シェリル濃霧

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562Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:19:24.12 ID:XGZYj5AA
【源ウマイヤの話(つづき)】

ありていに申すと、当初フランツヨーゼフは、
我らの武力をハプスブルク家と敵対するプロイセンの王家、
ないしはオマンコ帝国との戦いに振り向けたかったようだ
しかし、そのことは私のほうで丁重にお断りした
するとフランツヨーゼフは妥協案として、
友好国フランスの王家に嫁いでいるマリーの護衛官派遣を要請してきた

どうやら彼は、
遥かアジアの端っこの島国のさらにその僻地の馬蹄等の里にまで
ハプスブルクにゆかりあるものがいるぞ、ということをブルボン…
というよりむしろ、欧州王族社会に喧伝したいという意図が見て取れる
「いざとなったらハプスブルクには馬蹄等という戦力もあるぞ」
ということをあらかじめ示しておくことで、
ハプスブルクと敵対することの不利さを暗に知らしめようという、
外交上の駆け引きというわけだ

これ以上断れば角が立つ。
仏蘭西ならば友好国でもあり、戦になることもあるまい
モチロン、ずっと向こうにおれなどと言うつもりはない、
時期をみて速やかに馬蹄等の里に戻ってこれるように手配いたす

私の代理人として緒万戸仁王を、かの国に派遣する。
そなたたち両名は仁王の補佐官として、
かの地に同行してもらいたい
・・・・
563Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:20:14.82 ID:XGZYj5AA
(>>560のつづき)

玉と芋子が野糞相手に悪戦苦闘しているところに
庭園の向こうからウンコを踏みつけまいとヒョコヒョコ飛び跳ねつつ、
もう一人の馬蹄等が二人の元に近づいてきた
「そなたたち、そんなことはもうしなくてよろしい。撤収せよ」

このものは緒万戸仁王という名のオッサンで、
玉と芋子にとっては上司に当たる人物である
仁王は馬蹄等の伝統文化「緒万戸茶」の宗匠であるとともに武芸の達人でもあり、
現当主ウマイヤからの信任も厚く、長きに渡って当主側近として重用されている

「しかし仁王様。私どもはマリー様から
 『あんたたちは庭園のお掃除でもしてなさぁぁぁい』と言われまして…」

「王妃にはただいま苦言を呈してきたところ。
 『我ら馬蹄等はご当地で申せば騎士に相当する身分。
  そのようなものに、他人のウンコの後始末をさせるとは何たることか
  我らが御当主ならば、たとえ己の麾下のものであろうとも、
  このような礼を欠くお指図は決していたしません
  高貴なるご身分であればこそ、適材適所を心得られよ』
 と、苦情諫言苦言異議申し立てその他モロモロをいたしてきたところだ。
 ゆえにそなたらも、もうババ掃除などせずともよい。撤収。撤収である」
564Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:21:02.23 ID:XGZYj5AA
【マリーという女】

オーストリアハプスブルク家からフランスブルボン家に嫁いできた、
マリー・ブライダルネット・フォン・ハプスブルク、通称マリーBNは、
ヨーロッパ王侯貴族の婦女子にはありがちなことだが至って気紛れな女性で、
またその視野もあくまでヨーロッパ上流貴族社会の内のみにとどまっていた。

彼女にとっては白系コーカソイド貴族階級のもの以外は全員「召使」であり、
だから自分のいとこだか馬蹄等だか、そんなことは知ったことではなかった。
ただ、宮殿の庭が昨夜の舞踏会に参加した紳士淑女の糞尿であふれかえって
少々鼻にツンと来るくらい臭かったので、
近くに控えていた馬蹄等の女二人に「庭の掃除をせよ」と言っただけである

彼女は自分が生まれたハプスブルク家の政略や戦略に関心はなく、
また、自分が嫁いできたブルボン家の財政状況にも興味はなかった
当時のフランスは「欧州の中華」であり、巴里は「花の都」として
ヨーロッパ各地から王侯貴族の子弟が留学のため訪仏してきていたが、
そういった華やかさとは裏腹に国家としての財政状況は非常に苦しく、
消費税は一律50%まで引き上げられ、一般庶民はビンボーのズンドコにあった。

しかしマリーは、そういったことに何の関心も示さなかった
彼女の関心はただひたすら、
美味しいものの食べ歩きと高級ワインの飲み比べ、
或いは爪磨きと海外旅行とブライド品の買い漁り、
そういったいわば「自分磨き」のみに集中していたのであった・・
565Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:22:15.09 ID:XGZYj5AA
・・・・
馬蹄等の三人がウンコを踏まぬように飛び跳ねながら
ベルサイユの庭園から撤収しつつあったちょうど同じ時刻、
宮殿内のべつの一郭では、
ふたりの貴公子が仏国近衛騎兵隊の騎馬訓練を眺めつつ、
親しげに会話を交わしていた

訓練といっても近衛騎兵は儀仗兵的存在なので、
その騎馬訓練も実戦を想定したものというより
王や王妃の前でいかに優雅に馬を進退させるかという、
要は見た目の良さを高めようという趣旨の訓練である
そのため、
それを眺めている二人の貴公子の顔にも厳しさはさほどなく、
両者とも穏やかな顔で、談笑をしている

彼らのうち一人は
オスカー・フランソワ・怒・ジャルジュという仏蘭西の貴族で、
いま目前で訓練が展開されている仏国近衛騎兵隊の隊長である
そしてもう一人はスウェーデンからココ仏蘭西に遊学している貴族で、
その名をハンス・アクセル・フォン・ミレニアム・フェルゼンと言った

…これ以上フルネームを書き続けると、
語り部が発狂してしまうかもしれないので
以降はオスカーとフェルゼンと略記するが、
要するにふたりはお友達なのであった・・
566Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:22:51.81 ID:XGZYj5AA
「さすがはオスカー殿の騎兵隊。相変わらず華麗なものでございますなぁ」
「フェルゼン殿。これは私の騎兵隊ではございませんよ?
 彼らは国王陛下の騎兵隊。私も隊長とはいえ、その一員に過ぎません」
「これは失言でした。まさしく仏蘭西国王ルイ陛下の騎兵隊でございます
 …ただ、私はオスカー殿とお逢いするたびに
 彼らを指揮督励するオスカー殿のお姿を拝見してきましたので、
 心の中で、つい『彼らはオスカー殿の騎兵隊だ』と、
 そう思ってしまうのでございますよ。
 他意はございません。どうぞ、お許しください」

巧妙な媚であった
フェルゼンにそう言われてオスカーも悪い気はしなかった

「そうですか。…そうかもしれませんね」
「そうですとも」
「そうかな?」
「そうそう」
「ふふふ♪」
「へへへ♪」
「ひょ〜ほほほほほ。ほ。ほ♪♪」

・・・・
567Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:25:49.46 ID:XGZYj5AA
「そういえばオスカー殿。
 最近、マリー王妃の護衛に少し風変わりな連中が加わった、
 という噂を巴里で耳にしたのですが。
 彼等はこちらの近衛騎兵隊には所属しないのですか?」
「風変わり…ああ。
 あの極東の島国から来たものたちですか?馬蹄等とかいう」
「それそれ。その馬蹄等でございます」 
「彼等は王妃のご実家であるオーストリアハプスブルク家の口利きで、
 王妃直属の護衛官としてこちらに参ってきたものたちですから、
 国王陛下の近衛騎兵隊には所属しません
 まあ騎士相当の身分だということなので、
 一応馬だけは与えてありますが、なにしろ黄色人種なのでね
 我国の近衛騎兵隊に所属させたら美観を損ないます」
「おやおや。これは手厳しい」
「手厳しいと仰られても・・・
 彼等は我ら白系コーカソイドと比べると、
 背も低めで足も短めで見栄えもぱっとしませんので」
「さようでございますか。
 いや、実はその馬蹄等に関して少し気になる話も併せて耳にしたので、
 こちらに参ったついでに、できれば見てみたいと思っていたのですが」
「気になる話、と言いますと?」
「あ、いやいや。そんなたいそうな話ではございませんので…」
568Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:26:40.66 ID:XGZYj5AA
フェルゼンがオスカーの問いを軽くいなそうとした丁度そのとき
庭園のウンコ掃除から解放された馬蹄等の三人が偶然姿を現した

肥溜め桶はさすがに現場においてきたようだが、
額田の玉はダスキンのモップを、
小野芋子はベルメゾンのおトイレ掃除セットをそれぞれ抱えており、
どうにも格好の悪い風体である
馬蹄等の三人は近衛騎兵隊長であるオスカーの顔は勿論知っているが、
親しく口を聞くというほどの間柄ではないので
軽く黙礼をしてそのまま通り過ぎた
その後姿を黙って暫し見送ったあと、
「どうです?冴えない連中でしょ?」と言いつつ、
フェルゼンに目を移したオスカーは、そこで絶句した

