/ ̄ ̄ ヽ,
/ ',
{0} /¨`ヽ {0}, しばらくはこちらが本スレかも〜
.l///トェェェイ///',
ノ `ー'′ ',
て、ごめんなさい。今頃ようやくで。
いやね、なんか私も規制を長いことくらっているんですよ・・・・・・
壁|・) コソーリ・・・
壁|
皆様こんばんわ。
規制解除祈願カキコ。
>>3 あら、東夷さんも規制ですか……ともあれ、お久しぶりですw
>>4 こんばんわですw
東夷さんは大体何時頃来られますかね?
今度またあれこれお話がしたいので、よろしくですw
眠れん……orz
>>6 こんばんわ。
ところであっちのスレはいかがいたしましょうか? このまま放っておくとDAT落ちしそうですが。
っと、去ってしまわれたか……仕方ない、また今度にしよう。
眠気が来たのでお休みなさいZzz
記念カキコ
>>7 あ、この時間にいらっしゃるとはw
そうですね、向こうは保守してくださるとありがたいですが、
どうするかはみなさんにお任せしますw
こんばんわです〜。
誰もいないかなw
いや、自宅で仕事の書類書いているところです・・・・・・
>>13 おー、お久しぶりです。
そしてお疲れ様ですw
色々とお話したかったのですが、またお仕事落ち着いた頃にしますねw
>>17 おひさです。話すネタもないので、あまりレスはしてませんが、チラチラは見てますよー
>>18 おー、ありがとうございますw いつでもどうぞw
規制解除される気配がまだぜんぜんないというw
こんばんわです。なかなか書き込まなくても落ちないもんですねえ、ここw
こんばわ。規制解除されて、本スレに戻れるといいですねー
真紅さんのスレ、3年もやってるんだな…
まあ、待つしかないですけどねw
三年か〜もうそんなになるんですねえ。
3年たっても、身の回り、なんにも変わってないな…
3年前…センター試験会場でレスしてたのが懐かしすw
なんか来週あたりにようやく解除されるという噂がw
おめでとん
ありがとうございますw
そしてまた規制発動というw
残念w
詳しいことは分からないけど、政治コピペで大規模規制みたいですね
>>31 しばらくはこんな感じが続きそうですねえ。
困ったもんですよw
ちょっとそれに、東夷さんに茶道の話しで
聞きたい事があったんですけど、今はおられないかなあ。
>>33 あいあい、帰省したんで規制から逃れられました。
>>34 おお、こんばんわw
ちょうど色々お伺いしたいことがあったんですよ。
いいタイミングで見てよかったなw
>>34 実は先月に、母と川越にいってあちらの陶芸店を
のぞいんたんですね。そこでどうせなら、何か地元というか
近い地域で作陶している窯はないかと色々探したりしたんですよ。
>>36 川越の窯場は聞きませんねえ。
関東だと益子と笠間が有名ですが、
地方で電気窯を使って焼いている人も沢山いますよ。
ちなみに、そこの川越の陶芸店は皇室の方も
何度も訪れているようで、なかなか品揃えも
よかったんですね。ただ、湯のみでいいものがないかと
見たんですが、私好みのはあまりなくて。
そこで家に戻ってから、また調べましたね。
東京で何か「焼き物」というのはないのかとか、地元で
知られた陶芸家の方はいないかなとか、そんな感じですけど。
そうしたら多摩地域に近いところだと「飯能焼」というのがあると
知りまして、早速ちょい飯能までいってきました。飯能といっても
山一つをはさんで青梅ですからね。意外と親しみがあるのでいいかなと。
>>37 そこは陶器の展示販売をやっている、
問屋さんのような感じでしたね。埼玉で
作陶してる方の作品も何点かありました。
>>38 多摩界隈だと、以前に人間国宝の三浦小平次先生なんかが窯を持ってましたね。
飯能焼は名前だけ聞いたことがあります。
>>40 なるほど、今度調べてみます。
青梅はもともと芸術家が多いんですよね。
あそこ河合玉堂や吉川英治が生活をしていたり、
昔から多摩の文化的な中心地域だったので
人が集まりやすいんだそうですよ。
と、私がいったのは「飯能窯」という窯元さんです。
もともと「飯能焼」というのは茶器とかそういったものではなくて、
日用雑貨が主流だったそうなんですね。ですから民芸調というんですかね。
垢抜けてない野暮ったさがあるんですね。白い釉薬で陶器の表面に彩色を
施すのが特徴だそうです。
ただ、その飯能焼の大家の方も、得意分野は青い釉薬基調にした焼き物で
