(つづき)
馬蹄羅一行が不慣れなダンスを終えてホッと一息入れ、
椅子に座りうっすらかいた汗をぬぐっているところに、
スッと近づいてきたものがいた
「馬蹄羅の御曹司。どなたかお探しなのかな?
不慣れなうえに周りをきょろきょろ見ているようでは、
ダンスもサマにならんでしょうな」
その皮肉な口調にややムッとしてエルが顔を上げると、
そこに探していたオナニウスの顔があった
「探し物はこの顔、ですかな?」「…グレゴリウス=オナニウス」
「いかにも」
傲然とした態度でオナニウスはエルを見下ろした
「サル山のサルの子が私を探している、と小耳に挟んだものでな
何の用かと思って本日はわざわざこの舞踏会に出向いてまいった次第」
「我らがそのほうを探していることをなぜ知った?」
「ウイーンはハプスブルク帝国の都であるとともに、
我がオナニー教団の本拠地でもある。その地で雌ぎつねが…」と沙羅を見下ろし
「その地で雌ぎつねが、
うろちょろとワシの噂を嗅ぎまわっておれば、
イヤでも我が耳に入り申す」
「・・・・」
「お目当ては黄金猟奇仮面、ですかな?」
「そこまで知っているか。ならば、教えてもらいたい。黄金猟奇仮面の行方はいずこか?」
「教えたとしてワシは何を見返りに頂戴できるのかな?」
「何がほしい?」「ふふふふ…」
オナニウスはいかにも『私が悪役です』という感じの、不気味な笑いを浮かべた
「そうさな。では、御曹司の首でも頂戴いたそうか」
(つづき)
その瞬間、空気が凍った
エルとオナニウスの間にピンと緊張の糸が張られ、両者は相手の眼を睨み合った
ドイツ語がわかる沙羅は言うまでもないが、独語は不得手な安万侶と阿礼も、
両者の間に漂う異様な殺気はすぐ感じ取れたため、息を呑んで見守っていた
その緊張を断ち切ったのは、オナニウスだった
「おおい!ハプスブルク家の方々。ここにあなた方の家の鬼子がおるぞ!」
優雅な舞踏会の場には真にふさわしくない胴間声だったが、
その声のデカさは出席者たちを振り返らせるには十分だった
オナニウスの無礼さに眉をひそめながらも、
出席者たちの視線はオナニウスとエルたち一行の元におのずと集まった
「ご披露いたす。
ここにいるこの(と言って、オナニウスはエルを指し示した)黄色人こそ、あなた方の家の恥。
今は亡きヨハン殿が東洋の女子に生ませた鬼子でござる。」
それまで華やかにざわめいていたシェーンブルン宮殿の大広間が、シンと静まり返った
出席者は誰一人口を利かず、ただ黙ってオナニウスとエルの二人を見つめている
その沈黙の中、エルは静かに立ち上がった
「私は母から父の名は聞いていない。
ただ、我が父はハプスブルク=ロートリンゲンの血に連なるものである、とのみ聞いている
それゆえ、我が父の名がヨハンなのかどうか、それは知らぬ。
しかしそのことを置いても何ゆえ私が『ハプスブルク家の恥』なのか?
その点は納得できぬ」
(つづき)
「知れたこと。
ヨーロッパの王侯貴族の中でも名家中の名家ハプスブルク・ロートリンゲンの血統に
こともあろうにタタールの血が混じったしまったのだぞ。それがおまえだ、源のエル。
このことをハプスブルクの恥辱と言わずして何と言うのかw」
「ハプスブルクロートリンゲンが欧州屈指の名族であることは私も承知している
しかし私も、末は馬蹄羅の当主になるべきものとして汚き真似だけはすなと、
母から、あるいは今ココに居る守役や乳母からも教えられ、育ってきたもの。
それなりの矜持はこの胸の内にある。
肌の色だけで御家の恥と言われるのは合点できんな」
「タタールの矜持など、なんのことやある。サル山のサルに誇りがあると言うかww」
「両者、静まれ」
不意に後ろから声がかかった。
その声は激しくもなく、むしろ弱々しいしわがれ声であったが、
その声を聞くやその場にいたものはみな胸に手を当て頭をたれた
今まで喚いていたオナニウスですら、その一声に押し黙った
人々が遠のき道が開かれ一人の老人が二人の元にやってきた
その老人こそ、
フランツヨーゼフ・ベネディクト・アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。
ハプスブルク家の現当主にして、オーストリア大公にして、ハンガリアの国王。
すなわち、ハプスブルク帝国の「皇帝」であった
(つづき)
老皇帝は辞儀をするオナニウスを軽くシカとして、エルのほうに目を向けた
「そなた、名はなんと申す?」
「源のエル…いや。私の名は、源エルンスト・ハプスブルク=ロートリンゲン」
見守る人々の間から、声にならないどよめきが湧き上がった
彼らはグレゴリウスオナニウスほどには有色人種に対する侮蔑をあらわにはしていない
しかしやはり白系コーカソイド上流階級に属するもののサガとして
意識の中にモンゴロイドに対する差別意識があることは否めない。
モンゴロイドとしては端正な顔立ちとはいえ、肌の色が黄色いこの若者が
自らの名を「ハプスブルク=ロートリンゲン」と名乗ったことに、
彼らは衝撃を受けたのだ
「そなたの面差しにはヨハンの面影がある…」
老皇帝はつぶやくように言った
「もしそなたがヨハンの子であるのなら、そなたは余の孫と言うことになる。
しかしそうであったとてしも、以後、公の場でその名…
ハプスブルク・ロートリンゲンの名をそなたが名乗ることを禁ずる
このこと、ハプスブルク家の当主として、そなたに命ずる」
(つづき)
「そのわけをお尋ねしてもよろしいか?陛下」
「また知れたことを。タタールのおまえにハプスブルクの名を名乗る資格など、無いわ」
「オナニウス。そなたは黙っておれ」
横から口を挟んできたオナニウスを皇帝は軽く叱咤して退けた
「ヨハンは勘当した息子だ。…彼が東洋のおなごに恋したからじゃ。
しかしながら勘当したとは言え、ヨハンは、れっきとした息子。
ゆえにヨハン一代に限って、ハプスブルク=ロートリンゲンの名乗りは許した
だが、その卑属までが我が家名を名乗ることは許されぬ」
「陛下もまた、肌の色で人を差別するもののおひとりか?」
「そうではない。
ただ、我らハプスブルク家は戦争より婚姻により勢力を拡大してきた
婚姻こそが我が家にとっては最重要の戦略なのじゃ。
ハプスブルク家の誰がどこの家の誰と結婚するかは、
ハプスブルク家の当主であり、帝国の皇帝である余が決める
…ヨハンは余の言いつけにそむいた。ゆえに勘当したのじゃ」
(つづき)
「陛下が私にハプスブルク=ロートリンゲンを名乗るなと仰せられるなら、
以後その名乗りは慎みましょう。
我は馬蹄羅。そこのオナニウスが私のことを『タタール』と罵ろうとも、
私は馬蹄羅としての自らの出自に誇りをいだいておりますゆえ、
源エルンストだけで十分でござる」
「エルンストか…良き名じゃな」
