さて、一方に或る国が存在する。その国は四千年の歴史を誇り、その誇りを
胸に日本と云う国に、観光、ビジネス、或いは学問の名に於いて大量に押し寄
せて居る。彼らは基本的に譲る事を知らず、主義主張はするが自分の言葉に債
務を負わせる事を知らず、従って討論の資質も欠け、話し合いによる公平な合
意を取り付ける事さえ至難の業であり、常に日本人はその国の人達を理解する
に頗る苦労して居るであろう。けれどもその国の人々を個人単位で、或いはそ
の国の特異性に対して答えを求めようとするのは余りにも早計である。その国
を理解するにはその国の成り立ち方、即ち歴史を知る事が必要である。そうす
ればおのずと理解できて来るだろう。中国四千年は歴史では無く、単なる史実
であり、敢えて「中国の歴史」と云う言葉を使う時、我々はその言葉の間に或
る言葉を付随せねばならぬ。
「破壊」と云う言葉を。