フェルゼンの目付きが、
今まで自分と談笑していたときの穏やかなまなざしとは似ても似つかない、
鋭いまなざしに変わっていたからだ
それはまさに野獣の目付きであった

オスカーの少しおびえたような瞳に気づいたフェルゼンは、
すぐにまた元の穏やかな表情に戻り、微笑みながら言った

「いえ。大変結構なものを拝見させていただきました」
569Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:34:34.01 ID:BvmQ2LQI
・・・・
「玉。芋子。さきほどオスカー殿の横にいた人物だが…」

庭園から宮殿の建物内に戻り、
ダスキンのモップとベルメゾンのおトイレ掃除セットを片付けてから
シャワーを浴びて体にこびりついた糞尿の香りを拭い取ったところで
仁王が改めて二人に尋ねてきた
「あのもの、誰だか存じているか?」

額田の玉は「はて…」と小首を傾げたが、
小野の芋子のほうが知っていた
「あの方はスウェーデンという御国からココ仏蘭西に来られた留学生で、
 お名前は確か…ハンスなにやらフェルゼンとか申すお方かと思います」
「あら芋子さん、えらく詳しいじゃないの。
 なんでそんなことまで知ってるのかしら?」
「へへへ。一応イケメンのチェックは抜かりなく、ね」
「何がイケメンなんだか。さっき目一杯ウンコ踏みつけたくせに…
 で、仁王様。あのお方がどうかされましたか?」
「うむ…」

仁王は答えようかどうしようか少し迷っていたようが、
やはり言っておいたほうがいいだろうと判断したらしく、二人に告げた。

「気のせいかも知れぬが、さきほどあの者から微かな殺気を感じた」
570Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:35:24.88 ID:BvmQ2LQI
「殺気…ですか?」

緒万戸仁王のその答えに玉と芋子は目を丸くした。

「いや、まあ気のせいだったのかも知れぬ。
 ココ仏蘭西の地でことさら我々に害意を持つものがいるとも思えんしな
 ただ、確かに言えることはあのものは『業持ち』である。
 その点だけは注意しておくように」

業持ち(ワザモチ)。
玉と芋子も馬蹄等の一員なので、その言葉は知っている
業持ちとは、何らかの武技の心得があり、かつそのレベルが尋常ではない
そういう者を指すときに使われる馬蹄等用語のひとつだ

業持ちと聞き、考え込んでしまった二人を見て、
仁王は少しとりなすように言葉を添えた。
「ま、さほど深刻にならずともよかろう。
 なんと言ってもココは欧州世界の中心。仏蘭西の巴里ベルサイユだ。
 いろんなやつがいるであろう」
571Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:37:14.92 ID:BvmQ2LQI
【緒万戸仁王から源ウマイヤに宛てた手紙】

御当主机下

ご無沙汰いたしております。仁王でございます
取り急ぎこちらの諸事情をお知らせいたします

御当主の御いとこ様であられるマリー様が嫁がれた当地の王家ブルボンは
ハプスブルクのお家にも匹敵する大いなる御家であり、
またその王家が治めております当地仏蘭西もまた、
穀物の実り豊かな大国であることは紛れもございません
また、当地の都であります巴里には
欧州諸国の王侯貴族の子弟たちが留学してきており、
欧州の中心とも申すべき国際都市の様相を呈しております
ゆえにもし御当主が今後も引き続きハプスブルクの御家のみならず、
欧州諸王家との付き合いを継続していかれるご意向であるのならば、
巴里に馬蹄等の事務方を設定するということは、
理に適ったことかと思われます

しかしながらその一方で
当地の政情が現在いささか不穏であるということも申し上げざるを得ません
当地の王侯貴族たちは連日放蕩奢侈な生活に明け暮れており、
その泡沫のごとき交際および遊興のための費用を捻出すべく
消費税は一律50%まで引き上げられ、民草たちの生活を圧迫しております
このため首都巴里においては、民草のみならず一部の貴族階級においても
王家への不平不満が潜在的に蓄積しており、
何らかのきっかけあれば、これらの不満が一気に爆発し、
暴動と化す危険性をも秘めているかと思われます

申すまでもなく最終的なご判断は、
御当主のご意思によるところでございますが
私見を申し上げるとすれば、以上のような諸事情を鑑み、
この地に馬蹄等事務方を設定するのは
いまだ時期尚早にあるのではないかと思量いたします

取り急ぎしたためましたものゆえ、
乱筆乱文お許しくださいませ。まずはご報告まで。  緒万戸仁王
572Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:39:30.09 ID:BvmQ2LQI
・・・
封をしようとして、仁王の手がふと止まった
少し考慮した末、仁王は改めて筆を執り、
末尾の余白に以下のような文章を書き加えた

「ブルボンの世、あと二年、三年は持たるべく見え申し候。
 されどもさ候て後に、高ころびに、あおのけに転ばれ候ずるとも見え申す。
 スウェーデンより来たりし貴族にハンス・フェルゼンなるものあり、
 さりとてはの者と見え申し候。侮りがたし。」

蛇足だったかな、と仁王は思った
しかし蛇足なら蛇足でも良かろう、
判断は御当主がなさればよいのだと思い直した

仁王は便箋を折りたたみ、封をし、その上に馬蹄等の紋章を押した
573Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:41:00.66 ID:BvmQ2LQI
【龍彫りの男】

オスカーと別れて巴里の寄宿先に戻ってきたフェルゼンは、
郵便受けの中に積み上げられている手紙の山を不造作に鷲づかみにすると、
そのまま自室に向った

芋子が言っていたとおり、
フェルゼンは長身痩躯眉目秀麗、いわゆるイケメンであったので
郵便受けの中にあった手紙の大半は、
当地仏蘭西の婚活淑女たちからの恋文である
フェルゼンはそれら恋文の束を
差出人の名前だけチラッと見て、
そのまま封も切らずにポイポイとゴミ箱に捨てていった

その表情はオスカーと談笑していたときの穏やかな表情でもなく
馬蹄羅たちを見たときに垣間見せたケモノの眼差しでもなかった
無表情。
彼はただ機械的に淡々と「不要なもの」を捨てているだけなのであった
574Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:41:52.91 ID:BvmQ2LQI
黙々と恋文廃棄作業をしていたその彼の手が、
一通の手紙を前にして不意に止まった

その手紙の差出人の所在地はスウェーデン、ストックホルム。
差出人氏名はエーヴァ・ロッタ・ブレムクヴィスト、と記載されていた
開封。

中身は恋文ではなかった
むしろ素っ気なさすぎるほどの文章で
「そなたのかねてよりの提案を受容する。
 ただし直接軍を派遣することは差し障りあるので、
 事は、そなたの麾下の者たちのみにて行うように。
 後方よりの支援は請け負う」
とのみ、書かれてあった

フェルゼンはその便箋だけを机上に残し、
残りの手紙をすべてゴミ箱に放り込むと
アスコットタイを解き、上着も脱ぎ捨て、上半身裸になった
秀麗な面差しとは不釣合いなほどのたくましい筋肉。
そして、背中一面に踊るドラゴンの彫り物。
タバコに火をつけ一服したところで、
それまで無表情だった彼の顔に初めて変化が現れた。微かな笑い。


それは悪魔のような微笑みだった
575Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:42:54.87 ID:BvmQ2LQI
【暴動】

何がきっかけだったのかは今となってはわからない。
が、仁王がウマイヤ宛の私信の中で危惧していた事態が、
唐突に現実のものとなって眼前にその姿を現した
すなわち「王家を退け、我々自身の手で政治経済を司るべし」という、
巴里の市民および一部の貴族たちによる、暴動に近い政治運動である

これを民主主義への兆しと捉えるか、衆愚政治の始まりと見るか、
それとも単なる動乱とみなすべきかは各人の立場により異なるが、
少なくとも王家からみればそれは動乱であり、暴動に過ぎなかった

しかし仏蘭西王家ブルボンには
この暴動を力づくで抑え込めるだけの軍事力がなかった
というのも、当時の欧州は封建制の時代で
近代的な国軍というものがまだ存在せず、
地方の封建領主がそれぞれにかかえている私兵を
国王がとりまとめることで「国軍」としていたに過ぎなかったからだ

勿論、王自身も「ブルボン家の私兵」を持っている
すなわち「オスカー殿の近衛騎兵隊」である
しかしその数はせいぜい20〜30騎というところで、
この程度の騎兵で巴里の暴動を鎮圧することなど、不可能といわざるを得なかった…
576Classical名無しさん:2013/02/07(木) 14:44:10.99 ID:BvmQ2LQI
このとき巴里で発生した「暴動」は
その後、沈静と激化を繰り返しつつゆっくりと時をかけ、
さまざまな紆余曲折を経て最後には「革命」にまで至り、
そこで仏蘭西の王家ブルボンは滅亡することとなる