皇帝はぼそっとつぶやいた。
そのときの彼の横顔は、さきほどまでの
一大帝国を支える皇帝の顔と言うよりも、
一人の孫を愛でるふつうの老人の顔のようにも思えた
「オナニウス。そなたはこの舞踏会の席で慎みを忘れ、場を乱した。
よって退席を命ずる。速やかにこの場から立ち去るよう」
オナニウスは唇をゆがめつつも皇帝に頭を下げ、
源エルに挑発的な一瞥をくれたものの、静かに退出していった
「陛下。我らもお暇つかまつる」
「そなたらは舞踏会を乱してはおらぬ。このままこの場にとどまっていてもよいのじゃぞ」
「有難きお言葉ではありますが、
我ら、自分磨きのためにかかる舞踏会に出席したわけではございません
オナニウスが去るならば、私どもに退席させていただきます」
【いにしえのこと】
「エル、ごめん。私のミスだ。
私のウイーンでの動きをオナニウスに察知され、
先手を取られてしまった…」
「気にするな。
舞踏会でのあの態度から見ても、
オナニウスのやつ、最初から我々に喧嘩を売るつもりだったようだ
あれでは事前に察知されなかったとしても、
黄金猟奇仮面の情報をオナニウスから得られたとは到底思えない」
舞踏会から戻ってすぐに謝罪する沙羅を、エルはそういって慰めた
「ありがとう。
…デモ言い訳するわけじゃなくて、少し腑に落ちない点もあるんだ」
「何が?」
「私がココウイーンでオナニウスの動きを探っているとき、
一言も『黄金猟奇仮面』なんて名を出してはいないんだ。
それなのに何故オナニウスは、
私たちが黄金猟奇仮面を追って、
ココウイーンにまで来たことを知っていたのだろう?」
「・・・・」
「あなたのことも『馬蹄羅の御曹司』と呼びかけたし、
ヨハンだっけ、その、あなた自身すら知らないあなたのお父さんの名も
知っているようだし…詳しすぎるんだよね」
「ココウイーンはオナニウスの本拠地だ。
各方面にわたって詳細な情報を把握していたとしても不思議ではないと思うが?」
「う〜ん。デモね、私もモッサの情報官だから一応情報戦のプロなわけで、
そのプロとしての眼で見ると、明らかにオナニウスは
私のウイーンでの動きからだけでなく、あらかじめべつに確固とした情報ルートを持っていて、
それから私たちの動きを把握していたように感じるのよね」
「オナニウスがあらかじめ我々の動きを知っていたということは…
たとえば、客家の情報屋のチンポサンが
我々に黄金猟奇仮面の情報を売ると同時に、オナニウスのほうには我々の情報を売っていたとか、
そういうことだろうか?」
「チンポサンに限らず華僑の連中はみんな抜け目ないやつばかりだけど、
それはちょっと考えにくい。
私たちをオナニウスに売ったらモッサを敵に回すことになる。
チンポサンからすれば危険すぎるし、割に合わない。
一応本部経由で確認はとってみるけど、その線はまず無いと思う」
「それにしても驚いたのは、あなた、お父さんの名を知らないんだね
・・あ。気に障ったらごめん」
「いや、べつに。
…私も幼いころ、そのことを多少気にかけていた時期もあったが、
今はべつになんとも思っていない。
自分は馬蹄羅として生きてきたし、これからもそうして生きていくつもりだ。
だから皇帝から、ハプスブルクの名乗りを許さない、と言われてもなんとも思わない」
「でもあなたのお母さんは馬蹄羅の宗家末裔、
お父さんは欧州の名門ハプスブルク家の連枝。
いわばサラブレッドみたいな血統なわけでしょ
それなのにお父さんのの名も知らないなんて・・・
おっちゃんやおばちゃんたちも知らないの?エルのお父さんのこと。」
【いにしえのこと、など】(書き直しと追記)
「それにしても驚いたのは、あなた、お父さんの名を知らないんだね
…あ。気に障ったようならごめん。この話はやめとく」
「いや、べつにかまわない。私も幼いころは、
そのことを多少気にかけていた時期もあったが、今はなんとも思っていない。
自分は馬蹄羅として生きてきたし、これからもそうして生きていくつもりだ。
だからさきほど皇帝から、ハプスブルクと名乗ることは許さないと言われたが
それも特になんとも思わないよ」
「それにしても…
お母さんは馬蹄羅の宗家末裔、 お父さんは欧州の名門ハプスブルク家の連枝。
サラブレッドみたいなバリバリ凄い血統のあなたが、
お父さんのの名も知らないなんて…
おっちゃんやおばちゃんも知らないの?エルのお父さんのこと。」
なにげなく話を振っただけのつもりだったが、
沙羅はふたりのの様子を見てはたと沈黙した。
「おっちゃんとおばちゃん」こと、安万侶と阿礼は、
何かを懸命に押し殺すかのように体をぶるぶると震わせていたからだ
しかしやがて安万侶のほうが口を開いた
「このことはお方様よりずっと口止めされて参ったことで
我ら夫婦、死ぬまで御曹司にはお話せず墓まで持っていくつもりでおりました
先ほどの舞踏会での御曹司とあの異国のものとの会話、
我らドイツ語には不案内にて定かにはわかりませんでしたが、
いま沙羅殿の話を聞くに御曹司もお父上の名を既に知られてしまったようで、
これ以上隠し立てしても詮方ございますまい
…いかにも、御曹司のお父上は
ヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲンと言われた御方にて、
ハプスブルクの現当主の六男に当たる方でございます」
「あらまあ六男とは…枯れてるように見えたけど、昔は結構スケベなジジイだったのね、あの皇帝陛下」
【太の安万侶、かく語りき】
我ら馬蹄羅も高貴なるものと称しておりますし、
また平素よりそれに見合うだけの義務を怠らず勤めているという自負も御座います
しかしながらやはりハプスブルク=ロートリンゲンのお家は、
我ら馬蹄羅とは桁違いのヨーロッパの大いなる王族。
そのお家のヨハン様と我らがお方様は、
いわば道ならぬ恋をしてしまったわけで御座います
ヨハン様は、そのご父君であられるフランツヨーゼフ・ベネディクト・
アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンさまのお怒りに触れ、
勘当のお身の上と相成りました
それでもお方様は
「我はヨハン殿と結婚したのであって、ハプスブルクの家と結婚したわけではない」
ヨハン殿がたとえ勘当され平民となろうとも、委細かまわず」と仰せられ、
御曹司をお生みになったのございます
しかしヨハン殿は
「このままではあまりにこの子が不憫。父上に申して勘当を解いていただく。
それが成らずともせめてハプスブルクロートリンゲンの名は名乗らせたい。
そのために一度ウイーンに戻り、父上を説諭の上、改めてここバッテラムらに戻ってまいる」
と仰せになって、
お一人でハプスブルクの都であるウイーン、いま私どもがおりますこのウイーンの地に
