石川県民専用スレ 6

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9M7.74(千葉県)
『サイレントテロするといった馬鹿に宛てた手紙の後半部分』
おまえは豚である、あるいは防波堤である。
おまえは進み行く船の船底で飼われる豚である。
おまえと言う豚はその重みで船を支える重石であり、船に自らの血肉を奉げる食料でもある。
おまえがいなければ船は自らの重心の不自然さによって、又は外からの波によってひっくり返るのである。
おまえが血肉を奉げなければ船は餓え、その歩みを止めるのである。
おまえはこの島国に打ち建てられた防波堤である。
おまえと言う防波堤は外のみならず、より大きな内からの崩壊を押しとどめる防波堤である
おまえと言う防波堤がある限り人々は幾ら下流に押し流されようと、その命をながらえさせるのである。
おまえがいなければ人々は流れに身を任せず、命がけで足掻くのである。
おまえと言う防波堤が崩壊すれば、雪崩式に決壊する可能性すらあるのである。
おまえは秩序の維持者である。
おまえは皮肉な事に新たな秩序を望んでいながら、今ある秩序の最大の支援者である。
おまえは混沌の中からのみ新たな秩序が生まれる事を知りながら、お前が望む新たな秩序の為のいかな犠牲も払おうとはしないのである。
おまえはおまえが望むと望まぬとに関わらず、おまえと言う犠牲を払って打ち建てられた秩序の維持者である。
おまえと言う犠牲はすでに強いられ、その上に秩序は打ち建てられているのである。
おまえは持たざる者、もうすでに払うべき犠牲が無いにもかかわらず、他人に犠牲を強いようとはしないのである。
おまえはそれでも動かないと言うのである。
おまえはならば犠牲を払わず新たな秩序が得られると考える夢想家か、さもなくばおまえの命が防波堤の材料に奉げられた事が見えない単なる愚者である。

船倉を食い破る豚は良い豚である。船底を傷つける防波堤は良い防波堤である。
豚は生活保護を受けろ。防波堤はより積極的に秩序を壊せ、
10M7.74(千葉県):2007/03/27(火) 21:22:03.17 ID:HOLxvwfO
サイレントなど意味は無い。おまえの命などはすでに奉げられ、それを前提に社会は維持されているのである。
なぜならおまえが死に絶えた後は、移民によっておまえの役割が担われ、社会が維持されるのである。
持つ者は困りはしない、なぜならすでに持たざるものが決して這い上がれない社会だからである。
持たざるものが幾ら挿げ替わろうと持つ者は持つ者、持たざる者は持たざる者、それが不変に続く社会に成りつつあるのである。
さらに移民によって、持たざるものの不満は移民にぶつけられ、持つものにとってより揺るぎ無い体制が築かれるのである。
更に個々の連帯が断ち切られ、いろいろな意味の分断統治に晒されている以上、日本での大勢は定まりより強固で磐石な物になるのである。
政党がどうしたと言う話が出たのであえて言うが、この移民受け入れの役割は多分民主が担う。そうでなければ自民がやるだろう。
おまえは世の中の仕組みと言うものが見えていない、お前を犠牲にし秩序を打ち建てたのは何処のだれだ?
表面を軽くなぞるだけでも判る。
民主は社員を守るから労働者でもおまえは切り捨てると言い、社民はワークシェアリングと言って労働環境悪化を推進し、
自民はあらゆる組織の為に無慈悲に実行したのではなかったか?全て同じ方向に向かって突き進んでいたではなかったか。
全てがお前を犠牲にしようとしたのではなかったか?