しかし当初そこまで先を見通せていたものは
広いヨーロッパの中にも誰一人としておらず、
他国の王侯たちも、まさかあの仏蘭西の名門ブルボンが
一般大衆ごときに倒されるわけはないと思っていたので
むしろこの動乱は仏国から何らかの利益を毟り取るいいチャンスだとばかり、
「混乱鎮圧のための軍隊を貴国に派遣してやるから、
 見返りにこれをよこせ、あれを譲れ」
といった要求をフランスの国王ルイに対して求めてきた

そういった中で、暴動当初から一貫して
王家ブルボンを無条件で支持してきた欧州の王国が、ただひとつだけあった
それがスウェーデンである
当時のスウェーデン王グスタフアドルフは巴里動乱が勃発した際に
直ちに「一般大衆がまつりごとに口出しすべきではない」と発言し、
王家ブルボンを断固支持するという姿勢を、明確にした。

もっともスウェーデンは北方の遠隔の地スカンジナビアにあるため、
支援の軍隊を送るまでにはいたらなかった。
それでも孤立無援の状況におかれていたフランス国王ルイにとっては、
北国の王から寄せられる言葉の援護射撃は何より嬉しかった
そしてそのことが、
スウェーデンから仏蘭西に留学してきていたフェルゼンを
自らの身近に招きよせる契機ともなっていったのである・・・
577Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:30:37.02 ID:BvmQ2LQI
【誘惑】

ブルボン家の家長にして仏蘭西の国王ルイは
決して愚昧ではなかったが、いささか英断を欠く人物であった
その性格のゆえに巴里暴動の激化に伴い次第に不安感を募らせてきたルイは、
ベルサイユ宮殿内の会議室においてたびたび不毛な会議を催すようになった

会議の参加者は王妃マリーと近衛隊長のオスカー、
そしてフランス人ではないが最近お気に入りとして
重用されるようになってきたスウェーデンの貴公子フェルゼン。
そのほかに数名の近侍者も参加しており、その中に緒万戸仁王もいた
しかし仁王はあくまで彼ら馬蹄等を周旋したマリーの実家、
ハプスブルクの顔を立てるためだけに列席を許されていたに過ぎず、
仁王に意見を聞くものはいなかったし、
仁王自身もあえて口をさしはさもうとはしなかった

会議はもっぱらルイ、マリー、オスカー、フェルゼン。
この四人によって仕切られていたのである
578Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:31:25.87 ID:BvmQ2LQI
・・・・
王妃マリーは巴里の動乱にすっかり嫌気がさしており、
実家であるオーストリアハプスブルク家の都であるウイーンに避難したい、
と強硬に主張したが、
さすがに仏蘭西国王であるルイは
「王たるものが自らの国から逃げ出すというわけには行くまい」と、
王妃のわがままに難色を示した
ここで折衷案を出したのが、フェルゼンだった

「恐れながらお妃様のご実家であられるウイーンはいささか遠うございます
 かといってこのまま巴里ベルサイユにとどまるのも危険でございましょう
 ゆえにウイーンまでとは申せませんが、
 ここはいったんどこぞ近くの安全な他国にまで退避されるのが
 よろしいのではないか、と考えます」

「ふぅん…して、そなたが言う『近くの安全な他国』とは何処か?」

「ルクセンブルク大公の御料地は、いかがでございましょうか
 小国ながら政情も安定し、仏蘭西とも国境隣接しております
 また巴里ベルサイユからも近うございますので、
 何かあれば直ちにご当地に戻ってくることもできましょう
 更に付け加えれば、
 ルクセンブルク大公はハプスブルク家とも縁戚関係にございますので、
 王妃のご実家であるウイーンとの連絡も密に行えましょう
 当面、かの地に優る避難先はないのではと思いますが…いかが?」
579Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:32:07.33 ID:BvmQ2LQI
このフェルゼンの提案に、まずマリーが好意を示した

「ああ、確かにルクセンブルク大公の御料地がありましたわね
 …あなた、とりあえずそちらに寄らせていただきましょうよ
 私はもうココベルサイユはうんざり。
 大公にそう申し上げて、
 暫時私どもを受け入れてくださるようにしていただきましょう」
「しかし…やはり王たるものが自らの国から逃げ出すというのは…」

煮えきらぬルイの態度にマリーはイラっときた

「わかりました。ではあなたは、お好きなだけココにお留まりくださいませ
 私は何が何でもルクセンブルク大公の御料地に行かせていただきます」
「なにもそんなにすぐにぶち切れなくとも・・あいわかった
 ではとりあえず、暫時ルクセンブルク殿のお世話になることにいたそう
 避難に際しての具体的な段取りは、フェルゼン。そなたに任せてよいか?」
「それはもちろん・・」
と、フェルゼンが言いかけたそのとき。

「畏れながら一言申し上げたく!」

末席から大きな声が掛けられた。
皆が一瞬ぎょっとして振り向いた先には、
苦虫を噛み潰したような顔をした緒万戸仁王が控えていた…
580Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:34:46.18 ID:BvmQ2LQI
(緒万戸仁王の発言)
「先ほどより国王陛下御自らも再々仰せられておりましたが
 仮初にも王たるものが国と民草を捨てて国外に逃げるなど、
 断じてあってはならぬことと、私も考えます
 これはウィーンなら遠いがルクセンブルクなら近いから良かろう、
 などという、そういう問題ではございません
 王たるものが一度でもそのような真似をいたしてしまえば、
 王と民との間の信頼の絆は永久に損なわれ、
 その失われた絆は二度と回復することはございません
 これは王に限らず、統領たるものすべてに通じる心得。
 どうか国外脱出の儀は、切に思いとどまっていただきとうございます」

この仁王の発言にマリーは飛び上がって激昂した
「黙らっしゃい!何たる無礼な発言か!
 そもそもそなたは私の護衛官に過ぎぬではないか
 この会議の末席に列するだけでも十分な栄誉であるにもかかわらず、
 差し出がましき口上で我らの決議に異を唱えるとは何たる礼儀知らずか。
 そなたは黙って我らの指示に従っておればよいのだ。控えておれ!!!」

喚き続けるマリーを前に、ルイとオスカーは慌ててなだめ役に回った
フェルゼンは仁王の方をチラッと見たが、何も言わずに沈黙を守った
・・・

結局決議は覆ることなく、
国王夫婦はルクセンブルクを目指して仏国を脱出をすることとなった
仁王はもう何も言わなかった
581Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:37:53.90 ID:BvmQ2LQI
会議が終わり、
緒万戸仁王が控えの間に下がると、そこには小野芋子と額田玉がいた
彼女等には列席の資格もなかったため、ここで仁王を待っていたのだ
仁王はふたりに会議のあらましを語った

「あら。では私どもも王妃の護衛としてルクセンブルクに参らねば…」
「いや、そなたらは同行せずともよい。ココベルサイユに残っていよ。
 今回のお供は私一人だけでよい」
「え?それはどういうことでございますか?」
「隠密裏の国外脱出ゆえ人数を絞りたいということもある。
 だがそれ以上に、私自身、何かいやな予感がするのだ…」

仁王は眉をしかめた
「王が国を捨て国外に逃げる。
 こんなことをするときは大抵ろくなことにならん
 ましてや今回の逃走劇の立案者が
 あのフェルゼンだというのではなおさらのこと」
582Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:38:55.99 ID:BvmQ2LQI
「・・何か起こるのでございましょうか?」
「さて、それは私にもわからんよ。
 ただ、何が起こってもおかしくはない。
 ことは私がお供する旅先で起きるかもしれないし、
 あるいは国王夫妻と近侍のものが抜け、
 手薄となるココベルサイユでおきるかも知れない。
 そなたたちもウマの手入れを怠るな。
 何があってもすぐに対応できるように、
 耳をそばだて目を凝らし鼻を利かせておるように。…仏語は会得したか?」
「心もとなくはありますが、何とか」
「では何か起きればココに行け」

仁王は一枚の紙切れを二人に手渡した
そこには仏語で所在地と人名が記されていた

「この御仁は?」
「このものは我等馬蹄等といささかゆかりあるものにて、
 これまでも当地の事情に疎い私に何くれとなく便宜を図ってくれたもの。
 そこに行けば、とりあえずは安全。
 情報の収集もできるし、馬蹄羅の里に連絡を取ることもできよう」
「ココベルサイユの宮殿にとどまる必要はない、とおっしゃるので?」