お戻りになっていったのでございます
・・その後、二十余年、何の音沙汰もなく今日に至っているしだいで御座います
(つづき)
「ねえ、それってさ。すっごく言いにくいんだけどさ・・・
もしかして、やりチンさんにやり逃げされちゃった、ってことじゃないの?」
沙羅のツッコミに安万侶は目を怒らせて
「いや決してそのようなことは…」と言いかけたが、
言葉の途中で力なく肩を落とした
「確かにそうであったのかも知れません。それゆえ、お方様と我ら夫婦は相談の上、
『この子はいずれ馬蹄羅の当主になる身。父がどうであれ、馬蹄羅として育てよう。
ヨハン殿の名は告げず、ただ父君はハプスブルクロートリンゲンの血を引くもの
であったとのみ、教えよう』と相決めた次第で御座います」
「ということはさ。また、さらに言いにくいんだけど・・・」
沙羅は気まずそうにいった
「そのバッテラ村にいたヨハンさんは、
実はフランツヨーゼフ・ベネディクト・ アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンの
六男でもなんでもなくて、口からでまかせでハプスブルク家の名を騙っていた
…という可能性は、無いの?」
(つづき)
「いや、沙羅殿。我らとてそこまでお人好しでは御座らぬ。
ヨハン殿がお方様とお付き合い始めた当初に、
その西洋人は身元いかなるものか?と思い、調べは入れており申す。
確かにハプスブルク家の六男のヨハン殿で御座った。ただ…」
「エルが生まれた後、父を説得すると言ってウイーンに出かけていき
そのまま音信普通になった、と。それで…」
「もうよい」
源エルは少し苛立たしげな口調で沙羅と太安万侶の会話をさえぎった
「我らがウイーンに来たのは、
黄金猟奇仮面を追い、失われた駅ファイルを回収するのが目的のはず。
私の父の身元調べに来たわけではあるまい。
皇帝も『たとえそなたが余の孫であったとしても、ハプスブルクを名乗ることは許さぬ』
と、言っていたではないか。
…私は馬蹄羅だ。もう、それでよい」
沙羅も太安万侶夫妻も押し黙り、少し気まずい空気がその場に流れた
沙羅はふと思い出しました、といった感じで
「情報がチンポさんから漏れたものかどうか、
念のため本部に連絡して確認してくるよ」と言って、離れた
エルと安万侶夫婦だけがその場に残ると、
いままで黙っていた阿礼が取り繕うようにエルに尋ねてきた
「御曹司。御曹司はこの地に着てよりこの方、
いつもなにやら小さな冊子を読んでいらっしゃいますが、
あれはいかなるゆえんのもので御座いますのか?」
「ああこれか。黄金猟奇仮面の手がかりになると申して、
エキサイトの公安調査室長が私にくれた『彷徨える婚活人』の日記だ。
最後のほうの余白部分にヨハンハプスブルクロートリンゲンという署名があってな、
それがそもそもこの事案を私が引き受けるきっかけともなったのだが、
いまとなっては…」
「ほほう、そんないわれのあるもので御座いましたか
…御曹司。お父上のこと、決して恨んでなりませぬ。
沙羅殿は先ほどあれやこれや申されましたが、
私は御曹司がまだお生まれになる前、バッテラ村に御曹司のお父上が住んでいらした頃より、
そのお人柄をよく存じ上げております。
決してやり逃げとか、そんなことをなさるかたではございません
バッテラ村に戻ってこれなかったのは何か事情があったので御座いますよ」
「オナニウスは『今は亡きヨハン』と言っていたな…
父は既に亡くなっているのであろう。
とすれば、この日記がさしづめ遺書代わりということになるのかも知れんが…」
「もし差し支えなくば、その日記、婆にも拝読させていただけませぬか?」
「拝読といっても…阿礼、そなたはドイツ語は読めんだろうが」
「いえいえ、御曹司の父上のドイツ語ならば、この婆にも読めますのじゃ」
「適当なことを言いおって」
源エルは苦笑しながら日記を稗田阿礼に手渡した
【罠】
「チンポサンが死んだ。…というか、殺された」
戻ってきた沙羅のその言葉に、
さすがの源エルも目を見張った
「殺された?」
「うん。本部からの情報では、
チンポサンは両目をえぐられ舌を抜かれ耳と鼻を削がれ
内臓をぶち撒かれティンティンを切り落とされた状態で息絶えていた、と」
「その殺し方は…」
絶句するエルに、沙羅はうなづいた
「そう。ファイヤーアイアンの手口ね」
「仲間割れの末の殺し合いかな?」
「いや、それはない。
いま本部に確認を取ったけれど、
やはりチンののルートから私たちの情報が漏れた形跡はなかった
殺しの動機は…報復かあるいは口封じか。そんなところだと思う」
「報復、口封じ…わからん」
「チンポサンは裏世界の情報屋だから恨みを買うことも多いし
黄金猟奇仮面に関する情報についても、
私たちに売った情報以上の何かを把握していたのかもしれない
凄惨な殺され方とそれらのことを考え合わせると、報復、或いは口封じ。
殺しの動機はそんなところだと思うの」
「そういえば『ヨハン』に関しても彼は何か知っていたな
あの時チンは、ヨハンについては何も訊かないことを条件として、
この情報を我々に売る、と言っていた。…この件は何か裏がありそうだな」
考え込む源エルに、そのとき傍らから声が掛けられた
「御曹司。…この日記は御曹司のお父上のものではございません」
(つづき)
声の主はアレだった
「何を言う?アレ、そなたドイツ語はわからんではないか」
「はい。確かに私はドイツ語は読めませぬ。しかし、ご署名が違います」
「…?」
「先ほども申しあげましたとおり、
私は御曹司がまだお生まれになる前、
バッテラ村に住んでいらした頃のヨハン様を存じ上げております
…ヨハン様は穏やかなお人柄で、またご聡明な方でもあり日本語もすぐに習得なさいまして、
当時お方様の近くにおりました私などにもよく声を掛けてくださいました
たださすがに日本語を話すことはできても書くほうは苦手であったようで
書面などをお書きになるときは、ドイツ語でかかれていらっしゃいました
書面をお書きになると、ヨハン様は必ず最後にご署名をされましたが、
そのご署名は『Johann H=L』というものでした
…いまこの日記の最後を拝見しますと、
『johan-habsburg-lothringen』と御座いますが、
御曹司のお父上のヨハン様はこのようなご署名の仕方は決してなさいませんでした」
「というと?」
「いつぞやのことか、私がヨハン様に
『このご署名の中のH=Lというのは、いかなる意味で御座いましょうや?』
と、お尋ねしたことがございまして、その際にヨハン様は
『我が家の家名、ハプスブルクロートリンゲンの略記ですよ。
ドイツ語だとhabsburg-lothringenと書くのですが、長ったらしいでしょ?
