「あの結婚式から、もう半年以上か――――早いね」
晶の独白に二人は頷き、それぞれに物思いにふける。
暖房のよくきいた室内、だが外では時折、風が吹きすさび、落ちた葉を舞い上げては去っていく。
どこか感傷的なその光景を、少女達はぼんやりと見つめていた。
「で――――旦那さんは、どうしてるの?」
やがて沈黙を最初に破ったのは、晶だった。
「ああ、大学行ってるよ――――っていうか、行かせた。ほっといたら、トイレにまで付いてくる
からな、あいつ」
まったく、と口にしながら彼女は、嬉しそうだ。
「ほんとなら、まだ入院する必要ないんだし」
そりゃ大学には行けないけどさ、と続ける美琴。彼女は大学の後期を休学している。
「あいつが、何があるかわかんないし、早めに入院しとけって言うもんだから」
「はいはい、のろけをどうも」
「バ、バカ、そういうつもりじゃ――――」
結婚して半年以上経つというのに、まだウブなままの美琴の様子に、愛理と晶は微笑みを交わす。
例え妻になろうと、そして母になろうと、彼女は高校時代と変わっていないのだと安堵して。
「でさ、赤ちゃん、男の子なの、女の子なの?」
「調べてないんだ。私もあいつも、生まれた時に知りたいからさ」
「ふうん――――ま、アンタ達らしいわね」
「花井君の御両親とは上手くやってるの?」
「そりゃもう。昔から知らない仲じゃないしな。すごく優しくしてもらってるよ」
「幼馴染って、そういうとこがいいわよね」
しばらく、三人は世間話で盛り上がる。愛理や晶にとって、誰よりも早く結婚した彼女の言葉は
興味深いものだったし、美琴は身重な体であまり外に出られないので、二人から外の様子や彼女達
の大学での出来事、クラスメイト達のその後の話を楽しく聞いていた。
「そういえば……」
ふと、思い出した。そんな風に晶が話し出した時、彼女の目は美琴を向いていた。
しかしその意識がこちらに向いているように感じて、愛理は眉をひそめたまま、黙ったまま待つ。
「八雲と播磨君、縒りを戻したらしいよ」
「……へぇ」
そう言った美琴の顔はわずかに強張っていた。そして、愛理の顔も、また同じように。
「……誰が言ってたの?」
落ち着き払った声を、愛理は何とか装った。もっとも、美琴の心は完全に晶の方へと向いていた
から、気付くことなどなかっただろうけれど。
「天満。この前、播磨君が家に来たんだって」
語りながら、晶の視線は一瞬、愛理へと飛んだ。気付きながら、彼女はそれを黙殺し、テーブル
の上で湯気を上げる、紙コップの中の紅茶を飲む。
「――――そっか」
美琴は言って、大きく一つ、息を吐いた。
それが二人の注意を引いたことに気付いて、美琴は苦い笑いを顔に浮かべながら、少しだけ伸び
た髪に手をやって、軽くかく。
「あー――――ま、時々、心配になってたんだよ」
苦労しながら、美琴は椅子に座り直そうとする。手を貸そうと立ち上がりかけた二人を手で制し、
彼女は姿勢を正した。
「あいつが、もしかしたら今でも、その――――あの子のこと、好きなんじゃないか、って思うこ
ともあって、よ」
お前らも見てたろ、あいつのバカっぷり。言って笑う美琴、だがその顔に浮かぶは、隠し切れな
い切なさ。
あいつ、それが花井のことを指していることぐらい、二人にはすぐにわかる。
「正直、播磨があの子と別れたって聞いた時、焦ったりもしたんだけどな――――私とあの子じゃ、
どう見たって向こうの勝ちだろ?」
初めて彼女が口にしたあの頃の話を、愛理と晶はただ黙って聞いていた。
実のところ美琴は、花井との間に何があったのかを、誰にも話そうとしなかった。
愛理も、二人が付き合っていることには薄々と勘付いていたのだが、正確にいつからそんな関係
になったのか、どうしてそうなったのかは知らなかった。
