哲学的思考とは何か

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1Classical名無しさん
哲学的に考えるってどういうことですか?
イデオロギーって何ですか?
本を読んでても話がどこかに飛んでしまうので
まったくもって理解不能です。
だれか教えてください。
2Classical名無しさん:09/02/13 02:35 ID:QrxTiCkc
私は最近、スコラ哲学に関心があるので
NHK出版とかNTTが本出してたら、誰か紹介してください。
URLのリンクでもいいです。詳しいホームページへ誘導してください。
3Classical名無しさん:09/02/13 03:12 ID:TqCQ.PYY
難しく考えるってことじゃないかな
4Classical名無しさん:09/02/13 06:30 ID:7ZGN5Sl6
>>1
取り敢えず、
デカルト「方法序説」や「哲学原理」でも読んだら・・・
5Classical名無しさん:09/02/13 20:52 ID:oxVf2G4k
Wikipediaとかのホームページにスコラ哲学の紹介はあるんですが、
ただ歴史とか主要人物を紹介するだけで、スコラ哲学の教えの詳細は
載っていません。スコラ哲学の教えの実際とはどのようなものなのか
具体的に、わかるページを教えてください。
6Classical名無しさん:09/02/13 20:53 ID:oxVf2G4k
>>4
読むのは面倒なので、手っ取り早く、あなたが教えてください。
7Classical名無しさん:09/02/15 22:01 ID:I8KkNYt6
簡単な事象を難しい言い回しで表現することが哲学だ
8Classical名無しさん:09/02/22 01:47 ID:GJwe1pyw
>>7
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすれば

テロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを
構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。

いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、
普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムの
モダニズム的出発点だ。

エピステーメー的に論考すれば
リングイスティックターン以降の日常的言語学派における
アフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体は
サイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。
9Classical名無しさん:09/02/22 17:53 ID:cInsc1n.
>>8の言ってる事が
正しいのか誤ってるのかデタラメなのか判らない・・・
10Classical名無しさん:09/02/22 22:53 ID:o95Xg532
>>8
いまどきヘーゲル的歴史観というのは、
それこそ社会的に構築された創られた伝統であって、
ジェンダー・ポリティクスの批判対象になるべきものだ。
簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティが、
エポケーされた異化作用の階層的な二項対立の形而上学こそがジェンダーベリフィケーション。
サバルタンは語ることができないというのはこれを意味する。

このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点が、
拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換される。
つまりゲオルグ・カントールが予言して、
ゲーデルの不完全性定理で見事に証明されたということだ。

あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的なナラトロジーでもいいが、
>>8のディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な部分が、
エクリチュールの過程で無残にも前景化されている。
そういったことがディコンストラクション(脱構築)の射程に入るのは懐疑の余地がない。
ポストコロニアルな政治のレトリックだ。
クィンティリアヌスでも読んで出直して来い。
11Classical名無しさん:09/03/10 11:39 ID:/WGlPjOI
眠いな
12Classical名無しさん:09/03/10 14:18 ID:72QYvT/o
13Classical名無しさん:09/03/10 14:18 ID:72QYvT/o
14Classical名無しさん:09/03/10 14:18 ID:72QYvT/o
15Classical名無しさん