ですから私はもうずっと子供のころから簡潔にH=Lと署名しているのです』
と、仰ったのです」
(つづき)
「しかしそれだけで偽書とは…」
「もうひとつ、ございます。
ヨハン様の、まさにヨハンという、そのお名前の部分ですが
御曹司のお父上のヨハン様はJohannとお書きになります。
しかしこの日記のヨハンはJohanとなっております。Nがひとつ足りません。
…ご自分のお名前を書き損じるということが御座いましょうや?」
「・・・・」
「確かに私にはドイツ語は読めません。
が、御曹司はこの日記を何度も読み返されておりましたな?
どんな内容のことが書かれておりますのか?」
「それは、エキサイトがまだ帝国だった戦時中、
強制収容所に囚われた者の日々の記録だから、
毎日の抑圧された生活の苦しさとか、
当時強制収容所の所長だった黄金猟奇仮面の冷酷さなどが事細かに書かれているが」
「御曹司やお方様については何も書かれておりませんのか?」
「ああ。そういう記述は何もない」
「では間違いなくこの日記は、御曹司のお父上のものでは御座いません。
御曹司のお父上のヨハン様ならば、どんな苦境にあったとしても、
日記の中に御曹司やお方様のことを一言半句も記載しないなどと言うことは有り得ません。
…この日記は御曹司のお父上とは何の関係もない、
まったく別の御方が書いたもので御座います」
【襲撃】
「ちょっとその日記、私にも見せてくれる?」
そう言ってアレから受け渡された日記を
沙羅はパラパラとめくりながらしばらく凝視していたが、やがて顔を上げていった。
「この日記…中身を書いた人物と最後の署名をした人物は別人だね」
「別人?」
「うん。筆跡を上手く似せて書いているからエルにはわからないと思うけど
私はモッサの情報官だからね、偽造文書、偽の署名、そういう類のものには目が肥えてる
…あんまり自慢できることじゃないけどさ」
「・・・・」
「なんかいやな予感がする」沙羅は眉をひそめた
「私たちの情報の詳しすぎるオナニウス…ファイヤーアイアンに殺されたチンポサン…
そしてこの、偽作されたのでは?と思われる『ヨハン』の日記…」
「なにか大掛かりな罠だろうか?」「う〜ん…」
「御曹司。沙羅殿」
考え込む二人に窓際にいた安麿が声をかけてきた「どうやら、取り囲まれているようでございますぞ」
(つづき)
安麿は自然を装いつつ窓から離れ、ささやく様に言った
「あの窓から見える範囲だけで三人。
外からこの部屋の様子を伺っているものがおりまする。
おそらくは総勢で10人内外のものたちが、
この建物の正面や搦め手などに配置されておりましょう」
「オナニウスの手の者か…」
「まずそれに相違ないかと」
源エルが自らも確認しようと、窓際に近づいたそのとき。
「御曹司、危ない!」
婆のくせにどこにそんな瞬発力があったのかと思うほどのスピードで
日枝のアレが横っ飛びにエルに抱きつき、そのままエルを押し倒した
「何をするア…」
と言いかけて、エルはそのまま絶句した。
太くて長くてマアご立派な牛刀が、アレの背中に深々と刺さっていたからだ
「チッ…仕損じたわ」
その声の行方を追った源エルは、
天井の梁の一部を開けて
室内をのぞき見ている女の顔を見つけた。「おまえは…ファイヤーアイアン」
婚活娼婦にして元ジルの幹部。
かんぽの宿でエルを誘い、誘い損ねるや弁護士トムヤンに乗り換え
自らの快楽のためにそのトムヤンを殺し、而してまた、
情報屋チンポサンすらも殺害した、ジルの殺し屋。
暗号名は「火事鉄」。すなわちファイヤーアイアンの顔がそこにあった
(つづき)
「おのれ曲者」「…フン」
太刀を抜く安麿には目もくれず、火事鉄は姿を消した
天井裏をひたひたと駆け去っていく足音だけが聞こえた
火事鉄もプロの殺し屋である
おのれの技量とエルの武技を比較すれば、不意打ち以外ではエルは殺せない
最初の一撃をはずしたら逃げるに如かず。
…火事鉄らしい逃げ足の速さであった
「アレ、しっかりしろ…すまぬ。私の身代わりになって…」
「御曹司…な、何をおっしゃいますやら」
アレを抱きかかえつつ励ましかつ詫びる源エルに、
日枝のアレは必死で微笑んでみせた
「御曹司の身代わりになれるとは乳母冥利に尽きると言うもの。
…ほ、本望でございますよ」
「アレ!」「おばちゃん!」
安麿も沙羅もアレの許に駆け寄ったが、
そのときにはもうアレが目が見えなくなっていたようで、
ただ中空を見つめて独り語っていた
「私とうちのひとは子宝に恵まれませなんだ…それもあってか、
私ども夫婦、御曹司を我が子も同然と慈しんでまいりました
御曹司…立派な御当主になってくだされや…
…あんた、後は任せた…御曹司を宜しく頼んだよ…」
「わ、わかった」
「ふふふ…あの世でヨハン様にお会いしたら
どんな言い訳をしてくださるか、今から楽しみでございますよ。
お方様と御曹司を二十余年もほったらかして何処で何をしていらしたのやら…」
「・・・・」
kuu2200
【宗家誓言】
天もお聴きあれ。
我ら馬蹄羅、伝来の御旗御刀に誓いて、卑しき真似は致さず。
平時には雅を愛で、戦時には武をたて、命惜しまず名こそ尊し。
宗家は武士(もののふ)無くしては立たず、武士も宗家無ければ亦無し。
君臣一如、あたかもひとつの船に乗りたるが如し。
我とそなたら、生きるも死ぬも諸共ぞ。
勇めつわもの。奮えもののふ。黄泉路の果てまでも、いざ共に参らん
・・・・
火事鉄が遁走した後も、
グレゴリウスオナニウスが派遣した襲撃グループはまだ外で待機していた
ここが宮仕えの即席暗殺集団とプロの殺し屋の決定的に違うところで、
戦前から殺し屋としてまたジルの幹部として鳴らした火事鉄は、
戦局我に利あらずと判断してさっさと逃げてしまったのに、
彼らは
オナニウスからは「源エルを殺すまで戻ってくるな」と厳命され、
火事鉄からは「あんたたちは源エルの注意を外にひきつけるための陽動部隊。
私が仕留めるから、外で待機していなさい」と言われて、
火事鉄本人は逃げ去ったとも知らずに、そのまま律儀に待機していたのだった
そこに、馬蹄の音を隠そうともせず騎馬が三騎、姿を現した
言わずと知れた源のエル、大野安麿、西の沙羅の三人である
襲撃グループを無視してそのまま駆け抜けようとする彼らの前に、
一人の暗殺者が愚かにも立ちふさがったが、
三騎の先頭を走る安麿は気合の声すら出さず、無言の一振りでその者の脳天を叩き切った
