矢神神社、夏祭り。花火大会の後のこの小さな祭りは地元の人々
のささやかな潤いの場として年々賑わいをみせていた。子供は親と、
恋人は恋人と、共に出かけさざめく。そして、祭りの夜に祈るのだ。
いつまでも、一緒にいられますように、と――。
【夏祭りの夜に -sara side-】
「いか焼き〜、焼きそば〜。次は食べようかな〜」
と、いいつつもその手には空になったたこ焼きのパックがしっかり
と握られている。山吹色の地に赤い花模様の浴衣に草色の帯をしめた
塚本天満は、なにも喋らなければ美少女で通るのだが、会話の内容は
美少女にはほど遠かった。
「…あなた、食べることにしか脳が働かないわけ?」
紺地に黄色のトンボ柄に赤い帯の沢近愛理は、たこ焼きを食べても
まだ満足しない天満の胃袋にむかってつぶやく。そういう愛理自身は
周囲から送られてくる秋波に満足げだ。
「八雲、大丈夫?」
「…大丈夫、じき慣れるから」
かたや塚本八雲の顔色は青の縞地に紫の花模様の浴衣が顔にうつっ
たように青かった。もちろん、周囲から送られてくる感情の波のせい
だ。ピンクの大輪の花模様の浴衣を着たサラ・アディエマスはその八
雲の顔色が少々心配だったが、大丈夫だという八雲の言葉を信じて藍
の絞りの生地に紫の帯の浴衣を着た高野晶に声をかけた。
「で、部長。この道であっているんですか?」
「うん、この裏道を抜ければ、参道に面した小さな広場に出る…はず」
「あ、あそこに今川焼きの屋台があるー!愛理ちゃん、今川焼き食べ
よーよ!」
「は?今川焼き?なにそれ?」
「あれ?愛理ちゃん知らないの?小さくってねー、丸くってねー、甘
くってねー、すっごーっくおいしいんだよー!」
「しっ知っているわよ、それぐらい!」
「姉さん、その道違…」
こんな調子で一行の道のりは遅々として進まなかった。
なんとか参道脇の広場に抜け出た一行。広場と言っても、屋台用の
椅子とテーブルを置けばそれだけでいっぱいになってしまうような、
そんな小ささである。そこに…やたら人の群がっている屋台があった。
「なんだろう、あれ…」
「なんでしょう…」
「いってみよー!」
「あ、天満!むやみにつっこまない!」
屋台からはほのかに焼きそばソースと海老の香りがした。どうやら、
焼きそばが目当てで群がっている人たちだったらしい。だが焼きそば
一つにここまで人が集まるのも珍しい。思わず隙間から覗き込む天満
たち。そこにいたのは、一心不乱に焼きそばを作る麻生広義だった。
「あれー、麻生君!」
「麻生先輩、なにやってるんですか、こんなところで?」
驚きの声を上げる天満とサラ。
「焼きそば、一つ」
マイペースに注文をする晶。
「なんでこんなに具が多いんですか?」
「え、少ないほうじゃないの?」
「屋台の焼きそばっていうのはもっと具が少なくて普通なんです…」
愛理の疑問に答える八雲。彼女らが口々に注文と疑問を繰り返す間
にも、麻生は手を休めるところがない。それほど注文が多いのだ。で
きあがった焼きそばを客に渡す。それでなんとか人混みが一旦散らば
った。
「…疑問に答えると、一つ目ははうちの親が夏風邪で倒れたから。二
つ目、高野の注文は承った。三つ目、具が多いのはうちの親父が妙に
こだわって材料を仕入れたからだ」
淡々と次の焼きそば作りに入りつつ答える麻生。さっき作った分は
いま売っただけで完売してしまったのだ。
「ねー、なんでこんなにおいしそうなの?私も食べたいなぁ…ひとつ
くれる?」
確かに麻生の作る焼きそばは妙に香りがいい。天満の胃袋には
焼きそばの残り香だけで訴えるものがあった。
「それは…親父が毎年町内会に出店を頼まれているうちに妙に腕はあ
げるわ、具やらソースにこだわるようになっちまって。…ったくもう
けは少ないのに…」
「麻生先輩、実家ラーメン屋ですものね。バイト先でも中華作るの上
手かったですし」
「あっ、馬鹿…」
麻生が口止めする暇もなく、サラは口を滑らした。
「へぇ、麻生君サラと親しいんだ…」
「ふぅん、初耳…」
「お前らが思っているような意味じゃない!」
驚く愛理とぼそっとコメントする晶、そして否定する麻生。ある意味
否定自体が墓穴を掘っていたが、なにか考え込んでいるサラは気がつ
かなかった。
「よぉし!」
「なに?どうしたのサラ?」
「私、麻生先輩のお店、手伝います!」
「ええ〜!」
突然、焼きそば戦線参加を言い出すサラに驚く一行。
「いい、邪魔だ」
「でもでも、さっきみたいな人数がまた来たら先輩ひとりでは対応で
