24 :
Classical名無しさん:
そろそろコートが必要かという季節。あまりに気の早いクリスマスツリーが、駅前の広場に現れ
た。道行く人々の口にも、聖なる日を誰と祝うか、そんな話題が上っている。
その声を聞くとはなしに聞きながら、少女は一人、壁にもたれかかっていた。
短い黒髪に、細く鋭い目、凛と結ばれた唇。細身のパンツとベアトップ、そしてブーツを黒一色
で統一した彼女は、どこかシャープな雰囲気を身にまとっている。そして、首元に光る銀のネック
レスと、上から羽織ったベージュのサファリシャツが、彼女の中に潜む艶を引き出していた。
もっともその全てを、彼女が手に持ち読みふける漫画の単行本がぶち壊していた。ミステリアス
は消え去り、ただアンバランスだけが残る。
それはどこか背徳感の漂う組み合わせ。だがそのギャップがまた、魅力になっているのだけれど。
通り過ぎる男達の視線を浴びながら、しかし少女――――高野晶は眉一つ動かさない。
黙々と読み続ける彼女に声をかけようとする猛者もいなくはなかったが、その全てを晶は、一瞥
だけで撃退してきた。
三人目のナンパ男が肩を落として去っていった後、彼女は小さく溜息を付いて、腕時計を見る。
待ち合わせの時間は、十分前。もっとも晶には、彼女がこれぐらい遅れるだろうことは予測済み
だったのだが。
そろそろ、かな。
心の中で呟くと同時に、近付いてくる金髪を、人ごみの中に晶は見つけた。
脱色したのでは出せない艶と美しさを持つ髪は、その主である彼女の自慢だ。光がその一筋一筋
に絡みつき、綺羅綺羅と輝いている。
「遅いよ、愛理」
「私のせいじゃないわよ。ここまで来るのに、何人にナンパされたことか」
親友の答えに、晶はわずかに肩をすくめた。彼女の姿を見て、それもそうだろうな、と考える。
白のシャツは胸元を大胆に開けて谷間を覗かせ、タイトなデニムの膝より少し下の丈のスカート
に入ったスリットは、その艶かしい白の太ももを惜しげもなく衆目に晒している。
友人達の前ではどうであれ、彼女の容姿と外面がどれだけ男をたやすく魅了するかを知らない晶
でもない。だから彼女は、それ以上、つっこむことはしなかった。
「それじゃ行こうか」
「OK……でも晶、その漫画?」
「これ?面白いよ。貸してあげようか?」
「いい。もう読んだから」
晶が差し出したハリマ☆ハリオの新作単行本を、愛理は受け取らなかった。
If...baby pink
「こういう時って、どういうものを持って行ったらいいのかしら?」
「さぁ。普通に、果物の詰め合わせでいいんじゃないの?」
「バスケットに入ってるやつ?まあ確かに、今はその方がいいかもね」
駅前のデパートで適当に見繕った物を持った二人が向かったのは、矢神市で一番に大きい総合病
院だった。
受付で名前を出して病室を聞き出し、二人は目的の彼女がいるその部屋の前で立ち止まった。
四人部屋なので無用とは知りつつ、愛理は一応、扉を軽くノックしてから中に入った。
「どうぞー――――って、おう、沢近に高野じゃねぇか」
ベッドに横になったまま、雑誌に目を通していた彼女は、訪れた友人達を笑顔で迎えいれた。
「はーい、元気?美琴」
「その後、どうかしら、美琴さん」
「ハハッ、元気なもんよ。私も、こいつもね」
快活に笑った後、愛おしそうに美琴は、大きくなったお腹を撫でながら言う。
新しい命を、彼女は自らの胎内に宿しているのだ。
「そう、良かった。はい、これ」
「おう、サンキュな」
バスケットに入った果物を手渡された美琴は、それを枕元のチェストの上に置く。
「もうそろそろだっけ?予定日は」
「ああ、まあな」
晶の問いかけに、美琴は照れ臭そうに頷いた。
「ねえ、触ってみてもいい?」
「ああ、いいよ」
承諾を得て、愛理はおそるおそる、マタニティドレスの上から美琴の大きくなったお腹に手を触
れる。
「あ……動いた」
「わかるだろ?まだお腹の中なのに元気いっぱいみたいでさ、よく蹴られてるんだ」
ひとしきり笑った後、美琴はもう一度、お腹を撫でる。
「不思議なもんだよな。私の中に、もう一人いるんだぜ?生まれてくるのを待ってる、命がよ」
ほんと、不思議だよな。言って微笑む美琴の横顔に、愛理は見惚れる。