そちらで評価されているそうですから、飯能焼の陶工とは純粋には違うのかも知れませんが。
ちなみにこの方ですね。
ttp://keikakukikou.com/network/works/torazawa/
>>41 う〜ん、抹茶碗としては少しヤボったいかも。
食器の方が使いやすそうですね。
>>42 ええ、食器のがいい感じですよね。
よくいえば土っぽいというんでしょうか。
もともとの飯能焼は釉薬が灰色だったそうですから、
おそらく当時からあまり評価は高くなったと思います。
一応私も「飯能の土を使い、当時の釉薬を復元した」という
湯飲みを買ってきたんですけれども、評判がいまいちでw
年寄りくさいといわれましたねえ。
それで、次に地元の陶工の方を探したんですよ。飯能まで
いかなくても、調べてみたら何人か市内に陶芸をやっている
方がおられるようなので。
そうしたら何人かおられたんですが、そのうちの一人は
もう陶芸教室だけで、作品の展示も販売もしていない方で、
いってみたのですが無駄足になってしまいました。
で、もう一人織部や志野を焼かれている陶芸家の方で、
こちらはかなり有名な方なんですが、おられまして、
ほとんど飛び込みでお願いしてみたんですね。色々お話を
お伺いでませんかと。
>>44 私も一度、好きな陶芸家さんとお話したことがありますけど、
あの時は少し幻滅したかも。
あれいらい、あの方の作品もだんだん魅力を感じなくなりました。
茶碗一つで50万円くらいする、わりと有名な方なんですけどねえ。
て、なんだかえらく前置きが長くなってしまい、すみませんw
それでお会いできたのですが、すごく丁寧で親切な方で
色々と作品を見せてくださり解説までしてくださったんですよ。
それで陶芸というか、自分の作品に対する考え方とか、今の
陶芸の世界はどうだとか、そういう話をたくさん聞かせていただきました。
それからしばらく日本文化に興味がありながら、どうもそちらの方に
あまり目を向けていなかった自分に気がついて勉強しようと思ったんですね。
>>45 それはショックですねえ……。
作品と作者の人間性は別物といっても、
なかなか切り離せるものではありませんから、仕方ないと思います。
>>46-47 ん〜、私の専門領域の話なんですが、
陶芸家さんたちの日本文化観って、かなりアブナイものが多いように思うんですよね。
戦後になって再構築された造形理念を無条件で信じ込んでしまっていて、
桃山陶芸をわりと一面的にしか見ていなかったり、
柳宗悦の理論に振り回されていたりとか。
>>48 なるほど……わかる部分はありますねえ。
なんていうのか、一種の厳しい側面をまるで継承していない、
という感じは、これは陶芸の世界だけでなく色々と感じますから。
どうもある側面を極端に美化する反面で、それと共にあった
人間的なドロドロした部分や、ある種の達観を捨ててしまっている気がしますね。
昔の高僧で大地震にあってたくさん人が死んだとき、心配して手紙を出してきた
人に「人間、死ぬときはしにますから」みたいなあっけらかんとしたものを返した人がいたとか。
そういうえ部分はまったくといっていいほどないんですよねえ、今。
>>49 前に知り合いがやった研究で、
志野茶碗の破片を師匠としながらその造形美を再現したという、
まあ、非常に有名な作家さんの茶碗をCTスキャンにかけてみたんだそうなんですよ。
そしたら、本物の志野茶碗と違って無駄に厚みがあって、本物の再現には程遠かったというわけなんですよ。
でまあ、その作家を称賛する言説に目を曇らされていたんじゃあないかと、そういう皮肉を感じたわけなんですけどね。
戦後の日本文化論には、いろんな陥穽が潜んでいるんでしょうねえ。
>>50 思い込みというか、そういう部分が強いんでしょうね。
きっとこういうものであったろうとか、そうだったに違いない、みたいな。
だから正直な話し、あまりにも日本の過去の一面を持ち上がるのも
好きではないんですよね。人間が生きていた歴史がそんなに綺麗な
わけがない。これはどこでも同じですけれども。
私が訪ねた先生は、人間的にとてもいい方でしたねえ。まだ焼き物の
いい悪いはさっぱりわかりませんが、これが機会になればいいと思います。
それで焼き物を勉強しようと思ったんですが、戦前の茶人さんで小野賢一郎、
という方は東夷さんご存知じゃありませんかね?