だからこそ、一足飛びに結婚を決めた二人に驚きを隠せずにいられなかったのだが。
一度、四人が結婚式の前に集まった時に、愛理がそれとなく遠まわしに尋ねたことがあった。
「――――テンパってたんだよ、私」
それまで楽しそうに笑っていた美琴が一転、苦しそうな顔を見せてうつむいた。その影の深さに
息を飲んだことを、彼女は忘れられずにいる。
「悪ぃ。まだ、ちょっと――――いつか、話せる日が来たら、話すよ」
何とか笑顔を見せる彼女に、愛理は何も言えず、ただ頷いた。
「そんなことないよ。花井君は、美琴さんを捨てたりしないでしょ」
「…………ま、私だって、そうは思ってんだけどな」
晶の言葉に、美琴はまた笑う。
あの、一人で抱えた心の痛みを押し殺しながらの笑顔を。
それでも、往時に比べれば、影が薄くなっていることが救いであったが。
言ったっきり黙ったままの彼女を見て、まだその日は来ていないことを、愛理は知る。
「はいはい、結局、ノロケなんじゃない。新婚さんは熱いわね〜」
「な、何言ってんだよ。そんなんじゃないって、何度言ったら」
「結婚すると、変わるものなのね。美琴さんが堂々と惚気る日が来るなんて、思ってもみなかった」
「高野まで……勘弁してくれよ……」
だから。
愛理と晶はおどけて見せることで、美琴の影を払う。
いつか彼女が、胸の重しを下ろし、彼女達に真実を話した時に、それがたとえどんなことであろ
うと受け入れよう。
一瞬、視線を交錯させた少女達は、共に心の奥で誓うのだった。
「でも、播磨とあの子、うまくやってけるのか?あんなことがあったのに」
ひとしきりからかわれ、まだ顔に照れの火照りを残したままの美琴が、強引に話を変えた。
「大丈夫なんじゃない?天満はまだ、不満たらたらみたいだけど」
「そうだろうな。あいつ、妹思いだし。今度のこともよく、許したもんだよ」
「八雲だって、いつまでも子供じゃないってことに、気付いたんでしょ」
「普段はどっちが上かわかんないのにな。何だかんだ言って、いざって時は、ちゃんとお姉ちゃん
やってたし」
「そうだね――――まあ、しばらくは様子見だって。八雲が幸せそうだから、何も言えないってさ」
「ふーん。裏切られても、好きは好き、なのかねぇ――――って、沢近?どうかしたか?」
「……え?」
唐突に黙りこくり、手に持ったコップの中の紅茶に映る自分を見つめ続けていた愛理。気付いた
美琴が声をかけると、彼女は驚いて目を丸くする。
「――――?どうしたんだよ、急に」
「べ、別に、何でもないわよ。ちょっと考え事してただけ」
訝しげに問いかける美琴からそらした愛理の視線が、晶のそれと絡む。ただそれだけで、己の心
の奥底が見抜かれているかのような錯覚に襲われ、愛理は目を伏せた。
「ねえ、美琴さん。結婚式でブーケ、誰がとったか、覚えてる?」
未だ不思議そうにしている美琴は、晶の声に顔をそちらに向けた。
「え?ああ、確か……そっか、そうだったっけな」
周囲の女性の誰もが羨んでいるのに、当の八雲が一人、戸惑っていたことを思い出して、彼女は
優しい笑みを浮かべる。
花井が彼女のことを想っていたことを考えると、確かに胸はざわめく。だがそれとは別に、塚本
八雲という少女には幸せになって欲しいと、美琴は願っていた。
播磨との間の出来事に、同情している部分もあった。だがそれとは別に、ほんのわずかとはいえ、
直接に会って話したりしているうちに、彼女個人のことを気に入っていたからだ。
「案外、本当に次はあの子が、美琴さんに続くのかもね」
晶は美琴に顔を向けながら、しかし愛理を盗み見ながら言う。
いや、盗み見るというのは正確ではない。気付かれていることを彼女自身、わかっていたから。
見つめられることに苛立ちを覚えながら、愛理は何とかそれを無視しようと努める。
「播磨とか?それだと、天満のやつ、妹に先越されちゃうわけか」