同い年の少女、だが彼女はすでに、母の顔をしていたのだった。
「元気いっぱいなのは、両親の血を継いでる証だね」
「ハハ、ま、確かにそうかもな」
「それよりも美琴、アンタ、また胸が大きくなった?」
「あ、わかるか?妊娠すると二つカップが上がるって、本当だったんだな」
今日は体調が良く、部屋の中にずっといるのは息が詰まる、という美琴が言い、彼女達は看護師
の了解をとって、ラウンジに移った。窓の外には、病院の庭が広がっている。
二人に両側から支えられながら、美琴はお手製の座布団を敷いてから、椅子に腰を下ろす。彼女
を挟んで、向かい合うように座る愛理と晶。
「それにしても」
美琴の顔と、お腹を交互に眺めながら、若干、呆れた口調で愛理が口を開いた。
「……まさか、美琴が一番初めにゴールインするとは思わなかったわ」
「またその話かよ。勘弁してくれ」
言いながら手を振るが、その顔はまんざらでもなさそうだ。それがわかっているから、愛理は何
度もその話題に触れてしまう。
「しょうがないわ。それだけ私達が驚いたってことだもの」
「――――ま、正直、私も驚いたんだけどな」
三人はそれぞれに思い出す。
この場にいない天満を加えた四人で行った卒業旅行。
そこで美琴以外の三人は、彼女の口から、聞かされたのだ。
あの話を。
「なぁ、皆。ちょっと聞いてくれねぇか」
温泉を堪能し、浴衣に着替えた三人を前に、美琴は居住まいを正す。
「どうしたの、美琴ちゃん」
今日一日、楽しい旅行だというのに、どこか上の空だった美琴を心配していた天満が、いち早く
反応する。髪を梳かしていた愛理と、壁にもたれかかって漫画を読んでいた晶も、彼女の方に顔を
向けた。
「何よ、美琴。改まって。隠し事してるのはわかってるんだから、ちゃっちゃと言っちゃいなさい」
愛理の促す声に、美琴は一度、大きく深呼吸してから、言ったのだ。
「実は、私、結婚することになったんだ」
『――――ええーーーーーーっ』
沈黙の後、二人の叫び声が室内に反響した。晶はただ一人、
「そう」
と言って、片眉を上げただけだった。もっとも、それで十分、彼女にとっては驚きを表したこと
になるのだろうが。
「美琴ちゃん、本当!?」
「何時!?何時、結婚すんのよ!?」
「ちょ、ちょっと待てよ、お前ら。ゆっくり話すから。頼むから落ち着いてくれ」
鼻息も荒く詰め寄る天満と愛理を、美琴は手を振って制する。頬を桜色に染めた彼女の必死の言
葉に、二人はようやくに落ち着いた。しかしその目は、じっと美琴をとらえて離さない。
「話の前に、一つだけ、聞いていい?」
「何だよ、高野?」
「……何ヶ月なの?」
冷静沈着な少女の一言の意味は、ただ一人、渦中の少女にだけ伝わったようだった。カッ、とこ
れまで以上に顔を真っ赤にして、美琴は答える。
「も、もうすぐ二ヶ月――――けど、何でわかったんだ?」
「あら、本当にそうだったの?カマをかけてみただけなんだけど」
肩をすくめる晶に、絶句する美琴。
もっとも後で彼女は晶の、身持ちの固そうな美琴さんが結婚するなんてそれぐらいしか理由が考
えられなかった、という言葉に大いに納得したのだが。
「二ヶ月――――って?」
「――――!!本当にそうなの!?」
わからないままの天満に対し、愛理は二人の様子からそれと知って、再び美琴に迫る。思わずの
けぞりながら彼女は、ああ、と頷いた。
「ねぇねぇ、何のこと?」
「ほんっっっっと、鈍いわね、天満は」
心底、呆れたという表情で言い放った後、愛理は美琴のお腹を指差して言った。
「赤ちゃんよ、赤ちゃんっ!!妊娠したって言ってんのよっ!!」
「――――ええーーーーーっ」
本日二度目、隣室から苦情が来るかもしれないほどの大声で、天満が叫ぶ。
「赤ちゃんって、あの赤ちゃん!?美琴ちゃん、お母さんになるってこと!?」
「あ、ああ。そういう……ことになるかな」
「正直、何て言われるかわかんなかったから、さ。これでも、勇気が言ったんだぜ?」
口々に祝福され、おめでとうと抱きしめられて、涙腺を崩壊させた美琴がやっと落ち着いた後、
彼女はふっと、三人に向けてそう言った。
期せず、微笑を交し合う少女達。そして天満が、代表して思いを言葉にする。