そのあまりの凄まじい太刀技を見て
残りの者たちは声もあげられず、
ただ呆然と騎馬が駆け去っていくのを見送るしかなかった…
【宗家誓言】 (推敲結合)
天もお聴きあれ。
我ら馬蹄羅、伝来の御旗御刀に誓いて、卑しき真似は致さず。
平時には雅を愛で、戦時には武をたて、命惜しまず名こそ尊し。
宗家は武士(もののふ)無くしては立たず、武士も宗家無ければ亦無し。
君臣一如、あたかもひとつの船に乗りたるが如し。
我とそなたら、生きるも死ぬも諸共ぞ。
勇めつわもの。奮えもののふ。黄泉路の果てまでも、いざ共に参らん
・・・・
火事鉄が遁走した後も、
グレゴリウスオナニウスが派遣した襲撃グループはまだ外で待機していた
ここが宮仕えの素人暗殺集団とプロの殺し屋の決定的に違うところで、
戦前から殺し屋として、またジルの幹部として鳴らしてきた火事鉄は、
戦局我に利あらずと判断して、さっさと現場から逃げてしまったのに、
彼ら素人暗殺集団は、
オナニウスからは「源エルを殺すまで戻ってくるな」と命じられ、
火事鉄からは「あんたたちに源エルを殺すのは無理。仕留めるのはワタシ。
でも源エルの注意を外にひきつけるための陽動部隊の役割だけは果たしなさいね」
と言われて、
火事鉄本人が逃げ去ったとも知らずに、そのまま律儀にお外で待機していたのだった
そこに、馬蹄の音を隠そうともせず騎馬が三騎、姿を現した
言わずと知れた源のエル、大野安麿、西の沙羅の三人である
襲撃グループを無視してそのまま駆け抜けようとする彼らの前に、
一人の暗殺者が愚かにも立ちふさがったが、
三騎の先頭を走る安麿は気合の声すら出さず、無言の一振りでその者の脳天を叩き切った
そのあまりの凄まじい太刀技を見た残りの者たちは声もあげられず、
ただ呆然と三騎が駆け去っていくのを見送るしかなかった…
(つづき)
三騎はドナウ河畔沿いにしばらくウマを走らせていたが、
やがて道を左に折れウイーンの市街地を抜けて
緩やかな丘陵地帯に至ったところで、いったん駒を休めた
ココまで来ればオナニー城はもう目前である
…そう。彼らが目指していたのは
グレゴリウスオナニウスの居城、オナニー城であった
アレの死を見届けたとき、源エルは憤然として述べた
「私のためにアレを死なせてしまった。
かくなるうえは黄金猟奇仮面も駅ファイルもない。
アレの仇、火事鉄とその背後にいるグレゴリウスオナニウスを屠る」
「屠る?ほふるったってどうやって…」
「城攻めですな」安麿が我が意を得たりと言わんばかりにうなづいた
「城攻めって…この三人だけで?」
「われらに刺客を差し向けてきたオナニウスは、
自らが攻めているという意識の内にあるはず。
まさかそこでわれらが逆に自らの城に攻め込んでくるとは思っていまい。
攻めるならいまだ」
「そりゃ、誰も思ってないわよ。三人で城攻めなんて」
「沙羅は馬蹄羅ではない。また、アレの縁故でもない。…降りてもいいのだぞ」
「さよう。それがしはアレの夫であり、御曹司の守り役でもあったゆえ、
是も非もない。しかし、沙羅殿は参加せずともよい。」
「ったく。バカいってんじゃないわよ。
ここまできて降りられるわけないでしょ
ああやだやだ。これだから女心がわからない野郎どもはいやなんだ」
「では?」
「勿論一緒に行くわよ。こうなりゃ、やけくそだい」
(つづき)
オナニー城を目前に一息入れているとき、源はふと安麿に尋ねた
「それにしてもジイ。
そなたココウイーンは初めてのはずなのに、
よくオナニー城までの経路を存じておるな」
確かにホテルからココまで安麿はずっと先駆けを勤め、
エルと沙羅は安麿についていくだけで迷うこともなくココまでたどり着いていた
エルのその問いに、
安麿は答えようかどうしようかやや逡巡していたようだが、
やがて少し照れくさそうな顔で種明かしをした。
「ココウイーンに着いた初日、私とアレで外出しことがございましょう?」
「ああ。市内観光に行く、と申していたな」
「あれは市内観光ではなくて、
我らが泊まっているホテルからオナニウスの本拠地オナニー城までの道のりを、
アレと二人で確認しておったのござるよ。
…今回の御曹司の相手が城持ちと知り、
役に立つかどうかはわからないがこういうこともあるやも知れんと
アレと二人で話し合って、そのように致しました」
「…ジイ。おまえというやつは」
安麿とアレの忠勤ぶりに感極まって言葉を失う源エルを
安麿はやや手荒く叱咤激励した
「御曹司。感傷に浸っているときではございませんぞ。
敵の城は目前。たった三人だけとは言え、これはいくさ。
御曹司が御大将じゃ。もっとシャキッとしなされや」
【決戦】
こちらはオナニー城内のグレゴリウスオナニウスの居室。
オナニウスが愛読書の「正しいオナホールの使い方お楽しみ方」を
熟読しているところに、火事鉄が戻ってきた
「おお。意外と早かったな。…ん?源エルの首はどうした?」
「仕損じたのよ。エルの横にいた婆に邪魔されてね」
「仕損じ…おい。その一言で済むと思ってるのか。あれだけ人数もつけてやったのに」
「あんな殺人技術の基礎も体得してない連中、何人つけてもらったって意味ないわよ
まったく役立たずの木偶のボウばかり。
あんたも信者たちにオナニーの素晴らしさを説くばかりじゃなくて、
もうちょっと楽しい人の殺し方でも説いてあげたら、どう?」
「話をそらすな。
源エルをわれらの本拠地ココウイーンにまでおびき寄せておきながら
仕損じましたで済まされるか。黄金猟奇仮面にどう言い訳すればいいのだ」
「何よ二言目には黄金猟奇黄金猟奇って。
あんな身元を隠してこそこそしてるようなやつに気を遣う必要なんかないわ」
二人の痴話げんかが白熱してきた、そのとき。
爆音とも破壊音とも定かではないすさまじい轟音がとどろき
まるで地震ででもあるかのように城内がかすかに揺れた
「な、なんだ、今の音は?」
オナニウスと火事鉄が慌てて窓際に駆け寄って様子を見ると
そのとき再び轟音がとどろき、
それとともにオナニー城の城壁がガラガラと崩れ落ちていくさまが見られた
西野沙羅が城外から放ったロケットランチャーが二発、
物の見事に的中し、オナニー城の外壁を破壊したのだ。
崩れ落ちた城壁の間から二騎の騎馬が城内に踊りこんできた。
「源エル…」
オナニウスが歯軋りをしながらつぶやいた
(つづき)
「我らが目差す敵はオナニウスと火事鉄のみ!