玉の問いかけに、仁王はやや皮肉な笑みを浮かべつつ答えた
「国王夫妻が逃げた後の宮殿など、守る必要はない
 我等は建物の管理人ではないわ」
583Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:40:10.23 ID:BvmQ2LQI
【ベルサイユ脱出】

擬似時空間であるココ婚活世界の時間でいうと
グレゴリウス暦の20xx年某月某日、明け方未明。
仏蘭西国ベルサイユの宮殿から
一台の馬車と10騎の騎兵がひっそりと抜け出し、進路を丑寅の方角にとった

とりあえず今日の目的地は北仏国境近くの村、ヴぁレンヌ。
今日一日かけてヴぁレンヌの村までたどり着いてしまえば、
翌日の昼には大公が待つルクセンブルク城に到着できる、という算段である

隊列は中央に国王夫妻の乗る馬車。その前に5騎。後ろに5騎。
先導役はスウェーデンの貴族フェルゼン。
そのすぐ後ろが近衛騎兵隊長のオスカー。
馬車の前後は王家ブルボンの近衛騎兵で固められ、
緒万戸仁王は最後尾につけていた
仁王は道中何者かが襲ってくるか知れずと常に警戒を怠らなかったが、
幸い何事もなく国王夫妻一行は陽が落ちるころには
その日の宿泊予定地であるヴァレンヌの村に到着した

終日馬車に揺られつづけた国王夫妻はぐったりと疲れきっていたが、
それ以上に騎兵たちの疲労は困憊のきわみにあった
ウマに長時間乗るというのは相当な体力を必要とする、
特に慣れていないものにとってはなおさらのことだ
しかし明日もまた、半日は騎乗しなければならない
そのためには今夜のうちにこの疲れをぬぐっておかねばならない
お泊りどころとしてフェルゼンが案内したヴぁレンヌ村の館は、
鄙びた村にしてはなかなかに立派な建物であったが、
一同にはその造りの風雅さをめでるだけの余裕もなく、
そそくさと夕食を済ませたあとは、皆倒れるようにして深い眠りに落ちていった
584Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:41:14.04 ID:BvmQ2LQI
・・・
夜半。不穏な気配を感じ、仁王はふと目を覚ました
外から鈴虫の音とウマのいななきが聞こえたが、館内はいたって静かだ

静か?…いや。
確かに音は聞かれないが猫のようにしなやかに
ひたひたと廊下を歩むものがいる。それも複数。
仁王が体を起こし太刀を手にして室内の明かりを灯したところで、
部屋の扉が音もなく静かに開いた

「さすがは馬蹄等。目ざといですな」
「・・フェルゼンか」
「そのまま眠っていなされば、何も知らずにあの世に逝けたものを」
「やはりこの脱出劇はそなたの描いた茶番だったのだな」
「お察しのとおり。ルクセンブルクの大公は何もご存じない。
 すべては私が図ったことでございますよ」
「そなたの狙いは何か」

緒万戸の問いにフェルゼンは目を細め、ささやくように言った
「私の狙いは…仏蘭西。フランスが欲しい」
585Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:42:47.98 ID:BvmQ2LQI
【フェルゼンの話】

私が生まれたスウェーデンスカンジナビアは寒い北国でね
冬になると海に氷が張ってしまって船が出せないんですよ
バルト海という美しい海もあるにはあるのだが、
なんと言ってもバルト海は内海ゆえ、外に向うくことができぬ。
我ら北国に暮らすものが古代より心から願い欲してきたものは
温暖な土地と四季を通じて船を出せる港すなわち不凍港なのさ

仏蘭西にはそれらがある。ありすぎるほどある。
それなのにこの土地の王家ブルボンは、
その自然の恵みの上に胡坐をかき、放蕩奢侈な生活に明け暮れるばかり。
このようなバカボン一家に治世を任せておくなど、勿体なかろう。
寒く厳しい自然に鍛えられ、
温暖な地のありがたみを心底知っている我ら北の王族にこそ、
かかる恵まれた土地を統べる資格がある。
そうは思わんかね?馬蹄等殿。
586Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:44:14.72 ID:BvmQ2LQI
・・・

「いま『我ら北の王族』と言ったな? 
 そなた、一介のスウェーデン貴族ではないな」
「ふふ、少々口が滑ったか。まあよかろう」

仁王の指摘にもフェルゼンは動揺の色を見せなかった

「いかにも、私もまたスウェーデン王家の血を引くものの一人。
 この度のはかりごとも、我らが王グスタフアドルフ陛下のご了解のもとでの一挙だ
 それが知られたところでべつにかまわんよ
 どうせこの館の中にいるものは今夜を限りに皆殺し。
 馬蹄羅殿。そなたもまたしかり、だ」
「国王ご夫妻もまた屠る、と言うか?」
「あのバカ夫婦だけはしばらく生かしておくよ
 彼等だけは密殺というわけにはいかんのでね
 馬鹿といえども王は王。
 その国の王を殺すものはその国の民でなくてはならぬ
 ま、そういう体裁をお膳立てするだけだがね」
「そなた・・オスカー殿とは『お友達』ではなかったのか?」
「『お友達』とはこれのことかな?」

そう言ってフェルゼンは、
部下の一人が差し出した塊を無造作につかみ、仁王に向かって振って見せた
それはオスカーの生首だった
室内にはすでにフェルゼンの部下が数名、
光るものを手にして仁王を見据えている

「さてと。長話もココまでかな。・・・馬蹄羅殿。そろそろお覚悟を」
587Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:48:56.88 ID:j+MM1MTp
・・・・
国王夫婦がルクセンブルク目指して旅立ったその翌日。
主のいなくなったベルサイユの宮殿は、
巴里から押し寄せてきたおびただしい数の暴徒たちによって包囲された
彼らは鎌や包丁を手にし、口々に
「王を捕らえよ!」「まつりごとを我等の手に!」などと叫びながら、
慌てふためいて飛び出してくる留守居の者たちを次々に屠っていった

ふつうこのような暴徒の群れというものは
残虐非道である一方で無秩序で統制など取れていないものなのだが、
なぜかこの暴徒の群れは、初めて来たはずのこの広大な宮殿を
精確に包囲し、自由に跳梁し、
宮殿の留守を預かっていたものたちを次々に殺していく
その効率の良さはまるで軍隊のようにも見えた
実は、一見無秩序に見えるこの暴徒の群れには「指揮官」がいたのだ
その指揮官はウマに乗り、暴徒全体を見渡しつつ、
必要に応じて適当に煽り、かつ的確に指示を出し、
「彼」から命じられた任務を着実に遂行していた

宮殿内の留守居のものたちがほぼ全滅し、
「彼」から命じられたその任務も完遂したかに見えたそのとき。
植え込みの影から突如として騎馬が二騎、指揮官の目前に飛び出してきた

小野芋子と額田玉である

仁王から事前に注意を受けていた彼女たちだけは
この暴徒の乱入にも慌てることなく、今まで機をうかがっていたのだ
立ち塞がろうとした暴徒の一人を額田玉が抜く手も見せず切り伏せる間に、
小野芋子のほうは一直線に指揮官を目指した

「馬蹄等をなめるな!」

怒声とともに芋子の太刀がきらめくと、
その指揮官は血しぶきを上げて鞍上から崩れ落ちた

指揮官を失い、浮き足立ってどっと崩れる暴徒の群れを尻目に
芋子と玉はそのまま馬速を緩めず宮殿から離脱し、
何処ともなく駆け去っていった・・・
588Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:50:25.19 ID:j+MM1MTp
【処刑の日】

のちに「ヴぁレンヌの惨劇」「ベルサイユの殺戮」などと
言われるようになった上述の二つの事件が起きたときより
約一ヵ月ほど経った、或る日。
ココ巴里は凱旋門の前で、
仏蘭西国王ルイとその妻マリーの処刑が行われようとしていた

国王夫婦が国外逃亡を図り、
国境近くの村で取り押さえられたという出来事は
フェルゼンの手の者たちによってさかんに巷で喧伝された。
その喧伝の内容は事実とは異なるかなり歪められたものではあったが、
いずれにせよ仏蘭西の国民も貴族も
「国王が国から逃げ出そうとした」というその事に大きな衝撃を受け、
それまで「王政護持」の立場に立っていた国民や貴族たちの中からも
「王政廃止」に立場を替えるものが相次いだ

フェルゼンはこの情勢の変化を巧みに利用し、
「仏蘭西国民の主導のもとに」革命評議会なるものを成立させ、
その「仏蘭西国民の代表機関」である革命評議会の裁判を経て、
国王夫婦に死刑を宣告したのであった
589Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:51:18.12 ID:j+MM1MTp
処刑の当日、
国王夫妻は猿轡をかまされ後ろ手に縛られた姿で
肥溜め荷車の上に乗せられ巴里市中引き回しの上、
ギロチン台が設置されたココ凱旋門前に到着した
国王夫婦の処刑を見守る市民・貴族たちは数千人。
既に鈴なりのようになってシャンゼリゼ通りの左右にあふれかえっている

