ここは地獄の一丁目

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171Carpaccio
小泉内閣の米百票。

言葉自体が先行して中身がついてこないという事はたくさんある。
多くのメディアが『米百俵』を垂れ流し、イメージを作り上げる・・・俺は正確にキャッチできているだろうか。

今のところの自分の意見を簡単に書くとするならば、
その言葉が発せられる裏には、米を国債、藩主を総理大臣に例え『痛みを伴う構造改革』を断行し易くしようとの意図が見える。
少し話がずれるが、俳優でも政治家でも、『坂本竜馬が好き』と公言する人の好感度が上がるのに似ているように思う。
まぁ、それは置いておいて、本当に国債の発行を制限する事が国のためになるのかを考えたい。

俺の答えは『NO』だ。
確かに、現在の実質GDPを考慮すれば、何百兆円という国債を発行するわけにはいかないが、それでも30兆円では少なすぎる。
このままでは、倒れる銀行や中小企業も続出するであろう。
例えて言うなら、末期症状に苦しむ癌患者に副作用があるから、、、と担当医が投薬しない事になる。
総裁戦時の亀井静香氏のように金をばらまけ、とは言わないが、もう少し支出を増やしてもよいのではないだろうか。
プライマリーバランスにこだわるあまり、足元を見失ってはいないか?
もしくは単純に、支出を減らし収入を増やせば経済は自動的に再建されると考えているのだろうか?
総理がメディアを通じ、大局的なものの捕らえ方(米百俵)を主張する姿に違和感を覚える。
目の前の饅頭を拾おうとしているのは、果たして俺か、総理か・・・