無益な殺生は避けたきゆえに、
余の信者たちは抵抗せず速やかに城外に退去せよ!寄らば切る!」
源エルと大野安麿は、
そのように声高に叫びながら城内を巡っていったので
それを聞いて戦わずして城を落ちるものも少なくなかった
しかしやはり新興宗教の信者のうちには
盲目的な教祖の信奉者や完全に洗脳されている基地外信者も相当数おり、
そういうものたちはてんでに長刀、槍、鎖鎌、出刃包丁、フランパンなどを
手にしてエルと安麿に襲い掛かってきたので、
やむをえないこととは言え、エルと安麿も相手はせざるをえかった。
その間に沙羅は城内を駆け巡り、要所に時限起爆装置をセットして回っていた
ロケットランチャーの件からも推察できるとおり、
西の沙羅は諜報機関モッサの情報官であるとともに
火器兵器爆薬類その他取扱いの特A級国際ライセンス所有者でもあったのだ
(つづき)
ゾンビの群れのように次から次へと休みなく襲い掛かってくる
オナニー城の教徒たちと戦っていた源エルは、
不意に鋼で叩かれたような強い衝撃を顔面に受けて、思わず片膝をついた
「御曹司!」慌ててエルの許に駆け寄ろうとした安麿が、
続いて起きた銃撃音とともにうつぶせに倒れ付す
痛みをこらえつつエルが顔を上げると、そこには
鋼を寄り合わせた太くて長くてまあご立派な鞭を手にした火事鉄と、
硝煙まだ冷めやらぬマスケット銃を手にしたオナニウスの姿があった
「よし。きゃつらの動きは止まった。ものども、止めを刺せ!」
勝ち誇ったオナニウスの掛け声でオナニー教徒たちが源エルと大野安麿に飛びかかろうとしてそのとき
「うぉりゃああああ!!」と言う怒声とともに
城内の家具調度類食器ガラス工芸品などが、雨あられと教徒たちの頭上から降ってきた
城内に起爆装置を総てセットし終えた沙羅がようやく二人の援軍に駆けつけてきたのだ
「ちっ。クソ女が」
舌打ちしたオナニウスを傍らの火事鉄がじろっと横目で見た「…いや、おまえのことではない」
「城内に爆薬をセットしたぞ!命が惜しいものは速やかに外に逃れでろ!」
そこらにあるものを手当たりしだい教徒の頭上に投げ落としながら沙羅は喚いた
「ハッタリだ。おまえたち、なにをしている。
敵は深手を負っておるではないか!疾く止めを刺さぬか!」
と言いながらも、オナニウスはずるずると後ろに下がり、そのまま姿を消した
火事鉄もまた、オナニウスの後に従い走り去っていった
(つづき)
源エルは静かに立ち上がり、周りを囲んでいる教徒たちを睨みつけた
火事鉄の鋼の鞭で叩かれたエルの顔は肉が無残に削りとられ、
そこからあふれ出た鮮血が顔の半ばを紅く染めていた
その凄惨な顔でにらみつけられた教徒たちは、じりじりと後ずさりし、
やがて悲鳴を上げて逃げ去っていった
エルはうつ伏せに倒れた安麿を抱きかかえた。沙羅がそこに走り寄る。
安麿はまだ息があったが、
腹部が血で真っ赤に染まりすでに助からぬ身であることは明らかだった
「…お、御曹司。お役に立てず申し訳ない」
「何を言うかジイ。そなたとアレがいなければ、
ココまで連中を追い詰めることはできなんだ。これはそなたらの手柄ぞ」
「追い詰めたとて、取り逃がしては元の木阿弥…いかなる理由かは存ぜぬが、
あやつら御曹司のお命に固執しており申す…ココでけりをつけなされ。逃がしてはなりませぬ」
「されど…」
「…沙羅殿。爆薬をセットされた由、真にござるか?」
「ええ。ハッタリじゃないわよ。城丸ごとつぶせるぐらいの爆薬がセットしてある」
「では…その点火ボタンをそれがしに下され。
沙羅殿は御曹司とともに城から脱出してあやつらを追いなされ」
(つづき)
「ジイ、それはできぬわ。そなたをココに置いては行けぬぞ」
「何を女々しきことを。…御曹司。御曹司はをのこで御座る
をのこは勝負に出ねばならぬときがあるので御座る。いまがそのとき。
情に流されてその勝負時を見誤ってはなりませぬ」
「なれど…」
「私はもうどうせ助からぬ。
アレも先に逝って待っておりますゆえ、寂しゅうは御座らぬ。
…沙羅殿、点火装置をこちらに」
「…」
「ええい、じれったい、早うしなされ!」
「ジイ…」
ホーエンツォレルンの悲劇
(つづき)
オナニウスと火事鉄が騎乗して城外に逃れでてから程なく
轟然とした爆音が立て続けに城のほうから聞かれた
振り返れば、先ほどまでふたりが居たオナニー城が、
あちこちから火柱を上げガラガラと崩れ落ちていくではないか