フェルゼンは淡々とした表情で
ギロチン台の方に引きずられていく国王夫婦を眺めていたが、
心のうちではまったく別のことを考えていた

(ここまでの段階で既に手の者を三名も失うとは、予想だにしなかった
 ベルサイユで一人、ヴぁレンヌで二人。
 ・・馬蹄等。まったく、鬱陶しい奴ら。
 近いうちにあやつらを何とかこのことから排除しておかねば。
 仏蘭西を我らの手の内で完全に傀儡化するためにはまだ山あり谷あり。
 ブリテン島のハノーバー家もオーストリアのハプスブルク家も、
 この実り豊かな土地を狙っていよう。
 今日ココで仏蘭西のバカ夫婦を処刑したとて、
 今後は引き続き彼ら他家の王族共と渡り合っていかねばならんというのに、
 馬蹄等のようなうざい連中にうろちょろされるのはかなわんからな・・・)
590Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:53:32.85 ID:j+MM1MTp
死刑執行の時刻になり、
革命評議会委員の一人(…この男もフェルゼンの息がかかっていた…)が、
ギロチン台の傍らに立って、
国王夫婦の死刑宣告文を読み上げようと
手にした巻物を紐解いた丁度そのとき。

ヒュン、と空気を裂く音とともに一本の矢が、その委員の首を貫いた

(!)

心得のあるフェルゼンはとっさに腰をかがめ身を低くしたが、
まだ武技のレベルがフェルゼンの域にまで達していなかった配下のものたちは
反射的に一斉に剣を抜き、矢が放たれた方角を見極めようと周囲をうかがった

「愚かものども!伏せよ!身を低くするのだ!」

フェルゼンはあわてて部下たちを叱咤したが、時すでに遅し。
ヒュン、ヒュン、ヒュン・・・
空気を裂く矢羽の音が立て続けに起こり、
剣をかまえたフェルゼンの部下たちは、次々と倒されていく
それを見た観衆たちはどっと崩れたち、我先にと逃げ始めた

潮を引くように凱旋門前から逃げ散っていく観衆たちと
入れ替わるようにして 弓を携えた騎馬が五騎、
フェルゼンの前に姿を現した
鞍上にいるのは男が三人、女が二人。
二人の女性とは、言うまでもなく小野芋子と額田玉である
五人の中央にいる壮齢の男性が、静かな口調で問うてきた

「そなたが、ハンス・フェルゼンか」

口調はあくまで静かである
しかしその眼差しは鷹のように鋭かった

「いかにも。そなたの名は?」

「…我が名は源ウマイヤ。馬蹄等の里にて統領を勤めている」
591Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:56:41.39 ID:j+MM1MTp
・・・・
「馬蹄等の統領か何かは知らぬが、この狼藉はどういうことだ?
 本日のこの公開処刑は、当地仏蘭西の正当な統治機関である、
 『革命評議会』の裁可を経て執行されるものであり、
 よそ者のそなたが邪魔だてしてよいものではないぞ」

フェルゼンの鋭い口調も意に介さず、ウマイヤは平然と言葉を続けた
「そなたは過日、ヴぁレンヌの里にて
 私の側近である緒万戸仁王を殺した …本日は、その借りを返してもらう」

「何を言っている。巷の話を知らんのか?
 あの日、私と有志たちは
 国外脱出を企てた国王夫妻をお留めしようして、
 ヴぁレンヌの村でようやくご夫妻の一団に追いついた。
 そしておふたりを巴里にお戻ししようとしたところ、
 オスカーを初めとする近衛兵たちがいきなり私たちに襲い掛かってきたのだ
 その襲撃者の中に、そなたの側近である緒万戸仁王なる馬蹄羅もいたので、
 やむなく応戦し、近衛兵ともども討ち果たしたまでのこと。
 いわば正当防衛だ。下らぬ言いがかりをつけるな」
「そなたは当地フランスを、
 そなたの生国であるスウェーデンの傀儡にしようとしている
 『革命評議会』なるものも、そなたのマリオネットに過ぎぬ」
「何たる妄言。
 ユーラシアの東の端の島国からやってきた田舎ものとはいえ、
 ただでは済まされんぞ。証拠でもあるというのか?」
「証拠はこれだ」

と、ウマイヤは懐から一塊の便箋の束を取り出した
その便箋の束を見て、
鋭い口調の中にも冷笑を含んでいたフェルゼンの顔が、青ざめた
592Classical名無しさん:2013/02/07(木) 15:59:48.21 ID:j+MM1MTp
「これは、そなたに宛てられた
 『エーヴぁ・ロッタ・ブレムクヴィスト』なるスウェーデン女性からの手紙。
 そなたの寄宿先の部屋より見つけたものだ、見覚えがあろう
 この『エーヴぁ・ロッタ・ブレムクヴィスト』なる女性、
 その所在地はスウェーデンストックホルムとなっているが、
 さらにその住所を仔細に追っていくと、
 スウェーデン王グスタフアドルフ殿の住まいであるストックホルム王宮に行き着く。
 さらにその内容は、男女の往復書簡にありがちな色恋の言葉のかけらも無く、
 それどころか、
 『王家の転覆』『傀儡化の手順』『軍の派遣』といった、
 物騒な言葉ばかりが書き連ねてある
 さらには、この差出人の所在地、すなわちストックホルムの王宮には
 『エーヴぁ・ロッタ・ブレムクヴィスト』なる女性は実在しない
 つまりこの『エーヴぁ・ロッタ・ブレムクヴィスト』という
 スウェーデン女性の名は暗号名、コードネームなのだ
 そなたとスウェーデン王グスタフアドルフをつなぐための、な」
「・・・・」
「いまひとつ、そなたの望む『証拠』とやらを示しておこう
 そなたはいま
 『私たちは国外脱出を企てた国王夫妻をお留めしようと…』と言ったが、
 国王ご夫妻の国外脱出劇そのものがそなたの描いた脚本であることを
 示す証人がひとり生き残っている」

「そんな馬鹿な。あのときの会議の列席者はことごとく…」
と言い掛けて、あわてて口を閉ざしたフェルゼンに
ウマイヤは追い討ちをかけた

「そのときの会議の列席者はそなたとそなたの手下が、
 ヴぁレンヌとベルサイユにてことごとく殺したはず。
 そう言いたいのだろう
 ・・だがな。一人生き残っていたのだよ
 その人物とは、あのときの会議の給仕だ
 彼は我等馬蹄等といささかゆかりあるもので、
 当地に不案内な仁王の面倒も何くれとなくみてくれたし、
 さらにはベルサイユから脱出してきた芋子と玉を匿うとともに、
 馬蹄等の里から急遽当地にやってきた我等三人の世話も焼いてくれた。
 彼だけは、あの日の会議が終わった後、
 宿下がりして郷里に帰っていたために命拾いをしたのだ
 ・・・手抜かりだったな。フェルゼン」
593Classical名無しさん:2013/02/07(木) 16:02:50.82 ID:j+MM1MTp
・・・・
暫しの沈黙の後、フェルゼンは口をゆがめて声を立てずに笑った
「ハプスブルクの連中も余計なやつと縁戚関係を結んでいたものよ
 おまえたちさえいなければ、事は我が思いのままに運んだものを」

フェルゼンが自らの腰の剣に手を伸ばすのを見て、
ウマイやの傍らにいた馬蹄等も太刀に手をかける
小野芋子と額田玉も弓に矢をつがえた。そのとき。

「ご当主」
いま一人の馬蹄等がウマイやに声をかけた
「畏れながら、若輩の身で僭越とは存じますが、
 ここは私にやらせていただけないでしょうか」

若輩の身でと言うだけあって、その馬蹄等はまだ若い
むしろ初々しいとすら言える
その若者がやや頬を紅潮させ、
緊張した声音でウマイやに願い出ている「私にやらせてほしい」と。

先に太刀に手を掛けていたもう一人の老練の馬蹄等が、
その若者に声を掛けようとして思いとどまった様子で、沈黙を守った
ウマイやに判断をゆだねたのだ

源ウマイやはうつむき加減に少し沈思していたが、やがて軽くうなづいた

「ありがとうございます」
ウマイやに礼を述べてからその若い馬蹄等は下馬し、
フェルゼンの方に数歩近づいてから名乗りを上げた

「私は緒万戸仁王の一子、草稲。
 ハンス・フェルゼン。一騎打ちを申し込む」
594Classical名無しさん:2013/02/07(木) 16:06:04.67 ID:j+MM1MTp
【一騎打ち】