>>52 なんだか「やきもの鑑定読本」とかいう
本を色々書いているんですよ。これが
なかなか面白いんですけども、その中で
野々村仁清と金森宗和のことに触れた
部分があったんですが、ただ陶芸の歴史だけでは
なくて、茶人との交流から当時の文化を知りたいと
私も思ったんですね。
それで、金森宗和とかその系統については私も
まだわからないので、東夷さんならご存知ではないかと思いまして。
>>53 すみません、少し外してました。
宗和は千家流の宿敵のような流派ですね。
千家の三代目を乞食宗旦、
対する宗和を姫宗和と呼んでいて、
華やかかつ力強い茶風の流派です。
今は、金沢が中心部のようです。
なんだか、こちらの話ばかり一方的に
してしまいすみません。宗和はあまり伝記などもないんですよね……。
>>54 なるほど。確かに千家とは系統が
まるで違うようですねえ。それと、今
私が気になっているのはその宗和の
系統の中に公家さんが多いらしいことなんですよ。
千家が比較的に武家や商家のイメージがあるのに
対して、こちらは公家が多かったのかな、なだと思ってみたり。
>>55 宗和を取り上げた本が少ないんですよね。
寛永期の京都を考える上では重要な茶人なんですが、
宗和を取り上げると千家流のアイデンティティーが揺らいだりするところがあって、
千家系の出版物では無視されがちかもしれません。
>>57 探したんですが、小説だけなんですよねえ。
それもどうも書いているのが、史実だけを書くタイプの方ではないので。
やはり千家との関係というのがあるんですねえ……。
しかし、金森家というと、信長の家臣では比較的に地味な中堅どころ、
というイメージがあるんですが、茶道の世界ではなかなか侮れないようですね。
>>56 まあ、千家にも公家との接点はあったはずですし、
そこいら辺はわりと複雑なんですけどね。
ただ、江戸時代までは京都の茶家の筆頭は西本願寺に仕えている藪内家で、
千家は今考えられているほど中心的だったわけではないんですよ。
金森家の動向についての研究は見たことないんですが、
金沢を中心に活動していたのかもしれません。
>>59 藪内ですか。それも調べてみます。
金森家はもともと、飛騨高山を領有していたですが、
宗和は嫡男だったのに勘当されたらしいんですよね。
茶人と陶工の関係で、東夷さんがとくに興味深い、と
思われる方は誰かいますか?
