【一審】37歳 詐欺・殺人女 木嶋別館6【死刑求刑】

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890Classical名無しさん
 裁判の傍聴を、まるで観劇と勘違いし、
殊更に容姿批評を様々な媒体で広範にばらまかれる言葉の暴力には、
茫(ぼう)然としました。
 外見の評価にばかりこだわる感覚は、私にとって抵抗を感じるものです。
木嶋佳苗が法廷でこんな服を着ていた、こんな表情だった、
こんな振舞(ふるまい)をしていたとインターネットに揶揄(やゆ)的な内容の書き込みをする人たちは、
幸せなのだろうか。
世間と同調することで、普通を確認しながら生きる人に、自分はあるのか。
他人を誹謗(ひぼう)中傷するあなたは、どれほど立派な人間なのでしょう。
 私の過去の人生を取材し、
虚実綯(な)い交ぜにして報道するマスメディアは正義なのだろうか。
倫理はどこに存在するのでしょう。
マイナス感情の共感をエネルギーにして連帯感を持つ人たちには、
薄気味悪さと寂しさも感じました。
陰で悪口を言い合い、嫉妬を原動力に大袈裟(おおげさ)に褒め合い、
他人をけなす、さもしい根性、女子特有のいやらしさに、
私は馴染(なじ)めません。
 周囲の風潮に迎合することでしか仲間でいられない大多数の人たちの人間関係も、
いびつなものに感じられます。
インターネットの普及と個人情報保護法の影響で、
人間関係が稀薄(きはく)になり、人と深く繋(つな)がることを苦手とし、
真に成熟した大人が少ない世の中になっているようです。
 百日裁判と呼ばれた私の裁判員裁判は、
ストレスフルなきついスケジュールであったけれど、準備期間も含めて、
成長の手応えも大きい、貴重な得難い日々でした。
身に覚えのないことで起訴されたり、
見当違いも甚だしい解釈や虚偽の報道により誤解をされたり、
他人に物事を正しく理解してもらうことは、大変なのだと実感しました。
そして、罪や正義は、時代や立場によって変わる相対的なものだと知りました。
絶対の常識や正義はないのでしょう。