もう一言補足しとくか・・。
【今】、(【日本で】)『輪廻』と言った時イメージされるのは、
残念ながら「君の言う『仏教的輪廻』」じゃない。
『神霊的・オカルト的理屈での輪廻』だ。『縁起による輪廻』ではない。
つまり、『輪廻』を信じることでは一緒でも、その内容が違う。
一見、最初のハードルを越えているように見えるが、そうではない。
寧ろ反仏教的なものだったりもする。
結局、【輪廻を信じていようがいまいが】【縁起から入らなければならない】ということだ。
(宝珠や一在家が好例だw)
私は、《ここへ言葉を見つけられないから「輪廻」に触れない》、という面もある
ということをついでに告白しておこうw