「それを言うなら、私達だってそうだわ。同い年の美琴さんはともかく、一つとはいえ、年下の八
雲に先を越されるかもしれないなんてね。まだ若いはずなのに」
肩をすくめる晶に、美琴は頬をかきながら、照れ笑いをする。そして、
「そういや、沢近。お前はどうなんだよ?いい人、見つかったのか?」
「はっ。私につりあうような男なんて、そんじょそこらにいるわけないじゃない。だいたい、結婚
すりゃ幸せになれるってもんでもないし、急ぐつもりないもの」
ささくれだつ胸の奥から生まれた言葉を、そのまま舌に乗せた愛理は、すぐ後の嫌な沈黙に、は
っと我に返った。
「ご、ごめん、美琴。そういうつもりじゃ」
「……ああ、大丈夫。わかってるって」
ニッコリと、満面の笑みを浮かべるものの、美琴の表情はどこかさえなかった。自分の軽はずみ
な言葉を悔いて、愛理はぎゅっと掌を強く握った。伸ばした中指の爪が、肉に食い込むほどに。
「あら。でも愛理、この前、男と二人で一夜を過ごしたんでしょう?」
「何!?マジかよ!?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、何のこと言ってるのよ!?」
うってかわって嬉しそうな美琴は置いて、愛理は彼女に問い質す。全く、身に覚えがないからだ。
晶は、その切れ長の瞳で、彼女の心を射抜いた。
「この前、居酒屋で。バイト終わった後、お客で来てた彼と、一緒にタクシーで帰ったでしょう?」
愛理は鋭い目つきで、黙ったまま晶を睨みつける。
彼女は臆することなく、常と変わらぬ強い眼差しで、金髪の少女の視線を跳ね返した。
「……どういうつもり?」
その意図がわからず、問いかける愛理に、晶は肩をすくめる。
「別に。ただ、そういうことがあったでしょ、っていうだけのことよ」
嘘だ。愛理は即座に断定し、その眉を片方、吊り上げる。
彼女のことを愛理は、以前からよく知っている。だから、自分が連れて帰った男が播磨拳児であ
ることを、彼女が知らないはずがない。二人で飲んでいるその場面を、バイト仲間にはっきりと見
られていたし、そして彼が高校時代のクラスメイトだということも話してある。
そこに風貌や、愛理が彼を何と呼んでいたかを合わせて考えれば、それが播磨であったことぐら
い、晶にはすぐにわかったはず。なのに何故、わざとその名前をぼやかして言うのか。
否、そもそも八雲と彼が再び付き合い出したという話の流れに、そぐわないではないか。
そこまで考えて、愛理は気付く。八雲と播磨が縒りを戻した、と聞いたからこそ晶は、二人の関
係を確かめようとしているのだ、と。
「別に――――何もなかったわよ。彼とはね」
彼、という言葉を強調して愛理は言う。それが知りたかったのでしょう、と目で語りながら。
私と播磨拳児とは、何の関係もない。これまでも、これからも。
支援
「――――本当に?」
だが晶は、疑わしそうな声を投げかけてくる。その彼女の態度が、愛理の逆鱗に触れた。
ダン。急に立ち上がった愛理の背中の向こうで、椅子が音をたてて倒れた。
「……疑うっての?」
それでも愛理は、わめき散らすことはなく、感情を押し殺した声で問いかける。
代わりに、溜め込まれた苛立ちを乗せた視線は激烈そのもので、燃え盛る炎となって目の前の少
女を飲み込もうとする。
晶は、しかし、全く動揺しなかった。向かってくる劫火を、凍りついた光を宿した瞳で迎え撃つ。
「私は、ただ聞いてるだけよ――――どうしてそんなに苛立つの?」
「……っ!!アンタねぇ!!」
「おい、お前ら、やめろって……」
身を乗り出す愛理を止めようとした美琴の顔が、一変する。
「ど、どうしたのよ、美琴」
異変に気付いた二人の問いかけに、彼女は苦しそうに答えた。
「やべぇ……生まれそう……だ」