「美琴ちゃんが選んだことだもの。幸せになれるよう、応援するよ?」
「――――サンキュな、皆」
鼻をかく美琴の目がまた潤み出すのを見て、少女達はクスクスと笑う。照れ臭そうに笑い返しな
がら、ふと美琴は疑問を口にした。
「あのさ。そういえば、誰が父親とか聞かれてねぇんだけど……興味ない?」
思わず顔を見合わせた三人は、さも当然というように、
「花井君でしょ?美琴ちゃんの彼氏……っていうか、旦那さんになる人」
「何、気付いてないとでも思ってたの?ほんと美琴って、隠し事が下手なのね」
「まあそう言わないであげようよ。美琴さんだって、必死だったんだったから」
「あう……バレバレでしたか」
そして四月に入ってすぐ、大学が始まる前に、二人は入籍し、ささやかな結婚式を挙げた。
当然、三人も招かれて列席している。場所はサラがボランティア活動をしている教会。
「美琴ちゃんって、神前式が似合うと思ってたんだけど」
「内祝いを道場で、家族と門下生の人達としたらしいよ。で、その時は、ずっと昔から二人を知っ
てる古参の一人が、呉服屋さん――――ほら、あの交差点のところにある店の若旦那さん。その人
が二人の紋付袴と白無垢が見たいってことで、着させられたらしいよ」
「へぇ。じゃあ、後で写真を見せてもらわないとね」
ひそひそと話す声を遮るように、サラが弾くオルガンの荘厳な音色が響いた。
牧師の前に立つ花井が見つめる中、扉が開き、新婦が父の腕をとりながら、静々とバージンロー
ドを進む。
「美琴ちゃん、綺麗……」
うっとりと囁く天満の言葉に、愛理と晶、そして同じように招かれていた八雲は頷いた。
無垢の白のドレスは、わずかに膨らみ始めたお腹が目立たないデザイン。式前に控え室を訪れた
時とはまた違う美しさなのは、美琴の顔に浮かぶ想いのせいか。
ベール越しに真っ直ぐ、伴侶となる男の目を見つめる少女の心には、積み重ねられてきた思い出
が過ぎっていた。紆余曲折を越えて、ここにたどり着くまでに通った道を。
それは彼女の隣に立つ父も同じなのだろう。笑顔を浮かべる目の端に、きらりと光る涙。
ゆっくりと近づいてくる彼女を、花井もじっと見つめ返す。その背筋はピンと伸び、顔には何一
つの迷いもない
父の手から、愛する男の手へ。美琴が彼の前に立った時、新婦の父が一言、何事かを囁いた。緊
張にか、表情の硬かった花井はその声に、力強く頷いて見せる。
微笑む父、そして美琴はチークの入った頬をより一層に桜色に染めてうつむいた。
「あなたは、神の教えに従い、きよい家庭をつくり、夫としての分を果たし、常にあなたの妻を愛
し、敬い、慰め、助けて、死が二人を分かつまで健やかなときも、病むときも、順境にも、逆境に
も、常に真実で、愛情に満ち、あなたの妻に対して堅く節操を守ることを誓約しますか」
「誓います」
静寂の中に響く、彼の声はとても凛々しいものだった。
「――――誓います」
次に、自らに向けられた牧師の言葉に、美琴もまた、はっきりと答える。
そして向かい合った二人は、誓いの言葉を述べ、指輪を交換し――――
花井がベールを上げる。はにかみながら微笑む美琴が、顔をわずかに上げ――――目を閉じた。
重なる、二人の唇。
それは瞬間、だが永遠のように長く。
二人の影が離れた時、美琴は薄い化粧が崩れるのも構わず、ボロボロと泣いていた。
その涙の一滴一滴の輝きを、天満達は何にも代えられない素晴らしいものだと思ったのだった。
「ね、ね。美琴ちゃん。ブーケ、私達の方に投げてよね?」
「はいはい、わかったよ」
式の前の約束どおり、美琴が投げた花束は弧を描いて、天満達の方へと飛んできた。
少女達が伸ばす手をすり抜けて、ブーケは一人の少女の胸元へと吸い込まれる。
「え……」
「あー、八雲、いいなぁー」
思ってもいなかった出来事、そして周囲の女性達の羨望の眼差しにおろおろする八雲は、
「姉さん、これ……」
手に持ったそれを姉に渡そうとしたが、天満は受け取らなかった。
「ダメだよ、八雲。それは八雲が幸せになるって神様のお告げなんだから」
「うん……わかった」
愛理はその時、見たように思った。
嬉しそうに振る舞い、ブーケを胸に抱きしめた彼女の横顔に悲しみと、男の面影が浮かんだのを。