「ほぅ・・あの馬蹄等の子か」
フェルゼンは蛇のように目を細めた
チラッとウマイヤたちのほうに目をやって言葉を続ける
「一騎打ちとは、また古風な。お仲間の助太刀は要らんと言うのかね?」
「いかにも」
「・・・・」

フェルゼンは少し小首を傾げつつ相手を見据えた
その眼差しは、
草稲の武人としての技量を推し量ろうとしているかのようにも見える

「そなたの父君はたいした腕前だったよ
 我々手練のもの数名を相手に獅子奮迅、私も二名の部下を失った
 ・・最後は私が止めを刺したがね」

フェルゼンのその挑発の言葉には乗らず、
草稲は静かに柄に手をやり太刀を抜いた
その抜刀の挙措動作だけで、
フェルゼンも草稲の技量が並みではないことを悟ったようだ

「なるほど…なかなかのものだな
 では、お相手するとしようか。お手並み拝見」
595Classical名無しさん:2013/02/07(木) 16:09:08.16 ID:j+MM1MTp
「スウェーデンのハンス・フェルゼン、
 さりとてはの者と見え申し候。侮るべからず。」
・・・・
当主ウマイやが見せてくれた父からの手紙。
その末尾に走り書きされていたこの言葉が、草稲の脳裏をふとよぎった

不安が無いわけではなかった。
しかしここは自分しかいない、
自分はこのことのために当主に直訴してまでここ仏蘭西に来たのではないか
草稲は雑念を振り捨て、目の前の仇敵「さりとてはの者」に意識を集中した

太刀を構えたまま微動だにせず数十秒。
どちらが先に動いたのかはわからない。
つま先からスッと入るしなやかな動きで両者接近。
草稲は右袈裟から振り向きざまの胴切り。いわゆる「燕返し」である
フェルゼンの剣が草稲の髪を削ぎ、
草稲の太刀がフェルゼンの衣を裂いた

再び対峙。接近。
フェルゼン渾身の袈裟を上半身をのけぞらし間一髪かわした草稲は
下から掬い上げるようにしてフェルゼンの脾腹を切り裂いた。

噴きあがる鮮血。

「フッ…さすがは仁王の子…いい馬蹄等だ」
独り言のようにそう呟くと、
フェルゼンはその場に崩れ落ち息絶えた

・・・・
決着がついたのを見届けたウマイヤはウマから下り、
返り血で顔を染め、まだ肩で荒く息をしている草稲に近づき一言、言った
「草稲。見事」

そのウマイやの一言で、
それまでの緊張から解き放たれたのだろうか、
緒万戸草稲は顔をくしゃくしゃにすると大粒の涙をはらはらと流し、
声を立てずに泣いた
596Classical名無しさん:2013/02/07(木) 16:12:55.68 ID:j+MM1MTp
草稲をねぎらった後、ウマイやは仏蘭西国王夫妻の元に歩み寄った
芋子と玉の手によりいましめを解かれたとはいえ、
国王夫婦はまだ地面にへたりこんだままだ
その前に片膝ついて、源ウマイやは言った

「仏蘭西の国王陛下。お初にお目にかかります
 私、馬蹄等の統領にて源ウマイやと申します
 ハプスブルク家の当主フランツヨーゼフ陛下からのご依頼に拠り、
 ご当家に嫁ぎました我がいとこマリーの護衛として
 緒万戸仁王、小野芋子、額田玉の三名をご当地に派遣しておりましたが、
 かかる不測の事態に至り、主席の緒万戸が死去いたしました
 しかしながら今こうしてその敵を討ち、
 陛下ご夫妻の身もとりあえずは安泰となりましたので、
 我等これにてお暇しとうございます
 副官の小野、額田の両名も我等共々里に戻しますので、
 その旨、ご了承いただきたい …では、これにて御免」

立ち去っていこうとするウマイやの背に、国王ルイが声を掛けた
「ウマイや殿。我等に、我等夫婦の為に馬車を調達してくれぬか
 馬車が無くば、せめてウマだけでもよい」

ウマイやはその声に立ち止まり、振り返った
しかし再び歩み寄ろうとすることはなく、
その場で一礼だけして言葉を足した

「陛下。僭越ながら申し上げる
 ココ巴里も、またお住まいのあるベルサイユも、
 総てみな陛下の統べるべき地でございましょう
 ならば、そのおみ足でしっかりと歩んでいかれれば如何?
 人に頼ってばかりでは、
 また早晩フェルゼンのようなものが陛下のお側に現れましょう
 民を慈しみ己が身の回りの者どもを愛してこそ、
 王の王たる資格がございますし、またそのようにいたせば、
 自ら言わずともウマなり馬車なり周りのものが用意してもくれましょう
 …失礼いたします」

・・・・
源ウマイやの再騎乗に併せて他の四名の馬蹄等も一斉に騎乗した
彼等は緩々とウマをやりながら次第に凱旋門から遠ざかっていき、
やがて巴里の町並みの中にその姿を消した
597Classical名無しさん:2013/02/07(木) 16:17:51.98 ID:j+MM1MTp
【エピローグ】

ハプスブルク家の当主にして
オーストリア大公、ハンガリー国王、神聖ローマ帝国皇帝を兼ねる
フランツヨーゼフ・ベネディクトミヒャエルフォン・ハプスブルクは
ウイーン王宮の自室で、源ウマイヤから送られてきたその手紙を読んでいた

手紙の内容はいたって簡潔なもので
マリーの護衛として巴里に赴任させたもののうち一名が死亡したことと、
残りのものについても既に任を解きフランスから退去させたことのみを
通知しているだけで、
護衛官を退去させるにいたった経緯や背景、すなわち
スウェーデン王グスタフアドルフの謀略や
仏蘭西国王の国外逃亡未遂事件、
或いはフェルゼンとの戦いといったことは、一切記されていなかった

しかしフランツヨーゼフはハプスブルク家の諜報網によって、
すでにそれらの出来事を把握していたし、ウマイやのほうも
「フランツヨーゼフは既にこれらのことを知っている」という前提のもと、
あえてこのような素っ気無いとすらいえる内容の手紙を送ってきたものと思われた

(オーストリアハプスブルク家の利益のために
 もうこれ以上馬蹄等を便利使いするな、ということか)
フランツヨーゼフは、
素っ気無い内容の手紙を送ってきたウマイヤの意図をそのように解釈した

(まぁ、それならそれでもよかろう
 少なくとも今回の件で、ヨーロッパの王族たちは馬蹄等の存在を知った
 とりあえずはそれで十分。またいずれ、機会が訪れることもあろう…)

折からの夕日がテラスから室内に差し込み、
フランツヨーゼフの横顔を赤く照らしだした
その横顔は孫娘マリーの無事を喜ぶ老人の顔ではなく、
権謀術数の世界を生き抜いてきた老練な策士のそれであった…


馬蹄等物語主伝第五話「千年紀〜龍彫りの男」 完
598Classical名無しさん:2013/02/07(木) 16:19:56.75 ID:qmpozFZl
「千年紀・龍彫りの男」に登場した主な人々

【緒万戸仁王】(おまんこにおう)
 馬蹄等の一人。緒万戸羊水の末裔。馬蹄等当代当主源ウマイヤの側近。
 ウマイヤの命により、王妃マリーの護衛官として仏蘭西国に着任する。
【小野芋子】(おののいもこ)
 馬蹄等の一人。緒万戸仁王の補佐官。女性。
【額田玉】(ぬかたのたま)
 馬蹄等の一人。緒万戸仁王の補佐官。女性。
【緒万戸草稲】(おまんこくさいね)
 馬蹄等の一人。緒万戸仁王の息子。
【源ウマイヤ】(みなもとうまいや)
 馬蹄等の一人。馬蹄等当代当主。
【ルイ・ブルボン】
 ブルボン家の当主にして、仏蘭西の国王。
【マリー・ブライダルネット・フォン・ハプスブルク】
 ルイの嫁。フランツヨーゼフの孫。源ウマイヤのいとこ。
【オスカー・フランソワ・怒・ジャルジュ】
 仏蘭西国近衛騎兵隊隊長
【フランツヨーゼフ・ベネディクトミヒャエルフォン・ハプスブルク】
 ハプスブルク家の当主にしてオーストリア大公。
 ハンガリー国王、神聖ローマ帝国皇帝をも兼任。
 馬蹄等とは姻戚関係にあり、ウマイヤにマリーの護衛官派遣を要請する
【グスタフアドルフ】
 スウェーデン国王。暗号名は「エーヴぁ・ロッタ・ブレムクヴィスト」
【ハンス・アクセル・フォン・ミレニアム・フェルゼン】
 仏蘭西留学中のスウェーデン貴族にして、
 ブルボン家の転覆をもくろむ事件の黒幕。
599Classical名無しさん:2013/02/07(木) 17:20:53.72 ID:qmpozFZl
蟹鮨野菜漬物鶏肉揚物珈琲醍醐菓子穴子煮物鯵酢物確定
蟹鮨野菜漬物胡瓜似即席麺似果実菓子似鮭缶詰福豆残存
600Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:35:34.51 ID:qmpozFZl
馬蹄等の物語 主伝第六話
【紅の騎士たち】プロローグ