「やはりハッタリではなかったのか。くそ。あの雌ぎつねめ…」
オナニウスが忌々しげにつぶやいたそのとき、
燃えさかる城を背にして猛然と二人に迫ってくる騎馬の姿が見えた
炎を背景にしているため騎手の容姿は定かではなかったが、それが誰かと言うことは明らかだった
二人は慌ててウマに鞭をくれ逃げ切ろうと図ったが、
その追っ手の騎馬はたちまち両者との距離をつめてきた
「ぐぇ…」
火事鉄が口から血を吹いて背中をのけぞらせた
追いついた源エルが右腰に差し替えていた虎御前を利き腕一本で抜き放ち、
火事鉄の背を袈裟切りにしたのだ
へその緒まで切り裂かれた火事鉄は落馬し、そのまま息絶えた
到底振り切れぬと判断してオナニウスはウマを返したものの、
銃の装填をするだけの余裕もなく、やむなく剣を抜き放った
しかしそのときには既に源エルは目前まで来ていたため完全な受け太刀となっていた
勝負はもうその時点でついていた
馬速を落とすことなく迫ってきた源エルはオナニウスの振り上げた剣を一閃で跳ね飛ばすや、
返し刀を逆袈裟にオナニウスの首筋に叩き込んだのだ
オナニウスの首は、皮一枚だけ残してまだかろうじて胴体とつながっていたが、
その腕は既に力を失い手綱から離れ、体は暫しふらふらと鞍上で前後に揺れた後、
鞍上から滑り落ちていった
源エルが火事鉄に追いついてからオナニウスをしとめるまで、
わずか10秒程度。まさに瞬殺であった
(つづき)
(噂には聞いていたが…これが馬蹄羅の馬上剣…)
沙羅はその凄まじさに言葉を失った
「我が声よ、黄泉まで届け!ジイ!アレ!聞こえるか!
そなたらの仇はこの源エルが討ち果たしたぞ!」
顔を鮮血で染めながら源エルは馬上で吼えた
沙羅の目には、そのエルの姿は一匹の美しい獣のようにも見えた
【決着】
「おう、御曹司か…ん?その顔の傷はどうした?大丈夫なのか?」
「命に別状はない」
ココはエキサイト連邦公安調査室。
黄金猟奇仮面の追跡と喪われた駅ファイル回収を委託されたあの日以来、
久しぶりに源エルは公安調査室長のイーヅカマン太郎と向き合っていた。
「そうか。そこで、今日わざわざここに来たのは?何か収穫があったのかね」
「喪われた駅ファイルはまだ見つかっていない
…しかし、黄金猟奇仮面は見つけた」
「ほう。それはそれは…で、いま彼女は何処に居る?」
「ココに居る」
源エルはそう言って目の前に居る人物を指差した。「イーヅカマン太郎。おまえが黄金猟奇仮面だ」
(つづき)
「は?何を言っている?その顔の傷を負ったときについでに頭も打ったか?
とりあえず脳病院にいけ。なんなら、いい医者も紹介してやる」
「客家の頭領チンポサンを口封じのために殺したのは、やりすぎだったな」
万太郎のツッコミを無視して、エルは淡々と話を進めた
「チンポサンの口さえ封じれば真実を隠蔽できると思ったのだろうが、
彼は裏の情報屋として自分が殺されたときに備え、
把握している情報一式を息子であるチンポクン(陳歩訓)に引き継いでいたのだよ。
歩訓が教えてくれたのだ。
黄金猟奇仮面は女ではなく男だということ。そして…
私の父、ヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲンを殺した人物が、
他ならぬその黄金猟奇仮面であると言うことを、な」
「な、何を言う。お前に渡した日記にも黄金猟奇仮面のことが書いてあるだろう。
そこには黄金猟奇仮面のことが『冷酷な女収容所長』として書かれてあるはず」
「チンポクンはもうひとつ重要な情報をわれわれに教えてくれた」
源エルは『私』と言わず、『われわれ』と言った。
そのときの彼の脳裏には沙羅だけでなく、
死んでいった安麿やアレの顔も浮かんでいたに違いない
「黄金猟奇仮面には女装趣味があったのだ。
女装して囚人をいたぶるのが戦前強制収容所の所長をしていたころの
黄金猟奇仮面の趣味だった、と」
「…」
「強制収容所跡地から、その女装しているおまえを女と誤認した元囚人の日記を
偶然見つけたときに、おまえは思いついたのだ。私を罠にはめることを、な」
「何を言うか。
その日記には最後にヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲン、と署名がされているではないか。
おまえは自分の父親が書いた日記の内容を疑うのか」
「自ら墓穴を掘ったな」「なに?」
「おまえは私にこの日記を渡すときになんと言った?
