ここは地獄の一丁目

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139Carpaccio
個性や自分自身について。
ある有名ハンドルの方が

『自分がハンドルなのか、ハンドルが自分なのか、わからなくなってきた』

と書き込んでいるのを見つけた。
結論からいうと、社会学の世界では影に自己投影することは普通だとしている。(この現象の正式名称は失念)
例えば、成績の悪い生徒がいたとする。周りは落ちこぼれというレッテルを貼り、不良をイメージする。
その周囲の行動が本人の無意識に刷り込まれ、『周りの(一種の)期待に応えなければ』との想いを誘発する。
そのうち、煙草を吸ってみたり、変形ズボンをはいてみたりし始め悪循環に陥る。

次に、例えば『煽りキャラ』で通している人物Aを考えてみよう。
あるスレに、Aが非常に同感できる意見が述べられていたとしても、Aは煽り続けるしかない。
なぜなら、周囲が期待しているからだ。
ここでキャラ違いな行動をとれば、それを裏切る。このように、Aはストレスを感じたとしていても一定した態度をとり続けなければならない。

このように、影に躍らされていることは実生活でも多い。正確には『役を演じる』といったと思う。
子供を演じたり、親を演じたり、無限に存在する。
それは時として、個人に大きい負荷となってのしかかる。ふと振り返ると、自分は本道を歩いていないのではないか、横道にそれているのではないかと不安になる。