幼いころよりお転婆な娘だった
どのくらいのお転婆だったかというと、たとえば
そこらへんの野や山を男児たちと一緒に走り回り、
草むらで地を這う蛇を見つければ、敏捷にその尾をむんずとつかむや
その蛇を頭上でびゅんびゅん振り回して周りの男児を追っかけて泣かすというような、
まぁその程度のお茶目なことは日常茶飯事、というぐらいのお転婆だった

「私の育て方が悪かったのでございましょうか
 おなごだと言うのにあんなお転婆に育ってしまって…」
「いやいや良いではないか。あの子は聡い。
 その上にあれだけ心身闊達ならば、何も申すことはない
 そなたの育て方が悪いなどということは決してないぞ
 健やかに育っているではないか。気に懸けるようなことはない」

母の心配をよそに父の方は楽しげに目を細めて、
そんなお転婆な愛娘を見つめていた

しかしそんな父も、やがて娘に驚かされるときがきた。
お転婆だった娘が成長し成人のときを迎えると、
父は家の慣わしに従い、娘に一振りの太刀を与えるとともに
そなたの願い事をひとつだけ聞いてやる、と告げた
これはそのときに何を願うかによってその子の資質を見極めるという、
養育の最終確認の意味合いを持つものでもあった

長ずるに及んで容姿はすっかり女性らしくなってはいたものの、
幼いときよりのいたずら好きの瞳を依然としてもっていた娘は
その利発そうな瞳で父を見つつ、こう願い出たのだ

「私、一度べつの世界を見てみとうございます」
601Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:38:59.57 ID:qmpozFZl
【邂逅】

まず履歴書に書かれてある名前が、読めなかった

緒万戸源朝臣紅

これは何だ?何と読むのか?どこまでが苗字で
どこからが名なのか?・・さっぱりわからない

「ええっと…失礼ですが貴女のこのお名前ですが…どう読むんですか?」
「おまんこのみなもとのあそんのくれない、と申します
 『おまんこのみなもとのあそん』までが苗字で、
 『くれない』というのが私個人の名になります
 普段は源朝臣という部分は省略することが多いのですけど、
 本日は採用試験と伺っていたので正式の名乗りを書かせていただきました」
「・・・・・」

こういう訳のわからない人をパートに採用するのは
本来であれば極力避けるべきことなのかもしれない
しかしそのときは他の応募者がとにかく酷かった
デブスの家事鉄で経験無しなのに最低時給三千円くれとか、
中年の多重債務者のオッサンで前金で10万もらいたいとか、
ろくでもない連中ばかり。

そんな中で、彼女の印象はぶっちぎりで良かった
面談していても頭の回転は速いし、言葉遣いも礼儀正しい
容姿もこんな場末のコンビニで雇うのが勿体無いくらいだ
少々変わった点があることぐらいは大目に見るべきだろう、
むしろ掘り出し物かもしれない・・・

そう考えた私は、結局彼女を採用することにした
602Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:41:18.01 ID:qmpozFZl
【与一の視点】

私の名は奈須与一。
両親は早逝し、結婚もせず、ずっと一人で生きている
生家はさほど裕福な家庭とはいえなかったが、
それでも亡き両親は、私に小さな自宅と土地を残してくれた。
会社勤めが性に合わなかった私は両親の死を契機にサラリーマンを辞め、
その相続した土地にコンビニエンスストア「エイトテン」を建て、
以後、そこの店長をしている
小さな店ではあるが一人で切り盛りするのはさすがにきついので、
パートさんを一人か二人、常時雇ってきたのだが、
今までにいいパートさんに恵まれるということはなかった

しかし彼女・・緒万戸紅は違っていた
レジ打ち棚卸しなどという作業はあっという間に覚え、
さらに帳簿のつけ方まで知らないうちに会得しており、
店長としての私の仕事は一気に楽になった。

しかし当初感じた彼女の風変わりさもまた、健在だった
たとえば彼女は商品の値段相場というものをまったく知らなかった
プッチンプリンが百円なのか一万円なのか。知らない
海苔弁当が三百円なのか三億円なのか。全然知らない

…このひとは今までどこでどういう暮らしをしてきたのか?
これほど物の値段を知らずにどうやって今まで生きたこれたのだろう
本当に日本人なのだろうか? しかし日本語はちゃんとしている。むしろ丁寧すぎるほどだ
帰国子女か何かだろうか? とにかく不思議な人だった

いまひとつ風変わりなことといえば、
彼女は私のことを店長とは呼ばず、与一様と呼んだ
どう考えても普通は「店長」だろう。与一様て…
まるで愛人みたいな感じがして少しこそばゆかったが
潤いに乏しい人生を送ってきた私にはそう呼ばれることが妙に嬉しくもあり、
あえて「店長と呼びなさい」とは言わなかった
私も妙齢の女性に対して「おまんこさん」とは言いづらかったので
彼女のことを「くれないさん」と呼んでいた
「くれないさん」ではなく「くれないちゃん」と呼んでいいほど、私と彼女の年は離れていたし、
彼女自身も決してお高くとまっているような女性ではなかったのだが、
なぜか「ちゃん」づけで気安く呼べない、
そんな雰囲気が彼女には漂っていたのだ・・・
603Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:44:39.07 ID:4LvxgyVy
【紅の視点】

今日は初めての給料日。
与一様からお給料の入った封筒を渡されたので畏まって礼を述べ、
着替えを済ませてから私はお勤め先のコンビニ「エイトテン」を後にした
与一様は少々モッサリとしたお方だが、良きおひとだ
私がお給料の礼を述べると、なぜか少し顔を赤らめながら
「今日は早めに帰っていいよ。遅くなるとここら辺も物騒だからね」と仰ってくれた
そんなこと心配なさらなくともよいのに…
しかしいずれにせよ、良きおひとである

いまは黄昏時。
家路に向う私の傍らに下郎が一人、スッと寄ってきた
「ようよう、お姉ちゃん。暇なら一寸一緒にお茶でもどうよ?
 で、お茶飲んだ後はさ、ホテルでも行って気持ちいいこと…」
下郎がそこまで言い掛けたところで、
私のこぶしが相手の顔面に炸裂した
相手は数メートル吹っ飛んで鼻から血をだらだら流しつつ、
それでもおなごに殴られたということが沽券にかかわるとでも思ったか、
「このクソアマがぁぁぁ!」と叫びながら殴りかかってきたので、
今度はしっかりと腰を入れた肘撃ち一発で、相手を昏倒させた

ざわつく人の群れを後にし、私はそそくさとその場を離れる
少し行ったところで今度は二つの人影が私を待ち受けていた
その人影のひとつが私にこう言った

「相変わらずのお転婆ぶりでございますな、姫。
 もそっと、女子(おなご)らしゅうなさいませ」
604Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:45:48.57 ID:4LvxgyVy
「青海。静蛇。そなたたち、いつから見ておったのじゃ?」
「最初から最後まで、とくと拝見いたしておりました」
「これはまた、ひとが悪いものたちじゃな
 そなたらはお父上の近衛のものたちとはいえ、
 いまは私の護衛がお役目であろうに、
 なにゆえ早うに私を助けてはくれぬのじゃ」
「お助けするも何も…」 静蛇が髪をポリポリと掻きながら言った
「あんなにアッサリと片付けてしまわれては、
 われらがお助けする暇(いとま)など、ございませんよ」
「そもそも下郎の一匹や二匹、
 我等がお助けせずとも、姫お一人で十分でございましょう?」
 と青海もニヤニヤ笑いながら答えた。
「あのような些細な輩から、いちいちお助けするために
 我等、姫の護衛をしているわけではありませんので。
 あの程度のもののお相手は、姫ご自身でなさいませ」