『この日記の、ヨハンなる人物が君といかなる関わりがあるのかは、私にもわからない
しかしハプスブルク=ロートリンゲンというからには、君と無関係であるはずもない』
そう言ったはず。そのおまえがなぜ、
ヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲンが私の父であると知っている?」
「・・・・」
「私の興味を惹きつけ、この仕事を請けさせるために
日記の末尾にヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲンの偽署名を
後から追記したのもおまえのミスだった
生前の父を知っていた私の乳母がまずその署名を偽と見抜き、
モッサの情報官が実際にその偽署名を書いたやつを探し出してくれたよ
ドイツ語の筆跡を似せてかけるやつは裏の世界でもそう多くは居ないからね
…そいつが吐いたよ。依頼主はエキサイト連邦の公安調査室長イーヅカマン太郎だ、とね」
「・・・・」
「さきほど、喪われた駅ファイルは結局見つからなかったといったが、
それも早晩見つかるのではないかな?たとえば…そのパソコンの中から、とか」
そういって源エルは万太郎の机上にあるノートブックを指し示した
「モッサの沙羅が崩れ落ちたオナニー城の瓦礫の下から、
オナニウスのネット通信記録を拾い出してくれたよ
頻繁にやり取りしていたようだな、ココ公安調査室と」
そのとき、
エキサイト連邦の制服を身にまとった公安関係者が
ドサドサッと室内に流れ込んできた。
それをみた万太郎はホッとしたように彼らに命じた
「この源エルを逮捕せよ。罪名は…国家反逆罪だ」
しかし駅の公安関係者は誰一人としてその万太郎の言葉に動かなかった
「無駄だよ」源エルは静かに言った
「今回の狂言で、おまえは馬蹄羅のみならずモッサも敵に回した。
殺されたチンポサンのあとを継いだチンポクンも客家を挙げて支援している
またおまえが戦時中にに殺害したわが父…ヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲンの最後については
モッサ経由でハプスブルク=ロートリンゲン家の現当主、
フランツヨーゼフ・ベネディクト・アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンまで
報告が行っている。
馬蹄羅、モッサ、客家、ハプスブルク=ロートリンゲン。
これだけの勢力を敵に回しては大国エキサイトといえどもひとたまりもない。
一介の高級官僚に過ぎぬおまえを擁護する気など、さらさらない、と言うことだ」
「イーヅカマン太郎こと、黄金猟奇仮面。
殺人、国家反逆、情報漏えい、その他もろもろの罪状により、おまえを逮捕する」
室内に入ってきたエキサイト連邦の公安関係者が、万太郎にそう宣告した
(つづき)
「…私を殺したほうがよくないか?」
しばしの沈黙の後、万太郎が穏やかな口調でエルに尋ねた
「私は君の父の仇だ。
君の腕なら、今ここで私を殺すこともたやすいことだろう
たとえ駅の公安関係者が何人いようとも、だ」
「連邦政府の司法にゆだねるよ」源エルも静かに応じた
「ただし君自身が、逮捕の恥辱を受けるくらいならこの場で自決する、
と言うなら看取ってもよい」
「自決…それは無いな」万太郎は唇をゆがめて声を立てずに笑った
「初めて会ったときにも言っただろう。君と私とは育ちが違うのだよ」
万太郎は静かに立ち上がり、
周囲を駅の公安関係者に囲まれて部屋から出て行った。
【エピローグ】
源エルが公安調査庁の建物から出ると、そこには沙羅が待っていた
「…終わった?」「ああ」「…そっか」
そのまま二人は無言でしばらく肩を並べて歩いた
道行く人の中には、
エルの顔に刻まれた深い傷痕を見て避けて通るものもいたが、
沙羅にとってはそんなことはなんでもないことだった
「ねえ」「ん?」「また一緒にワルツを踊らない?」「?」
「へへへ…」沙羅はいたずらっぽく笑って、
一通の手紙をエルに差し出した「こういうものが着てんだけどな」
その手紙は、
ハプスブルク家の当主にして、帝国の皇帝である
フランツヨーゼフ・ベネディクト・アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン
からの私信で、今回の事件解決に関する謝辞と
源エルにハプスブルク=ロートリンゲンを名乗ることを認める、
と言う言葉が書き連ねてあり、最後に
『もし都合よろしければ、ご内儀とともに再びウイーンに来られよ。
歓迎の舞踏会など催す意向あり』
とかかれてあった。
「…ご内儀?」
首をひねりつつ源エルが宛名のところを見ると、そこには
『我が孫、源エルンスト・ハプスブルク=ロートリンゲン
および、その妻の沙羅殿に宛てて』
と記載されていた
「おい。これはいったい…」
「へへへ…。
ハプスブルク家の当主にして、ハプスブルク帝国の皇帝であって、あなたのおじいちゃんでもある
フランツヨーゼフ・ベネディクト・アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンちゃんが
公文書で私のことを妻、と認めちゃってるんだから、いくら馬蹄羅の御曹司といえども、
これをひっくり返すことはできないよ」
「・・・・」
「知ってる?こういうのを昔の言葉では『押しかけ女房』って言うんだよ」
当惑するエルを尻目に、沙羅はワルツのステップを踏んでみせた
「さあ、ウイーン、ウイーんっと」
そんな二人を黄昏の婚活世界が生暖かく見守っていた
馬蹄羅物語外伝「双頭の鷲たち」 完
馬蹄羅物語外伝「双頭のワシたち」に登場した主な人々
【源のエル】
正式名は源エルンスト・ハプスブルク=ロートリンゲン。通称「馬蹄羅の御曹司」
【西の沙羅】
独立系諜報機関「モッサ」の情報官
【大野安麿】
源エルの幼いころの守役
【日枝のアレ】
源エルの幼いころの乳母。安麿の妻。
【イーヅカ萬太郎】
エキサイト連邦政府公安調査室長
【ファイヤー・アイアン】
暗号名「火事鉄」。元ジルの幹部にして殺し屋。
【グレゴリウス・オナニウス】
元ジルの幹部にして、新興宗教オナニー教の教祖。
【チン・ポサン】
客家の頭領にして、裏世界の情報屋
【フランツヨーゼフ・ベネディクト・アウグストゥ酢・ミヒャエル・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン】
オーストリアハプスブルク家の当主にして、ハプスブルク帝国の皇帝
【その他チョイ役、または名前だけの人々。およびテーマ曲等】
黄金猟奇仮面、弁護士トムヤン、ヨハン・ハプスブルク=ロートリンゲン、チン・ポクン。
Unter dem Doppeladler「双頭の鷲の旗の下に」
http://www.youtube.com/watch?v=4AwIWi6r0p4 An der schonen Blauen Donau「美しき碧きドナウ」
http://www.youtube.com/watch?v=7ze547PCy9M
ホーエンツォレルンの悲劇再び
kuu2244
アッサリ第三帝国
磔天魔王。生死婆。誠心家の勘違い玲子。
歌舞伎役者六千万の丞。典医三輪美濃守。
新巻き鮭衛門とその娘鱈子と筋子。歳の左近。etc…
このお話は、馬蹄羅の物語の第一話の、
冒頭部のみにちょこっとだけ出てまいりました歳の左近様が
まだずっとお若かったころのお話で御座いますので、
それはもう、たいそうな昔のお話で御座います
あるとき、左近様は御宗家様の御使いとして、
馬蹄羅の里より出で都にやってまいりました
都での御用の向きも無事に済み、
さてこのまま里に帰るのは些か興もなし、
御宗家や里のものたちに土産話のひとつでも持ち帰らんとお思いになった左近様は
なんぞ面白きものなどあらんかと都の大路をゆるゆると散策いたしておりました
そんな左近様のお目に留まったのが、
「歌舞伎興行、六千万之丞一座」なる幟で御座います
みれば幟の周りにはババアデブスブスブサイクといった、
都ではなかなか見られぬ醜女どもが群がっております
(嗚呼なるほど。これがかねてよりうわさに聞いていた
婚活醜女たちに絶大な人気を誇る歌舞伎役者、六千万之丞の興行であるか)
と、左近様も合点なさいました。
六千万之丞はその美貌と優雅な演技で、
当時やふー帝国の都で婚活醜女たちの人気を独占していたので御座います