考察★地震データを見守るスレ★009

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275M7.74(dion軍【緊急地震:福島県沖M5.1最大震度3】)
ニッポン 人・脈・記 大地に聞く2 「理論はガラガラ崩れた」
 東日本大震災から7か月後、日本地震学会のシンポジウムが静岡大学で開かれた。
「地震学の今を問う」と銘打っていたが、地震学者の反省会のようだった。
 演壇に立った東北大教授の松澤暢(53)は、スクリーンに3月10日付の新聞記事を映
し出した。記事は前日に三陸沖で発生したマグニチュード(M )7.3の地震の事を伝えて
いた。併せて松澤の見方も紹介している。予測した場所で一定規模の地震が起きたか
ら、宮城県沖の大地震は可能性が低くなった……。
 ところが翌日、M9の大地震が起きた。松澤は、大地震の可能性が低くなったという見
解を示したことに頭を下げた。さらに、できると思っていた予測ができなかったことを地
震学者全体の失敗として総括した。
 こうした松澤の姿勢を苦々しく思う研究者もいる。松澤はこう反論する。「学者全員が
謝る必要はない。でも『反省しすぎ』と批判するのは学者の思い上がりだ」

 東日本大震災の前、地震学者達は「いつ」という予知はできないが、「どこで」「どれ
くらいの大きさ」の地震が起きるのかは予測できるようになったと考えていた。東北沖も
複数の海域で地震が予測され、警戒もしてきた。だが、そこにM9の数字はなかった。
 あの日、松澤は東北大の研究室にいた。本棚から本が滝のように落ちてくる。想定
していた宮城県沖地震が起きたと思ったが、繰り返す大きな揺れに「これはおかしい」
と感じた。
 停電でパソコンが使えず、情報は得られない。出演を求められたテレビ局に行き、
パソコンを使わせてもらった。米地質調査所のサイトに接続すると、岩手沖から茨城沖
までM9の本震と数多くの余震の震源が映し出されている。想像を超える広がりだった。
これまで積み上げてきた理論がガラガラと崩れていく気がした。

 地震の予知、予測はどこまで可能になったのだろう。今年10月16日、北海道函館市で
日本地震学会が開かれ、地震予知を巡る討論会があった。
 壇上にカリフォルニア工科大名誉教授金森博雄(76)が立った。地震研究者の第一人者。
互いに「さん」付けで呼び合う研究者も、「先生」と呼ぶ存在だ。
 「3月9日の地震は後から考えれば前兆と言えるが、事前にM9の地震を正確に予知する
理論はない」
 「東北沖にひずみが蓄積しており、いずれ地震で開放されるかも知れないという考えは
あったが、それを防災に組み込むことは難しい」
 明確な語り口。松澤はうなずきながら聞いていた。
 金森は東大の地震研究所教授だった時、大学紛争で施設に入れなくなった。そこを
カリフォルニア工科大に誘われて移った。巨大地震の大きさを示すのに適したモーメント
マグニチュードを唱え、地震の発生情報を防災に行く明日リアルタイム地震学などで学
会をリードしてきた。
 引退後は客員教授として日本の大学に1か月単位で滞在する。東北大学にいた2年前
の10月、フランスの研究者と三陸沿岸を歩いた。字形を観ながら、津波警報の受容性に
ついて語りあった。
 震災後、変わり果てた街を再訪した。案内してくれたそば屋の店主を探したが、見つから
ない。後で逃げ延びたと知り、胸をなでおろした。 
 地震予知について金森は「不可能と証明出来ないが、現在も非常に難しく、今のところ
将来も相当難しい」と考える。「30年以内に701%の確率で発生」という伝え方にも疑問を
持っている。
 研究者の間で「等身大」がキーワードになっている。何ができ、何ができないか。背伸び
せず、的確な情報をどう伝えるか。正解はまだ見つかっていない。(黒沢大陸)