「まったく頼りにならん護衛じゃな。つれなきものたちであることよ」
と私は嘆いてみせたが、勿論本気ではない
この二人の真の実力は十分に承知している

「そうじゃ。そういえば今日は初のお給料日であった
 さらには、明日は私のお仕事がお休みの日でもある
 されば私がそなたらにおごってやるゆえ、明日は一日、私に付き合え」
「一日と仰いますと、どこぞ行ってみたい処でもおありなので?」
「うむ。こちらにきたときから一度は行ってみたいと思っていた
 下総国は鼠園に参ろうと思っているゆえ、そなたらも付き合え」
「姫…その鼠園とはもしや…デぃずにーらんどと申す遊戯場のことでは?」
「存じておったか♪ならば好都合。
 明日は三人でディずにニーランドに参るとしようぞ
 お金のことなら心配いたすな。すべて私の奢りじゃ」
「・・・・・」
605Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:50:14.46 ID:4LvxgyVy
【もう一人の「紅」】

ディズニーランドのお供と知って、悄然とする青海と静蛇、
そして彼ら二人の気持ちも知らぬげにひとり嬉々とする紅。
黄昏の街中に消えていくその三人の馬蹄等の後姿を、
遠くからじっと見つめている一人の女がいた

やや老けているとはいえ面差しは美人である
しかしその瞳は、冷たくかつ鋭い
紅たちの姿が視界から消え去ってから、
その女はおもむろに傍らに控えているものたちに言った
「あれが馬蹄等の『姫』か」

「いかにも、さようで。馬蹄等当主の娘で、緒万戸紅と申すおなごでございます」
「緒万戸?『みなもと』ではないのか?」
「公の場では源紅と称することもあるようですが、
 平素は母方の姓を採り、緒万戸と名乗っておりますようで」
「…ふん。小娘の分際で生意気な」

どこらへんが生意気だというのかいまいちよくわからないが
その女は同性と相対したときはとりあえず相手を馬鹿にする
という性癖があるようで、口を歪めて侮蔑の嗤いを浮かべた
606Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:51:36.70 ID:4LvxgyVy
・・・・
この女はコウセイと言われている人物で、
赤色シナ帝国の初代皇帝、故・毛沢山の未亡人である

毛沢山は毀誉褒貶入り乱れる謎の人物であるが、
いずれにせよ当時混乱を極めていたシナ大陸を統一して
強力な中央集権体制の一大帝国を築き上げ、
その初代皇帝に就任したという事実からも
並みの人物ではないということは知れよう

コウセイは、
その赤色シナ帝国初代皇帝毛沢山の四番目にして最後の妻であった
前の三人の妻は、コウセイによって全員殺された
またコウセイは毛の妻になる前は女優業などをしており、
その頃どうしても勝てなかったライバルの女優がいたが、
その女優もコウセイが皇帝の妻になった後、無実の罪で捕縛され獄死した
コウセイは自分より優位な点を持っている女性、
あるいは今はそうでなくても将来自分より優位になりそうな女性、
そういう女性は皆、殺した

コウセイのこの苛烈な性格は、
政争の舞台においてもイカンなく発揮された
毛のライバルたちは言うに及ばず、たとえ毛の側近であったとしても、
コウセイの気に添わない人物はことごとく消された
毛の死後、コウセイを排除しようという動きがシナ帝国の内部で画策されたが
その動きにも素早く対応し、反乱を試みたものたちは全員虐殺された

その苛烈さに恐れをなした人々は
彼女のことを陰でこう呼んだ。「紅色女帝」と。
・・・・
607Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:53:11.24 ID:4LvxgyVy
「やはりここで片付けてしまおうというご意向で?」

傍らに控えていたものの一人がコウセイに問いかけてきた
それは問いかけというよりむしろ念押しに近いものがある
コウセイも深くうなづいた

「言うまでもないこと。馬蹄等の当主の娘がわずかふたりばかりの供連れで、
 こんなところでぶらぶらしているとは勿怪の幸い。この機を逃してなんとする。
 そなたたちはこういうときに備えて、キムの王家から取り寄せたものたちじゃ。
 拓、チ、羅塚麻呂。そなた等の殺しの腕前、今こそ我が前に示せ」
・・・・

コウセイの前半生は殺戮の歴史そのものである
しかし彼女自身は決して自らの手を汚そうとはせず、必ず人にやらせた
そのために彼女は常にその道のプロ即ち殺し屋を己の身辺に置いていた
それは必要のためやむなく雇っているというよりも、
むしろ彼女の趣味嗜好であるかのようにすら思えた

彼女はそういったものたちを平時は自らのボディガードとして使い、
有事に際しては殺し屋として現場に投入した。今このときのように。
今回帯同させているものたちは、
赤色シナ帝国の保護国であるキムの王家から取り寄せておいた、
キム拓、キム智、キム羅束麿の三人。いわゆる『三匹のキム』
と呼ばれている殺しのスペシャリストたちである
608Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:55:17.33 ID:4LvxgyVy
【隠し札】

三匹のキムを去らせた後もコウセイは独りその場に佇んでいた
黄昏時も半ばを過ぎ、周囲は次第に夜の帳が降りはじめている

緒万戸紅の倍近くの歳月を生きているコウセイは
いわゆる婆ではあったが、若いころ女優業などをやっていただけのことはあり、
その容色は衰えたりとはいえ未だ艶っぽさを残していた
こんな時刻、こんな所に一人で佇んでいたら、
婆専の男から声を掛けられてもおかしくはないのだが、
不思議なことに彼女の周りには男一匹寄ってこない
それどころか、虫の音すら聞かれない
ただひたすら屍のような闇が広がっているばかりだ

彼女は懐からシガレットを一本取り出し火を点けた
口から吐き出された紫の煙が淡い渦を巻き、闇に溶けていく
と、そのとき、コウセイが不意にその闇に向って声をかけた
「あのキムの王家から来たものたちだが・・・いかが見るか?」

誰もいないはずの闇。しかしすぐに応答があった

「まあ無理でしょうな。到底勝ち目はありますまい」
609Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:56:48.86 ID:4LvxgyVy
闇の中から一人の男が姿を現した
長身痩躯に整った顔立ち。美男子と言ってもよい。
ただ、何かが無い。
それが何なのか明確には言えないのだが、
人間であるのならば生まれたときから死ぬまで
本来持っているはずの何かがこの男には欠落していた

この人物こそ、
コウセイの過去の重要な殺し全てにかかわってきた男。
紅色女帝の切り札とも言うべき殺し屋「淋彪」であった

「やはりキム王家程度のものたちでは使い物にならんか?」
「いや、そういうわけではありません。
 あの三人もそこそこの腕前はあるでしょう、
 しかし…馬蹄等のほうが凄すぎますな」
「そなたの買い被りではないのか?
 こんな遠目から少しみただけで腕前などわかるものか」
「わかりますとも。そうでなければ、
 この苛烈な世界で長く生き延びることはできませんよ
 私も、そして貴女も…ね」
610Classical名無しさん:2013/02/07(木) 19:59:55.80 ID:4LvxgyVy
【与一の視点】其の二

いままでパートさんとは、私的な事柄は極力話さないようにしてきた
どうせすぐ辞めてしまうし、親しくなっても仕方ないし。
特にパートさんが女性だった場合、
うかつに私的なことを尋ねたりすると妙になつかれたり、
その反対にセクハラだの職権乱用だのと絡まれたりして、
いずれにせよ、ろくなことにはならない
だから女性のパートさんとは私的な話は一切しないようにしてきたのだが、
あの時はどうして彼女に話しかけてしまったのか
今でもあのときの自分の気持ちがよくわからない

「紅さん、なんか妙に楽しそうだね。
 昨日の休日、何かいいことでもあったのかな?」
「え?ええ、とても楽しかったですよ、与一様。」
「彼氏とデートとか?」
「いえいえ、そういうのではなくて(笑)
 お供…じゃなくてお友達と一緒に
 ディズニーランドというところに行って来たのです
 生まれて初めての体験だったのでとても楽しかった…」
611Classical名無しさん
「へえ…紅さんぐらいの年齢の女性が、
 今まで一度もディズニーランドに行ったことがないとは珍しいね」
「田舎育ちなものですから。
 私が生まれ育った里の近隣には、ああいうものは御座いませんでした」
「紅さんはやっぱり少し変わってますねぇ・・
 いや、これは決して悪い意味ではないですよ」
「変わっている?そうでしょうか?
 私自身はごく普通だと思っているのですけど。
 ただ、与一様はここ東京でお生まれになったのに対して、
 私はちょっと田舎の、いわば鄙の里で生まれ育ちました
 環境が少し違っていただけ。それだけのことで御座いましょう?」
「その、紅さんのいう『鄙の里』というのはいったい何処なんですか?」
「・・・・」

彼女が急に押し黙ってしまったので、私は一寸慌てた
尋ねてはいけないことだったろうのか?何かマズイことでも…
しかし暫しの沈黙の後、彼女は何か意を決したかのように再び話し始めた

「私が生まれたところは馬蹄等の里と申すところで
 とても良い処です。もし良い折がございましたら、
 与一様もぜひ一度お遊びにいらしてくださいませ」