1 :
吾輩は名無しである :
文学板ではちょくちょく「文学」についてスレッドが立つのですが、
たいがいにして原理的な抽象論のままでそれほどのまとまりもなく終わってしまいます。
そこで、ラウンジの皆さんに尋ねてみます。
あなたが「文学」と聞いてイメージするもの、あなたにとっての「文学」とは、などなど、
思うがままに書いてください。よろしくお願いします。
村上龍とSM
国語の面白くない授業
我輩は名無しであるというハンドルを検証すること
ナポレオン文庫
6 :
1:2001/07/09(月) 10:02 ID:nLt.WWpQ
あ、別に「文学」じゃなくて小説についてでもいいです。
ちなみに、IDが違うのは、このスレ立てようとしたら何故か
「スレ立てすぎです」が出たので止むを得ず串を使ったからです。
7 :
いつぞやの5:2001/07/09(月) 10:03 ID:???
文学ト云フ事
オパーイ
範囲広すぎ
いつ5が欲しい
モンガク
文学と読んだだけで・・・。ハァハァ。
フランス書院
14 :
1:2001/07/09(月) 10:07 ID:???
>>12 ┌───┐
||\_./||
.|.|_ _|.|
[^■:=:■^]
| L。。」 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\/⇔|/_ < 警察だ、インターネットでロリビデオを売買していたな。
_ 「 ̄/∠\_, \ 児童ポルノ法違反で逮捕状が出ているぞ。
| | |介處 | \ \_____________________
| |./|/ |∧ |
|| // 「 ̄し',\|
||/ |警 |/\)
| v /!| | ./|
\/ :L___.」 ̄ |
15 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:08 ID:nLt.WWpQ
こっちのハンドルにしておくか。。。
>>2 わりと小説を読んでる人のネタレスとお見受けしましたが、いかがか?
>>3 そのイメージを持つ人はけっこう多いんじゃないかという気もします。
個人的には、小説が読まれなくなった一因に国語の授業があるんじゃないかとも・・・。
>>4 文学板のデフォ名無しです。
>>5 寡聞にして知りませんでした。フランス書院と同じ系統かな?
>>7 昔フジでやっていた深夜番組ですね。文学板にもスレが立ちました。
>>9 確かに、一言に「文学」と言っても曖昧すぎるかもしれませんが、直感的に
連想したことでもいいから書き込んでもらえませんでしょうか。「オパーイ」とかは勘弁(w
16 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:12 ID:nLt.WWpQ
人いないですねぇ。わりとマジレス希望なのですが・・・
今の時間はあまり人いないです。
今日は特に・・・何故でしょう。
>>1様。
私が文学、小説に持つイメージは知識の箱でしょうか。
知識を得るというのは非常に難しいことですが、文学からしか得られない知識ってあると思います。
>>15=
>>1様。
ナポレオン文庫はフランス書院からライトエッチSFノベルとして刊行されたシリーズです。
私の師匠が執筆依頼を受けて冗談だと思って断ったら本当だったという事実が・・・
20 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:18 ID:nLt.WWpQ
>>18 なるほど、「文学からしか得られない知識」ですか。
よかったらその辺をもう少し掘り下げてもらえると嬉しいです。
例えば、映画・マンガ・あるいはドキュメンタリーやノンフィクションなどの
他ジャンルとの比較などで。
21 :
22世紀を目指す名無しさん:2001/07/09(月) 10:23 ID:uqKs7Zd.
文学とは利き手ではない方の手で書かれるべきもの。
すなわち吃音を体言した文章。ある種の読みにくさを持つ文章。
いや、文章というか、文字それ自体というべきかな。
オイラは初期大江が好きっす。
>>20様
ノンフィクションとドキュメンタリーに関しては私は小説や文学と一緒にしてしまっていますので厳密な違いはわかりません。
誰だか忘れましたがノンフィクションとはノンフィクションという名前のフィクションであると言った人がいますね。
他のジャンルと比較するのであれば、文学の最大の違いは文字しか表現法がないことだと思います。
映画や漫画などは絵柄や撮影技術など、内容以外でみせることができます。
文学の場合は基本的には活字という統一された土俵の中で戦わなければなりません。
そこには文章的な技巧というものも存在しますが(例えば三島由紀夫の文章の美しさは私には筆舌できません)基本的には内容で勝負するしかないでしょう。
決して漫画や映画が内容で勝負していないとは言いませんが、作品における内容というものの比重がけた違いではないかと思います。
23 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:30 ID:nLt.WWpQ
>>21 なるほど、大江が好きな人の意見かもなって気もします。
「吃音を体現した文章」って表現がどこか文学的ですね。けど、そのニュアンスは
よくわかります。言葉というもの自体が曖昧で不安定故と言うか。
文学=変態性の正当化
大藪春彦の晩年の作品はそれまでの名作を汚す程駄作だった。
補足です。
文章技巧というものをおろそかにするつもりでもありません。
例えば文体というものを考えると、その人が見えることがあります。
作家には作家一人一人の文体があり、その文体が個性を作ることもあります。
清水義範氏のパスティーシュが成り立つのも作家の文体によるものでしょう。
ただ、文体がいかに優れていても文学としては評価されにくいですし、逆に文体がひどくても文学として高く評価されることがあります。
文体はあくまで副次的な要素で、文学とは基本的にはその内容だけで勝負するものではないかと愚考します。
村上龍と宗田理と江戸川乱歩と高見高春しか読んだ事ありません
そろそろ結論が見えてきましたね。
つまりGSCのNMRの数の集積効果をあげるために、絶えず流れるようにすべきだということですね。
で、そのためには広く門戸を開放する、というのはよいと思います。Spring8方式の導入ですね。
ですが、実際Spring8ではマシンの稼働率は上がっても実際のアウトプットは
フルスペックから想像される期待値よりかなり下回っています。それはなぜか?