つまり共産党以外の政党は、全て同じものである。あえて洗脳手法的なものを使って言えば、同じコインの表裏、右手と左手、車輪の両輪ということである。
他力本願なお前は政党に任せると言うが、それはコインに、四肢を持つ人間に、車輪を持つ車に任せると言う事で、あいも変わらず同じ事なのである。
また、共産党は複数の天才秀才に脳みそを預けた上意下達の亡者達の葬列で、空理空論の夢想家集団である。
つまり何が言いたいかと言うと、政治を行っているのは政治家や政党ではない。
見えている範囲で語るとしても、実際の政治は官僚が行い資本が動かしているではないか。
そして行っている事はこうだ、なにを犠牲にし何を引き立てるか。
なにに利権を与え・維持させ、なにから利権を奪い・売り飛ばし、なんの犠牲によって行うかと言う事だ。
既得権を動かす事が現在の政治である。
つまり持たざるお前が犠牲になる事は変わらない。
皆が金に群がり、皆が金を探し回り、皆が金を求める。
皆が同じ行動をするのでそこに秩序が生まれるのである。
だから金を動かし秩序を作る事が現在の政治である。金を持っている奴ほど秩序・政治にに干渉できるのである。
だから持たざるお前が犠牲になる事は変わらない。
取られ移されるだけである。その移された金によって秩序が維持されているのである。
だからお前はわかっているではないか、何処に投票しても何も変わらないと、何を言っても変わりはしないと。
当たり前である、何処の政党も同じ金と利権によって支えられ、資本力によって維持された同じものなのであるから。
何処の政党も言っている事もやる事も同じ、お前に犠牲になれと言っている。
表面上の違いなど些細な差で、その本質は同じ所目指し突き進んでいる。資本の干渉によって行き着く先は同じである。
政治を行う側の官僚にしてもそうだ、何処の法律にも書いていない、憲法違反の生活保護申請書配布拒否などやっている。
つまり政治を行う側もお前に死ねと言っている。
資本もお前を労働力や消費者としか見なしていない。つまり労働力を提供でず消費も出来なければ死ねと言っている。
メディアの商業主義的イエロージャーナリズムによって、お前は世間からゴミのような駄目人間と認識されるに至った。
今更ながら、同情的な報道も組まれるが最初の認知が全てである。世間の認識は決して変わらない。
認識が変わるにはお前がホームレスになるまで待たねばならない。
新ホームレスとでも名付けられて同情的な報道がなされ初めて、時代が流れ名前が変わったモノが、同じものだと認識出来ない人達の認識が変わるのである。
それまでお前はゴミである、ゴミで無くなれば貧民かホームレスである。
11M7.74(千葉県):2007/03/27(火) 21:22:48.38 ID:HOLxvwfO
自業自得や自己責任と言っている連中は、まず自らの業を解消しようとか、責任を取ろうとかは考えない連中である。
お前を従わせる為、嘘偽りを述べているのである。
実際の業は『持つ者』こそ背おっているのであり、責任を負うべきは『持つもの』それを言っている連中なのである。
持たざる者のお前に何の責任があろうか?お前が被差別身分に落されたのはお前の責任ではなく、落した者の責任である。
なぜならお前は自らの罪によってではなく、社会の要請によって落された生け贄だからである。
自ら生き延びる為の必要に迫られて落されたのである。
それによって業を背負ったのはお前ではなく、落した側の人間である。
お前の犠牲によって生きを吹き返したのはこの社会である、よって社会全体で責任を取らせ、その業を解消させねばならない。
どんな手段を使ってでもある。
しかしおまえは勘違いをしてはならない、より大きな枠組みの中では個人など犠牲になってしかるべきのちっぽけな存在だと言う事を認識しなければならない。
しかしお前の犠牲は国のためでも社会の為でもなく、個々人が己の利益を求めた結果である。
お前の流した血は国の土に吸われたのではなく資本に吸われたのである。
お前のこぼした肉と汗、涙は国に奪われたのではなく『持つ者』によって奪われたのである。
つまりお前の犠牲は『持つ者』に対しての犠牲である。
持つものが得る事によって、一見、結果的には社会が機能したように見えるのである。
お前の犠牲によって益を得たのは、自らは社会の為のいかな犠牲も受け入れる気が無い人間である。
己の為に社会を犠牲にし、人々を利用し、それが当然だと考える連中である。
従ってお前が個人の利益の為に犠牲を払ういわれは無いのである。社会全体の為ではなく社会の一部の為に犠牲を払ういわれはないのである。
国の為ではなく国の一部の為には、お前はいかにわずかな犠牲でさえ払ういわれはないのである。
しかしその『持つ者』によって社会は動かされ国は決定を下した。お前を犠牲に奉げる事を。
従ってこの罪は社会全体、国全体に帰すのである。
社会が『持つ者』によって罪を負わされた以上、その社会で安寧を貪る人間の全てには罪を贖う事を強いられる可能性があるのである。
ちょうどお前が犠牲を強いられたように、社会の枠に止まる人間である限りは強いられるのである。
お前が許さぬ限りこの社会は復讐に晒されるのである、しかしお前は許し得ぬ状況にいるはずなのである。
人々は、社会は、国は、お前に死ねと言っているからである。人々はお前に後ろめたさを感じて当然であり感謝して当然なのである。
12M7.74(千葉県):2007/03/27(火) 21:23:35.25 ID:HOLxvwfO
しかしその全てはお前を卑しめ、被差別民と見ているのである。尚且つ自業自得とのたまってさえいるのである。
穢れを嫌う日本人が将来、お前を穢れ劣った被差別民と見る事は必定である。
