高岡ウジ凸避難所

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417転載希望
文字数が長くなり、すみませんでした。
直してみましたので、よろしくお願いします。

>>126>>132は大事な事だと思う。ソースが無いと信用されないと思うので、
ウィキペディアからだけど、後付けのソース。靖国神社問題

靖国神社の前身である東京招魂社は、大村益次郎の発案のもと明治天皇の命により、
戊辰戦争の戦死者を祀るために1869年(明治2年)に創建された。
後に、1853年(嘉永6年)のアメリカ東インド艦隊の司令官、ペリーの浦賀来航
以降の、 国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。
1877年(明治10年)の西南戦争後は、日本国を守護するために亡くなった戦没者を
慰霊追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。

「国に殉じた先人に、国民の代表者が感謝し、平和を誓うのは当然のこと」という
意見の一方、政教分離や歴史認識、近隣諸国への配慮からも政治家・行政官の参拝を
問題視する意見がある。
終戦の日である8月15日の参拝は太平洋戦争の戦没者を顕彰する意味合いが強まり、
特に議論が大きくなる。

「日本兵が戦友と別れる際、靖国で会おう」と誓ったことから、靖国神社は日本兵の
心の拠り所としてのシンボルの一つであった。
他方、戦争被害を受けたと主張する中国、韓国、北朝鮮の3カ国は、靖国神社に
A級戦犯が合祀されていることを理由として、日本の政治家による参拝が行われる度に
反発している。
もっとも、1978年にA級戦犯の合祀がされた後も、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘が
首相就任中に参拝をしているが、1985年における中曽根康弘の参拝までは、
なんらの抗議も懸念も表明されたようなことはなかった。
1985年の参拝に対しては、それに先立つ同年8月7日付で、日本国内の一部新聞記事により
『靖国問題』として特集が組まれると、その一週間後の8月14日、中国政府が、
史上初めて、公式に靖国神社の参拝への懸念を表明するに至った。

以下略