>>58 仁清風の京焼は、本来は金森宗和が茶の湯に持ち込んだもので、
対する千宗旦は宗和の茶風を嫌悪していたんですよね。
その千家の系統が、今や京焼ばっかり使っている有様なんですよ。
まあ、宗旦が仁清に茶碗を焼かせたらしい記録もあるんですが、
おそらくは絵入りのものではなかったでしょうね。
そんなこんなで、宗和を取り上げると、
今の千家流の茶風が利休や宗旦の美意識から外れていることが明らかとなってしまったりするんですw
>>61 なるほど、本来の千家の好みから段々と洗練された
ものになったことが、返って宗和の評価を難しくしているんですね。
こういうのって、どこの世界でもあるんですねえ、やはりw
>>60 一番重要なのは、もちろん利休と楽長次郎ですが、
あとは古田織部と薩摩焼、三井高棟と永楽保全とかですかね。
>>62 洗練というか、千家流は本来、装飾のないシンプルなものを使う流派なんですよ。
それが何時の間にやら、全流派の中で一番派手だと言われている始末ですから・・・・・・
>>63 ほむ。それも調べてみますね。ありがとうございます。
>>64 なんとも皮肉な話しですねえ、それはw
仏教でもそういえば、もともと声明念仏をやり始めたのは
大念仏宗の良忍(天台宗の影響下)だったのが、法然、親鸞が
有名になったために極めて評価が低いという……そんなもんでしょうかねえ。
そうそう、宗和なんですが、気になっているのが「御所流」という茶道との関係なんですね。
慈胤法親王が宗和と相当に結びつきが深かったそうなので。
>>66 訂正、谷先生じゃなくて谷端昭夫先生でしたorz
>>68 「ありませんでした。」です(´・ω・‘)
>>69 あらw 失礼しましたw
「茶人鷹司輔信」という本ですw
これと楽焼の陶工を歴代にまとめた研究書があるんですが、
どちらかは欲しいですねえ。また読む本がたくさんたまりそうですw
>>71 楽焼系は新しい本を探した方がいいですよ、
戦後になって新史料が沢山みつかってますから。
祖先も帰化した朝鮮人だったのが、
現在では釉薬の特徴から中国人であったというのが定説に切り替わりました。
ちなみに、井伏鱒二さんなんかは相当に陶芸も
やられていたみたいですねえ。西荻窪に井伏さんの行き着け
だった古本屋さんがあるんですが、ここの店主がもう
昔の商人みたいに色々と知っているんですよ。まだ若いんですけどね。
いわゆる商人気質というやつですか。
>>73 なるほど、そういう発見もあるものなんですねえ。
芸術もきちんと科学的な分析や研究が不可欠ということですか。
ちなみにそれは「樂陶工伝 日本陶工列伝」という本でした。
これも先ほどの小野賢一郎、という方が書いているんですが、
なかなかしっかりしてることを書いている人なのでいいかなと。
俳句もやっていたそうなんですが、俳壇ではプロレタリア俳句を弾圧した
黒幕だったとか、色々いわれているそうですがねえ。
>>75 この件は専門家の間では定着しているんですが、
一般にはあまり伝わらないでしょうねえ、
なにせ韓国の反感が想定されますからw
>>76 あの国はどうも、自国起源に拘りますからねえw
朝鮮茶碗だけでいいと思うんですけど、どうも貪欲なようで。
そういえばその「やきもの鑑定読本」の中に、朝鮮の焼き物に
日本の茶人が色々注文していたような話が出てるんですよね。
それが向こうの焼き物にも影響を与えたとか。
このあたりもあちらではタブーなんでしょうかね。
>>77 ええ、江戸時代にも小堀遠州なんかが倭館を通じて注文してますよ。
でもこれは「朝鮮人陶工を根こそぎ連れ去って誇らしいウリナラの陶芸文化を破壊したニダ」に抵触するんで無視されがちですw
>>78 つか、明らかに陶器焼いていたんですよねえ、あの後もw
しかしそれを認めてしまうと自分達で陶芸を衰退させたことを
認めざるを得ないことになるわけで、矛盾してるんですよねえ、やはりw
>>78 はっきり言って、白磁と染付までの技術しかもっていなかった李朝と、
色絵と金襴手、そして青磁まで焼いていた日本では、
江戸時代に技術レベルでどうしようもない差が開いていましたからね。
ノムヒョンが青磁をヒデヨシが根絶させたとか言っていましたが、
あれも自国の文化史をろくに勉強していない証左でしたしw
>>80 結局日本の方が交流が上手かったんですよね。
中国からもいいものを取り入れて、帰化人も受け入れ、
それをさらに日本風に変えていったわけですから。
どうもこの日本風に変えた、という部分があまり評価されないんですよね。
例え帰化人であっても、日本にもともとあった陶芸や、風土的な影響はうけるんですが。
