけど、「はあ、しんどい」と一方で思いながら
最後まで、ずーっと楽しんで読めた。リズムに乗ってスルスルッと。一度は、町田康に飽きたと思ってたけど、また読んでみる。