それは、結局「ひろくうすくばらまいてしまったため無駄な運用が多い」からです。
私はそれは結局のところ課題選択の報告と評価に問題があるからだと思います。
だからGSCはプロジェクトの目的にかなった「新規のフォールディングを迅速に決定する」
というテーマに限って、迅速に決定できるノウハウを持っていると思われているグループに限り、
マシンタイムを開放するのがよいのではないでしょうか?
29 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:36 ID:nLt.WWpQ
>>22 >映画や漫画などは絵柄や撮影技術など、内容以外でみせることができます。
個人的には、小説にとっての絵柄や撮影技術にあたるものが
文体ではないだろうかなとも思うのですが、映画・漫画などは視覚的効果を
もたらすので同一線上に並べるのは難しいかもしれませんね。
視覚による部分が少ない、小説と言うメディアならではこそ、
その作品の出来を決めるのは内容がほとんどだろう、という考えについては同意です。
丁寧なレス、ありがとうございます。
>>25様。
アスファルトの虎ですか?私もあれには愕然としました。
特に後半は毎巻毎巻同じ内容の繰り返し。
レースに勝ってレースクイーンとHして数の子天井か三段締めですから。
味噌田楽
>>30 それはまだマシな方で、「餓狼の弾痕」「野獣は蘇る(伊達邦彦)」は最悪でした。
別人が書いたのかと思って愕然としました。
最晩年はカルトと妄想が入り混じってましたね。
33 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:44 ID:nLt.WWpQ
>>24 その意見を一歩掘り下げて、なぜ「文学」と名を冠することによって
変態性が正当化されるのか、という部分も考えてみませんか?
「文学=変態性の正当化」という考えは面白いと思います。
>>25 そうなのですか。残念ながら大藪春彦は読んだことがないもので。
ただ、作家と作品を切り離してしまえば、駄作によって名作が汚されることはないと思います。
>>26 文体について考え出すと難しくなってしまいますね、どうしても。
文体と内容を完全に切り離して考えることは難しいですし。
村上龍の「トパーズ」に入っているいくつかの短編は実験的な文体を用いていますが、
あれなんかはできるだけ語り手の思考の流れに忠実に書こうとした結果のもので、
僕個人はその部分だけでも評価に値すると思っています。
そういえば文学でしか再現できないものは存在するか、というテーマに挑戦した作品がありましたね。
筒井康隆氏の虚構船団でしたっけ?
結局それすらも映像化されてしまい、筒井氏はメタフィクションという方向に解決策を求めた節があります。
映像化できない作品を目指すよりも映像化されると面白くなくなる作品という方向性はなかったのかと思います。
その一つの解決策としては星界の紋章やスレイヤーズでしたっけ?のようにルビを使うという手もあるのですが、これはどちらかというとビジュアル的な効果ですよね。
35 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:54 ID:nLt.WWpQ
>>34 文学の、というか小説の最大の魅力であり武器は、読み手の、読み手個人しか持ち得ない
想像力を刺激する部分にあるんじゃないか、僕はそう思っています。
例えば、自分にとって一番綺麗だと思う女性(または一番かっこいいと思う男性)の顔は
各々の頭の中に浮かび上がるものであって、決してビジュアル化できないと思いますし。
36 :
吾輩は名無しである:2001/07/09(月) 10:56 ID:nLt.WWpQ
もう落ちますが、懲りずに多くの人の意見を募集します。
追加テーマとして、「あなたが小説を読む(もしくは読まない)のは何故か?」
というテーマも挙げてみます。小説なんて全く読まない、嫌いだ、という人の
意見、大歓迎です。
ここまでレス下さった皆様、ありがとうございます。
和菓子
>>35様
これは素晴らしい意見ですね。
たしかに映画や他の映像系ジャンルでは顔などは既に存在していて、読者の想像力を刺激することは少ないですね。
小説において「美女」とだけ書かれていた場合、それは読者が頭の中の理想とする美女を連想するわけですよね。
そこに「なんだ美女って設定なのに美女じゃないじゃん」のような疑問が入る余地はないわけです。
これは小説における利点というか、有利な点かもしれません。
>>30 「マッシー、ゴー!」が何度出てきた事やら……
>>32 旧い伊達邦彦シリーズは(・∀・)イイ!
40 :
Loki:2001/07/09(月) 11:03 ID:???
文学歴史の10
>>39kerberos.様。
あはは、でてきましたね、マッシー、ゴー!
始めは暗殺者と兼任かなんかしていてなかなか面白かったのですが・・・。
野獣死すべしでしたっけ?
あれは原作無視した映画も凄かったです。
申し訳ないが保守。