>>81 朝鮮人は、文化が異質なものとの交わりで変化をしていく、という過程を無視しがちなんですよね。
紀元前から変わらないウリナラ文化が存在する、なんて幻想を持つように。
まあ、朝鮮の文化って、唐文化を劣化させながらも維持してきたという面があるんで、
そこは興味深いんですが。
>>82 日本と比べなければいいんですよね、あそこw
そうそう、今ちょうどその「薩摩焼」の項目を見ていたんですが、
いわゆる「古薩摩」という分野は織部もそうなんですが、島津義弘が
かなり入れ込んでたいたようなんですね。ただ、あまりもう現存してないそうです。
それと琉球からの影響がかなりあったのではないかと。琉球は南蛮の影響も
受けていたので、実はかなり面白いものが残っているそうです。
個人的な考えなんですが、桃山文化から江戸文化までを
通しての琉球の影響というのはかなりあったのではないかという気がするんですよ。
あそこも実は文化交流は海外と盛んだったようですからねえ。
>>83 古薩摩の贋作の話なんかも聞きますね。
薩摩だけは、織部が制作を支持した消息が見つかっているんですが。
琉球焼には、南蛮に近いものがありますが、
やはり何か関係があるんでしょうねえ。
>>84 琉球経由で持ち込まれた物は多いでしょうね。
ただ、島津が支配するまで仏教寺院が無かったり、
日本刀を王家の宝刀にしていたりと、
調べると色々不思議な点もあるんですが。
>>85 いうなら海洋国家ですからねえ、琉球は。
琉球が日本に編入される過程でも、実は琉球側は
比較的に冷静にそれを受け入れてるんですよね。
西の清と、東の日本と、そのどちらに組み入れられるのが
自分たちのためになるのかと。あのあたりの判断ができるのが、
さすがに長い歴史をもっている地域だなと思います。
>>86 やはり文化の系統が違うんでしょうかねえ。
もともと神話なんかにしても、日本とはかなり違うようですし。
清国に送られていた留学生(学者、政治家)のことなんかも、
文化史的に見るとかなり興味深い気がするんですけどね。
私はあのあたりの、種子島、屋久島、琉球のあたりはもともと
南洋文化という特殊な地域だったと思うんですよ。それが次第に
島津氏に取り込まれていったというのが近代史の流れなのではないかと。
>>88 沖縄県民が、いまだに「やまと」という呼び方を使っているのも重要ですよね。
>>89 まあ、「本土人」っていうのは困るんですけどねw
関西も関東も一緒にされると「え〜?」と思ってしまうというw
でもまあ、あれ早い話が「県外」って意味なんでしょうけどね。
いやあ、なんか色々とお話聞いてもらいまして、ありがとうございました。
自分なりにももう少し色々調べてみますよ。これからは美術館なんかも
見るようにしたいですねえw 今までそちらはいまいち感心がなかったのでw
>>90 あいあい。
では、職場から正月休みの宿題をもらっているんで、
原稿書きに戻ります。
>>91 はい、それではまた〜。
今度こちらの何かあったときの連絡場所とか、連絡場所とかお教えしますね。
age
94 :
Classical名無しさん:10/01/15 19:06 ID:NFalRqH6
sage
うーん、規制多いなあw
本スレ落ちちゃった
97 :
Classical名無しさん:10/01/21 15:03 ID:CRpswmA.
規制のあおりを受けたんだね
こんばんわ、お久しぶりですw
なんか荒らしが原因みたいですねえ、あれ
そういえば最近スレタテ荒らしが発生してたな
そして私はまた規制w
101 :
Classical名無しさん:10/01/31 09:06 ID:rib6UZ0c
規制解除祈願
なんとか解除されたかもw
103 :
Classical名無しさん:10/02/05 06:51 ID:vQYBDoHM
規制ばかりじゃ寂れるな
ですねえ。そしてまた規制だw
105 :
Classical名無しさん:10/02/25 21:29 ID:CJwR8ANo
2ちゃんねるオワタ\(^o^)/
106 :
Classical名無しさん:10/03/04 09:37 ID:avlZ/VBI
韓国人の陰謀
>>1 つうかよ、百済のも中国の呉から伝わったものだろうに、
それを無視してなんで起源だのと言い始めるわけだ?
あと、法隆寺の伎楽面のコピーにしても出来が悪すぎ。
109 :
Classical名無しさん:10/03/16 21:29 ID:DtkPYSZc
保守
どもですw
111 :
Classical名無しさん:
ほしゅ