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それに小島は右が使える事が前フリから読み取れる
小田は憶測を飯村に語っていただけ、実際の試合を小田はみた事がない
だからあの語りは当てにならない、だが一歩はちゃんと小島の試合をビデオで見ていた
青木は小島の事を知っている、宮田は小島とスパーをしている。
一歩も宮田も青木も「小島は右が使えない」とただの一度でも口にしていたか?
彼らがそれを口にしてなかったという事は
小島は右を使えるようになっている事を意味する事が読み取れるんだよ
じゃあなんであの試合で右を使わなかったか、その理由わかるか?
小島にとってあの試合は引退することを前提にした試合、だからその後の生活に支障をきたす真似は出来ない
渾身の右をあの試合で使えば間違いなく右拳は使い物にならなくなる、そんな事をしたらその後の生活に支障をきたす
だから左一本で一歩に挑む事にしたんだ、要するに一歩が勝てたのは小島が生半可な気持ちで一歩に挑んでいたからなんだ
これって小島に手加減されていたのと同じことなんだ、それで一歩に勝てるはずがない!
つまり小島の「命を投げ出す勇気と覚悟」は、ただのパチモノだったんだよ!
結局小島もこれまでの対戦相手と同じ弱虫にしか過ぎなかったんだよ。
あの対戦描写が大げさだからという理由だけで、こういう事が読み取れなかったのか?
多くの読者は最初小島の狙いを点数勝負と解釈した、ついにこの戦いを試みるときが来たのかと思った
まさかあんな出来て当然の事だったなんて思っていなかった
こんな事が出来ない連中と一歩は戦っていた事に多くの読者は気付いた
しかもあの作戦をやらせない事が出来ない程度の指導しか鴨川ジムはできないと多くの読者は解釈した
そしてそのあとの鷹村VSラビットソン戦が一歩の試合を極端な形で描いたものと多くの読者は解釈した
これまでの23戦の対戦はああいうものなんだ、だがそんな試合を観戦していた伊達たちは
ラビットソンと自分達が実は同じだという事に気づかない
多くの読者は伊達達の事をラビットソンと同じ道化と解釈した