きませんよ?いつもバイトでお世話になっているんだし…たまにはお
礼させて下さい!」
容赦ない一言で断る麻生。だがサラは食い下がる。
「せっかく祭りにきたのに屋台手伝ってもしかたねーだろ。それにそ
の浴衣も汚れる可能性があるし…ほら、さっさとこの焼きそば持って
いけ」
「あ〜、私の焼きそばできたんだ。ありがと〜」
しかし麻生もにべもなかった。天満にできたての焼きそばを渡し、
それきり顔を背ける。肩を落とすサラを見るに見かねて、八雲が晶に
相談した。
「部長、なんとかなりませんか?」
「う〜ん、そうね…。天満、その焼きそばの感想を大声で言ってくれ
る?」
晶はまさにいまにも焼きそばの一口目を味わおうとしていた天満に声
をかけた。
「うん…?あ、晶ちゃん!この焼きそば、海老が入っていてすっごく
おいしいよ〜!」
本能的に天満が叫ぶ。そんじょそこらのテレビのレポーターとは違
う魂のこもった天満の叫び声に周囲は反応し、一度は散らばった人だ
かりがまたわらわらと集まり始めた。
「高野、てめぇ…」
「あら、もうかっていいじゃない。それともこのままここで客引きを
続けていてほしい?」
浴衣姿の美少女五人の客引き対一人の手伝い。どちらが正しい選択か
は明白だった。
「…わかった。エプロンはそこだ」
「はいっ!」
「ちょっと待って、サラ」
奥に入ろうとするサラを晶は引き留め、するすると巾着袋から2本の
布製の白い紐を取り出した。
「部長、それなんですか?」
「愛理の夏着物の腰紐。誰かさんが着崩れたとき用に持ってきたの」
ここで使うと思わなかったけど、といいながら晶は2本の紐を安全ピ
ンで留め、くるくるっとサラの浴衣の袖を襷がけにした。
「これで袖は汚れないでしょ…上手くやりなさいよ」
「ありがとうございますっ…じゃあ、早速。部長と塚本先輩、焼きそ
ば代400円です」
「しっかりしてるわね…」
「はい400円。頑張ってね〜」
四人を見送り、サラはエプロンを身につけ屋台の奥へと入った。手
伝い、といってもサラに焼きそばが焼けるわけではない。ただ麻生に
指示を受け、出来た焼きそばをパック詰めし、おつりを支払い、呼び
込みをする。やはり、というかサラの読みどおり屋台はとても繁盛し
た。サラと麻生のクラスメートも何人か来た。麻生家秘伝のソースと
海老の効果は恐ろしい。が、それにも加えて大きかったのはサラの笑
顔だろう。麻生の仏頂面だけではこうまで売れなかったに違いない。
が、魔法もここまでだった。
「売れないな…」
「売れませんね…」
サラが手伝いを始めて二時間。フルスピードで売りに売り切った神
通力も残り四パックというところでなぜか切れたようだ。時間が経て
ば経つほど焼きそばの香りも落ちるし、誰もが冷めた焼きそばよりは
焼きたての焼きそばを食べたい。というわけでたった残り四パックの
ために二人は閑古鳥の鳴く店を守っていた。
「呼び込み、しますか?」
「たった四つの焼きそばのためにしても意味ないだろ…。それより今
までのスピードが異常だったんだ。ゆっくり売ろう」
「そうですね」
「それより…今日は助かった。ありがとな」
「本当ですか?」
サラは白いエプロンと白い襷がけを翻して振り向いた。
「ああ、本当だ」
軽く頷く麻生。彼がこんなにも素直だなんて珍しいことだ。
「それなら…お礼してください!」
「はぁ?お前なにいってんだ。お前が『いつものお礼』とかいって手
伝いし始めたんだぞ」
「それとこれとは話しが別です!」
「…都合のいい日本語ばかり覚えやがって。だいたい商売は終わって
ないだろ」
「終わったらどうなるんだね?」
二人は会話に割って入った人物に気づいて目を上げた。
そこには紺地に白の竹柄の浴衣に黄色の帯を着て紙袋を抱えた刑部
絃子と白地に紺の桔梗柄の浴衣に朱色の帯を締めた笹倉葉子の姿があ
った。
「こんばんわ、お二人さん」
「こんばんわ、サラさんに麻生君」
「…こんばんわ」
「こんばんわ、刑部先生、笹倉先生。お二人でそろってどうしたんで
す?」
「ふふっ、見回り…というのは口実で私たちもお祭りを堪能している
ところなの。で、サラさんはなんでこんなところにいるの?」
「麻生先輩のお手伝いをしているんです」
「ふーん、そうなのか…。で、商売が終わったらどうしたって?」
挨拶ついでに話題を振る葉子と絃子。
「焼きそばを売り切ったらお礼して貰うことになっているんです」
「約束なんてしてねぇ…」
「なにをして貰うことになっているの?」
話題を広げるサラと葉子に麻生は憮然として呟くが三人は聞いていな
かった。
