刑部絃子の人生は、今のところおおむね順調だ。
少々の問題はありながらも、可愛い教え子たちのいるやりがいある職場。
やや性格に難はあるものの、信頼出来る同僚。
一人暮らしにしてはいささか広すぎるとさえ言える自分の城。
彼女を彩るそんな事柄を見れば、なるほど確かに順調である。
ただしそれは『おおむね』であって――
「あのお店、おいしかったんですけど、なんだか物足りないんですよね」
「……葉子、その酒癖はいい加減直した方がいいと思うぞ」
「なに言ってるんですか。まだまだ大丈夫ですよ」
そんな彼女――笹倉葉子が提げたビニール袋の中では、かこんかこんと缶ビールが音を立てている。
「君の場合、どれだけ飲んでも大丈夫なのが問題なんだよ……」
どのみち言うだけ無駄とは思っていたが、あらためて絃子は嘆息。それでも、同僚にして後輩、なにより
親友たる彼女の嬉しそうな顔を見るのは嫌いではなく、自宅で飲み直すことを了承したのもまた絃子自身で
あるわけなのだが。
まあ明日は休みだからいいか、そんなことを考えながら最後の角を曲がり、マンションの入り口、そして
『それ』が視界に入ると同時。
「うわあ」
およそ日常的に出るはずもない、情けない声が彼女の口からもれていた。
「絃子さん?」
「……あー、悪い葉子。今ちょっと用事を思い出してね、悪いんだけどまた今度に出来ないかな」
「こんな時間に用事ですか……?」
突然のことにきょとんとする葉子に、火急の用なんだ、となんとも言えない表情で告げる。その様子は
ただならないとさえ言える。
「はあ、仕方ないですね。それじゃまた今度、ちゃんと覚えてて下さいね」
「すまないね。分かったよ、君との約束を破るとろくなことにならないし、な」
冗談めかした絃子の言葉に小さく笑みを見せてから、手を振ってその場を去っていく葉子。その足音と
ビール缶の立てる音、それが聞こえなくなるのを確認してから大きく溜息をつく絃子。