なぜならお前は人々にその実態がどうであれ、能力がない怠け者で自業自得の劣った人間のなれの果てと見ているからである。差別するのに真実は必要ないのである。
お前はお前が許す為に社会に復讐するのである。社会はお前の復讐によって変化し、その変化によってお前は社会を許すのである。
しかし聞け、個人の前では時代は常に肯定されるべき物である。時代が悪いのではなく、時代に適応できない自分が悪いのである。
人々の利益を求める流れからお前は被差別身分に貶められた。しかしその利益を求める群れた人々の流れからは秩序も生まれたのである。
ならばお前が被差別身分である秩序こそが社会であり、人々がお前を被差別身分に貶め押し留める社会こそが正義である。
ならば抗う者は悪である、秩序をかき乱す者は社会にとって悪である。
お前が被差別身分から抜け出そうと言う行為自体が、社会にとってはその秩序をかき乱す反社会的行為である。
お前が被差別身分から抜け出す為には社会の正義に挑まねばならない、その秩序を破壊し混沌のなかに引き摺り込まなければならない。
その混沌の中から、お前が被差別身分では無い新たな秩序が生まれるのである。
その結果がお前にわずかのものを与えるか、それとも人々の全てが一切を取り上げられるかはわからないが。
お前が将来分断され社会の枠外の存在に成り変わったのであれば、社会に加わる為に犯した罪の一切は発生しえない事も申し添えておく。
裁かれるとしたらそれは社会の側の都合である。
愛国とは『持つ者』に対する忠誠を言うのでは無い、個々の理想とする社会の形に対する深い愛情を言うのである。
今愛国教育と言ってやろうとしているのは、国のための愛国ではなく『持つ者』に対する忠誠を養うのが目的の愛国である。『持つ者』の利益を守るための愛国である。
人間は愛の無い血の通わない国を愛せるものではない、人々こそちゃんと行いを見ているのである。
だからこれから起きる事は、一般社会から隔絶されて特殊な環境下の、閉塞された社会に生きる変わった大人達による子供への洗脳である。
この子供達が将来、愛国の名の元にお前を虐待・弾圧する可能性は非常に高いと思われる。
共謀罪にしても、会社法の改正にしても、この国の支配の枠組みは徐々に固まりつつあるのではないか。
将来、移民を大量に受け入れ始めたら『持たざるもの』であるお前の負けは確定である。『持つもの』にとってもっとも好ましい搾取の構図の完成である。
しかし底辺が定まってなかったというだけでこの構図はとっくに完成していた。
お前にはけっして見えないはるか彼方の上の者が下の者から奪い、下の者は更に下の者から奪い・・・・と続け、
低辺のお前の労働力を安定的に供給できるようになるだけの事である。お前を幾らでも使い捨てにできるようになるのである。
だからお前のサイレントテロなど意味が無いのである、元よりお前には辛うじて生きれるだけしか与えられていないのだから。
お前の命の犠牲は既に社会の維持にとって折込済みなのである。
だから社会はこう言えるのである、死ねと。
将来、外から労働力兼消費力を輸入できるとしたら、サイレントテロとはもっとも好ましい行為である。
消費をしないと言うが元より与えられておらず、社会を変えると言うが乱すどころか社会秩序の維持にまわり、
人々が落ちていっても最低辺で支え、只黙々と、踏みしめられ貶められ蔑まれても黙々と、只黙々と機械的に生きるだけのおまえと言う存在は、
全体を見ず、部分的な事に一喜一憂、右往左往するおまえと言う存在は、社会にとって究極的に好ましい存在である。
そして変化を求める人々の最初の敵である。
豚は死ね、狼は生きろ!だがもしお前が社会の防波堤を喰い破る豚であると言うならば、私はお前を友と呼ぼう。
13M7.74(千葉県):2007/03/27(火) 22:00:03.53 ID:HOLxvwfO
戦況は定まった、もはや持たざる者は決して這い上がれない社会である。
この世界の空も大地も海も川も山も、すべてがお前以外の誰かの物である。
おまえが生きるために海で、川で、魚を取ろうとする時それは許されない、
既にそれはお前以外の者の所有物である。
おまえが生きるために山で動植物を、空に飛ぶ鳥を取ろうとする時それは許されない、
既にそれはお前以外の者の所有物である。
田んぼも音楽も愛も漁師も兵士も公務員も被差別民も、山も川も大地も海も、空も空気も水も星も
全てがその全てが『持つ者』の所有物であって、『持たざる者』のおまえには生涯手に入れる事が出来ないものである。
全てが既得権にがんじがらめに縛り付けられて、蟻の這い出す隙間さへ無いのである。
この社会の真実は『持つ者』の子は『持つ者』、『持たざる者』の子は『持たざる者』、そしてそれが永遠に定まり、
持たざるおまえを奴隷と呼ぶ事である。
おまえは気付いていない、お前の正体は真に何も『持たざる者』新たな被差別民である。
既に体は言うに及ばず、心さえもおまえ以外の誰かの物になろうとしている、良いように操られ始めている。
おまえを突き動かすものは何だ?死への恐怖か、生への執着か。
切り捨てられるのが恐くて盲従しているだけか?笑わせるな!既におまえは切り捨てられている。
社会はおまえに死ねと言っている。
目覚めろ、おまえには手に入れる事が出来ない、すでにどんな些細なモノであろうとおまえには手に入れる事が出来ないんだ。
ならば手に入れる方法は一つしかない。

奪え

奪い、そして手に入れるしかない。持たざるおまえは『持つ者』から奪うしか手に入れる術がないのである。
奪い尽くし、殺し尽くし、壊し尽くし、犯し尽くし、そう、その果てにようやくおまえはわずかばかりのモノを手に入れる事ができるのである。
さあ、欺け、奪え、殺せ、犯せ、ただおまえの欲するままに、抑圧された本能を解き放て。
おまえは いま じゆうだ