「え、えっと…そこまでは考えていませんでした」
「ふむ、ではなにか屋台を奢って貰うというのはどうかな?」
「あ、それいいです。麻生先輩、なにかおごってください!」
「………」
「でもこれ、売り切らなきゃいけないのよね?」
「可愛い生徒の恋路のためだ、買ってやるか」
「っ……!」
それまで黙っていた麻生だが、さすがに恋路とまでいわれてからかわ
れてはたまらない。すかさず言葉を発しようとしたが
「えー、本当に買っていただけるんですか?ありがとうございます!」
と、売り上げに貢献できた喜びのあまり、話しを聞いていなかったサ
ラによって会話を流された。
「おや、麻生君。浮かない顔だね」
「…なんでもありません」
更に揶揄しようとする絃子を交わすように、言葉少なに焼きそばをビ
ニールに詰める麻生。
「じゃ、四パックで十六〇〇円です…でも刑部先生、四パックはさす
がに多くありません?」
「なに、酒のつまみに食べきるよ。多かったら残して朝食用に持って
帰るさ」
ちょうどうちには大食漢がいるし、とつぶやきながら絃子は焼きそば
の入ったビニール袋を受け取った。
「じゃ、後かたづけに気をつけて帰るようにな」
「麻生君、送り狼にならないようにね」
「なっ…」
最後まで二人は麻生とサラをからかいつつ去っていった。
「先輩、『送り狼』ってなんですか?」
「…お前は知らなくていい」
鉄板の焼け焦げをがりがり擦り続け振り向いてくれない、その後ろ姿
に不満そうに頬を膨らませるサラだった。
商品を売り終わった屋台は物悲しい。周りの店との兼ね合い上、ま
だ屋台を畳むというわけにはいかないからだ。かといってすることも
ない。サラと麻生は売り切った心地良い疲れを感じつつ、少し惚けて
いた。
「先輩」
「…なんだ」
「今日、困らせちゃって、すいませんでした」
「なんのことだ」
「無理矢理手伝ったこととか、『お礼、お礼』って騒いじゃったこと
とか…」
「手伝いは…助かった。正直、一人でできると見込んでいた俺が甘か
ったよ。礼は…むしろこっちがしなきゃいけない立場だからな」
「じゃあ…!」
「で、バイト代いくら欲しい?」
盛大にこけそうになるサラ。麻生の顔を見ても本気で言っているのか
冗談なのかわからない。
「うー…。先輩、本気ですか?」
「実際、ここまで売り切ったの半分はお前の功績だしな。バイト代ぐ
らい弾んでも罰当たらないだろ」
「わ、私が欲しかったのはっ…!」
先輩と一緒にいる時間、と口走りそうになって初めてサラは自分の本
心に気がついた。
(そうだ、お手伝いとかバイトでお世話になっているからとかは口実
だ…。私、単に麻生先輩と一緒に居たかったんだ…)
それなのに私、先輩を困らせている。そう自覚するとサラは自分の我
が儘さに思わずしゅんとした。
口煩かったサラが突然黙ったことで、麻生は逆に心配になった。
「おい、お前…」
「………」
「さ、サラ…」
「………」
サラは沈黙したまま、返事を返さない。
「おいっ!」
「は、はいっ!」
肩をつかまれて、サラは初めて呼ばれていることに気がついた。と
同時に、浴衣越しに肩に感じる麻生の手の体温に頬が熱くなる。
「先輩、痛い、です」
「ああ、悪い」
ふいに、沈黙が訪れる。そのいたたまれなさに負けたのは麻生のほ
うだった。
「屋台」
「えっ?」
「そんなに行きたかったか?」
返事に困るサラ。そんなサラの姿を見て、麻生は折れた。
「三十分」
「………?」
「三十分なら店を開けてもいい」
「で、でも不用心なんじゃ…」
「貴重品は売り上げぐらいだし、三十分ぐらいならどってことない。
それより…行きたいのか?行きたくないのか?」
「い、行きたいです!」
サラは思わず反射的に答えてはっとしたが、すでにその返事は麻生の
耳に届いたあとだった。
「なら、決まりだ。どこにいきたいんだ?」
「金魚すくいに…」
八雲に教えて貰った屋台の中で、一番行ってみたかったところをサ
ラは素直に答えていた。
「なら、あそこだな…。毎年すくいがいのある店がある。いくぞ、サラ」
「は、はいっ」
サラはその日初めて名前で呼ばれたことに気づき、浴衣の柄にも負け
ない大輪の花のような笑みを浮かべて返事をした。
そして麻生には気がつかれないよう、そっと巾着袋の中の携帯の電
源を切った。
(ごめんなさい、八雲、部長。いまだけは二人きりでいたいから――)
「遅い、置いていくぞ」
「いやです、意地でもついていきますから」
そしてサラは、軽口に本気を混ぜつつ、そっとスピードを緩めてく
れた麻生の足取りを追っていった。